例によって図書館から借りてきた本で『孫文の机』という本を読んだ。
発刊まもない新刊書であった。
『孫文の机』というからには、孫文の中国革命、辛亥革命の事でも書いてあるのかと思って胸を躍らせてひも解いてみたら完全に期待はずれであった。
それでも孫文が使っていたという由緒ある机が、まわりまわって著者の関心を引いたということであって、読み始めると2・26事件の記述が詳細に書かれていたので、これは昭和史の深層をえぐる新事実でも出るのではないか、と期待を新たにしてみたが、それも詮無いことであった。
羊頭狗肉、上げ底の土産物と言った感じで、読み進むにつれてますます興が覚めていってしまった。
途中、足尾銅山の公害の話が出てきたので、ここでも社会の矛盾を鋭く突く記述に展開するかと思ったら肩透かしで、詩人と絵描きの話になってしまった。
私は高等教育を受けていないという僻みもあって、文学者とか芸術家という人たちを尊敬する気にはなれない。
その反対に、ノーベル賞を受賞するような科学者には、心から畏敬の念を惜しまない。
ただしここでも文学者という範疇の人は、私にとっては何の価値もない事に代わりは無い。
言うまでもない事であるが、人間はたった一人でこの世に生存しきれないわけで、他者との連携なしでは人間そのものが生存しきれない。
この現実を考えると、人々はモノを作る人、今流の言い方をすれば、製造業としての農家、魚民、それらの仕事をフォローすべく彼らの道具や漁具を作る職人たちこそ、人々から慕われ、尊敬され、畏敬の念を以て崇められて当然ではないかと思う。
ところが人類の誕生以来、具体的に人のために仕事する、人の仕事を支援する道具を作る人々は、モノを相手に仕事をしているわけで、どうしても対人関係には気を配ばないので、立ち居振る舞いが粗雑であるが故に、下品とか賤しいという価値観で見られがちである。
それに反して、花鳥風月を愛でるような環境の人たちは、今でいう富裕層なわけで、モノに立ち向かって肉体をぶつける肉体労働とは隔絶された位置にいるので、お互いに仲間内で寄り集まっては、ああでもないこうでもないと言葉を交わして、会話を楽しんでいる。
西洋でも日本でも、文学、芸術、哲学という学問というか人文科学というか、こういう範疇の形態は、いわゆる有閑層の占有物であったわけで、下層階級の者にとっては、そういう物を鑑賞する立場にはなり得なかった。
人間の過去の歴史において、人がモノを作るという行為は、下層階級の生業であったわけで、富裕なものが下層な人に命じて作らせたわけで、下の者は上から命じられるままに、依頼主の意向に沿うものを作っていた。
しかし、モノを作るという行為は、無意識のうちに創意工夫があるわけで、作る本人が少しでも楽がしたいがために、少しばかり工夫を凝らすと其れを今日の言葉で言い表せば「合理化」ということになる。
人類は太古の昔から、額に亜汗して働く人を卑下し、口先だけの綺麗ごとを言って人を誑かす人を畏敬の念を以て崇め奉るが、これは基本的に人間の業でしかなく、本当の人類愛があるとするならば、そういう世間一派の風潮は糾弾されて然るべきだと思う。
これは人類が生存にとって大矛盾なわけで、「戦争は悲惨だから止めましょう」と言いつつ戦争を根絶できないのと同じで、人は楽して金儲けが出来、役得の得られるポストめがけて、雲霞の如くに集中的に群がるのである。
100年前の人々は、自分の分に応じた生き方で満足していた。
ヨーロッパではごく普通に、パン屋の子はパン屋に、靴屋の子は靴屋に、大工の子は大工になるのが普遍的であって、日本でも明治維新まではそれが普通であった。
ところが明治維新で人々の潜在意識が大変革をしてしまって、従来の身分制度が全否定されたので、貧乏人の水飲み百姓でも高等教育を受ければ立身出世が可能だ、ということが白日の下に晒されてしまった。
その意味で、人々は自分の分に則って生きるという謙虚さを失ってしまって、目一杯、自分の至福を追いかけるという人間本来の野生のままというか、煩悩のままの生きる道を選んだということになる。
