黄昏人生徒然日暮らし

人生黄昏時になり今を大切に、趣味の仏像彫刻・歌声・写真・散策・読書・日記・フォトチャンネルを徒然なるままに掲載します。

雨なので読書で一日過ごす。

2022-04-03 | 読書

桜の花も雨で散り、朝から雨なので散歩もできないので、ベッドでゴロゴロしながら

好きな小説家である南木圭士氏の本を読みなおしして一日を過ごしています。

今日からは、「畔を歩く」「小屋を造る」「四股を踏む」「小屋を燃す」「山中静夫

氏の尊厳死」などを読み始めます、自由に動けないので読書が一番の楽しみです。

腰椎骨折治療中につき、30分程度しか歩けないので、お花見は先月末に市内在住の

娘に車で近くの桜の名所を車中から案内してもらいお花見することができました。

普通に歩けるようになるのは無理なので、杖を突いて歩けるのは30分が精一杯なの

で、杖をつき、妻のフォローで短時間の散歩・空いている電車・バスなどを利用して

足腰を少しづつ鍛えています。

 

 

 

 


四国八十八箇所歩き遍路

2022-02-07 | 読書

本日は掛かりつけの整形外科医院にて、レントゲン撮影後・薬を処方されて帰宅、寒い

日は散歩を控えるようにと言われたのでベッドで読書が日課です。

昼食後、日課の病院から支給されている骨を丈夫にする注射を自分で打ってから読書。

昨日から以前に読んだ「平成娘巡礼記」を読み返す。

この本を読んで老後は「四国八十八か所歩き遍路」をしようと思い、近くの神社仏閣

ほか、名所旧跡などを歩いて足腰を鍛えておりました。

車で四国ドライブ旅行のさい、70歳になってから、「ゆっくりと歩き遍路をしよう」

と下見を兼ねて、お寺を十箇所程度マイカーでお参りしましたが、まさか70過ぎての

腰椎の転倒骨折で思うように動けなくなり、夢をあきらめなければならないとは。

過ぎ去ったことを悔やんでも何もならないので、毎日少しづつ家の近くを30から40

分程度、安全のため杖を突き妻のフォローでゆっくりと無理をしないように歩いて足腰

を鍛えています。

今の楽しみは読書とテレビです。

皆様、健康第一でお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昨日、書店で瀬戸内寂聴さんの本を購入

2021-12-09 | 読書

小説家であり天台宗の僧侶である瀬戸内寂聴さんが先月99歳で永眠されましたの

で、謹んでお悔やみ申し上げます。

書店で寂聴さん関係の本を探したところ「追悼」の帯がある「はい、さようなら」

の本があったので早速購入しました。

内容は2019年11月に発行された、全国から悩める人々が集う日曜説法10年

分を一冊にしたものだそうです。

寂聴さんが京都寂庵などで悩める人々を笑顔にしてきた法話には、多くの人々が元

気と勇気を与えられ、生き方の極意を分かりやすく話しているので大人気でした。

仏教の難しいことを、優しく・解りやすく話してくれるので、出演されたテレビ番

組は欠かさず観ていました。

本日は以前購入した寂聴さんの「日めくりカレンダー」を見ています、今日は天気

も回復して青空で気持ちの良い一日になりました。

これから骨折した足腰のトレーニングを兼ねて近く商店街に散歩に出かけます。

 

 


「続・一日一生」を読んで過ごす

2021-03-15 | 読書

昨日は書店で天台宗大阿闍梨の坂井雄哉氏著の「続・一日一生」を購入しました。

7年かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を二度満行した、大阿闍梨の酒井雄哉(故人)氏の本「続一日一生」を読んで過ごしました。

これから、いまから、明日からどうやって生きてゆくか、故人のように「無理せず、急がず、はみださず、力まず、ひがまず、いばらない、穏やかな気持ちで」生きていければいいのですが、凡人には難しいことですね。

今日は花粉が多く飛散するとのことなので、医者から処方されている花粉症の薬を飲み、目に目薬を・鼻には点鼻薬を使用し、家でゴロゴロして過ごす予定ですが?。

天気が良いので、骨折で筋力が衰えている足腰のトレーニングを兼て妻のサポートで近くのスーパーへ散歩を兼て買い出しに出かけようかとも思っています。

 

