例によって図書館から借りてきた本で、「皇軍兵士とインドネシア独立戦争」という本を読んだ。
サブタイトルには「ある残留日本人の生涯」となっていたが、著者は極めて若い人で、30代にもなっていない。
そういう人が、あの戦争中の皇軍兵士という人のことに関心を向けたという点に私は一種の驚きを感じる。
日本の敗戦。1945年の日本の敗戦というのは、アメリカとの戦争に対して「負けた」ことは歴然としているが、ならば「中国大陸では本当に負けていたか」といえば、アジア大陸全般についてば、そうとも言えない部分があったと思う。
確かに、満州国は旧ソビエット軍に蹂躙されて敗北したが、中国の本体であるシナ全土で「日本軍が海に追い落とされたか」といえばそうとも限らない。
日本軍は地球的規模で全世界に散らばっていたにもかかわらず、それが昭和天皇の一声で、一斉に武器を地に置いたということは、実に不思議なことだと思う。
これは地球上のあらゆる国家、人種、民族にとっても、脅威的な出来事ではないかと思う。
インドネシアに進駐していた日本軍が、本当にイギリス、オランダの連合軍に海に追い落とされたかといえば、必ずしもそうとは言えていない。
日本軍は昭和天皇の詔勅を聞いて一斉に戦うことを止めてしまったので、相手が勝った、つまり相撲でいえば不戦勝のようなもので、我々の側が勝手に手を引いてしまったということだ。
あの時代、徴兵で招集されて、死ぬ気で故郷を出て、周囲も何となく生きては帰らないであろう、と思われていたことは本人にも判っているわけで、「戦争が終わったからさあ大手を振って故郷に帰ろう」とは素直な気持ちで思えなかったことも充分にありうることだと思う。
召集されて、初年兵としてさんざん鉄腕制裁を受けて、「さあこれから自分たちが新兵をイジメるぞ」と思った矢先に戦争が終わってしまえば、今まで自分が耐えてきた事は一体何であったか、という疑問は必然的に湧くと思う。
敗戦のときに、現地に居残った人々は、インドネシアのみならず、世界各地に居たと思う。
台湾にも、中国本土にもいたに違いなく、グアム島に居た横井正一氏や、ルパング島の小野田寛郎氏なども、アメリカ軍に敵対する勢力に身を投じれば、この本の主人公と同じ立場になりうる。
しかし、グアム島でもルパング島でも、民族自立の運動は起きなかったわけで、最後の最後までアメリカと敵対する関係のままの皇軍兵士という生きた見本であった。
この本の主人公の藤山秀雄氏は、敗戦で日本の支配が解け、連合軍の統治が始まる間隙をぬって行われたスカルノ大統領の自主独立の演説を聞いて、インドネシア軍と協力して、連合軍と戦うようになったと記されている。
ところがインドネシアが、この時まで西洋列強の支配下に置かれ、一時的に日本の支配下に入り、再び連合軍の軍門に下るということは、ある意味で歴史の必然だと考えられる。
我々の歴史認識では、近世の世界史において、西洋列強の帝国主義にアジアが蹂躙されて、その軍門に下らざるを得なかったという認識であるが、これはまぎれもない事実だ。
問題は、何故、そういう事実に至ったのか、という検証が大事だと思う。
その検証をすると、やはりアジアは西洋列強に蹂躙されるべくしてされた、という部分がある。
例えば、西洋人、ヨーロッパ人は鉄砲を携えてアジアに乗りこんできた。
当然、それに付随して宣教師も一緒に来たことは別の問題として語らねばならないが、アジアの諸民族は、西洋人、ヨーロッパ人が携えてきた脅威の鉄砲を見て、「あれと同じものを自分たちで作ろう」という発想に至らなかった。
ところがアジア人の中でも我々の同胞、日本人だけはそれを実践した。
16世紀頃の我々の先輩は、ポルトガル人が鉄砲を持って種子島に漂着した時、その鉄砲の威力に驚愕し、驚き、腰を抜かしたが、一瞬の感嘆が去った後、あれと同じものを自分達でも作ってみようと考えた。
