説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

みこころにかなう祈り

2012-05-28 07:54:33 | 説教要旨
2012年5月6日  説教要旨 ヨハネの手紙第Ⅰ、5章14~15節このところは『祈る』ということを中心に書かれています。まず願うこと、祈ることが重要です。もし願いがなければ願いを起こしてくださいと祈りましょう。「みこころにかなう願いをするなら…」とあるので、まず神のみこころかどうか、本当に神が言われたかどうかの確認をとる必要があります。ある祈りは確認していないためによくわかっていない祈りがあり、または、みこころでない祈りもあります。祈りきるということが必要です。確認するには時間がかかるので忍耐が必要となってきます。しかしその中で本当に求めて祈るなら、答えが来るまで祈るなら確認を与えてくださるのです。そしてまた、ある祈りは“このように祈りなさい”と修正が与えられみこころにかなう願いを導いてくださいます。みこころにかなう祈りは必ず答えられます。その祈りを求めてなしていきましょう。
みこころにかなう祈りとなるための土台として①(1:8~10)罪を認めて悔い改めるなら、その悪からきよめてくださいます。それは素晴らしい祝福です。悔い改めるとき神は喜ばれ、悔い改めるだけで答えられていく祈りがあります。②(Ⅰテサロニケ5:18)すべてのことについて感謝することは完全にみこころです。文句を言いながらでなく、また自己憐憫になることなく、その問題自体を感謝することが重要です。イエスは空腹の男だけで5000人を前にして、たった5つのパンと2匹の魚しかないと、嘆きながら怒りながら、つぶやきながらでなく、(それで十分と)その今あるものを感謝して捧げた時、すべての人が食べて満腹するという奇蹟が起きていきました。問題自体を感謝する時、霊の目は開かれ、扉を神が開いてくださいます。
サタンは私たちが怒り、つぶやき、恐れ、不安の中にいてほしいと思っているのです。マイナスを感謝しましょう。そうすればみこころの祈り、かなえられる祈りへと導かれます。悔い改めること、感謝することはみこころの祈りの大きなポイントです。そして私たちが願った以上の恵みと祝福を神は豊かに与えてくださるということを更に覚えて歩んでいきましょう。(文責・木本)

5月13日  説教要旨

2012-05-28 00:11:38 | 説教要旨
2012年5月13日  説教要旨 エペソ人への手紙1章22~23節

教会のかしらであるイエス・キリストはいっさいのものを支配しておられます。新約時代の今、私たちは教会と共に歩むように導かれています。教会はキリストのからだであり、キリストがそのからだのかしらで私たち一人一人は各部分です。召しと計画は教会とともにあるので、教会を見れば自分自身の召しもわかってきます。ですから、どの教会に所属しているかということも、とても重要なことです。みこころのところ(教会)にいることが重要なポイントです。(使徒2章)今はヨエルの預言の成就の時であり、そして終わりのリバイバルに向かっているということを覚えましょう。イエス・キリストを信じた時私たちは新しく生まれ、神と交われるようになりますが、同時に教会の一部としても生まれます。ある方は目、またある方は鼻、耳…のように必要とされていない人は一人もいないのです。私たちはみからだの一部として教会を通して用いられていきます。
(使徒12:1~17)ペテロがヘロデに捕えられ処刑される日の夜に奇蹟が起きました。教会が熱心に祈り続けた時に御使いによって門が開き、救出されるという信じられないような奇蹟が起こったのです。これは教会を通して働く神の力をあらわしています。不可能と思うことも教会が祈る時、神が手を動かされ打ち破っていかれます。神はこの終わりの時代において、教会を通して全世界を覆う大リバイバルの計画を成就していかれます。また、私たちの群れ全体に対する神の導きという面でみるなら、今までに語られた神のことばの成就の時に入ってきました。一人一人の歩みもまた、約束の成就の時に入っていくことを覚えてください。時は変わりました。教会を通して祈り備えをなし、神の力強い働きを共に見ていきましょう。(文責・木本)