ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『蠢く!中国対日特務工作丸秘ファイル』

2012-12-25 20:42:14 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『蠢く!中国対日特務工作丸秘ファイル』という本を読んだ。
著者は中国人のようでもあるが、よくわからない。
内容的には日本における中国のスパイ活動は実に凄惨なもので、日本人は安易に中国のスパイの餌になっている、ということが赤裸々に記述されている。
日本は中国ばかりではなく、あらゆる国の諜報機関にとって天国だということはツトに有名なので、今さら驚くこともない。
しかし、今や世界で日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国にまでなった主権国家が、モノ作りの現場で余所の国や、他の企業にスパイを送り込んで、技術を盗まねばならないということは、どういう事なのであろう。
この本には、日本企業が中国からの留学生を雇用したがため、技術が盗まれたということが縷々述べられているが、そもそも自分の企業内に中国人を雇い入れること自体が、「泥棒を飼っている」という認識に至っていない。
日本と中国の関係は、遣唐使の時代からあるわけで、日本人が中国大陸から優れた文化を輸入する分には、我々は真面目に付き合いをしてきた。
ところが近世以降になって、より緊密に接触するようになると、価値観の衝突を招くようになった。
我々の価値観と向こうの価値観は同じものではなく、物事を考える上での土俵が違っているわけで、これは風土に起因する民族の潜在意識の相違であって、どこまで行っても相互に理解しあえるということはありえない。
我々は、こういう冷徹な現実を直視なければいけないのであるが、日本人には謙譲の美徳という価値観があって、相手を性善説で見る気風があり、相手を突き放した視線で見る勇気が無い。
こうしておけば相手は喜んでくれるに違いない。こう言えば相手は我々を寛大に扱ってくれるに違いない。素直に謝れば相手は許してくれるに違いない。という自分勝手な思い込みに嵌ってしまうのである。
日本企業で、中国人に技術情報を盗まれるのは、盗まれる方が阿呆であって、盗まれて困るような情報のあるセクションに、中国人を配置する方がバカである。
そんな警戒心もない会社ならば、そのうちにケツの毛まで抜かれるのがオチであろう。
そもそも中国からの留学生を受け入れる大学こそが諸悪の根源なわけで、なぜ日本国民の血税で、我々の祖国を貶めようとする国の学生を養わねばならないのか。
日本人学生の10倍ぐらいの授業料をとっているのならば、まだ留学生を受け入れる整合性があるが、何故、自分達の金で敵国の学生に学問を教えねばならないのかということである。
中国人が日本国内でスパイ活動するということは、相手は日本を敵国とみなしているわけで、この実態は日中戦争から今日まで連綿と生きており、それを忘れて相手が我々と同じ価値難を共有する仲間だと思う方がバカである。
先方は、日中戦争の最中に、日本軍が中国の一般市民を大量に虐殺したという論旨を声高に叫んでいるが、あれも彼らの独特の文化なのであって、民族としてのある種の特質なのである。
つまり、攻撃の矢面が日本だからありもしない虚偽の事柄をことさら大声で叫んで、嘘も百編言えば真実になる、という論理で以て行動しているのである。
彼らの言う事が1から10まですべて虚偽とは言いきれないとしても、白髪3千丈式の誇大な表現を文字通り真に受ける愚は、我々の側の責任と言わざるを得ない。
相手の言い分の真価、真意、本質を正確に測りきれないという部分は、我々日本民族の人の好さに起因しているわけで、もっと実直な表現をすれば、我々はバカだったということに尽きる。
我々の同胞の中には、相手の言い分を全面的に容認して、相手に媚を売って自己の利益に繋げようとする売国奴の存在も由々しき事例ではある。