そこで本来ならば文学とか哲学とか芸術というものが、有閑層の慰みの思考であったならば、意識改革を成した庶民階層に対して、文明人としての立ち居振る舞いを説く行動を起こさねばならなかった。
西洋でならばノブレス・オブリージ、日本ならば武士道というものを庶民に解いて聞かせねばならなかったが、明治維新という変革の時期には、そういう精神的なインテリ―が日本にはいなかったと考えられる。
この「学問さえ積めば立身出世も意のままだ」という妄想は、我々日本人だけのものではなく、今では世界的に一般化した幻想になっている。
この地球上のあらゆる地域、国家、民族で、教育の向上が至上命令になっている感がするが、そうそう猫も杓子も高等教育を施す必要はないと思う。
教育は無いよりは有るに越したことはないが、教育といえども高等教育ともなればタダで出来る事ではないわけで、当然の事、費用対効果ということも考えねばならない。
日本のみならずアメリカでも中国でも、教育が一種の産業になっている感があり、「何々大学卒業」という紙切れが免罪符になっていて、それが金で売買されているのが現状である。
モノ作りの現場で額に汗して働いている人たちは、その大部分は高等教育を受ける間もなく、実社会に放り出されているので、その立ち居振る舞いは粗雑で気の利いた話しぶりはできないかもしれないが、そういう人たちも心の奥底では、自分の息子や娘たちには楽して儲けれる手段・手法を身につけさせてやりたい、という願望は持っている筈である。
つまり、私立の大学にでも入れてやれば、金を掛けただけの利得はあるに違いない、と思って学費を工面して子弟を進学させている人もいると思う。
私立大学にとっては、そういう人こそカモなわけで、私立大学という企業からすれば、学生がその後どういう軌跡を歩もうが、金さえ盗ってしまえばカモに用はない。
この世の中に学歴願望がある限り、私立大学という集金マシーンは根絶できないであろうと思う。
その集金マシーンが教育を旗印にしている限り、それを糾弾する動きは難しく、高等教育という大義の中で、一番学問として存在感のあるのが、哲学であり、経済学であり、文学である。
ところが、こういう学問はいわば口先の学問で、実習も実験もいらないわけで、ただ黒板とチョークがあればそれで成り立つ。
私立大学という集金マシーンにとっては最も設備投資の掛からない部門である。
私立大学という集金マシーンの中で、高い月謝を収めて4年間も、何をどう学んで、それを社会にどう生かすか、ということを考えているのであろうか。
こう考えると、私立大学というのも街中のパチンコ屋と何等変わらないように思えてならない。
だがこれが日本だけではなく、アメリカでも中国でも、その他の国でも同じように起きているわけで、世界的な現象になっている。
しかし、これは21世紀の今の現象であるが、問題は此処まで来る間に、日本の学問の在り様は一体どうなっていたのかということである。
金儲け主義の私立大学の設立に、日本の知識階層はどうコミットしてきたのかという点が大問題である。
日本の少子化というのはもう明らかになっていたし、日本の学問の世界の中のポジションも判っていたわけで、そういう現実に対して日本の知識階層はどういう問題意識で見ていたのかという点が最も大きな争点だと思う。
私は哲学とか、経済学とか、文学とか、法学とか、芸術などというものが、人間の生存に貢献する何ものも持ち合わせていないと考えている。
人間の生存にいささかなりとも貢献しうる行為は、やはりモノ作りに限定されると思う。
モノ作りの中には、当然のこと、農業を始めとする、漁業、林業も含んでいて、いわゆる一次産業を指しているつもりである。
明治維新以降の我々同胞は、術らくこの一次産業から逃げだすことを願って、高等教育を受けて、それを立身出世の踏切板として、第3次産業、第4次産業に就くことを夢見ていたということだ。
こういう我々同胞の潜在意識、あるいは時流に対して、文学や芸術は如何なる貢献をし得たのであろう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』あるいは『坊ちゃん』という小説は、日本人に対していかなる社会的革新を持たらしたのであろう。