 

 

 


鴨長明の「方丈記」を読む

2020-02-18 | 読書
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。」で始まる方丈記は十年程前に読んで感銘を受けました。


昨日、書店にて最近出版された鴨長明「こころに響く方丈記」に出会いました、著者は違いますが簡潔にわかり易く説明しているので早速購入し目を通しました。

方丈記は京都を襲った地震・竜巻・火災・遷都による混乱・飢饉を体験し記述したので災害文学とも言われています、突然の災難・災害・死・一族の権力争いに負け挫折や無常にも立ち向かい、出家し前向きに生きた人物とされているそうです。

晩年は京都の山に広さ約一丈四方(約3m四方・今の四畳半)を終の棲家としたそうです。

一昨年秋に京都下賀茂神社に再現している方丈庵に訪れ、晩年の生活に思いを巡らしたことが思い出されます。

左手がケガしているので読書が主なので2冊ともゆっくりと読みなおしたいと思っています。

















朝のルーティン

2019-02-15 | 読書
毎朝神棚に水を上げローソクの火をつけて手を合わせ、今日も一日健康で穏やかに過ごせますようにとお願いしてからは、仏間の仏壇の父母に線香をあげ同様にお願いします。

次は仏壇わきの柱に飾っている、詩人・書家の「相田みつお」氏の日めくりカレンダーに目を通し勇気付けられたり癒されたりしています。

そして最後は自分が彫った仏像30体を安置したマイ仏壇(黒のカラーボックスで作成)に手を合わせてから朝食です、これが朝食前のルーティンになっています。

政治やマスコミや社会も当てにできない悲しい現実なので、自然と先人たちが頼りにしてきた神仏に手を合わせ頼るしかありませんね。




読書「阿弥陀堂たより」より心に残った言葉 その3

2018-07-06 | 読書
南木圭士 著   文藝春秋


心の病になった著者が書くことで病から助かりたいとの思いから、著者自信を主人公の女医に置き換えて小説にしたもので、心に残った文章を引用(太字)し、コメントしました。

「病む前には快適であったはずの人が人のために創り出した環境は、人間不信に陥った今、彼女の精神を逆なでするものに変質していた。そこに人間の意図が見てとれると公演の樹木や噴水さえも美智子をいらだたせた。見た目の美しさや合理性ばかり追求された人工建造物のレイアウトには、弱い心の存在をなきものにした健康人たちのおごりが感じられました。それに気づいてから、美智子は東京を逃げ出すことばかり考え始めた。」

(コメント 自然を壊して経済性・合理性最優先に作りだしたコンクリートジャングルは健康人でも疲れるし落ち着かないので心の病になった人には辛いでしょうね、静かで自然が豊かな土地に逃げ出し環境を変えるのが一番の癒しなのでしょう。)

「治ったのではなく、時が彼女の心身の病の状態に慣らしてくれただけなのかもしれない。発作のたびに美智子とともに疲れきっていた孝夫は、いつしかそんなふうに考えるようになっていた。肯定の意味でのあきらめこそが最高の薬らしかった。」
(コメント 行き着くところは開き直るしかないのでしょうか。)

「木や草の香りと野鳥の鳴き声にみちていた。こうしてわが身一人歩ますことができれば他に多くは望まない。心の病に悩まされた東京の生活を思い出しながら、美智子は自分の影につぶやきかけた。」
(コメント) 解りますね。病気の時は痛みも苦しみもなく普通に生活できるだけで有難さを感じるのですが、普通の生活になるとすぐに不平不満が出てくるのが普通の人間でしょうか。
原作を何回も読み、映画を視て美しい日本の原風景あふれるDVDを購入し何回も視聴し、本も心が疲れると読み直しています。、
原作の舞台は群馬ですが、映画は長野県飯山市で撮影され、映画のタイトルになった阿弥陀堂のオープンセットには4回ほど立ち寄りました、縁側に座り棚田の彼方の妙高山を眺めのんびりした静かな時間を過ごしたことが思い出されます。