相手、中国の側から日本を眺めれば、有史以来連綿と彼らの認識では我々は辺境の野蛮人であったわけで、明治維新以降、日清戦争で勝ったと言っても、相手は何の痛痒も感じていなかったにちがいない。
ただ我々の側が、巨大帝国清王朝に「勝った勝った」と有頂天になっていただけのことである。
相手にしてみれば、今の状況と合わせて比較すれば、尖閣諸島を盗られた程度の認識でしかなかったと思われる。
国民や普通の一般人にすれば、日本と戦ったことすら知らずに済んでいたかもしれない。
ところが我々の側は、国土が狭く、そこに大勢の人が住んでいたので、その実態は瞬く間に全員に知れ渡り、「勝った勝った」で有頂天になったのである。
言うまでもない事であるが、中国には50余りの民族がいるわけで、彼らの視点から日本を見れば、我々もその中の一つの部族ぐらいの認識でしかないと思う。
我々と彼らの間には海があって、その中間の所に朝鮮民族がいたが、朝鮮民族は中国に朝貢していたので、中国側の認識からすれば朝鮮は完全に属国であって、「憂い奴だ」という感覚であったに違いない。
ところが日本・倭の国は、中国に対して朝貢する気などさらさらなかったわけで、先方にしてみれば可愛げのない小憎らしい存在であったに違いない。
日本はそういう風土の中に、力づくで押し入ったわけで、先方からすれば「侵略された」という想いであろうが、我々からすれば新天地の再開発、フロンティア精神の発露、死ぬか生きるかの生存競争であって、その基底の部分には力、武力、軍事力があったということだ。
この力の使い方を誤ったのが、昭和の初期の日本政府と大日本帝国の軍であって、いかなる主権国家でも基本的にはシビリアンコントロールであったが、あの時期に軍部が政治家を差し置いて政治の前面に出たということは、軍部の独断専横であったことは紛れもない事実でぁる。
ところが、それを許した政治家の怠慢も同時に責められねばならない。
それで話を21世紀に戻せば、外交交渉ということは、いわば言葉による戦争なわけで、戦争であるからには、相手を知るということが鉄則である。
だからこそ中国は日本に対してスパイを送り込んでくるわけで、それに対して我々の側は、「あまりにも無防備ですよ」ということをこの本は指し示している。
そもそも日本の大学が中国の留学生を受け入れるという点からして発想が甘いわけで、そういう文化交流も国際関係を円満に回すためには必要という考え方も一理はあるが、ならば国益にいささかも影響に出ない文学とか、古代史とか、芸術というような人文科学系にとどめておくべきである。
技術流出を伴うような最先端の部門からは排除するように措置を講じるべきである。
我々の同胞でも、高学歴で教養知性に富んだ学識経験者というような知識人は、何事も理想主義を仰ぎ見て、綺麗ごとを目指そうとする。
「友達の友達は友達だ」とか「人類皆兄弟だ」とか、この世の中は善人ばかりであるかのような錯覚に浸った物言いをしているが、こういう人にかかると日本の最先端技術は、世界の人々の至福に貢献するのから、留学生にそういう技術を伝授して、世界平和に貢献するなどとのんきなことを言っている。
知識人がこういうのんきな思考でいるものだから、中国のスパイが日本で暗躍するのである。
今の日本でスパイ防止法案などという措置をしようとすれば、日本の知識階層に巣食っている売国奴たちが徒党を組んで反対運動を起こすであろうから、それをする必要はないが、我々は国民レベル、市民レベルで中国人を警戒すべきだと思う。
特に留学生、その中でも相手国の国費留学生は、まるまるスパイと認識してかからねば、彼らに尻の毛まで抜かれかねないことを忘れてはならない。
中国から、祖国の国費で日本に留学するということは一体どういう事なのであろう。
彼らの深層心理の中では、日本を見下げているにもかかわらず、自己の立身出世のツールとして日本留学という免罪符を手に入れていると思われてならない。
