説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

狭い門

2013-08-26 12:30:30 | 説教要旨
2013年6月30日  説教要旨  マタイの福音書7章13~23節
(13~14)聖書で言う“狭い門”とは、裏口、裏門という意味で、うらぶれていて誰も通りたくない寂しい冴えない門のことです。反対に“広い門”とは、大きく華やかで誰もが通りたいと思う門であり、そしてそれは滅びに至る門です。これは世の門とキリストの門の対比として書かれていて、多くの人がその広い門、世の門から入って行くとイエスは語られました。世の門を選ぶと滅びです。つまりキリストを信じるか信じないかの選びなのです。キリストを信じたら人生がつまらなくなる、不自由になると思いますが、実は祝福の人生となりいのちに至る歩みとなります。「入りなさい」⇒「はっきりとした決断をもって入るべきこと」と主は強く語っておられます。それはいのちに至る門なのです。(ヨハネ10:7)
そしてクリスチャンになっても神のことばに従うか従わないかの選びがあります。信仰によって狭い門から入ると恵みの中に入れられ守られます。“わたしが門であり良い牧者である”と語られたイエスに従う時、人生は祝福されるのです。
(15~20)救われていなくて教会の中で活動している偽預言者がいます。実によって彼らを見分けなさいと神は語っておられます。良い行いをしているから良いというわけではありません。本当に実が結ばれているか、人々が救われているか、イエス・キリストに熱心になっているかを見る必要があります。
(21~23)イエスの名によって預言をしたり悪霊を追い出すなど、わざが起きてもそれが神からのものかどうかを見分け注意しなければなりません。神は私たちクリスチャンを愛しておられるので、この時偽預言者に言われたように「わたしはあなたがたを全然知らない」とは言われません。終わりの時代、クリスチャンだと偽って教会に入ってくる働き人がいるので見分ける必要があります(聖霊か人かサタンか)。
“狭い門”はいのちに至る門であることを覚えましょう。(文責・木本)



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