説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

悪霊による病いからの解放

2013-08-30 18:17:49 | 説教要旨
2013年7月21日  説教要旨   マタイの福音書8章14~22節
(14~15)ひどい熱で苦しんでいたペテロのしゅうとめにイエスはふれられ、完全にいやされました。ルカの福音書では「熱をしかりつけられた」とありますので、おそらく悪霊による病だったと思われます。神のいやしのパターンの一つは、触られる、手を置くことです。もちろん神のことばだけでいやすことはお出来になりますが、多くのところで触られました。そして病はいやされ、問題の解決を見ました。現在においてイエス様にふれるのは信仰もって祈り、願うことです。その時神のわざがなされます。祈るか祈らないかで物事は大きく変わります。(16)悪霊につかれた者たちが大勢イエスのところに集まって来ました。イエスはみことばをもって悪霊を追い出されました。病気には一つは悪霊から来るものがあります。病に悪霊が介在している場合が多いのです。みことばに力があります。サタンの誘惑を退ける時もみことばです。(エペソ6:10~17)剣であるみことばによって敵は打ち倒されます。いじめや病、悪習慣など多くの問題の背後にサタンの介在があります。みことばを語りましょう。サタンは逃げ去ります。
(17)「すべての人がいやされた」とあります。それは神の子であること、神性をあらわすものでイザヤ書53章の成就でした。十字架は罪の赦しだけでなくいやしが含まれています。十字架は全人格的なものであることを覚えましょう。(18~20)イエスは上流社会の一員である律法学者に対して“勘違いしてはいけない。弟子になるには十字架を負う歩みとなる。”と語られました。(21~22)イエスの弟子が父の告別式をさせてくださいと言います。これは父から自由になったら、という意味もあります。従う条件が整ったら従うと言った人に、「わたしに従いなさい。」とイエスは言われました。神を第一とする時、十字架を負いますが、それは神の真の祝福の道です。私たちには神に従う力はありませんが、従いたいと思い、願い、「ついて行きたい」と祈る時、その力が与えられます。条件が整ったら従うのでなく、主にそのまま従う道が最善の道であることを覚えましょう。(文責・木本)



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