◎文体模写、夏目漱石「茶椀の中」
数か月前に、文豪や著名人の文体を模して、「カップ焼きそば」の作り方を書いた本が話題になった。神田桂一さん、菊池良さんの『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社、二〇一七年六月)である。
こうした「文体模写」の試みは、昔からあったなあ、と思った。先日、たまたま、アサヒグラフ編『玉石集』(朝日新聞社、一九四八)を手にとったところ、そこに、いくつか「文体模写」のコーナーがあった。しかし、この本を入手して一読したのは、たかだか五、六年前のことだ。それよりもはるか以前から、少年雑誌、受験雑誌、あるいは週刊誌などで、「文体模写」に接してきたことは間違いない。
本日は、『玉石集』から、「文体模写」の一例を紹介してみよう。改行は原文のまま。
=== 文 体 模 写 ===
茶 椀 の 中 模・夏 目 漱 石
新聞を見ると腹が立つ。腹が立つからいらいらする。いらいらするから
眠れない。眠れないから朝寝坊だ。いつそへンりー・ライクロフトのいふ
やうに新聞や手紙の一切来ぬ国に住むことができるならさぞのんきだろ。
尻尾のない猿どもが猫額の島国にひしめきあつて、いがみあひだましあつ
てゐるのが今の世の中だ。西諺にいふ Tempest in a tea-cup と観ずれ
ばたとへ得てだ。
茶椀の中では遠慮なく地震がゆる、津波が来る、買出しの列車が転覆す
る、金がない、家がない、食べものがない、揚句に猩紅熱のやうにゼネ・
スト熱がはやる。子供ばかりがやられるのかと思うたら大の男が束になつ
て熱を出す、そのたびにボロボロと皮が剝げ落ちる。
お陀仏も土左衛門も浮ばれぬがそんなことばかり書かねばならぬ新聞記
者もせつなかろ、それを面白いと読めば非人情となり、運命と諦めれば風
流となる。とかく敗戦は残酷だ。
おそらく、この文体模写をおこなったのは、『アサヒグラフ』編集長時代の飯沢匡〈イイザワ・タダス〉であろう。ただし、『玉石集』のどこを見ても、飯沢匡の名前は出てこない。
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