志賀直哉の『暗夜行路』は、我々に如何なる意識改革をもたらしたのであろう。
伊東深水の絵は我々に何を覚醒させたのであろう。
こう考えてみると、文学とか芸術というのは、人々の生き方の参考になるようなインパクトは何一つ持たないわけで、ただただ一瞬の心の揺らぎを喚起するだけで、有っても無くても誰もがいささかも困らないという存在でしかない。
ならば社会のゴミ的な存在ということになる。私自身は昔からそう思っている。
ただ資本主義の社会では、如何なることでも金になる工夫をしなければ生きていけれないわけで、先に述べた教育産業も、卒業証書という免罪符を乱発することによって私立大学というものが成り立っているわけで、それは企業の生き残り作戦としてあるのである。
それと同じ意味で、文学も、文学というものは気高いもので、創造力を涵養し、知的好奇心を満たし、自分が如何にも立派で教養深い人間であるかのように見せる小道具としては存在価値があるわけで、実態は何もないカオスに過ぎない。
こういう風に、文字を連ねて美辞麗句でゴテゴテに着飾った文章を発表すると、世間では立派な作品だともてはやすので、その事によって本の拡販に貢献でき、それが出版社の利益に直結するのである。
このように本の拡販に成功するように様々な賞を作って、その賞に入選するというポーズで以て、作品の付加価値を高め、本の販売の実績を上げているのである。
何なに賞に入賞したという作品は、本の販売実績の向上に貢献したことは事実であって、それは必ずしも作品の実際の評価を表すものではなくて、販売戦略の一環であったということも十分ありうる。
文学者とか芸術家という人が普通の人よりも崇められるのは、こういう人たちは自分から情報を発信し続けているが、普通の人はそういう事はありえないわけで、常に情報の受け手に甘んじざるを得ないので、どうしても発信する側にコンプレックスを感じ、相手を実態以上に大きく見がちになる。
ゴテゴテに飾った文章という意味では、この本の先の方で、2・26事件の蹶起文や、首謀者の一人栗原中尉の遺書の全文が記載されているが、その言葉の豊富さというか、修飾語の使い方の妙というか、美辞麗句の羅列というか、こういう文章はとてもではないが我々には書けない文体である。
この時代の人には、あの文章がすらすらと脳裏に反映したかもしれないが、我々には意味不明とも取れるほど難解な文章である。
2・26事件は昭和11年の出来事で、今から76年前のことであるが、この本に登場する栗原中尉は、28歳でこのにぎにぎしい遺稿を書いたわけで、その文学的素養を我々は今どう考えたらいいのであろう。
これの文章を今の時代に読むと、同じ日本文でありながらとてもすらすらと普通には読めない。
言葉が時代と共に変化するのは日本だけの事ではなく、あらゆる国、あらゆる民族で普遍的な事であろうが、古い言葉を時代を経てから読むということは、今ある知識の上にもう一段と昔の知識を積み重ねなければならないので、それだけ余分なエネルギーが必要ということになる。
ここで私が不思議に思えてならないことは、栗原中尉というのは軍人でありながら、軍人のグループがこういう蹶起文を書き、その軍人の一人がこういう遺稿を認めたわけで、ということは当時の軍人、いわゆる青年将校と言われる人たちは、こういう教養と知性を共有していたということになるが、これは実に驚くべきことだと思う。
私メの俗な言い方をすれば、実に頭の良い優秀な連中だった、という評価になる。
事実、彼らは頭が良く、頭脳明晰であったが故に、当時の政治家、経済界、軍部のトップの所業が我慢ならなかったに違いない。
これは戦後の全共闘世代にも通じることであって、頭が良くて政治的に早熟であると、理念理想を追い求める欲求が先走ってしまって、現実を直視することが疎かになる。
手順を踏んだ変革では飽き足らなくて、早急に理念理想を実現しよとするあまり、違法行為に走り、官憲に追い回されるような不手際を演じ、最終的には世間を敵に回すということになってしまう。
そういう世の中は基本的には政治の堕落であって、政治がしっかりしておれば、国の未来が揺らぐということはありえないはずである。
