はまくまのかみんぐあうと

かみんぐあうとって…意味ご存知でしたか?
大好きな佐渡やお菓子のことお話しましょ!

国指定史跡 佐渡奉行所 へ行ってきました~♪

2013年11月08日 | 佐渡旅行
元相川中学校のあった高台

更にその以前には高等女学院や官公庁等も置かれたといいます

ここに現在、復元された「佐渡奉行所」があります



相川の街並みを見下ろす高台

当時のお奉行様やお役人はここからの景色を

どんな気持ちでながめていらっしゃったのでしょうか…



高台から見る「大間」の港の景色

これだけは変わってないですよね~きっと

う~ん☆ここが歴史の魅力ですよね~っ(*^^*)


(↑こちらは、現在の「大間」の港跡を海岸から見た景色・ローダー橋脚と呼ばれる荷物を運搬した橋跡が見えます)



佐渡奉行所は実は何度も火災にあい(5回)

復旧しては、火災の繰り返しだったようです



当時の跡として、私の記憶も周りの石垣とお堀位しか

残っていなかったのですが、平成7年から

コツコツと(予算の付く範囲で(笑)復元されて

現在は歴史で言う「安政時代の佐渡奉行所」を元に

復元しています

(インターネットの配線↓見つけちゃったけど…(笑)(^▽^;)
  これは当時はないだろ~(笑)




佐渡が天領(てんりょう)=幕府直轄の地となったのは

慶長8年(1603年)

元々奉行所は、佐渡金山発見の先駆けとなる

「鶴子銀山」にあったそうです


その後、相川金山=佐渡金山発見と共に

相川に移されました


ですから、佐渡が佐渡市になるまで

佐渡のお役所・官公庁関係は「相川町」にありました

そこが由縁なんですね~☆

これトイレ(笑)使用禁止!当たり前?(^▽^;)



これが目玉かな?「埋鉛」=まいえん

ここに埋もれていた要するに「鉛のかたまり」です

実は☆重要文化財なのに持って重さを体験できるんです~♪




こちらが実際にもって体験できる「埋鉛」


これが結構~見た目よりかなり重いっ(*_*; 41キロ!!



(うっ(;^ω^)全然あがんないっ~☆)


この出土品の意味は?

そう☆実は!江戸時代はここで!金を精錬していたのでした~☆

金を精錬するのに「鉛」が必需なんだそうで。。。

ですから 奥に復元された体験もできる精錬所施設もあります~♪


訪れるたびに、進化していて(工事が進んでいて)

訪れるたびにそれなりに楽しんでます♪


最新の画像もっと見る

コメントを投稿