彼らには、日本留学で得た知識を祖国に還元するという発想は全くないと思われる。
この本の中には、日本企業が中国人技術者を雇用したがために、情報を盗られたという記述があるが、その企業の経営者は、中国人を雇用すればそういう事が当然起こり得る、ということが判らなかったのであろうか。
だとすればバカの上塗り以外の何ものでもないではないか。
我々の側に、中国人を大量に受け入れて、その彼らに日本語を教えて、求人難の職場に送り込む目的で、訳のわからない大学が乱立したが、国としてこういう行為を容認すべきではなく、断固として取り締まるべきである。
ところが、相手が中国で、それに輪をかけて教育という言葉が付くと完全に腰が引けてしまう。
外交ということは武力を使わない戦いなわけで、日中友好を真に受けるということは余りにもノー天気な思考である。
しかし、日本の知識人は、過去の歴史の中で異民族に支配された現実に直面したことがないので、自分の持っている経験則で物事を計ろうとするため、相手の術中に嵌るのである。
太平洋戦争の、我々の側の言い方によれば大東亜戦争であるが、この戦争の我々の側の大義は「アジアの解放」であったが、それを主導したのが単細胞的思考の軍人、軍部であったので、我々の側の大義は誤解され、誤解されるような行動を軍部がしたことは、歴史的事実として認識しなければならない。
この時、中国は日本人によるアジアの解放を拒否したわけで、西洋列強に散々国土を蚕食されながらも、その西洋列挙にすり寄って、彼らの側についてしまったのである。
それで1945年8月、ふと気が付いてみると、我々が散々侮蔑していたシナは、連合軍側に身を置いていたわけで、彼らは勝者の栄誉に浴していたことになる。
日清戦争に勝ち、日露戦争に勝った我々は、その時点で有頂天になり、天に舞い上がった気持ちになって奢り高ぶってしまったが、こういう立ち居振る舞いは、我々の価値観ではしたない行為、忌むべき行為、侮蔑すべき行為として我々の風土の中に定着していた筈である。
それがどうして我々はこの時、こういう我々の根源的な潜在意識を捨て去ってしまったのであろう。
この事実は、相手側にすれば極めて有効な交渉のカードになるわけで、事実相手はそれを周到に使いわけて敵国としての我々に対する武器としているのである。
相手は、国内に50余りの異民族を抱え込んでいるので、その意味では日本など50分の1の存在でしかないわけで、その微々たる存在の吹けば飛ぶような小さな国が、アジアを仕切ろうとし、中国をも仕切ろうとすれば、彼らの自尊心は黙っておれないのも無理からぬことである。
その屈辱を晴らすために、成り振り構わず日本に対抗してくる彼らの心理は充分に考察する必要がある。
彼らには1+1が2、2+2が4という論理は通らないわけで、彼らは1+1が3,2+2は5という論理で以てこちらに対抗してくるので、これは正攻法ではどこまで行っても平行線のままで解決には至らない。
ならばどうするかといえば、彼らの不合理、不整合な行為、立ち居振る舞いを世界に向けて告発して、中国という国家の欺瞞性を国際社会にアピールする事しか解決の糸口は無い。
産業スパイということで言えば、日本もアメリカの企業から技術情報を盗んだ盗まないという論争があって、裁判所に告発されたケースもあったが、基本的に日本のハイテクは、日本人の手で開発されたとみなしていいと思う。
しかし、旧ソ連でも、中国でも、他の国の技術を盗むということはどう考えたらいいのであろう。
私の言いたい事は、中国の人口が13億人であるにもかかわらず、その中から新しい発明や新しい技術や新しいアイデアがどうしてこの13億の中から出てこないかということである。
古代においては、文字や火薬や紙という文化のベースになる基幹技術を発明発見していながら、近世以降は全くそういうものを輩出できないということは一体どういう事なのであろう。