それ以降の近代化の中で、物作りにかけては我々の同胞は実に生真面目にそういうものを模倣し、その模倣の枠を超えてオリジナルなものまで作りだすようになったが、我が民族の不得手な部分は、政治的思考であった。
これは政治下手、外交下手ということであるが、これは日本人の精神性が世界的な普遍性に欠けているという意味である。
我々以外の民族は、特にアジアの諸民族は、その精神性において極めて世界規模の普遍性を持っているので安易に感化されやすい。
つまり、自分たちの古来の宗教や信仰を安易に放棄して、キリスト教やイスラム教に改宗して何の精神的な贖罪も感じていない。
その意味からすると、我々の民族は極めて宗教に寛大であり寛容であるが、この事実は裏を返せば、精神性の統一が不出来であり、人々の思いを一つにし切れていない、百家争鳴をゆるして、強力な意思統一が出来ていないということでもある。
明治天皇は人々を統治する指針として「万機公論に決すべし」と唱えられ、それは極めて民主的な意識を指し示すものだ、と受け取られていたが、現実に下々の政治では、公論のみが湧き立って、議論百出するも結論が出ないので、何時まで経っても混沌と迷走が繰り返されるだけとなり、何一つ前に進まずに終わってしまう。
それを称して、日本民族のトータルの評価として「物つくりは一流だが政治は3流」ということになったわけだ。
政治とか外交ということを考えた時、当事者が謹厳実直、石部金吉、唐変木であっとしたら、それは政治的に非常に不利であるが、我々の価値観ではこういう人にこそ憐憫の情を示すわけで、融通無碍な口先人間には信用を置かないところが我々の民族のDNAとして刷り込まれている。
口先で、チャラチャラと人を騙くらかす人間には不信感を募らせて、そういう人間を身の回りから排除しようと無意識の内には気を回すが、これは政治とか外交というものを頭から否定する思考であって、我々の民族内にこういう遺伝子が内在されている限り、我々は世界的に信用されることはあり得ない。
赤を黒とも言い包め、黒を赤とも言い包める人間を、我々は信用しようとしないが、政治や外交の本質はそこあるわけで、口先3寸で戦争を回避できれば、それこそ最高の戦略で究極の戦術であるが、そういう人間を我々果たして信用するであろうか。
口先3寸で戦争を回避できたとしたら、実際に戦火を交えていないので、外交的に勝利したという認識を持ち得ないのではないかと思う。
もう一つ別の視点から宗教を例にとって見ると、我々には我々の民族の誕生の時から大和神道というものがあって、そこに中国から仏教が入り、近世になればキリスト教もイスラム教も日本に入って来たが、我々は如何なる宗教も排除しようなどとは考えていない。
ところが、我々以外の場所、地域、民族では、宗教家あるいは為政者が率先して異教徒の排除に走り回っているではないか。
近代以前のアジアの諸民族は、確かにヨーロッパ系の白人と比較すると劣っていたと思う。
日本が先の戦争でアメリカに負けたということは、当時の日本の戦争指導者、政治指導者が劣っていた、馬鹿だったからに他ならず、だからこそ勝つ見込みもない戦争に嵌り込んだわけで、敗戦が必然であったのと同じように、この時代のアジアの諸民族は西洋列強、ヨーロッパ人のよりも大分劣っていたからこそ、帝国主義に蹂躙され、西洋列強の植民地に成らざるを得なかったということだ。
第2次世界大戦の終焉が1945年、日本の暦では昭和20年の8月であったことは今更言うまでもない。
露骨な領土的野心を秘めた共産主義国家の旧ソビエット連邦も、9月までには実際の戦闘を止めたが、この時点で、戦争に敗れた日本も、インドネシアも、中国も、朝鮮半島も、ある意味で同じスタートラインに並んだわけだ。
この時点で、我々の祖国の都市はそのほとんどが恢塵と化し、その意味ではアジアの中で日本の国土が一番荒廃し、荒れ地だったかもしれない。
そのスタートラインの意味は、近代化レースであったり、民主化のレースであったり、民族自決のレースであったりしたわけだが、同じスタートラインに横一線に並んで、一斉に走り出しても暫くするとそれぞれに格差が生じてきた。
