説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年6月12日 説教要旨 

2016-06-28 20:00:39 | 説教要旨
2016年6月12日 説教要旨 
ローマ人への手紙2章1~11節

「神は公平な方」
(1~2)「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。」
パウロは1章後半に書かれている異邦人の歩み(偶像礼拝・同性愛・人間関係の崩壊、等)をさげすんで裁いているユダヤ人に向かって、神のさばきの原則はユダヤ人も変わらないことをはっきりと語っています。自分は神の選民なので特別であり、罪の裁きから免れていると思っているユダヤ人もイエス・キリストを信じなければ罪の解決はなく、同じように滅びると警告しています。
イエス様は神の義ということについて、ルカ18:9~14で、たとえを語られています。罪赦されて神の前に義とされるのは、自分の義を誇っていたパリサイ人(宗教家)ではなく、自分の罪を認め、悔い改めた取税人でした。人の目に正しいと見える者ではなく、信仰によって義と認められるのです。神の前に正しいと認められる人はいません。どの国のどの人も滅びに向かっているのであって、すべての人がイエス・キリストの十字架の救いを必要としています。
また、終末の最後のさばきの時、神が裁かれるのは一人一人の行いです。そしてクリスチャンは十字架を信じたので行いで裁かれる事はありません。しかし、働きと言う面でさばきがあることが語られています。(Ⅰコリント3章)私たちは地上にいる間、神のみこころの人生を歩んだのかを問われる時が来ることを覚えて歩む必要があります。。
神は公平な方です。えこひいきはありません。永遠と永遠に価値あることに目を向けて歩んで行きましょう。