例によって図書館から借りてきた本で、『文民統制』という本を読んだ。
サブタイトルには「自衛隊はどこへ行くのか」となっているが、著者は纐纈厚という学者である。
学者であるから極めて明確に反体制、反政府、反自衛隊というポーズを鮮明にしての論旨であるので、それはそれなりに意義のある内容である。
だが少々新鮮さに欠けていて、2005年の発行では旬の時期はとうに過ぎているわけで、いささかタイミングを逸した記述だ。
しかし、学者らしく言葉の定義から解きほぐしているが、この言葉の定義というのも実に低次元のものでしかない。
シビリアン・コントロールのシビリアンは一体何なんだ、というところから掘り起こしているが、こういうアプローチそのものが議論の組み立ての幼稚さを指し示していると思う。
以前、日米安保の議論の時、「極東の範囲」ということで国会が紛糾したことがあるが、こういう幼稚な議論は日本の政治の堕落そのものである。
自衛隊という武力集団のトップに内閣総理大臣を据える、という現行体制そのモノがすでに立派なシビリアン・コントロールになっているではないか。
昭和の初期の時代には東条英機という軍人が総理大臣を務め、その時にアメリカとの開戦になったので、そのトラウマから戦後は自衛隊という武力集団のトップは、非軍人の内閣総理大臣が務めることになった。
戦後の日本で、あるいはこれから先の日本で、自衛隊の幹部が内閣総理大臣になる可能性が考えられるであろうか。
内閣総理大臣は軍事とか、安全保障以外にも様々な決済事項を抱えているわけで、当然その下にはそれを専門の所管する防衛庁、今では省に昇格して防衛省になり防衛大臣を拝するまでになった。
行政の組織としては、大臣の下に大臣を補佐するスタッフを置くことは充分に考えられることで、防衛庁にも内局という部門と、実施部隊の峻別というのは当然あった。
どこの国家でも、軍という組織は戦うことに特化したグループであって、その意味では特殊な集団であり、技能を持ったグループであり、武器を携行した実力部隊であることに代わりは無い。
戦後の自衛隊は、先の戦争の体験がトラウマとなって、その創設の時は内務省の管轄下で警察の延長線上の組織として考えられていた。
普通の主権国家の軍隊ならば、軍に関する人事権、補給の調整、予算に関して、直接軍籍にあるものがそのままタッチできるが、戦後の自衛隊はその部分が一般の公務員、要するに背広組が行っていた。
だが、この背広組は実施部隊の実情に疎いものだから、いろいろと齟齬が生じるわけで、それが制服組のストレスになって、制服組が背広組を疎ましく思いつつあるのがケシカランという論旨である。
ここに大学教授というような知識人の奢りがあるわけで、自衛隊の制服組に対する偏見があって、自衛隊で制服を着ているものは、人殺がしたくてしたくてたまらない連中だ、という誤認がある。
その誤認を自ら正そうとせず、間違った思い込みのまま論議を推し進めるのである。
それは戦前の我々の同胞が、社会の上の方の、あるいは組織の上の方の人の言う事を鵜呑みにした構図と瓜二つで、そういう人の言葉を自分の頭で以て斟酌せず、鵜呑みして社会の上の方に、あるいは組織の上の方に忠実たらんとしたからに他ならない。
天皇陛下の御真影を遥拝して戦争に勝てるわけがないではないか。
天皇陛下が現人神であるわけがないではないか。
誰がそんなことを普通に常識のある社会人や、理性的であるはずの学生に無理強いして教え込ましたのだ。
それを黙って受け入れる方もどうかしているが、ましてそれに忠実たらんと従った、向こう3軒両隣リの近隣同胞の存在も、今から思うと不可解千万である。
昭和の初期の日本がこういう状況に陥ったのは、明らかに政治の腐敗堕落であったわけで、政治が腐敗し、政治家が堕落したから軍人が政治を牛耳ったわけで、政治家がきちんと政党政治を全うしておれば、軍人がその隙に出てくることはなかったはずである。
では何故政治家が堕落し、軍人をのさばらせる状況に至ったかといえば、その理由は我々日本民族は政治の本質を未だに理解し切れてい、ということだと思う。
つまり我々の過去の歴史、明治維新までの歴史では、普通の市民、すなわち市井の庶民が政治をした経験が無いわけで、それまでの政治は武家か皇室のものであった。
明治維新になって一般の庶民から選出した代議員によって政治が行われるようになったが、一般の庶民から選出された代議員も、国の舵とりをした経験は無いわけで、何をどう決すればいいか皆目わからなかったに違いない。
2大政党制になって、健全な議論を積み重ねようとしても、今までに自分たちに統治という経験がないものだから、相手を舞台から引きづりおろして、自分がそれにとって代わるぐらいの事しか思いつかなかったのである。
