風見さんの自宅を出て星塚荘へ戻る途中に納骨堂があった。
「ここに見学に来た人のほとんどは、納骨堂を見たがるんだよね」という風見さんの言葉どおりにわたし達もお願いした。
納骨堂の前にくると、何かの碑が建っていた。
その前に立って文言を読むが、最初は何のことかビンとこない。
数回読んでいるうちに「あぁ、ハンセン病患者ということでお腹から取り出され、ホルマリン漬けにされ標本となった胎児」のことだと気付いた。
本来なら生きていたはずの我が子...なのだ。
ひとりひとりの恨みつらみは簡単にいえないだろうと思うと、この碑の文言がなんだか淡々としたものに聞こえる。
側にいる風見さんは何も発しない。
納骨堂の扉が開いていた。
いつもは閉まっているが、今日はお盆だから開いていたらしい。
「入ってもいいですか」と尋ねて、中に入ってみる。
「こんなに沢山の骨壷を見るのは初めてでしょう」と風見さんがいう。
ガラスの棚にいくつもの白い陶器の壷が宗教別に置いてあった。
扉の近くに何か書いてある。
「この職員というのは何ですか?一緒に納骨されているのですか?」と聞く。
どうも長年お世話した入所者とともに眠りたいという職員の方々がいたらしい。
本来ならこれらの骨壷は自分達の墓にいるはずなのだろうが、骨になっても故郷へ戻れないのだ。
だから、職員が一緒に...というのはなんだか救われる気がした。
風見さんもいづれここに眠るのだろうか。
長崎の墓には入れないのだろうか。
いや、長年苦楽を共にした仲間のいるところが一番いいのかもしれない。
モヤモヤとした考えのまま、納骨堂を後にした。
「ここに見学に来た人のほとんどは、納骨堂を見たがるんだよね」という風見さんの言葉どおりにわたし達もお願いした。
納骨堂の前にくると、何かの碑が建っていた。
その前に立って文言を読むが、最初は何のことかビンとこない。
数回読んでいるうちに「あぁ、ハンセン病患者ということでお腹から取り出され、ホルマリン漬けにされ標本となった胎児」のことだと気付いた。
本来なら生きていたはずの我が子...なのだ。
ひとりひとりの恨みつらみは簡単にいえないだろうと思うと、この碑の文言がなんだか淡々としたものに聞こえる。
側にいる風見さんは何も発しない。
納骨堂の扉が開いていた。
いつもは閉まっているが、今日はお盆だから開いていたらしい。
「入ってもいいですか」と尋ねて、中に入ってみる。
「こんなに沢山の骨壷を見るのは初めてでしょう」と風見さんがいう。
ガラスの棚にいくつもの白い陶器の壷が宗教別に置いてあった。
扉の近くに何か書いてある。
「この職員というのは何ですか?一緒に納骨されているのですか?」と聞く。
どうも長年お世話した入所者とともに眠りたいという職員の方々がいたらしい。
本来ならこれらの骨壷は自分達の墓にいるはずなのだろうが、骨になっても故郷へ戻れないのだ。
だから、職員が一緒に...というのはなんだか救われる気がした。
風見さんもいづれここに眠るのだろうか。
長崎の墓には入れないのだろうか。
いや、長年苦楽を共にした仲間のいるところが一番いいのかもしれない。
モヤモヤとした考えのまま、納骨堂を後にした。