説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年8月28日 説教要旨

2016-09-20 20:37:28 | 説教要旨
2016年8月28日 説教要旨 
ローマ人への手紙5章16~21節

「さばきの場合は、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。」これはアダムによって全人類に罪が入り、その結果死が支配するようになったことです。また、イエス・キリストによって、多くの違反、つまりアダムから受け継いだ原罪だけでなく、私たち個々が犯す、過去・現在・未来の罪も含めて赦され義と認められるようになったのです。神は義なる方であり、罪に対してはさばかれます。しかし、同時に神は愛とあわれみの方であり、罪人の私たち、私たちのそのままを愛して下さり、キリストによる救いを与えて下さいました。十字架は神の義と愛が結ばれた出来事でした。キリストを信じた者は罪が赦されるだけでなく、義と認められます。義と認めるとは法律用語であり、全く罪が無い者という判決がくだったことなのです。ですから、私たちは信じてからも罪を犯しますが、立場はまったく変わってしまったということを覚えて下さい。
聖書は「アダムにある者」と「キリストにある者」という二つの立場を言っています。律法の下にいる者と、恵みの下にいる者です。生まれつきの私たちは罪人であり、律法を行えません。しかし、キリストを信じる者は罪を悔い改め、赦され、主の愛とあわれみによって赦しと祝福の中、恵みの中を歩む者とされました。神は私たちが自分の義に立つことではなく、罪を認め、神に信頼し、恵みの中を歩むことを願っておられます。
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──」エペソ2:4~7


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