説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

行いによって義と認められる人はいない

2012-07-02 21:24:20 | 説教要旨
2012年6月17日  説教要旨 ガラテヤ人への手紙3章6~9節
パウロは、行いによって救われると教えていた律法主義のガラテヤ人に対して、「それは間違いであり、人は信仰によって義とされる」と手紙を書きました。
(創世記12:1~3)“あなたの生まれ故郷を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすればあなたを祝福する。”という神の約束が与えられたアブラハムは、何の保証もないまま生まれ故郷カランの地を出て行きました。
(6~9)アブラハムの行動の中心は信仰でした。イサクが生まれるまでの25年間、彼は神のことばだけを保証として歩み、そして神の時にイサクが生まれたのです。選民であるユダヤ人以外の人々も信仰によって祝福されると言っています。信仰もって聞き受け入れる人がアブラハムと同じ祝福を受けるのです。神を信じ、神のことばを信じることが中心です。行いでは義と認められません。それゆえにイエス・キリストの十字架があるのです。信じる時、私たちは罪赦され救われます。いやしを信じる時いやしの働きが起こり、聖書に預言があるのであると信じて用いる時預言があらわされてくるのです。祝福を受けるカギは信じてアブラハムのように信じ従うことです。現代の私たちに当てはめるなら、キリストが満ちている教会にいるだけで祝福を受けます。また、祈るのと祈らないのは全く違ってきます。真に願って祈り求める者は受け、什一献金をささげる時豊かに与えられます。
(マタイ28:18~20)神がともにいてくださることは何よりも大きな祝福です。権威の元であるキリストの大宣教命令に従って海外で国内で福音を人々に宣べ伝える時、神のわざが起こります。また、導かれる国においては何度も行って弟子とすることが重要です。
この世のものを私たちは何も持って行くことはできません。神の命令に従って福音を宣べ伝える時、それは天に積まれています。そのことを覚え、信仰の歩みを全うしていきましょう。(文責・木本)


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