ところが国家の存立というのも、川の中の流れに翻弄される浮草のようなもので、自分だけがいくらしっかりしているつもりでも、周囲の状況が時の経過とともに変化するので、自分もそれに合わせねばならないことが往々にしてある。
大きな河に浮いた浮草が、「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と聞くと、ふらふらとこっちにすり寄ってくる。
そこで今までの利害得失に変化が起きるわけで、その時の利害得失が国民の各層でそれぞれに違っているので、この場面で意見が一致することがなく、国論は二分され、上へ下へと大騒ぎになる。
ところが、それを一つに収斂すべきが政治家の役目であるが、それをし得ない政治家が多すぎるので、軍部が政権を握ることになり、21世紀では火星人が政治の困窮を展開することになるのである。
ここで政治家が国の舵取りが出来ないという状況は、その民族なり、その国家の統治能力の問題なわけで、それこそがその国の強さであり、覇権であり、国力の表れなのである。
こういう場面で政治家が統治能力を欠くから、政治家に変わって軍人が出てきたり、党が出てくるのである。
我々は昔から「モノ作りには長けているが、政治は3流」と言われていることは、世界は日本民族をよく見ているということで、言われても当然である。
そこで我々は己の姿を鏡に写して、よくよく自分の本質を掘り下げて、自分の本質にマッチした進むべき道を戦略的に探究しなければならない。
だが我々は過去において、高等教育をそれなりに充実させてきたので、高学歴の人々、いわゆるインテリ―層の厚み、知識人が多くいるので、意見はなかなか一つに集約しきれない。
まさに「船頭多くして舟山に登る」ということになって、右に行こうとすれば危険だというし、左に行こうとすれば末世というし、上に行こうとすれば落ちるというし、下に行こうとすれば沈むというし、それぞれに一家言あるわけで、結局決まらないというわけで、決まらないまま流れているのが今の日本である。
発刊まもない新刊書であった。
『孫文の机』というからには、孫文の中国革命、辛亥革命の事でも書いてあるのかと思って胸を躍らせてひも解いてみたら完全に期待はずれであった。
それでも孫文が使っていたという由緒ある机が、まわりまわって著者の関心を引いたということであって、読み始めると2・26事件の記述が詳細に書かれていたので、これは昭和史の深層をえぐる新事実でも出るのではないか、と期待を新たにしてみたが、それも詮無いことであった。
羊頭狗肉、上げ底の土産物と言った感じで、読み進むにつれてますます興が覚めていってしまった。
途中、足尾銅山の公害の話が出てきたので、ここでも社会の矛盾を鋭く突く記述に展開するかと思ったら肩透かしで、詩人と絵描きの話になってしまった。
私は高等教育を受けていないという僻みもあって、文学者とか芸術家という人たちを尊敬する気にはなれない。
その反対に、ノーベル賞を受賞するような科学者には、心から畏敬の念を惜しまない。
ただしここでも文学者という範疇の人は、私にとっては何の価値もない事に代わりは無い。
言うまでもない事であるが、人間はたった一人でこの世に生存しきれないわけで、他者との連携なしでは人間そのものが生存しきれない。
この現実を考えると、人々はモノを作る人、今流の言い方をすれば、製造業としての農家、魚民、それらの仕事をフォローすべく彼らの道具や漁具を作る職人たちこそ、人々から慕われ、尊敬され、畏敬の念を以て崇められて当然ではないかと思う。
ところが人類の誕生以来、具体的に人のために仕事する、人の仕事を支援する道具を作る人々は、モノを相手に仕事をしているわけで、どうしても対人関係には気を配ばないので、立ち居振る舞いが粗雑であるが故に、下品とか賤しいという価値観で見られがちである。
それに反して、花鳥風月を愛でるような環境の人たちは、今でいう富裕層なわけで、モノに立ち向かって肉体をぶつける肉体労働とは隔絶された位置にいるので、お互いに仲間内で寄り集まっては、ああでもないこうでもないと言葉を交わして、会話を楽しんでいる。