軍人をのさばらせるきっかけになったのが、ロンドン軍縮会議において全権団が艦船の保有率を決めてきたことに対して、「統帥権の干犯だ」と鳩山一郎が騒いだことにある。
これは明らかに彼のスタンドプレーであって、人気取りのパフォーマンスでしかなかったが、政党政治はこれによって死滅してしまったのである。
鳩山家というのは3代にわたって日本の政治を混沌の渦に巻き込んだ家系で、世が世ならば獄門磔に処せられるほどの日本民族の敵である。
政友会と民政党の意味のない言葉狩りの典型的なものが統帥権干犯問題であったわけで、我々の場合2大政党の議論が双方の言葉狩りに終わってしまうところが討論のテクニックの未熟な部分である。
論理的に考えれば、政府から全権を委任されて交渉に臨めば、野党であろうともその条約は順守されるべきものであるし、それは天皇の権利としての統帥権を犯すものでないことは当然なわけで、 にもかかわらず相手の党を引きづりおろす為に執拗にそれを強調したわけである。
そこには正常な判断力が欠如していたわけで、その隙に軍人が主導権を押し込んできたのである。
政治家の堕落ということは、普通に常識のあるものが、普通に考えれば、今までとは変わった在り様になる筈がないのに、ある時、この普通ということがマヒしてしまって、普通でなくなってしまうのである。
その後日中戦争が進化してくると、ますます軍人に依拠する部分が多くなって、軍人が政局をフォローするのに、それを後押しするような形になってしまった。
大政翼賛会は軍人の強制で政党がそういう体制になったわけではなく、政党の方から軍部にすり寄って、政党の空中分解という態様になってしまったのである。
これはひとえに政党側の堕落の結果であって、その堕落の行き着いた先が、日本全国津々浦々にわたる軍国主義であった。
政府から全権を委任された交渉団が、交渉を締結して帰ってきたら、天皇の統帥権を干犯したという論理は、普通に考えれば有り得な話で、政治家たるものがこの軍部の横車をそのまま容認するということは、政治家足り得ないということだ。
だから政治家の瑕疵の部分を軍人・軍部がカバーしたわけで、その間当時の日本の国会議員は一体何をしていたのかということに尽きる。
あの戦時中にも日本の国会は完全に機能していたわけで、開戦の時の総理大臣東条英機は、ミッドウエー海戦の敗北で以て引責辞任したが、国会はきちんと機能していた筈である。
大本営の戦況報告は天皇に対しても、国会議員に対しても、国民に対しても嘘を言っていたわけで、それを是正できなかった政治家は一体何をしていたのかと言う事になる。
あの頃、軍人の中の跳ね上がりで政治感覚の欠落した若者が一方的な思い込みで蹶起する風潮があったことは大いに認めざるを得ないが、それをコントロールすべきが世の識者であり、組織のトップであり、政治家の使命であった筈である。
軍人の中の若手将校と言われる無鉄砲な連中が、前後の見境もなく過激な行動、つまりテロに走る状況を鑑みて、そのテロが恐ろしくてこういうリーダー的な地位にいる人たちが、自分の発言に尻込みした結果が軍人の跋扈を招いたと考えられる。
中国戦線では赤紙一枚で招集された将兵が血みどろの戦をしている最中に、暖衣飽食でのうのうと生きている内地のリーダーが、テロに怯えて言いたいことも言わず、筋の通った論議もせず、バカな軍人の言うがままになった政治家を、我々はどう考えればいいのであろう。
大本営の発表、ミッドウエー海戦の敗北を、当時の日本人は皆、日本側の勝利と聞かされていたというが、この欺瞞は一体どういう事なのであろう。
軍部の中からも、海軍の中からも、その結果に対する疑問というものは一切封殺されたということだが、こういう大日本帝国海軍が、時を経ずして海の藻屑と消えるのも極めて自然の摂理だと思う。
こういう愚かな軍を使いこなす政治が、シビリアン・コントロールであって、アジアに生息する諸民族の間では、普遍的に文民が野蛮な武人を使いこなすという思考が根付いていて、ものの考え方の基底には潜在意識としてこの発想が潜んでいる。
中国でも、朝鮮でも、君主が人々を統治するシステムとしては、文武両道を使い分けている。
その中でも文官の方に重きが置かれて、戦を専門とする武人、武士、防人というレベルの人々は一段下に見られるのが普遍的であった。
あくまでも政治の道具、統治の尖兵であって、文官はこういうレベルの人が政治の前面に出ることを忌み嫌うものである。
ところが昭和の初期の我々の政治家は、その根本理念を投げ捨ててしまって、愚かな軍人に政治の一切合財を投げつけてしまったということだ。
