説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

神のことばに聞き従う祝福

2011-06-03 18:09:16 | 説教要旨
2011年5月15日  説教要旨 ヨハネの福音書11章38~44節

(11:38)マルタとマリヤからラザロの病のことを聞かれた時、イエスはあえてその場に留まられました。あることに関し、すぐに解決されないこと、祈っても祈ってもこたえられないこと、“もうおしまいだ、遅すぎる、神はこたえてくださらなかった”と思うことが許されます。けれどもそこには特別な神のみこころがあるのです。たとえば、結婚や仕事、人間関係の問題の解決も「神の時」は遅れません。さらに待ち望み期待していきましょう。神にとって不可能なことは一つもないのです。
(11:39~40)マルタは愛する弟ラザロが死んで腐っている姿を見たくはありませんでしたが、石を取りのけました。「信じる」とは、神のことばは真実だというところに立ち、そのことばを信じ従うことです。
(ルカ10:38~42)マルタとマリヤは本当にイエスを愛していました。マルタはイエスをもてなすために忙しくしており、結局マリヤのことでイエスに対して怒ってしまいました。一方マリヤはイエスのことばに聞き入っていましたが、イエスはそれを喜ばれ、どうしても必要なことはそれだと言われました。本当に必要なことは神のことばを聞くということです。神の声を聞かず常識で動くと大変なことになります。今こそ神に聞き従う歩みをする時です。
(ヨハネ11:41~44)マルタは1番大切なことは神の声に聞き従うことだと学んでいたので、石を取りのけました。するとイエスがまず感謝をささげ、「ラザロよ出て来なさい」と叫ばれ、そして死んでいたラザロがよみがえるという素晴らしい奇蹟が現されたのです。ナンセンスと思えることも、やっても仕方がないと思えることも、小さなことも大きなことも神が言われることに一歩従う時、祝福が豊かに現されていきます。(文責・木本)