西洋でも日本でも、文学、芸術、哲学という学問というか人文科学というか、こういう範疇の形態は、いわゆる有閑層の占有物であったわけで、下層階級の者にとっては、そういう物を鑑賞する立場にはなり得なかった。
人間の過去の歴史において、人がモノを作るという行為は、下層階級の生業であったわけで、富裕なものが下層な人に命じて作らせたわけで、下の者は上から命じられるままに、依頼主の意向に沿うものを作っていた。
しかし、モノを作るという行為は、無意識のうちに創意工夫があるわけで、作る本人が少しでも楽がしたいがために、少しばかり工夫を凝らすと其れを今日の言葉で言い表せば「合理化」ということになる。
人類は太古の昔から、額に亜汗して働く人を卑下し、口先だけの綺麗ごとを言って人を誑かす人を畏敬の念を以て崇め奉るが、これは基本的に人間の業でしかなく、本当の人類愛があるとするならば、そういう世間一派の風潮は糾弾されて然るべきだと思う。
これは人類が生存にとって大矛盾なわけで、「戦争は悲惨だから止めましょう」と言いつつ戦争を根絶できないのと同じで、人は楽して金儲けが出来、役得の得られるポストめがけて、雲霞の如くに集中的に群がるのである。
100年前の人々は、自分の分に応じた生き方で満足していた。
ヨーロッパではごく普通に、パン屋の子はパン屋に、靴屋の子は靴屋に、大工の子は大工になるのが普遍的であって、日本でも明治維新まではそれが普通であった。
ところが明治維新で人々の潜在意識が大変革をしてしまって、従来の身分制度が全否定されたので、貧乏人の水飲み百姓でも高等教育を受ければ立身出世が可能だ、ということが白日の下に晒されてしまった。
その意味で、人々は自分の分に則って生きるという謙虚さを失ってしまって、目一杯、自分の至福を追いかけるという人間本来の野生のままというか、煩悩のままの生きる道を選んだということになる。
そこで本来ならば文学とか哲学とか芸術というものが、有閑層の慰みの思考であったならば、意識改革を成した庶民階層に対して、文明人としての立ち居振る舞いを説く行動を起こさねばならなかった。
西洋でならばノブレス・オブリージ、日本ならば武士道というものを庶民に解いて聞かせねばならなかったが、明治維新という変革の時期には、そういう精神的なインテリ―が日本にはいなかったと考えられる。
この「学問さえ積めば立身出世も意のままだ」という妄想は、我々日本人だけのものではなく、今では世界的に一般化した幻想になっている。
この地球上のあらゆる地域、国家、民族で、教育の向上が至上命令になっている感がするが、そうそう猫も杓子も高等教育を施す必要はないと思う。
教育は無いよりは有るに越したことはないが、教育といえども高等教育ともなればタダで出来る事ではないわけで、当然の事、費用対効果ということも考えねばならない。
日本のみならずアメリカでも中国でも、教育が一種の産業になっている感があり、「何々大学卒業」という紙切れが免罪符になっていて、それが金で売買されているのが現状である。
モノ作りの現場で額に汗して働いている人たちは、その大部分は高等教育を受ける間もなく、実社会に放り出されているので、その立ち居振る舞いは粗雑で気の利いた話しぶりはできないかもしれないが、そういう人たちも心の奥底では、自分の息子や娘たちには楽して儲けれる手段・手法を身につけさせてやりたい、という願望は持っている筈である。
つまり、私立の大学にでも入れてやれば、金を掛けただけの利得はあるに違いない、と思って学費を工面して子弟を進学させている人もいると思う。
私立大学にとっては、そういう人こそカモなわけで、私立大学という企業からすれば、学生がその後どういう軌跡を歩もうが、金さえ盗ってしまえばカモに用はない。
この世の中に学歴願望がある限り、私立大学という集金マシーンは根絶できないであろうと思う。
その集金マシーンが教育を旗印にしている限り、それを糾弾する動きは難しく、高等教育という大義の中で、一番学問として存在感のあるのが、哲学であり、経済学であり、文学である。