読書「ふいに吹く風」より心に残った言葉

2018-06-03 | 読書
 
南木圭士著 文藝春秋
 
 
医師であり作家でもある南木佳士氏は一番好きな作家で、心が疲れたときに読み返す作品が多いのですが、この中でも読むたびに目頭が熱くなる文章を引用(太字)掲載しコメントしました。


医者になってから思わず泣いてしまったことが、二回だけある。肺癌の末期のお爺さんがいて、お婆さんが付き添っていた。息子達はみな東京にでており、お爺さんが亡くなれば、お婆さんは長男に引き取られて東京に行くことになっていた。生まれ、育ち、嫁いで子供達を成人させたこの町を離れるのは、お婆さんにとってはなにより辛いことだった。お爺さんさえ生きていれば町を離れなくてもすむ。お婆さんは必死に看病した。

初秋の朝、東京から駆けつけた息子達に看取られて、お爺さんは静かに呼吸をとめた。七階の病室の窓から下をみるとお爺さんの今日の着替えを家に取りに行っていたお婆さんが、風呂敷包みを背にしょって裏道を走っていた。腰を曲げ、おぼつかない足取りで裏口に急ぐその姿に、それまで涙を見せなかった息子達が声を上げて泣き出した。
 
死は生きるものたちにとってのみ意味を持つ。私は自然に湧いてくる涙を眼鏡の下に隠しながら、とても大きな、そして悲しい発見をしたような気がした。

おじいさんの死によって住み慣れた町を離れねばならなくなる。それ以上に、二人が夫婦になってからの長い間に培われた共有の思い出を語り合い、確認しあう者を亡くした時点から急に色あせたものになってしまう。
それは、お婆さんにとってこの上なく悲しいことである。息子達よりもお婆さんの悲しみのほうが深いとしたら、それは共有した思い出の量と質の差なのだ。

私は、この日から末期癌の患者の家族に予後を説明する時に、患者と最も多くの思い出を共有している人を選ぶようになった。それが、必ずしも夫が患者であるときの妻であったり、息子が患者であるときの父親だったりしない場合があることを知った。
 

(コメント)患者とお婆さんや家族のことまで細かく観察しており優しさにあふれておりお婆さんと家族の目線で淡々と描かれていますが、何回読んでもお婆さんの描写には涙腺が緩んでしまい文章が霞んでしまいます。
作者は医師兼小説家ですが、多くの死に立ち会ったことで本人はパニック障害などで長年苦しんだので患者や家族目線で考え行動するようになったので、お婆さんへの心情や優しさが溢れ出ています。

「患者と最も多くの思い出を共有している人は必ずしも夫でも妻でも父親でもない場合があるある」とのくだりは納得できます、現実は形だけの家族もあり、親の財産目当てで世間体のみを気にし人前のみ良い家族を演じている偽善者も多いのが現実です。

我が家では娘たちは嫁に出したので老夫婦だけの高齢世帯ですので、頼りになるのは配偶者だけなので、お婆さんを自分や妻に置き換えて考えてしまい、あと何年後の事なのかなと切実に感じますので他人事ではありません、まさに諸行無常ですね、残された時間を今この瞬間大切に生きる他ないですね、「今生」。

体のあっちこっちに痛みや異常が増えて診察をうけても年のせいと言われる現状ですが、趣味を楽しむ・運動・笑いを忘れずに健康第一に気持ちだけは若くありたいものです。

読書「法然の涙」より心に残った言葉

2018-05-09 | 読書
町田宗鳳 著  講談社

著書より信者では在りませんが共感した言葉・心に残った言葉(太字)を引用し、一言コメントしました。


「この頃の坊主はみな、建前ばかり言っておる。あれでは、人の心もつかめぬ。お主は、本音の坊主になりなされ」
(コメント 現在でも頭でっかちの政治家・学者・有識者・評論家もこのような人物が多い、特にテレビに出まくっている人に多いように思えます。)