その格差も、ある意味ではそれぞれの民族の個性であったわけで、それはそれで致し方ないが、そういう冷静な目で見れる間は良いが、そこに怨嗟の気持が入り込んでくると厄介なことになる。
66年前は皆同じように貧乏であって、向こう3軒両隣が皆同じ生活レベルならば、ヤッカミもネタミも生じないが、その中の一軒がテレビは持つ、車は購入する、冷蔵庫は買うとなれば、近隣の者として心穏やかな気持ちでいられなくなるのは察して余りある。
アジアの人々が、以前は西洋列挙の植民地に甘んじ、今も近代レースにも、民主化のレースにも乗り遅れて、周辺の豊かな国に出稼ぎに行くという姿は、それぞれの人々の自己責任だと思う。
この本に描かれている、旧日本軍の兵士で、インドネシアに残ってこの国の独立戦争に貢献した人たちの存在も、その自己責任の一部であるが、この本はそこを突くものではない。
戦後の時間というのは、日本でもインドネシアでも、同じ66年間であるわけで、その同じ時間内において、内地の日本人とインドネシアの人々の努力の結果の格差が問題であって、それはやはりそれぞれの民族の個性として一絡げにして論ずるほかないように思う。
インドネシアに工業的な近代産業が無いということは、彼らの頭脳の働きが無いということであって、自分達の状況と環境にあった産業というのは、探せばきっとあると思う。
我々の日本だって、昔も今も、資源は何一つないわけで、それでも頭脳の働きによって、無から有を生じせしめているわけで、ただただ安易に出稼ぎに頼って、日銭を稼ぐという思考であってはならないと思う。
ヨーロッパ諸国があらゆる面で先進国と言われているのは、ヨーロッパ人は、彼らは彼らで、たゆまぬ努力をしているわけで、自然に地中から富み湧き出てきたわけではない。
このたゆまぬ努力の中味には、ヨーロパ人同士の血で血を洗う抗争もあれば、他民族を血祭りに上げるような野蛮な行為も含まれているが、そもそも人が生きる、生き抜くということは、生存競争であって、大きな犠牲や理にそぐわない不合理はついて回るわけで、絵に描いたような綺麗ごとでは収まり切れない。
アジアの民がヨーロッパ人と接した時、その時点では確かにヨーロッパ人の方が文化的に進んでおり、合理的な道具を上手に使いこなしていたに違ない。
だが、それを見たアジア人は、それぞれに先進的なヨーロッパ文化に驚いたと思うが、問題は、その後のアジアの側のリアクションである。
そういう状況において、「あれと同じものを自分たちの手で作ってみよう」と考えるか考えなかったかという問題に尽きると思う。
人がこの地球上で生きる、生き抜くということは生存競争に打ち勝つということであって、それは短絡的に鉄砲で撃ち合うということを指すものではなく、頭脳で以て知的な戦いに打ち勝つという意味だと思う。
かつて経済成長はなやかりし頃、ある経営者が経営の心得として、「金のある奴は金を出し、知恵を持っている者は知恵を出し、何もない者は汗を出せ」と説いたと言われているが、至言だと思う。
この地球上にあるものとしての日本人および日本国家の存在意義として、これほど的確な言葉も他にないと思うが、これは如何なる国家にも民族にも言えていると思う。
ヨーロッパもアメリカも、過去の実績としてまさしく金も、知恵も、汗も出したに違いない。
我々もそういう先進国の後をトレースしては見たけれど、我々の場合、政治的および外交的な不味さ、あるいは後進性が災いして、一旦は無一文になったわけだが、無一文になって見れば、後は失うものは何もないわけで、新たに新規一転して復興に立ち向かったということだ。
今の地球上にある諸国家には、経済的に様々な格差があって、低い地域から高い地域に、人々が出稼ぎという形で労働力が流動しているが、これもある種のグローバリズムの具現なのかもしれない。