ところが、こういう学問はいわば口先の学問で、実習も実験もいらないわけで、ただ黒板とチョークがあればそれで成り立つ。
私立大学という集金マシーンにとっては最も設備投資の掛からない部門である。
私立大学という集金マシーンの中で、高い月謝を収めて4年間も、何をどう学んで、それを社会にどう生かすか、ということを考えているのであろうか。
こう考えると、私立大学というのも街中のパチンコ屋と何等変わらないように思えてならない。
だがこれが日本だけではなく、アメリカでも中国でも、その他の国でも同じように起きているわけで、世界的な現象になっている。
しかし、これは21世紀の今の現象であるが、問題は此処まで来る間に、日本の学問の在り様は一体どうなっていたのかということである。
金儲け主義の私立大学の設立に、日本の知識階層はどうコミットしてきたのかという点が大問題である。
日本の少子化というのはもう明らかになっていたし、日本の学問の世界の中のポジションも判っていたわけで、そういう現実に対して日本の知識階層はどういう問題意識で見ていたのかという点が最も大きな争点だと思う。
私は哲学とか、経済学とか、文学とか、法学とか、芸術などというものが、人間の生存に貢献する何ものも持ち合わせていないと考えている。
人間の生存にいささかなりとも貢献しうる行為は、やはりモノ作りに限定されると思う。
モノ作りの中には、当然のこと、農業を始めとする、漁業、林業も含んでいて、いわゆる一次産業を指しているつもりである。
明治維新以降の我々同胞は、術らくこの一次産業から逃げだすことを願って、高等教育を受けて、それを立身出世の踏切板として、第3次産業、第4次産業に就くことを夢見ていたということだ。
こういう我々同胞の潜在意識、あるいは時流に対して、文学や芸術は如何なる貢献をし得たのであろう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』あるいは『坊ちゃん』という小説は、日本人に対していかなる社会的革新を持たらしたのであろう。
志賀直哉の『暗夜行路』は、我々に如何なる意識改革をもたらしたのであろう。
伊東深水の絵は我々に何を覚醒させたのであろう。
こう考えてみると、文学とか芸術というのは、人々の生き方の参考になるようなインパクトは何一つ持たないわけで、ただただ一瞬の心の揺らぎを喚起するだけで、有っても無くても誰もがいささかも困らないという存在でしかない。
ならば社会のゴミ的な存在ということになる。私自身は昔からそう思っている。
ただ資本主義の社会では、如何なることでも金になる工夫をしなければ生きていけれないわけで、先に述べた教育産業も、卒業証書という免罪符を乱発することによって私立大学というものが成り立っているわけで、それは企業の生き残り作戦としてあるのである。
それと同じ意味で、文学も、文学というものは気高いもので、創造力を涵養し、知的好奇心を満たし、自分が如何にも立派で教養深い人間であるかのように見せる小道具としては存在価値があるわけで、実態は何もないカオスに過ぎない。
こういう風に、文字を連ねて美辞麗句でゴテゴテに着飾った文章を発表すると、世間では立派な作品だともてはやすので、その事によって本の拡販に貢献でき、それが出版社の利益に直結するのである。
このように本の拡販に成功するように様々な賞を作って、その賞に入選するというポーズで以て、作品の付加価値を高め、本の販売の実績を上げているのである。
何なに賞に入賞したという作品は、本の販売実績の向上に貢献したことは事実であって、それは必ずしも作品の実際の評価を表すものではなくて、販売戦略の一環であったということも十分ありうる。
文学者とか芸術家という人が普通の人よりも崇められるのは、こういう人たちは自分から情報を発信し続けているが、普通の人はそういう事はありえないわけで、常に情報の受け手に甘んじざるを得ないので、どうしても発信する側にコンプレックスを感じ、相手を実態以上に大きく見がちになる。
