説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年5月1日 説教要旨 

2016-05-20 07:55:57 | 説教要旨
2016年5月1日 説教要旨 
ローマ人への手紙1章1~5節

(1)パウロはローマ教会への手紙のあいさつで自己紹介をしています。「神の福音のために選び分けられ~」と語っています。かつてパリサイ人として、自分は潔い生活をしていると自負し、他の人と区別(分離)してきたパウロ。しかし今は自分の罪がわかり、神の恵みを人々に伝えるために召され、人々を律法によって罪に定めるためではなく、救いの恵みを伝えるために聖別されたと言っています。
このことは重要です。私たちはキリストを信じた後も律法的になることがあります。自分の力で罪に打ち勝とうとしたり、人を裁いてしまうことです。クリスチャンは完全な律法である聖書を知っていますから、いくらでも人を自分を裁くことができます。しかし、神はわたしたちをそのために召されたのではなく、限りない神の愛と憐れみを知り、人々にそれを伝えるために召されたのです。
(2)パウロの宣べ伝えた福音はモーセや預言者たちに反対するものではなく、かえってそれを成就するものであることを語っています。これは当時パウロに対して間違ったうわさが流れていたからでした。
(3~4)福音とは御子イエス・キリストに関することです。肉(人間としては)によればダビデの子孫として生まれ、御霊(神性)によれば死者からの復活によって公に神の御子として現れてくださった方のことです。イエスは私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださりよみがえって罪と死に打ち勝ち、永遠のいのちを与えて下さいました。
キリスト教と他の宗教はここが決定的にちがいます。私たちが信じ知っているのは、イデオロギーでもなく、主義や思想でもなく、観念でもありません。今も生きておられる神さまであり、その神さま(父・子・聖霊)との生きた交わり、この主とともに生きるいのちある生活が信仰生活なのです。
私たちはこの幸いを恵みによって受けました。恵みとはふさわしくない者が受ける「不当な祝福」です。この恵みをさらに多くの方々に伝えていきましょう。

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