インドネシアから日本に出稼ぎに来るということは、来る側の人々からすれば、日本の習慣や生活慣習に順応しなければならないが、一旦来てしまえば自分の国で生きるよりも、日本で生きた方が何かと便利だということになって、結果として日本に居付くことになる。
だとすれば、この状態は何時かは純日本人と外来産の日本人という差別の温床になりうる。
日本という国土に住む人々は、日本の周囲が海であるが故に、大陸から海によって流れ着いた人も大勢いると言われており、その間に差別があるようには思えないが、この差別というのもかなりの部分人為的な要素が大きく、金や支援を得るために故意に誇大化して喧伝される部分がある。
昨年の東日本大震災が起きた時、日本に来ていた中国人が一斉に帰国したといわれているが、日本人として生きる人たちがこうであっては甚だ困る。
あの時ことを言えば、あの地震で東京電力の福島原子力発電所が事故を起こしたことは周知の事実であるが、「原子力発電はああいう事故が起きるから一切合財止めよ」という発想も実に不甲斐ない思考回路だと思う。
「原子力の事故は甚大な被害を出すから、一切禁止せよ」という言い分は、正義を振りかざした小学生並みのパフォーマンスに過ぎず、分別ある大人の思考ならば、「再発防止に全力を注げ」という思考にならなければ大人とは言えないと思う。
「危ないから止めよ」では、何にも進歩が無い。
あの事故に関して、政府や東京電力を擁護する気はさらさらないが、地震と、津波と、付帯設備の機能停止と、事故の対応の不手際は、それぞれ別々の問題であって、その別々の問題が同時に一気に起きたから、未曾有の混乱に陥ったわけで、「だから原子力発電を全部やめよ」という議論には、大きな論理的な飛躍がある筈だ。
それを科学者というような人が声高に叫ぶということは、科学者にあるまじき行為だと思う。
小学生の口喧嘩のように、「絶対の安全が保障されない限り運転するな」という、この「絶対」という言葉の使い方は、小学生並みの思考でしかないではないか。
サブタイトルには「ある残留日本人の生涯」となっていたが、著者は極めて若い人で、30代にもなっていない。
そういう人が、あの戦争中の皇軍兵士という人のことに関心を向けたという点に私は一種の驚きを感じる。
日本の敗戦。1945年の日本の敗戦というのは、アメリカとの戦争に対して「負けた」ことは歴然としているが、ならば「中国大陸では本当に負けていたか」といえば、アジア大陸全般についてば、そうとも言えない部分があったと思う。
確かに、満州国は旧ソビエット軍に蹂躙されて敗北したが、中国の本体であるシナ全土で「日本軍が海に追い落とされたか」といえばそうとも限らない。
日本軍は地球的規模で全世界に散らばっていたにもかかわらず、それが昭和天皇の一声で、一斉に武器を地に置いたということは、実に不思議なことだと思う。
これは地球上のあらゆる国家、人種、民族にとっても、脅威的な出来事ではないかと思う。
インドネシアに進駐していた日本軍が、本当にイギリス、オランダの連合軍に海に追い落とされたかといえば、必ずしもそうとは言えていない。
日本軍は昭和天皇の詔勅を聞いて一斉に戦うことを止めてしまったので、相手が勝った、つまり相撲でいえば不戦勝のようなもので、我々の側が勝手に手を引いてしまったということだ。
あの時代、徴兵で招集されて、死ぬ気で故郷を出て、周囲も何となく生きては帰らないであろう、と思われていたことは本人にも判っているわけで、「戦争が終わったからさあ大手を振って故郷に帰ろう」とは素直な気持ちで思えなかったことも充分にありうることだと思う。
召集されて、初年兵としてさんざん鉄腕制裁を受けて、「さあこれから自分たちが新兵をイジメるぞ」と思った矢先に戦争が終わってしまえば、今まで自分が耐えてきた事は一体何であったか、という疑問は必然的に湧くと思う。
敗戦のときに、現地に居残った人々は、インドネシアのみならず、世界各地に居たと思う。