政治家として、未完の制度とはいえ国民の一部の選択を経た国会議員が、自分たちの鼻面をサーベルの音をチャラチャラさせて闊歩する青年将校に震え上がってしまって、そこで思考停止になってしまったことでシビリアン・コントロールが雲散霧消してしまったということだ。
我々日本民族の政治感覚は、その稚拙さにおいてつとに有名で、その稚拙さの元にある要因は、我々は言論というものの価値を認めないという点にあると思う。
我々日本民族というのは、比較的単一民族で、以心伝心という言葉もあり、男とは「黙って何とかビール」というコマシャルにもあるように、寡黙に価値を見出す習性があるので、口から唾を飛ばしながら声高に議論する有様を卑下する風潮がある。
ところが民主政治というのは究極の言葉の戦争なわけで、黒を白と言いくるめ、赤を黒と言いくるめる技が問われるわけで、そういう技量も才覚も我々には備わっていないので、国内の政治では嘘が罷り通り、異民族に関しては相手のごり押しに押されてしまうのである。
我々日本民族というのは極めて単一民族に近いので、他の民族との接触の経験に乏しいものだから、他の民族もみな自分たちと同じ思考回路で物事考えると思い違いする傾向がある。
「友達の友達は友達だ」という心理であって、「人はみな兄弟」という発想であるが、世の中はそんなに甘いものではない。
政治の局面において、今の時点で、あるいはその時点で解決を迫られている事柄に関しては、国全体として与党も野党も立場の相違というのはありえないはずである。
尖閣諸島の問題に関んして、与党も野党も立場の相違がないとなると、ならば両方を一緒にして大政翼賛会でもいいではないかという事になる。
これが戦前の日本の政治状況であって、その意味であの戦争の意義は、当時の日本の民族としての総意であったと私は思う。
人間の歴史の中で、統治のシステムとして文官と武官、武士との峻別は普遍的なものであって、戦を、つまり戦争を専門とするセクションは文官よりも低く見るのが、人類の普遍的な思考であったわけだ。
ところが我々の場合、文官つまり政治家が堕落していたので、きちんと武官、戦の専門家を統御しきれなかったため、軍国主義の蔓延となってしまったのである。
この本の趣旨は、防衛省には背広組と制服組があって、背広組が制服組の行動を縛っているので、制服組が反発するようになったので、シビリアン・コントロールが危機に瀕しているという論調であるが、この論旨には非常に偏見に満ちた視点だ。
制服組、つまり実質上の武力集団としての自衛隊を完全な人畜無害の集団のままにしておこうという意図のもとにこの本が編まれている。
この世のあらゆる組織にはラインとスタッフという仕事の役割分担というものはある。
組織の、組織としての究極の目的を追求し、実施し、遂行するラインと、そのラインを補佐するスタッフという部門があるのは組織としての普遍的なパターンだと思う。
防衛庁の中の背広組というのは、このスタッフに相当する位置付けだと思うが、ラインを補佐するスタッフが、ラインのことを何も知らないままでは有効な支援はありえない。
だから軍の組織としては、このスタッフにも軍人を配置するのが普通の思考であるが、日本の場合は自衛隊の成り立ちからして、他の国の軍隊とは異質なわけで、その部門に文民、文官がなっていた。
この著者は、この事自体をシビリアン・コントロールと認識しているようだが、まさしく盲人が像を撫ぜる構図と同じで、ラインとスタッフの考え方が合わないのも当然の成り行きになる。
この関係は、両方が車の両輪のように、本体のめざす指向に対して、足並みがきちんと揃ってこそ、組織の機能が万全となるわけで、それがちぐはぐでは前に進めないのも当然の帰結である。
シビリアン・コントロールの本質は、、この武力集団のラインとスタッフの身分に関わる問題ではなく、この組織の上に立って、それを有効にかつ迅速に動かすべく采配を振るうものが政治家であれねばならないということを指し示しているのである。
政治的決断によって軍隊が動くべきものであって、軍隊が勝手に動いてしまってはならないわけで、そうさせないためには政治家がきちんと軍の手綱を握りしめて、軍が勝手な行動をしないように監視しなければならない。
日本が戦争という奈落の底に転がり落ちた最大の理由は、政治家がテロの恐怖に怯えて自分たちの使命を放棄して、口をつぐみ、言うべきことを言わずに、時勢にすり寄った点にあった。