思うに、アジアの普遍的なものの考え方は儒教だと思うが、儒教では親を思い、年長者を思い、そういう先輩を乗り越えることは親孝行とか忠節の度合いを無視する行為で、人足るものはそういう事をしてはならないという不文律があったので、忠良な臣民は新しい事に挑戦する事が憚られたからではないかと勝手に想像している。
だから国として、民族として、アジアとして、この時代には何一つ新しいものが登場せず、何から何まで真似、模倣するか、技術を盗むかするしかなかったと思われる。
そういう環境から来た中国人を、盗まれてはならない重要な技術を扱うセクションに配置する事自体、「盗んでください」と言わんばかりの愚劣極まる行為である。
企業として、それが判らない経営者ならば、経営者としての資質が問われて当然である。
日本と中国との関係は今に始まったわけではなく、人類の誕生以来連綿と生きているわけで、その間に我々の側が相手よりも有利な環境におかれたことは一度もないと考えなければならない。
アジア大陸の漢民族も、匈奴も、女真族も、倭の国の元寇も、共にそれぞれの生存競争に明け暮れてきたわけで、そこでは適者生存の自然の摂理の元に人々が生き抜いてきたわけで、これを今の日本の文化人は正義とか、善悪とか、良し悪しという極めて狭量な価値観で計って、自分たちの同胞を貶めて喜んでいる図である。
この本には中国国内で日本人の外務省の職員や商社の人間が、ハニートラップに引っ掛かって脅されて情報を提供させられた事例が縷々述べられているが、ハニートラップという言葉は綺麗だが、日本流に言えば美人局なわけで、それを官憲が使うということ自体、法体制と人権意識の欠如を如実に表しているということである。
罠に嵌る人間は最初から下心があったわけで、その責は本人が負わなければならないのは当然であるが、問題は、中国の官憲がそういう汚い手を安易に使うセンスである。
以前、アフリカの奥地を車で移動していると、突然警官が出てきて、交通違反を告げられて法外な罰金をその場で取られたという話を聞いたことがあるが、中国のやっていることはこのレベルの事で、まさしく満州の荒野に出没した馬賊、匪賊、山賊、赤卑と同じレベルの行為でしかない。
それを21世紀の今日、官憲ぐるみで行っているわけで、政府機関、警察機構すべてがこの様に法秩序もなければ、人権意識もないわけで、あるのは個人の利得関係のみで繋がっているということに他ならない。
ハニートラップで罠に嵌めて、その脅しの実行力が効かないとなると、組織ぐるみでコネクションが作動して、罠に嵌ったカモはそれなりの制裁を受けることになるが、その間にきちんとした法秩序が全くないので、各セクションのさじ加減でどういう風にでもなるのである。
まさしく山の中の道路で偽警官が罰金を取るようなものである。
これって山賊と同じというわけで、これが中国の全土で起きているとなれば、もう主権国家というよりも近代国家の体をなしていないということである。
国家の体を成していなくても、その領域の中に生息している人間は何とか生きているわけで、国家の保護があろうがなかろうが人は生き続けねばならない。
統治者あるいは為政者の立場として、隷下の人民、臣民、国民、庶民を腹いっぱい食わせねばならないという使命感はどこかにおいてきているので、あるのは組織のトップの覇権争い、派閥抗争でしかないということである。
相手がこうであるにもかかわらず、我々の側は、相手を自分と同じ価値観の人たちだと思って日中友好を信じて疑わないが、それは綺麗ごとの自己満足以外の何ものでもない。
社会的な地位があって、公的な職務に就いている人が、安易で無責任な言辞を弄するわけにもいかないことは重々承知しているが、だからと言って相手を利するような措置を取ることもなく、あくまでも自分たちの国益を考えて、日本の国益にそうような措置を講ずるべきだと思う。
両国の留学生の交流というのも、普通の常識としてゼロというわけにもいかないであろうが、技術流出が懸念されるようなセクションンには、よくよく注意が肝要である。