台湾にも、中国本土にもいたに違いなく、グアム島に居た横井正一氏や、ルパング島の小野田寛郎氏なども、アメリカ軍に敵対する勢力に身を投じれば、この本の主人公と同じ立場になりうる。
しかし、グアム島でもルパング島でも、民族自立の運動は起きなかったわけで、最後の最後までアメリカと敵対する関係のままの皇軍兵士という生きた見本であった。
この本の主人公の藤山秀雄氏は、敗戦で日本の支配が解け、連合軍の統治が始まる間隙をぬって行われたスカルノ大統領の自主独立の演説を聞いて、インドネシア軍と協力して、連合軍と戦うようになったと記されている。
ところがインドネシアが、この時まで西洋列強の支配下に置かれ、一時的に日本の支配下に入り、再び連合軍の軍門に下るということは、ある意味で歴史の必然だと考えられる。
我々の歴史認識では、近世の世界史において、西洋列強の帝国主義にアジアが蹂躙されて、その軍門に下らざるを得なかったという認識であるが、これはまぎれもない事実だ。
問題は、何故、そういう事実に至ったのか、という検証が大事だと思う。
その検証をすると、やはりアジアは西洋列強に蹂躙されるべくしてされた、という部分がある。
例えば、西洋人、ヨーロッパ人は鉄砲を携えてアジアに乗りこんできた。
当然、それに付随して宣教師も一緒に来たことは別の問題として語らねばならないが、アジアの諸民族は、西洋人、ヨーロッパ人が携えてきた脅威の鉄砲を見て、「あれと同じものを自分たちで作ろう」という発想に至らなかった。
ところがアジア人の中でも我々の同胞、日本人だけはそれを実践した。
16世紀頃の我々の先輩は、ポルトガル人が鉄砲を持って種子島に漂着した時、その鉄砲の威力に驚愕し、驚き、腰を抜かしたが、一瞬の感嘆が去った後、あれと同じものを自分達でも作ってみようと考えた。
それ以降の近代化の中で、物作りにかけては我々の同胞は実に生真面目にそういうものを模倣し、その模倣の枠を超えてオリジナルなものまで作りだすようになったが、我が民族の不得手な部分は、政治的思考であった。
これは政治下手、外交下手ということであるが、これは日本人の精神性が世界的な普遍性に欠けているという意味である。
我々以外の民族は、特にアジアの諸民族は、その精神性において極めて世界規模の普遍性を持っているので安易に感化されやすい。
つまり、自分たちの古来の宗教や信仰を安易に放棄して、キリスト教やイスラム教に改宗して何の精神的な贖罪も感じていない。
その意味からすると、我々の民族は極めて宗教に寛大であり寛容であるが、この事実は裏を返せば、精神性の統一が不出来であり、人々の思いを一つにし切れていない、百家争鳴をゆるして、強力な意思統一が出来ていないということでもある。
明治天皇は人々を統治する指針として「万機公論に決すべし」と唱えられ、それは極めて民主的な意識を指し示すものだ、と受け取られていたが、現実に下々の政治では、公論のみが湧き立って、議論百出するも結論が出ないので、何時まで経っても混沌と迷走が繰り返されるだけとなり、何一つ前に進まずに終わってしまう。
それを称して、日本民族のトータルの評価として「物つくりは一流だが政治は3流」ということになったわけだ。
政治とか外交ということを考えた時、当事者が謹厳実直、石部金吉、唐変木であっとしたら、それは政治的に非常に不利であるが、我々の価値観ではこういう人にこそ憐憫の情を示すわけで、融通無碍な口先人間には信用を置かないところが我々の民族のDNAとして刷り込まれている。
口先で、チャラチャラと人を騙くらかす人間には不信感を募らせて、そういう人間を身の回りから排除しようと無意識の内には気を回すが、これは政治とか外交というものを頭から否定する思考であって、我々の民族内にこういう遺伝子が内在されている限り、我々は世界的に信用されることはあり得ない。
