はまくまのかみんぐあうと

かみんぐあうとって…意味ご存知でしたか?
大好きな佐渡やお菓子のことお話しましょ!

日蓮聖人御出船の地  真浦霊蹟  波題目の碑

2013年10月12日 | 佐渡旅行

日蓮聖人様が、佐渡に流罪となり初めて1歩を踏まれた

場所として「松ヶ崎・鴻ノ瀬鼻」を

ご紹介しましたが

今度は、お帰りになる前夜に宿泊されたという場所?を

ご紹介しましょう~(^^ゞ


ここです! 「日蓮堂・日蓮洞窟入り口」


ちょーシンプルにご紹介しちゃいました(笑)

小木港から羽茂方向に走ると、赤泊港の点前!

ぼ~っと走ってると見逃しちゃいますよ(^^ゞ

バス停は「真浦」という地区になります


う~ん☆

歴史がある方を調べるとうそを書きたくないから

簡単に書いているようで実は(^▽^;)

結構、みっちり調べて書いているんです~~~(´・ω・`)

だから時間がかかるの(;^ω^)

結構疲れるんです(^▽^;)



ここ真浦は、古き当時から海が荒れる時

船待ちをするにはいい津

つまりよい港だったようです


結局この前浜海岸のちょっとした港は

どこも舟の港として利用されていたんですね~

多田もそうだし~~ふむ(・・?


日蓮聖人さまは

一の沢(現:佐和田=河原田)の配所(お住まい地)を

3月13日にたたれて鴻ノ瀬鼻(多分…)から

一度は出航されたようですが


佐渡の春先は、まだ海も荒れ狂う日々

結局、強い風の為にここ真浦に引き換えし、

再度上陸し2日間船待ちをなさったようです


こちらは船待ちの為に一夜を明かしたというお話が残る洞窟(跡)
洪水で埋まってしまい、いくらか掘り返したとか…

(こちらは現地で頂いた資料から写真を借用致しました<(_ _)>)


こちらは日蓮聖人御出船の際

船を仕立ててお送りしたと伝えられる「日蓮堂」

地元の船元家の別当として

寛永2年に再建したお堂への階段です(^^ゞ

(上まで登る体力が~~~暑くてなかった(´・ω・`)すみません)



奥にちらっと見えるのが日蓮堂です☆


書跡では洞窟で1晩?

その後?舟元、永井三郎兵衛の家でお世話になり

そのお礼として薄墨の御曼荼羅を拝受し

大切に受け継がれています


出発は旧暦の3月15日朝、真浦から出航し

5、6町(1町は約109.09メートル)離れたところで振り返り

佐渡への名残を惜しまれ

朝日に向かって合掌なさると

静かな海面に「南無妙法蓮華経」の文字が

浮かび上がったと申します


これを「波題目」といい、信心深い方には見えるといいます

そう、信心が深くないと見えないのです。。。



すごいんですよ~☆

このお話は実は、続きがあって

対岸、つまり現、長岡市妙法寺というお寺の日鋭上人さまが

6万部もあるというお経(法華経)を読破(しかも2度?!)なさって

この真浦の地を訪れた時

その波題目が拝めたんだそうです~(*^^*)



その読破なさった6万部のお経は

現上越市にある村岡城跡内に

六万部山という小高い山(塚)があり

その中に納められているとのこと☆おお~真実味が益々湧いてきますね♪



こちらの写真の自然石の碑が寛永5年(1628年)
天野七左衛門が立てたという元?波題目の碑

あまりにもこの下↓の昭和41年整備の石碑が立派すぎて
もうちょっとで、横にあるこの石碑、撮影忘れちゃうとこでした…(^▽^;)あせあせっ





こちら↑は昭和41年に全国2,286名の信者の浄財で整備した

「日蓮聖人御出船の地 顕彰霊蹟」


日蓮堂は道路をはさんで山側、顕彰碑は海側になります♪