それと規則とか契約の厳格な施行を相手に迫って、彼らが勝手に拡大解釈して、なし崩し的に無政府状態にならないように監視が必要だと思う。
留学生で入って来て、不法就労とか不法滞在とかをさせないように、厳重に注意して、日本では金稼ぎがとても採算に合わない、ということを知らしめるべきだと思う。

『草の根の軍国主義』

2012-12-25 20:00:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『草の根の軍国主義』という本を読んだ。
著者は佐藤忠男という人で奥付によると映画評論家ということだ。
表題の「草の根の軍国主義」というフレーズは私も共感を覚える言葉だ。
私のように戦前生まれではあっても、戦後の教育で育ったものからすると、軍国主義というのは一部の悪人としての軍人に強制されて軍国主義であらねばならなかったので、軍人以外の人は皆被害者だという意味合いで教え込まれていた。
しかし、この地球上に生きている人間を、人間という生き物の自然の在り様として眺めた場合、軍国主義も平和主義もあり得ないと思う。
この地球上に生きている生命体は人間ばかりではなく、動物も、植物も、あらゆる生物、微生物もいるわけで、それらはお互いに食ったり喰われたりして生きている。
野生動物でも自分の同族はお互いに食い合わないと思う。
虎が虎同士で食い合うということはないと思し、ライオンもライオン同士で食い合うことはないと思う。
ところが人類は人類同士で殺し合うのは一体どういう事なのであろう。
人間は地球上の生きもの中でも、万物の中の霊長類として一段と崇められる立場であるにもかかわらず、同類同士で殺し合うことをどういう風に説明したらいいのであろう。
この本は日本が昭和の初めの時期に、アジアで覇権を追い求めた背景には軍国主義があったからではないかという考察から解き起こしているが、覇権を追い求めるためには自分たちの結束が不可欠なわけで、その接着剤として軍国主義が機能していたのではないか、という疑問を掘り起こすことから始まっている。
今の日本人は、この時期の日本の振る舞いをアジアに対する侵略という言い方に何の疑問も、良心の呵責を感じずに使っているが、それは歴史を見る視点としておかしいと思う。
侵略という言葉には、明らかに他人の領域に押し入って、そこにあるものを略奪するというイメージがある。
だから正義ではない、正しくない、悪い事だ、という価値判断は人間の生存を否定する綺麗ごとだと思う。
現に中国の歴史は、異民族が既存の民族、既存の王朝を征服した歴史であって、それが何層にも重なった歴史ではないか。
その最後に日本民族が彼らの上に覆いかぶさった時だけが何故侵略という悪魔の再来のような言い方で非難されるのだろう。
漢民族、元という王朝、匈奴、女真族、日本民族などなど、皆、生きんがために熾烈な生存競争を展開しただけで、攻められた方の憤懣やるかたない憤怒の気持ちは理解できる。
だから、彼らが言うのは致し方ないが、我々の側から使う言葉ではないと思う。
我々はアメリカと戦争して完膚なきまでに徹底的に敗北したが、アメリカが日本を侵略したという言い方は決してありえない。
けれども、その敗北の原因追究として「無謀な軍国主義に酔っていたからではないか」という反省に立って、あの時代の我が同胞の立ち居振る舞いを検証しようとしている。
我々は今、戦争中に中国を侵略したことを申し訳ない、という気持ちで負い目を感じているが、あの時代の我が同胞の目に映る中国の地は、まさしく広大なユートピアに映っていたわけで、その地に住んでいた原住民は西部劇に出てくるインデアンでしかなかったわけである。
そこを肥沃な農地に変え、緑の大地にして、穀倉地帯にするには、日本人のバイタリテイーでなければならず、それは同時に日本の生命線でもあったわけだ。
