説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2015年10月11日 説教要旨

2015-11-06 08:35:17 | 説教要旨
2015年10月11日 説教要旨
使徒の働き18章1~11節

パウロはアテネを去ってコリントに行きました。コリントは交通の要所として栄えた都市でしたが、当時「コリント人のようにふるまう」とは不品行を行うことを意味するほど退廃した街でした。しかし、神はそこにアクラとプリスキラというユダヤ人の夫妻を用意されており、パウロはそこで天幕作りの仕事をしながら福音を宣べ伝えていきました。困難や問題があっても神の手のあるところにいるとき、神が道を開いていかれます。パウロはシラスとテモテが来ると、みことばを語る事に専念し、イエスがキリストであることをはっきりと宣言していきました。福音を語ることというのは、語る事を通して人々が信じ救われるということが目的ですが、もう一つの面、宣言する、伝えておくという面があります。私たちもみこころの時は福音に心を開かな
い人々にもはっきりと伝えておく必要があります。
ユダヤ人たちは旧約聖書に書かれているメシヤがイエス・キリストであることを認めませんでした。それに対してパウロは私には責任が無いと言い、「今から私は異邦人のほうに行く」と言い放ちました。パウロはユダヤ人に対する責任を果たしたということと共に、神の自分に対するみこころが異邦人にあるということをはっきりと確信したのでした。パウロが本当に神に用いられたポイントはここにありました。彼は自分の熱意や願いよりも神のみこころを行うことを求め、従ったことです。私たちも神の手のあるところにおり、神の手のあることを行うというのは人生において決定的な事となってくることを覚えていきましょう。
パウロはコリント宣教の困難の中で恐れる事が多くあったようです。しかし、神はある夜、幻によって「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。・・・・この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と語られました。パウロはそのことばに励まされ、一年半ここに腰を据えて宣教を行っていきました。

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