説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

すぐに従った人ヨセフ

2013-05-03 10:15:19 | 説教要旨
2013年4月7日  説教要旨 マタイの福音書1章18~25節
(18)「マリヤはヨセフの妻と決まっていたが…」とありますが、ユダヤでは婚約は法律上結婚とみなされ、婚約破棄するならば離婚の手続きを取らなければなりません。「聖霊によって身重になったことが“わかった”」→“判明”の意味なので、この時のヨセフの驚きを表しています。(19)ヨセフは正しい人で(罪がないという意味ではなく)神を信じ恐れる人でした。マリヤが姦淫の罪を犯しているのなら石打ちの刑、又は、公にせず離婚状を書いて去らせるという二つの道があり、ヨセフは非常に悩み、そして離婚の決意をしようとしました。一方マリヤは“聖霊による”ということをヨセフに何も言いませんでした。マリヤは救い主の母となると御使いに告げられた時、自分が負う十字架をわかった上でそのことを受け取っていたのです。神がすべてをなしてくださると信じ、ゆだねきる信仰をマリヤは持っていました。人は自分を守るために説明や言い訳をしようとしますが、神に従う時、ある場合、人から理解されず誤解や中傷、迫害される時があります。人の評価を見るとき神のみこころは行えません。マリヤのように迫害も含めてすべてを受け入れる時、神の栄光があらわされます。(20)ヨセフが離婚を決めてしまう前に「…その胎に宿っているものは聖霊によるのです。…」と語られました。神は真実です。マリヤの従順に対して神の時は遅れることがありませんでした。自分で自分を救おうとするのでなく、主を中心とする時、主の介入があることを覚えましょう。これらのことは預言を通して起こっていきました。新約は旧約の預言の成就です。預言、神のことばをないがしろにしてはなりません。預言は本当に主から来たものであるなら成就します。(23)イエス=救い(罪からの救い)、インマヌエル=主は私たちと共におられる神は世の終わりまでいつも私たちと共にいてくださいます。神が共におられるなら私たちは大丈夫です。(24)夢で語られた通りに「イエス」と名付けるなど、ヨセフは神を恐れ神が示されることにすぐに従う信仰をもっていました。終わりの時代、神は私たちの信仰を用いられます。聖書を読み神と交わること、そしてその恵みを他の人に流していくことはとても重要なことです。今年、群れに
「栄光を私たちの神に帰せよ。」(申命記32:3)と語られました。その一つは証をすることです。その機会を用いていきましょう。(文責・木本)

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやされる

2013-05-03 10:13:42 | 聖書の言葉
2013年3月24日  説教箇所 詩編103編1~5節

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠を
かぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。