説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年5月22日 説教要旨

2016-06-14 21:55:09 | 説教要旨
2016年5月22日 説教要旨 
ローマ人への手紙1章13~17節

(13~15))パウロがローマに行きたいと願っている理由の一つは御霊の賜物を分け与えることを通して教会が強められることと、交わりを通して信仰の励ましが与えられる事でした。そしてもう一つは、福音を伝えて人々が救われることでした。福音を伝えることについて、「返さなければならない負債を負っている」と語っています。民族や文化を超え、教育のある無しに関わらず、あらゆる人々に福音が必要であり、その責任を負っていると言っているのです。私たちクリスチャンは救いによって神の愛を直接受ける者となりました。それとともに、神のご計画、召しが与えられています。一人一人役割が違いますが、中心は福音をのべ伝えることであることを覚えて下さい。そしてその範囲は全世界です。(16)福音は救いを得させる「神の力」であると言っています。人は神を信じない時、サタンの支配下にあり、罪に縛られていると聖書は言っています。人は自分は自由だと言いながら、いろいろなものに縛られとらわれています。そして自分でサタンの支配から抜けることはできず、罪に打ち勝つこともできません。それよりももっと「力の強い方」が助け出して下さる必要があります。それが神であり、十字架の救いなのです。福音は単なるイデオロギーや主義主張ではなく、現実の私たちの生活や人生を変える、力ある生ける神の働きです。
(17)ここはルターが宗教改革で、「信仰義認」ということを語った箇所です。人は自分の行いや力で、正しさで「神の義」を獲得することはできません。罪の裁きを受け、滅びるしかない者ですが、神はイエス・キリストを遣わして下さり、十字架にかけてくださいました。この十字架のゆえに、身代わりの十字架を信じる者を「義」と認めて下さるのです。これは神による義、信仰による義です。義という字は、我の上に、羊と書きます。神さまは我々罪人の上に十字架の血潮、赦しの衣を着せて下さいました。信じる者は完全に正しい者、神の前に罪の無い者とされたのです。