ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

喜寿の祝い

2012-04-03 04:57:21 | 日記
 ジジイのたわごと
 喜寿、77歳である。昭和10年(1935年)3月生まれの私は、遂に喜寿を迎えたのである。
私のカミサンから「喜寿の祝い」をやりたいとの申し出を受けた。
 昨年、中学時代、高校時代、大学時代の同窓会は、「喜寿の祝い」と銘打っての同窓会だったので、私的には、「喜寿の祝い」は済んだという認識があったのである。
 ごく親しい身内だけの「喜寿の祝い」というカミサンの申し出だったので、それならばと承諾した。
4月1日:「喜寿の祝い」当日は、晴れで春爛満の日和となった。参加したのは、私の亡き弟のカミサン、私の亡き妹の夫、私の妹夫婦、私の長女夫婦と二人の子供、私の長男夫婦と三人の子供、私のカミサン、私の総数15人だった。
 場所は徒歩約10分の「ホテルニューオータニ博多」である。カミサンが所属してる某婦人クラブがしばしば利用してるようである。

  
孫達が書いてくれた「喜寿の祝い」に対するメッセージの数々。


 

 孫の一人が書いたメッセージ


 

 昭和10年3月8日付けの新聞
私の長男のカミサンが作ってくれたようだ。


 

 「ま~だだよ」というメッセージが付いたバラの花、77本。
  数が多いので、二つの花瓶を利用した。
 贈り主の名前は、亡くなった私の弟と妹の名前になってた。



 イチロー大フアンのカミサンの友人からの贈り物。
  わざわざ、自宅へ届けてくれた。


 「一言挨拶を」とカミサンから促されて、謝辞を始めて間もなく、亡くなった弟や妹のことを思い出すと、残念な涙が溢れ出し、更には孫達が一所懸命書いてくれたメッセージを見ると、感激の涙となりで、涙の謝辞となってしまった。歳を取ると涙もろくなるようである。

 昨年の同窓会では、「随分多くの同級生が亡くなってるのに、77歳までも生きてるからこそ、同窓会に顔を出せたのだから、これからも生き抜いて次回同窓会にも元気な姿で再会しようぜ」と云って散会したのを覚えてる。

 3年後は80歳となり、結婚50周年なので「金婚式」である。せめて、それまでは生きていたいと思うし、ゴルフも続けたいと思うが、欠陥心臓次第である。
 カミサンとは、いつも口喧嘩をするけど、今まで随分と助けられた感謝の念で一杯である。そして、これまで出会った全ての人達への感謝の念を忘れず、余生を過ごしたいと思う。