比叡山では学問するにせよ。行にいそしむにせよ、人々が得ようとしているのは、ただ名声だけである。こんなおろかなことはない。
(コメント 現代も同じようでは。)

*ひとは、欺き、あざむかれ、傷つけ、傷つけられてまで、この世に生きながらえる必要があるのだろうか。この世こそ、修羅場であり、地獄だ。
(コメント 法然が生きた時代は現在とは比べようがないほど悲惨な時代であったので現世より極楽浄土を求めたのは理解できます。)

*人々が苦しんでいるのに、仏書を読み漁るだけでよいのだろうか。宗生(しゅじょう)済度(さいど)を旨とする出家が、おのれの救いばかりを求めているのは大きな罪ではないのか。
(コメント 同感です、実践が伴わなければ意味ないような気がします。)

仏のみちとは、閑人の慰みではないのか。世の迷いから人を少しも救っていないのではないか。
(コメント 同感です、仏教は浄土宗の開祖法然が生きた時代も今も変わっていないように感じました。 )

すべては、自分の因縁が招いたことです。愚痴をいってみたところで、何もよくなりません。それよりも、心を虚しくなされ。無心に今日という日を受け止めるのです。今日という日を地獄にするか、極楽にするか、あなたの心しだいです。何があっても、笑いとばせるようなお人になりなされ」
(コメント そうは思ってはいるのですが、頭では分かっていても凡人にはできません、悟った僧侶や人物以外できることではありません、できないから迷い苦労するのですが。)

備考 法然は鎌倉時代初期の僧、浄土真宗の開祖。

読書「ふいに吹く風」より心に残った言葉 (その2)

2018-04-30 | 読書
南木圭士著 文藝春秋

医師であり作家でもある南木佳士氏の著書から心に残った言葉・共感できた言葉を引用(太字)し一言コメントしました。

「ふいに吹く風」のタイトルは突然に起こる予期せぬ出来事に翻弄される人生そのものかと思います。

*人生の記憶の始まりが母の死であったことは、後の私の性格形成に大きな影響を与えたようだ。祭りの中にいても、終わった後の寂しさばかりを考えてしまう、人生の楽しみ方の下手な男になってしまった。 
(コメント 作者は幼い頃母を亡くし、山里で祖母と貧困生活を送ったことが原因かと思います。)

医療と無関係の仕事をしている同年代の人は心のどこかにオレだけは死なないという強い意識を持っているのを感じる。
(コメント この年になっても自分だけは大丈夫と思っているというより思っていないと生きていけないのではないでしょうか)

東京この巨大な都市には、目に見えない一方向の水流があり、人はそれに従って一方向に泳がされているのではないか。泳いでいるから前に進んでいると思うのは錯覚で、実はあの水槽のイワシたちにように、水流にもてあそばれているだけなのかもしれない。
(コメント 流れに逆らって生きていくことは難しいが、おかしな流れには逆らいたいし距離を置きたい。)

この土地の夏から秋への変化の時が好きで、小説の背景はもっぱら秋になってしまう。盛りを過ぎたもの。風にそよぐもの。流れていくもの。そんなものにばかり愛着がある。
(コメント 同感です。紅葉・秋空・はぐれ雲・人知れず咲く花に惹かれる、高齢になり諸行無常を強く実感するようになった。)

*自分がここにいることを誰かに知ってもらいたい。露のように儚いいのちだが、ともかくも生きていたことを誰かに覚えておいてもらいたい。
(コメント 作家は作品が残りますが、凡人の私は仏像彫刻を残しますが有り難がってくれるかは分かりません、家族友人などの心の中に残せるのは楽しい思い出でしょうか。)

*なにが嫌いかと問われれば、ためらいなく一番に答えるのが三月である。さも楽しい事が起こりそうに春風が吹き始め、草木に青い芽のでる月ではあるが、裏に様々な別れを隠している月だから。
(コメント 同感です。三月は転勤が多かったので別れの月であり、新しい職場・出会いに対する期待よりも不安にさいなまれる嫌な季節で、今年も春バテで悩まされました。次に嫌いな季節は夏です、暑い・騒がしい・みだれた服装などが不得手です。)