赤を黒とも言い包め、黒を赤とも言い包める人間を、我々は信用しようとしないが、政治や外交の本質はそこあるわけで、口先3寸で戦争を回避できれば、それこそ最高の戦略で究極の戦術であるが、そういう人間を我々果たして信用するであろうか。
口先3寸で戦争を回避できたとしたら、実際に戦火を交えていないので、外交的に勝利したという認識を持ち得ないのではないかと思う。
もう一つ別の視点から宗教を例にとって見ると、我々には我々の民族の誕生の時から大和神道というものがあって、そこに中国から仏教が入り、近世になればキリスト教もイスラム教も日本に入って来たが、我々は如何なる宗教も排除しようなどとは考えていない。
ところが、我々以外の場所、地域、民族では、宗教家あるいは為政者が率先して異教徒の排除に走り回っているではないか。
近代以前のアジアの諸民族は、確かにヨーロッパ系の白人と比較すると劣っていたと思う。
日本が先の戦争でアメリカに負けたということは、当時の日本の戦争指導者、政治指導者が劣っていた、馬鹿だったからに他ならず、だからこそ勝つ見込みもない戦争に嵌り込んだわけで、敗戦が必然であったのと同じように、この時代のアジアの諸民族は西洋列強、ヨーロッパ人のよりも大分劣っていたからこそ、帝国主義に蹂躙され、西洋列強の植民地に成らざるを得なかったということだ。
第2次世界大戦の終焉が1945年、日本の暦では昭和20年の8月であったことは今更言うまでもない。
露骨な領土的野心を秘めた共産主義国家の旧ソビエット連邦も、9月までには実際の戦闘を止めたが、この時点で、戦争に敗れた日本も、インドネシアも、中国も、朝鮮半島も、ある意味で同じスタートラインに並んだわけだ。
この時点で、我々の祖国の都市はそのほとんどが恢塵と化し、その意味ではアジアの中で日本の国土が一番荒廃し、荒れ地だったかもしれない。
そのスタートラインの意味は、近代化レースであったり、民主化のレースであったり、民族自決のレースであったりしたわけだが、同じスタートラインに横一線に並んで、一斉に走り出しても暫くするとそれぞれに格差が生じてきた。
その格差も、ある意味ではそれぞれの民族の個性であったわけで、それはそれで致し方ないが、そういう冷静な目で見れる間は良いが、そこに怨嗟の気持が入り込んでくると厄介なことになる。
66年前は皆同じように貧乏であって、向こう3軒両隣が皆同じ生活レベルならば、ヤッカミもネタミも生じないが、その中の一軒がテレビは持つ、車は購入する、冷蔵庫は買うとなれば、近隣の者として心穏やかな気持ちでいられなくなるのは察して余りある。
アジアの人々が、以前は西洋列挙の植民地に甘んじ、今も近代レースにも、民主化のレースにも乗り遅れて、周辺の豊かな国に出稼ぎに行くという姿は、それぞれの人々の自己責任だと思う。
この本に描かれている、旧日本軍の兵士で、インドネシアに残ってこの国の独立戦争に貢献した人たちの存在も、その自己責任の一部であるが、この本はそこを突くものではない。
戦後の時間というのは、日本でもインドネシアでも、同じ66年間であるわけで、その同じ時間内において、内地の日本人とインドネシアの人々の努力の結果の格差が問題であって、それはやはりそれぞれの民族の個性として一絡げにして論ずるほかないように思う。
インドネシアに工業的な近代産業が無いということは、彼らの頭脳の働きが無いということであって、自分達の状況と環境にあった産業というのは、探せばきっとあると思う。
我々の日本だって、昔も今も、資源は何一つないわけで、それでも頭脳の働きによって、無から有を生じせしめているわけで、ただただ安易に出稼ぎに頼って、日銭を稼ぐという思考であってはならないと思う。
ヨーロッパ諸国があらゆる面で先進国と言われているのは、ヨーロッパ人は、彼らは彼らで、たゆまぬ努力をしているわけで、自然に地中から富み湧き出てきたわけではない。
