はまくまのかみんぐあうと

かみんぐあうとって…意味ご存知でしたか?
大好きな佐渡やお菓子のことお話しましょ!

できることから!

2011年03月31日 | 日記
家に眠っていた次男のランドセルとノート、鉛筆を

かき集めて小学校に届けてきました。


小学校でまとめて被災地に送ってくれるんだとか

佐渡の母がふんぱつして買ってくれたランドセル。

どうしても捨てられなくて、物置にしまってあったのですが、

よかった…こんなことでも誰かのためになること。


誰かのために、

何かをしてあげたくなる 

できることから…やりましょう!

都市ガス復旧しました!!

2011年03月30日 | 日記

ガスがきた!都市ガスが復旧した!

復旧作業が開始(3月26日)されてからで5日目

やっときた~\(◎o◎)/!

素直に…うれしい~(泣)


これで復旧した地区は青葉区と太白区、名取市の一部となります。

まだまだ復旧してない区もあるのに…先にすみませんm(__)m


復旧の係りの方は、貸し切りバス3台でやってきて、地域にちらばり

ガスの開栓作業をしてくれます。

ちなみにうちの開栓作業は、大阪ガスのお兄さんが、

隣のマンションの友人宅は、四国ガスのお兄さんが

開けてくれました。

日本各地から、助けにきてくれているんですね…本当に…。



自宅にいないと作業が出来ないので、バスと係りの人を見かけたら

自宅にいてくださいね♪



今日から鍋風呂とお別れです(^_-)-☆

これで我が家のライフラインは、完全復旧です!


さぁ 震災後 我が家での初風呂だ!!!
















もうすぐ春

2011年03月28日 | 日記

震災して、すでに2週間がすぎました。

張り詰めていた緊張感が抜けてきたのか…

いくらか安定してきた生活に安心したのか…

応援してくれている人達の姿をTVで見ては泣き

ラジオから流れる音楽や応援メッセージに泣き

訳もなくいつもの風景や空を見ては…涙が出ます。



家があり、家族が無事だった私ですら

こんな状態なのに、2週間過ぎても会えない、

行方不明の家族を捜す人たちの悲しみは、

どんなに辛く苦しいことでしょう。



昨日、お世話になった方の甥っ子が19歳で亡くなったと

父親を助けるために流されたと聞きました。



亡くなった方は、皆誰かを助けようと、守ろうとして

流されたことを知ってほしいです。



地震から、津波が来るまでの時間。

人々の明暗を分けた時間…。

実際地震で亡くなった方は、ほんと少ないと思います。

みなあの…津波で…。



今は、泣きたいときには泣き、笑いたいときには笑う…。

自分に素直に生きてます。

沢山の人たちに感謝しながら…


実家の山から連れてきた庭の雪割草(ゆきわりそう)もいつの間にか満開に…。

故郷は…もう春なんですね。


さあ、今日もふんばりますよ!!\(^o^)/





仙台市 都市ガス再開は?

2011年03月27日 | 日記

待って待ち焦がれている「都市ガス」

うちの地区は、今日はまだ開栓作業にきていません。


病院から優先的に開栓作業を行い、青葉区、太白区と順次開栓作業をすすめるとのこと。

26日に、開栓作業応援隊 450人が到着した\(^o^)/ので、

27日、今日から本格的に開栓作業が開始される模様。



幸い我が家には、電気が復旧してからは、

押し入れに電磁調理器があったので、お風呂は電磁調理器で湯を

沸かして湯浴びしておりましたし、料理も困りませんでした。



しかし、友人宅は、電気調理器といえば「炊飯器」しかないので

「炊飯器」で米を炊き、お湯を沸かし、パスタをゆで、パン(蒸しパン)を作り~etc.  
 
(+_+)~頑張っているとのこと。


他の友人は、お風呂がわりのお湯は、卓上ガスがあまり手にはいらないので

お風呂がわりのお湯は「電子レンジ」で沸かしてるとも話してました。



えらい!と叫んでしまった私。

持ってない人は、あるもので創意工夫で乗り切っているのです!



私たちは被災者と呼ばれるけれど、私たちは被災者じゃなく

不便者だから、自分のことは、なるべく自分たちで頑張って、大変な人たちに

手厚い支援をしてあげて欲しい!!

友人は、皆そういいます。


しかし~電気があれば「炊飯器」はかなり使えると再認識(^_-)-☆

「炊飯器」を見直してしまいました(笑)





大震災から…2週間

2011年03月25日 | 日記


震災から今日でちょうど2週間。

激動の2週間で、無我夢中の2週間でした。

あと1時間ちょっとで、あの地震の起こった時間です。

そしてあの津波 午後3時36分…。


津波が来た時は、仙台は珍しく雪(みぞれ)が降っていました。

被害が少なかった我が家ではぜんぜん、そんなことにも気付かず、

壊れたコップ数個を片づけていた私。

流された人たちもきっと、家の中で気付かず片づけをしていたのかもしれません。


津波のあとの被害をラジオや口コミ情報で聞いて、

「あの有名な名所、松島も津波でなくなったのでは?」

と心配しましたが、松島は健在!

