説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年4月9日 説教要旨

2017-04-24 20:00:11 | 説教要旨
2017年4月9日 説教要箇所 
ローマ人への手紙15章1~13節

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

2017年4月2日 説教要旨 

2017-04-21 19:58:34 | 説教要旨
2017年4月2日 説教要旨 
ローマ人への手紙8章28節、
Ⅰテサロニケ5章16~18節

聖書は誤りない神のことばであり、どの個所も真理ですが、今日の箇所は私たちの信仰生活にとって特に重要なみことばで土台です。「すべてのことに感謝しなさい。」とあり、悪いことも感謝することが語られています。悪いことの中に良いことを探して感謝するのではなく、悪いことそのものを感謝することがポイントです。なぜなら悪いと思うことの背後に神の最善の計画があるからです。また、「神を愛する人々」にはすべてのことが益となると約束されていますが、「神を愛する」とは従うことであり、私たちが神に聞き従って行く時に、悪いことや、失敗さえも益に変えられていきます。
ですから、私たちは神から良いことで恵みを受け、また、悪いことでも恵みを受けるのです。何一つマイナスは無く、かえって悪いと思う事の中にこそ、良い事にまさる祝福があります。
今回のキャンプでは、私たちはある事に関してはすべてが益になっていない事があり、その理由について語られました。神のことばに偽りがあるのではなく、それはまだ時がきていないからです。完結していないのです。私たちは近視眼的になってはなりません。長いタームで見る必要があり、そして永遠のタームで見る必要があります。
「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」というみことばは真理であり、必ずそうなります。神がいかに誠実に益にしてくださったかを見るのです。私たちにわかる時が必ずきます。ですから、私たちはまだ見ていないことについても、信仰を働かせ、感謝と賛美を捧げ、主をほめたたえていきましょう。
神は私たちを愛して下さっており、十字架の愛をもって愛して下さっています。人間でも愛する者には「幸せになって欲しい、祝福されて欲しい」と願いますが、神は私たちが幸せになることを願っておられ、私たちの目に悪いと思う事を通しても神は私たちを祝福し、幸いを与えていかれるからです。