ところが相手からすれば、日本鬼子が勝手に入って来て俺たちの土地を取り上げた、という言い分になるのも当然のことである。
この生きんが為の両者の諍いを、文明論的に理由付けをすると成ると、我々の側では支那事変といったり、日中戦争といったり、言い方はいろいろだが、実質は日本と中国の生存競争の一端なわけで、これを正義とか、善悪という価値観で測ること自体不遜なことだ。
ただ日本はトータルとして連合軍に敗北したので、負けた方の言い分が封殺されるのも自然のことで、我々が悪者にされて「侵略した」と相手から言われても反発はできないのは当然のことである。
だからと言って、我々の側から侵略という言葉を使う必要はないわけで、こういう物ごとの筋を通すということが我々は極めて曖昧で、それが戦前の我々に軍国主義をのさばらせた最大の理由なのではなかろうか。
公立学校に奉安殿を作って、そこに御真影を安置して、恭しく奉るということを誰がどういう目的で遂行したのであろう。
私は昭和の初期の時期に軍人がのさばった最大の理由は、当時の政治家の堕落だと考えている。
この本にも述べられているが東条英機の経歴を見ても、彼は軍の機構の中で完全に純粋培養されている。
それに比べれば当時の政治家でも立派な高等教育を受けた人も大勢いたに違いなく、そういう人達が軍の機構の中で純粋培養された単細胞の軍人に対して、弁論と知恵と才覚で太刀打ちできないはずはなかったと思う。
あの当時だって文部省はきちんと存在していたと思うが、その文部省は奉安殿の御真影をどう考えていたのであろう。
年間の節目節目の記念日に、学校長が恭しく御真影を戴いて、教育勅語を奉読する式典をどういう想いで見ていたのであろう。
私は戦後に教育を受けた世代なのでその実態は知る由もないが、戦時中は日本全国、津々浦々に至るまで軍国主義一色であったが、この時、当時の知識人、ジャーナリスト、国会議員、大学の先生方、教育関係者は一体どうしていたのであろう。
この本の中では、中学校の校長が入試で御製を奉読して、それに首を垂れなかった生徒を不採用にしたという事例が述べられているが、こういう事例は随所にみられたわけで、その当時、社会的地位の高い人のこういうナンセンスな行為を誰も咎める者がいないということは一体どういう事だったのだろう。
中学校の校長ともなれば、それなりに高等教育も受けていたであろうに、こういう階層のものが、「御製に首を垂れなかったから進級する資格がない」と判断するナンセンスぶりは一体どこから来ているのであろう。
この事例を鑑みるに、この時代の社会的地位の高い人たちの享受した高等教育の実態というのは一体何であったのだろう、またその効果がいささかもあらわれていないということは一体どういう事なのであろう。
教育というものが、人間の知性や理性やモラルの向上や、合理的な判断力の涵養にいささかも貢献しうる要因を含んでいないということであろうか。
この校長ばかりでなく、当時、つまり戦前の日本社会で、まさしく陳腐としか言いようにない立ち居振る舞いが、皇国史観として大手を振って罷り通る状況の中で、その時の文化人、教養人、学識経験者、ジャーナリストという人たちは何をどう考えていたのであろう。
問題は、そういう人達は無学文盲の烏合の衆ではないわけで、当時においても立派な高等教育を受けた人たちであった筈で、その人たちの受けた高等教育が、軍人や軍部の跋扈する事態に対して、どういう対応を指し示したのかという点である。
鳩山一郎の統帥権干犯問題や、美濃部達吉博士の『天皇機関説』や、斉藤隆夫の粛軍演説に対して、その当時高等教育を身につけた教養人、知識人はどういう対応をしたのかということである。
私の推測では、おそらく口にチャンクをして沈黙していたのではないかと思うが、それでは身につけた高等教育が意味をなさないではないか。
無学文盲の大衆が、特高警察や青年将校がちゃらちゃら鳴らすサーベルの音に震え上がった、というのならばまだ理解できる。