ゴテゴテに飾った文章という意味では、この本の先の方で、2・26事件の蹶起文や、首謀者の一人栗原中尉の遺書の全文が記載されているが、その言葉の豊富さというか、修飾語の使い方の妙というか、美辞麗句の羅列というか、こういう文章はとてもではないが我々には書けない文体である。
この時代の人には、あの文章がすらすらと脳裏に反映したかもしれないが、我々には意味不明とも取れるほど難解な文章である。
2・26事件は昭和11年の出来事で、今から76年前のことであるが、この本に登場する栗原中尉は、28歳でこのにぎにぎしい遺稿を書いたわけで、その文学的素養を我々は今どう考えたらいいのであろう。
これの文章を今の時代に読むと、同じ日本文でありながらとてもすらすらと普通には読めない。
言葉が時代と共に変化するのは日本だけの事ではなく、あらゆる国、あらゆる民族で普遍的な事であろうが、古い言葉を時代を経てから読むということは、今ある知識の上にもう一段と昔の知識を積み重ねなければならないので、それだけ余分なエネルギーが必要ということになる。
ここで私が不思議に思えてならないことは、栗原中尉というのは軍人でありながら、軍人のグループがこういう蹶起文を書き、その軍人の一人がこういう遺稿を認めたわけで、ということは当時の軍人、いわゆる青年将校と言われる人たちは、こういう教養と知性を共有していたということになるが、これは実に驚くべきことだと思う。
私メの俗な言い方をすれば、実に頭の良い優秀な連中だった、という評価になる。
事実、彼らは頭が良く、頭脳明晰であったが故に、当時の政治家、経済界、軍部のトップの所業が我慢ならなかったに違いない。
これは戦後の全共闘世代にも通じることであって、頭が良くて政治的に早熟であると、理念理想を追い求める欲求が先走ってしまって、現実を直視することが疎かになる。
手順を踏んだ変革では飽き足らなくて、早急に理念理想を実現しよとするあまり、違法行為に走り、官憲に追い回されるような不手際を演じ、最終的には世間を敵に回すということになってしまう。
そういう世の中は基本的には政治の堕落であって、政治がしっかりしておれば、国の未来が揺らぐということはありえないはずである。
ところが国家の存立というのも、川の中の流れに翻弄される浮草のようなもので、自分だけがいくらしっかりしているつもりでも、周囲の状況が時の経過とともに変化するので、自分もそれに合わせねばならないことが往々にしてある。
大きな河に浮いた浮草が、「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と聞くと、ふらふらとこっちにすり寄ってくる。
そこで今までの利害得失に変化が起きるわけで、その時の利害得失が国民の各層でそれぞれに違っているので、この場面で意見が一致することがなく、国論は二分され、上へ下へと大騒ぎになる。
ところが、それを一つに収斂すべきが政治家の役目であるが、それをし得ない政治家が多すぎるので、軍部が政権を握ることになり、21世紀では火星人が政治の困窮を展開することになるのである。
ここで政治家が国の舵取りが出来ないという状況は、その民族なり、その国家の統治能力の問題なわけで、それこそがその国の強さであり、覇権であり、国力の表れなのである。
こういう場面で政治家が統治能力を欠くから、政治家に変わって軍人が出てきたり、党が出てくるのである。
我々は昔から「モノ作りには長けているが、政治は3流」と言われていることは、世界は日本民族をよく見ているということで、言われても当然である。
そこで我々は己の姿を鏡に写して、よくよく自分の本質を掘り下げて、自分の本質にマッチした進むべき道を戦略的に探究しなければならない。
だが我々は過去において、高等教育をそれなりに充実させてきたので、高学歴の人々、いわゆるインテリ―層の厚み、知識人が多くいるので、意見はなかなか一つに集約しきれない。
まさに「船頭多くして舟山に登る」ということになって、右に行こうとすれば危険だというし、左に行こうとすれば末世というし、上に行こうとすれば落ちるというし、下に行こうとすれば沈むというし、それぞれに一家言あるわけで、結局決まらないというわけで、決まらないまま流れているのが今の日本である。