説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年5月29日 説教要旨

2016-06-17 21:56:27 | 説教要旨
2016年5月29日 説教要旨 
ローマ人への手紙1章18~23節

<恵みの受け方がある>教会に特別な神の恵みが与えられています。教会に繋がっている人たちに様々な能力・賜物が増し加えられているのを見ます。教会はキリストの身体であり、私たちはその一部一器官です。教会にキリストが満ちていると聖書に書かれています。教会に居るだけで特別な恵みをうけるということを知っておいてください。
福音には神の義が啓示されています。キリストの十字架を信じるときに神の義が与えられ、罪が赦されるだけでなく、一度も罪を犯したことの無い者とされるのです。私たちは罪人ですが、信仰によってキリストの血潮の衣を着せられるからです。この神の義が人類すべてに必要であると言っています。なぜなら、神の怒りの下に置かれているからです。なぜ神の怒りが臨んでいるかというと、神ご自身を自然の中に現しているが、人は神を崇めず、故意に拒否しているからなのです。
(ただし、神の怒りは人の怒りとは違います。被造物を破壊する罪には怒られるが、罪人の私たちを愛してくださっています。神の怒りは神の愛の裏返しであり、愛の現れです。)
①神は真理を人間に示しておられます。
 神の目に見えない本性、永遠の力と神性は被造物によって知られ、認められています。
 人は自然を通して、自分が弱い者であり、被造物であり、神の存在を知るのです。
②人間はそれを跳ね付けてしまったから。
 故意に意図的に神を拒み、神の存在を拒否し、自分が主権者であろうとしました。
・その結果、心は暗くなり知者と自認しながら、霊的皆さん無知、おろかになり、偶像礼拝をしている。
・人は神の形に創られ、神を礼拝するように創られています。神を拒否しても他のものを拝むことになってしまいます。ですから真の神さまを、福音を伝える必要があります。