チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

1250キロの旅で④

2009-08-20 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんの自宅を出て星塚荘へ戻る途中に納骨堂があった。
「ここに見学に来た人のほとんどは、納骨堂を見たがるんだよね」という風見さんの言葉どおりにわたし達もお願いした。
納骨堂の前にくると、何かの碑が建っていた。

その前に立って文言を読むが、最初は何のことかビンとこない。
数回読んでいるうちに「あぁ、ハンセン病患者ということでお腹から取り出され、ホルマリン漬けにされ標本となった胎児」のことだと気付いた。
本来なら生きていたはずの我が子...なのだ。
ひとりひとりの恨みつらみは簡単にいえないだろうと思うと、この碑の文言がなんだか淡々としたものに聞こえる。
側にいる風見さんは何も発しない。

納骨堂の扉が開いていた。
いつもは閉まっているが、今日はお盆だから開いていたらしい。
「入ってもいいですか」と尋ねて、中に入ってみる。
「こんなに沢山の骨壷を見るのは初めてでしょう」と風見さんがいう。
ガラスの棚にいくつもの白い陶器の壷が宗教別に置いてあった。

扉の近くに何か書いてある。
「この職員というのは何ですか?一緒に納骨されているのですか?」と聞く。
どうも長年お世話した入所者とともに眠りたいという職員の方々がいたらしい。
本来ならこれらの骨壷は自分達の墓にいるはずなのだろうが、骨になっても故郷へ戻れないのだ。
だから、職員が一緒に...というのはなんだか救われる気がした。

風見さんもいづれここに眠るのだろうか。
長崎の墓には入れないのだろうか。
いや、長年苦楽を共にした仲間のいるところが一番いいのかもしれない。
モヤモヤとした考えのまま、納骨堂を後にした。

1250㌔の旅で③

2009-08-20 | 風見 治さんとハンセン病問題
園内の建物は全部平屋建てのようだった。
正門前に高い塔?があったので、もしかして火葬場なのだろうかと思い、聞いてみると、貯水タンクだということだった。
風見さんの家は長屋のような建て住まいで、本間6畳?にトイレと台所がついている。
風見さんが園に来たときは1200名ほどいた入所者も今は200名ほどに減った。
ほとんどが空き家となっている。
風見さんの隣も空いているので、勝手に?絵を描く部屋として使っているそうだ。

「入所者は減っているのに病室は増やしている」と聞いて、今の住まいに手を入れてバリアフリーにしてくれたほうがいいのではないかと思った。
でも、入所者の年齢では、病室がいるのかもしれない。

愛犬ムンクは、しっほを振りながら、小さめに唸っていた。
ほとんどの人には吠えるらしいのだが、どうにかわたし達を受け入れようとしているのだろう。
ほんと、可愛いチワワのムンク。
可愛いのだが、風見さんと絵のモデルになった女性ぐらいしか身体を触らせないという。
ムンクは風見さんに抱かれ、愛しそうに飼い主の手をなめる。
その愛らしさと自分に近寄って来たことで勘違いをした連れ合いはムンクを触ろうしたが、「ウー、ワオン」と牙を剥き出され後ろにずりさがる。
でも、このムンクは「僕がいないときは吠えないらしい、僕がいると後ろ盾があると思って吠える」らしいのだ。
ちょっと情けない...ムンク...。

風見さんから10歳のときの写真を見せてもらう。家族と一緒に写っている。
兄弟みんな仲良かったようだ。
ふっと、風見さんにとって当時の自分の姿は...どんな想いで眺めるのだろうか、と思った。

風見さんに頼んで絵も見させてもらったが、これもまたすごい才能を感じる。
よく不自由な手と眼でこんなに上手く描けるなんてと思う。
風見さんの部屋に飾っている絵のモデルの女性は、高くて立派な鼻をしている。
絵は、わたしに風見さんの著作「鼻の周辺」を髣髴させたし、風見さんにとってはかけがえの無いものではないかと思った。