黄昏人生徒然日暮らし

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読書「法然の涙」より心に残った言葉

2018-05-09 | 読書
町田宗鳳 著  講談社

著書より信者では在りませんが共感した言葉・心に残った言葉(太字)を引用し、一言コメントしました。


「この頃の坊主はみな、建前ばかり言っておる。あれでは、人の心もつかめぬ。お主は、本音の坊主になりなされ」
(コメント 現在でも頭でっかちの政治家・学者・有識者・評論家もこのような人物が多い、特にテレビに出まくっている人に多いように思えます。)

比叡山では学問するにせよ。行にいそしむにせよ、人々が得ようとしているのは、ただ名声だけである。こんなおろかなことはない。
(コメント 現代も同じようでは。)

*ひとは、欺き、あざむかれ、傷つけ、傷つけられてまで、この世に生きながらえる必要があるのだろうか。この世こそ、修羅場であり、地獄だ。
(コメント 法然が生きた時代は現在とは比べようがないほど悲惨な時代であったので現世より極楽浄土を求めたのは理解できます。)

*人々が苦しんでいるのに、仏書を読み漁るだけでよいのだろうか。宗生(しゅじょう)済度(さいど)を旨とする出家が、おのれの救いばかりを求めているのは大きな罪ではないのか。
(コメント 同感です、実践が伴わなければ意味ないような気がします。)

仏のみちとは、閑人の慰みではないのか。世の迷いから人を少しも救っていないのではないか。
(コメント 同感です、仏教は浄土宗の開祖法然が生きた時代も今も変わっていないように感じました。 )

すべては、自分の因縁が招いたことです。愚痴をいってみたところで、何もよくなりません。それよりも、心を虚しくなされ。無心に今日という日を受け止めるのです。今日という日を地獄にするか、極楽にするか、あなたの心しだいです。何があっても、笑いとばせるようなお人になりなされ」
(コメント そうは思ってはいるのですが、頭では分かっていても凡人にはできません、悟った僧侶や人物以外できることではありません、できないから迷い苦労するのですが。)

備考 法然は鎌倉時代初期の僧、浄土真宗の開祖。


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