だが旧帝国大学を卒業して広範な知識を持ち、教養知性にあふれたインテリ―が、軍という井戸の中で純粋培養された狭量な思考しか持ち合わせていない軍人に、弁論や知恵や才覚で負けるとは思えないが、そういう教養人は軍人に対して正面から議論を挑んだであろうか。
非軍人としての教養人の受けた高等教育は、軍人の偏狭さを打ち破るに足るだけの能力が無かった、それだけのパワーを持ち得なかった、ということを我々はどう考えたらいいのであろう。
それと同時に、この時代の高級将校の通った道として、幼年学校、士官学校、陸軍大学という職業訓練校の中で行われた教育というのは一体何であったのだろう。
この本によると、東条英機という人は非常に派閥抗争に長けていた人とされているが、こういう職業訓練校の中で仲間内の足の引っ張り合いを奨励していたとも思えないが、この足の引っ張り合いというのも陸軍だけの現象ではなく、日本民族のあらゆる状況下で起きているわけで、ある意味で日本社会の縮図という面も無きにしも非ずである。
問題は、こういう環境の中で行われた教育の本質そのものである。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法は、当時は子供でも知っている普遍化した常識であったが、にもかかわらず英語を適性語として使用禁止にするという措置をどう考えたらいいのであろう。
これに対して幼年学校、士官学校、陸軍大学というエリートコースを歩んだ陸軍の高級将校、高級参謀はどういう所感を持ったのであろう。
英語を禁止して、敵の情報をどうやって探りだせると考えていたのであろう。
この時、非軍人の教養人や文化人は一体どういう感想を持ったのであろう。
戦争をしている敵の言語を禁止して、どうやって敵の情報を探ったらいいのだ、という疑問を誰一人抱かなかったということは一体どういう事なのであろう。
特に軍人、高級将校、高級参謀になればなるほど、情報収集の重要性を痛感しているはずなのに、そういう立場の者が率先して、敵の言語を禁止するように籏振りをするなどということは、本当に戦争の意義、近代戦の本質を知っていたのかと大いに疑問に思わざるを得ない。
幼年学校、士官学校、陸軍大学では一体何をどう教えていたのか大いに不思議でならない。
それと同時に、こういう職業訓練校の出身者に政治をほしいままに翻弄されている教養人、文化人、知識人の有り体も実に情けない。
中国の前線では一銭五厘のハガキで集められた同胞が血みどろの戦いをしている一方で、内地では恵まれた環境で高等教育を享受した教養人、文化人、知識人が、単細胞の軍人のサーベルの音に縮あがって震えている構図である。
戦後67年を経た今日、歴史の検証としてすべきことは、日本を敗北に導いた軍人たち、特に高級将校、高級参謀たちの受けた教育は一体何であったのか、ということを深く掘り下げて考える事だと思う。
それと同時に、文部省、今の文部科学省の元での高等教育の本質を検討しなおすることも合せて重要なことだと思う。
軍人、軍部が邪なコースに入り込もうとした時、当時の政治家にはそれを正す方策も手段も勇気も持ち合わせていなかった。
この時の政治家といえども、有象無象の輩ではないわけで、それなりに教養知性を備えた帝国大学を出た人士であったに違いなかろうと思が、そういう人達の教養知性が軍人の独断専横を抑制する力になり得ていない、ということをどう考えたらいいのであろう。
あの時代の軍国主義の隆盛には、当時のメデイアが大きく貢献していたことは否めないと思う。
当時のメデイアと言ってもあの頃は当然のこと、新聞とラジオしかなかったわけで、その責任は新聞により多くの責があると思う。
ラジオは当時はまだNHKしかなく、当然のこと、国営放送みたいなもので、政府と軍の広報を担っていたに違いない。
問題は新聞であって、これが軍国主義を煽りに煽ったということだ。
新聞は民間の営利企業であって、利潤追求が至上命令であるので、売れる内容でなければならない。