五大堂も、瑞巌寺も無事だそうです。

海に浮かぶ島々が守ってくれたのでしょうか…。


地震の次が津波、津波の次が放射能…

同じ被災者の福島県、福島原発近隣の皆さまが気の毒でなりません。

辛い避難生活かと思います。

どうか、放射能災害者の皆さまにも、支援の手が届くことを祈るばかりです。











東北道きょう全面再開!

2011年03月24日 | 日記

河北新聞の朝刊の見出しが大きく「東北道きょう全面再開」を掲載していました。

これで今日朝6時から、東北自動車道と常磐自動車道は全面開通!

一般車両が走れるようになりました。


仙台北部道、南部道路の通行規制も解除されたので、

いくらか仙台市内の混雑も緩和されると思います。


被害のひどい海岸部に通じる三陸自動車道利府ジャンクション

から鳴瀬奥松島インターチェンジの間のみですが、ここも一般車両の通行が可能になり

10日ぶりに助け出されたおばあちゃんと孫が見つかった

石巻方面の行き来が便利になりました。


まだまだ三陸自動車開通には程遠いですが、うれしいうれしいニュースです\(^o^)/

これでまた物資や燃料、食糧、困っている人に運ぶことができます。

町の復興が少しずつでも進みます。


毎日、わずかわずかですが、復旧が進んできたそんな感じがします。



昨夜は、震災後、初めてパジャマで寝たし(*^^)v

みなさん、パジャマで寝れるなんで、幸せですぞ (^o^)丿




震災酔い? 常にゆらゆら

2011年03月23日 | 日記
震災後、常にゆらゆらゆれてます~(@@)

けさも震度4が2回、震度3が1回

震度4くらいでは、もう飛びおきなくなりました。

いいことなのか、余裕が出来たのか、疲れで起きられないのか…

余震があまりにも多くて

ゆれているのが常なので、なんだかめまいなのが、地震なのか

わけがわからなくなりました(@_@;)


家事をしながら、「地震?」

ふっと、ゆれるものを確認するのですが、

ゆれてるのは「自分だけ~」……)^o^(


一緒にゆれるしかない…(+_+)



震災後、はじめてお風呂に入れました

2011年03月22日 | 日記
日本人でよかったとお風呂に入って思いました。

1時間、並んで手に入れた共同浴場の整理券。

幸せな一時…。

次回はいつ入れるのやら(>_<)



震災以来、沢山の方とお話をするようになりました。

おばさん根性かもしれませんが、声をかけずにいられないのです。



家がある人も、仕事がある人も、皆めいっぱい!一生懸命!生きてます。

避難所の人たちを思えばなんのそので、

家や仕事を失った人のことを思えば、こんなことくらい…と

踏ん張れるのです。

しかし…10日以上ぶりのお風呂は、あまりの温かさに気分を悪くする人も(+_+)


私も、あまりの心地よさに気を失いそうになりました。


風呂あがりも放心状態。気がどっとぬけてしまいました。


風呂って危険だ!


震災後の初風呂には気をつけましょう(T_T)/~~~





仙台市内電気復旧!

2011年03月21日 | 日記
3月20日、仙台市内、多大な被害があった若林区以外は
電気は復旧したもようです。
皆、震災で離れていた人も、徐々に我が家に帰ってきているようです。

私の地区も電気に続き、固定電話がおととい夕方突然!復旧しました。
最悪の状態から、わずかながらよくなってきています。

相変わらず燃料・食糧不足で、自転車と徒歩で皆、頑張ってます。


震災以来、うちのお風呂はこれ(^_-)-☆

たまたま押し入れに眠っていた電磁調理器のおかげで、

2日に1度位髪が洗えます。

鍋1杯のお湯で髪と体が洗えて拭けます。

なんとかなるもんです(笑)














震災後の仙台 今

2011年03月18日 | 日記

ガソリンがありません。
ガソリンを購入するのに3キロ位の車の列。

灯油がありません。灯油販売にも長蛇の列。買える人もわずか。
都市ガス復旧までには、1か月以上かかると思われます。
電気は、津波がきた海岸地域以外はもう大丈夫かと。

仙台は北部がまだ水はでていませんが、
南は水が震災時からでています。

スーパーに食べものが届きません。

買い物に4時間から6時間並んでやっと
買ったというものがきゅうり1本、
トマト4粒、トイレットペーパー3個…。(友人の話)

それでも、被害のひどい比難所を優先して欲しい。
早くそっちへ、届けて欲しいと思う。

関東も福島原発被爆の心配はわかると思います。
でも、被災した人は被爆よりも、「今」が大変なのです。

私たちは、恵まれています。
多分被災者と呼ばれる立場ですが、私たちは被災者ではなく
「不便者」だげで、生命にひってきするほど危険な状態ではないのです。

建物の崩壊や家事は最小限だったので、地図を見ればわかりますが、
海岸部を走る東部高速道路から山側は、まず大丈夫かと。

我が家は固定電話は、まだつながりません。
家がちゃんとあっても固定電話はまだ不通です。

連絡がつかなくても、あきらめないでください!