このたゆまぬ努力の中味には、ヨーロパ人同士の血で血を洗う抗争もあれば、他民族を血祭りに上げるような野蛮な行為も含まれているが、そもそも人が生きる、生き抜くということは、生存競争であって、大きな犠牲や理にそぐわない不合理はついて回るわけで、絵に描いたような綺麗ごとでは収まり切れない。
アジアの民がヨーロッパ人と接した時、その時点では確かにヨーロッパ人の方が文化的に進んでおり、合理的な道具を上手に使いこなしていたに違ない。
だが、それを見たアジア人は、それぞれに先進的なヨーロッパ文化に驚いたと思うが、問題は、その後のアジアの側のリアクションである。
そういう状況において、「あれと同じものを自分たちの手で作ってみよう」と考えるか考えなかったかという問題に尽きると思う。
人がこの地球上で生きる、生き抜くということは生存競争に打ち勝つということであって、それは短絡的に鉄砲で撃ち合うということを指すものではなく、頭脳で以て知的な戦いに打ち勝つという意味だと思う。
かつて経済成長はなやかりし頃、ある経営者が経営の心得として、「金のある奴は金を出し、知恵を持っている者は知恵を出し、何もない者は汗を出せ」と説いたと言われているが、至言だと思う。
この地球上にあるものとしての日本人および日本国家の存在意義として、これほど的確な言葉も他にないと思うが、これは如何なる国家にも民族にも言えていると思う。
ヨーロッパもアメリカも、過去の実績としてまさしく金も、知恵も、汗も出したに違いない。
我々もそういう先進国の後をトレースしては見たけれど、我々の場合、政治的および外交的な不味さ、あるいは後進性が災いして、一旦は無一文になったわけだが、無一文になって見れば、後は失うものは何もないわけで、新たに新規一転して復興に立ち向かったということだ。
今の地球上にある諸国家には、経済的に様々な格差があって、低い地域から高い地域に、人々が出稼ぎという形で労働力が流動しているが、これもある種のグローバリズムの具現なのかもしれない。
インドネシアから日本に出稼ぎに来るということは、来る側の人々からすれば、日本の習慣や生活慣習に順応しなければならないが、一旦来てしまえば自分の国で生きるよりも、日本で生きた方が何かと便利だということになって、結果として日本に居付くことになる。
だとすれば、この状態は何時かは純日本人と外来産の日本人という差別の温床になりうる。
日本という国土に住む人々は、日本の周囲が海であるが故に、大陸から海によって流れ着いた人も大勢いると言われており、その間に差別があるようには思えないが、この差別というのもかなりの部分人為的な要素が大きく、金や支援を得るために故意に誇大化して喧伝される部分がある。
昨年の東日本大震災が起きた時、日本に来ていた中国人が一斉に帰国したといわれているが、日本人として生きる人たちがこうであっては甚だ困る。
あの時ことを言えば、あの地震で東京電力の福島原子力発電所が事故を起こしたことは周知の事実であるが、「原子力発電はああいう事故が起きるから一切合財止めよ」という発想も実に不甲斐ない思考回路だと思う。
「原子力の事故は甚大な被害を出すから、一切禁止せよ」という言い分は、正義を振りかざした小学生並みのパフォーマンスに過ぎず、分別ある大人の思考ならば、「再発防止に全力を注げ」という思考にならなければ大人とは言えないと思う。
「危ないから止めよ」では、何にも進歩が無い。
あの事故に関して、政府や東京電力を擁護する気はさらさらないが、地震と、津波と、付帯設備の機能停止と、事故の対応の不手際は、それぞれ別々の問題であって、その別々の問題が同時に一気に起きたから、未曾有の混乱に陥ったわけで、「だから原子力発電を全部やめよ」という議論には、大きな論理的な飛躍がある筈だ。
それを科学者というような人が声高に叫ぶということは、科学者にあるまじき行為だと思う。
小学生の口喧嘩のように、「絶対の安全が保障されない限り運転するな」という、この「絶対」という言葉の使い方は、小学生並みの思考でしかないではないか。