大衆が喜んで買ってくれるように企業努力を重ねばならないが、その為には真実を大いに誇張して、人々が感激し、感涙にむせぶような記事にしなければならないわけで、そこで軍国美談のねつ造ということに行き着いてしまったのである。
肉弾三勇士の話も、木口小平の話も、読者を喜ばせるために過剰に誇張が加えられて報じられたわけで、そこで英雄がねつ造されるということになったのである。
戦争を報道するメデイアについてよくよく考えねばならないことは、百人切りの話だとか、大江健三郎の「沖縄ノート」などにある、事実の歪曲であって、それこそ戦意高揚のために、あるいは平和を愛するという美名のもとに、事実を針小棒大に報じて、その拡大された虚報が事実として定着してしまうことである。
私が不思議でならなことは、あの時代の我々の同胞は、死に対して如何にも安易に考えていた節があるが、あれは一体どういう事なのであろう。
サイパンでも沖縄でも民間人が安易に自決しているが、軍人や兵隊が徹底抗戦で結果的に死に至るというのならばまだ理解できるが、民間人が敵と目の前で対峙しても死ぬことはないと思う。
サハリンの電話交換手の自決も、民間人でありながらロシア兵からの辱めの前に命を絶つという心境も判らないではないが、それにしても命を粗末にし過ぎのような気がしてならない。
基本的には命の値打ちが低かったから、特攻隊という死に方に至ったように思われる。
そもそも日本の軍の高級将校にとってみれば、下士官とか兵というのは一銭五里のハガキで集められる消耗品でしかないわけで、自分たちの同胞という感覚は無かったに違いない。
日露戦争の時の乃木希介には、203高地の攻略で下士官を大勢死なして申し訳ないという意識があったが、第2次世界大戦時の高級将校には、そういう意識はあまり無かったように思う。
我々の日本民族は、為政者や統治者にたいして極めて従順な民族で、上から命令には極力素直に従う性癖があるようで、先に述べた英語の適性語にしても素直に従っているが、これは我々の価値観として、「素直に従うことが善き事」という刷り込みが根強く社会に浸透しているからだと思う。
そうでなければ社会は円滑に回らないわけで、その部分はそれでいいが、問題はそれから逸脱した振る舞い、あるいは個人に対してどういう対応をするかという点である。
法に抵触するような逸脱行為ならば法に則って処罰すればいいが、それほど極端ではなく軽便な場合は、周囲の同胞のパッシングを受けることになって、これが我々の行動を大きく抑制するパワ-になっている。
他人が自分のことをどう思っているか、という思いが自己の行動を大きく規制している。
問題とすべきは、自己以外の他人の忠誠心なわけで、例えば適性語の英語を使うと、隣の人が警察に密告するが、この密告する人は隣人を貶める為というよりも、祖国を愛するために国の指針に忠実であろうとする善意として、結果的に隣人を官憲に売るということになる。
戦時中に知識人や文化人が沈黙を通したというのは、こういう我々同胞の性癖を知っていたので、自分が時流に掉さすような言動をすれば、家族や親せき縁者に迷惑がかかることを恐れて、「見ざる聞かざる言わざる」に徹したのであろう。
考えなければならないことは、国家に貢献する、自分の国を愛するという美名のもとに、他人の立ち居振る舞いを批判し糾弾する行為である。
こういう他人の自己への干渉が恐ろしくて、本音を隠さねばならなかったわけで、人々が自分の本音を封殺されたから、軍国主義に抗えなかったに違いない。
しかし、昔の大日本帝国には陸軍には陸軍大学があり、海軍には海軍大学があって、それぞれに戦争について如何に勝つべきか、勝つための最良の方策は、最も経費の掛からない勝ち方は、などなど勝つことを前提に研究がなされていたと思うが、それが結果として敗北ということは、そこで行われていた教育とは一体何であったのであろう。
戦後の歴史への検証でも、この陸軍大学、海軍大学の教育内容を考察する言及は見当たらないような気がしてならない。