ここでも我々は言論による戦いが極めて稚拙で、例の美濃部達吉の『天皇機関説』でも、斉藤隆夫の粛軍演説でも、事件の初めのころには当人たちに大いに共感を覚えながら、事件が熾烈化してくると口をつぐみ、自分に振りかかる火の粉を振り払う仕儀に至るわけで、最終的には衆愚に阿ね日和見に徹し、みんな一緒に奈落の底に転がり落ちたということになったのである。
気が付いてみると軍部に騙されたということになるが、その軍部に一生懸命協力してきたことを忘れてしまって、騙されたという結果だけを言い立てても何の役にも立たない。
騙されまいと自助努力した人を非国民と言って差別し、蔑視してきた報いでもあるわけだ。
昨年の3月11日に東日本大震災が起きて、東京電力の福島第1原子力発電所の原子炉がメルトダウンして、放射能が周辺地域に飛び散って大惨事を呈した。
これは地震による災害に、東京電力の対応の不味さが重なって未曽有の被害を出したが、そのことによって日本の国民は原子力発電の危うさを身に染みて悟ったわけだ。
そうなってみると、日本全国津々浦々に至るまですべて原子力発電反対というムーブメントが湧きあがって、まさしく戦前の軍国主義の蔓延と構図が瓜二つになっているではないか。
国民、一般大衆、庶民というレベル、言い方を変えれば衆愚と言われる人間の塊が、そういう運動を起こすのならばまだなんとなく納得できるが、日本の知識階層や、ジャーナリストや、政治家がこぞって原子力発電反対の運動に馳せ参じるということは一体どういう事なのであろう。
放射能汚染のことを考えれば原子力発電など無いに越したことはないが、資源の何もない日本で、その後のエネルギー政策を考えた時、本当に原子力発電をゼロにして良いいものだろうか。
「地震によって原子力発電所が甚大な被害をこうむったから、もうそういう危険な物はいりません」とあまりにも短兵急に片付けてもいいものだろうか。
こういう場面で、日本の知識人や、ジャーナリストや、政治家や、大学教授というオピニオンリーダーたるべき人たちが、皆が皆、同じ方向を向いてしまっていいものだろうか。
サブタイトルには「自衛隊はどこへ行くのか」となっているが、著者は纐纈厚という学者である。
学者であるから極めて明確に反体制、反政府、反自衛隊というポーズを鮮明にしての論旨であるので、それはそれなりに意義のある内容である。
だが少々新鮮さに欠けていて、2005年の発行では旬の時期はとうに過ぎているわけで、いささかタイミングを逸した記述だ。
しかし、学者らしく言葉の定義から解きほぐしているが、この言葉の定義というのも実に低次元のものでしかない。
シビリアン・コントロールのシビリアンは一体何なんだ、というところから掘り起こしているが、こういうアプローチそのものが議論の組み立ての幼稚さを指し示していると思う。
以前、日米安保の議論の時、「極東の範囲」ということで国会が紛糾したことがあるが、こういう幼稚な議論は日本の政治の堕落そのものである。
自衛隊という武力集団のトップに内閣総理大臣を据える、という現行体制そのモノがすでに立派なシビリアン・コントロールになっているではないか。
昭和の初期の時代には東条英機という軍人が総理大臣を務め、その時にアメリカとの開戦になったので、そのトラウマから戦後は自衛隊という武力集団のトップは、非軍人の内閣総理大臣が務めることになった。
戦後の日本で、あるいはこれから先の日本で、自衛隊の幹部が内閣総理大臣になる可能性が考えられるであろうか。
内閣総理大臣は軍事とか、安全保障以外にも様々な決済事項を抱えているわけで、当然その下にはそれを専門の所管する防衛庁、今では省に昇格して防衛省になり防衛大臣を拝するまでになった。
行政の組織としては、大臣の下に大臣を補佐するスタッフを置くことは充分に考えられることで、防衛庁にも内局という部門と、実施部隊の峻別というのは当然あった。
どこの国家でも、軍という組織は戦うことに特化したグループであって、その意味では特殊な集団であり、技能を持ったグループであり、武器を携行した実力部隊であることに代わりは無い。
戦後の自衛隊は、先の戦争の体験がトラウマとなって、その創設の時は内務省の管轄下で警察の延長線上の組織として考えられていた。
普通の主権国家の軍隊ならば、軍に関する人事権、補給の調整、予算に関して、直接軍籍にあるものがそのままタッチできるが、戦後の自衛隊はその部分が一般の公務員、要するに背広組が行っていた。
だが、この背広組は実施部隊の実情に疎いものだから、いろいろと齟齬が生じるわけで、それが制服組のストレスになって、制服組が背広組を疎ましく思いつつあるのがケシカランという論旨である。
ここに大学教授というような知識人の奢りがあるわけで、自衛隊の制服組に対する偏見があって、自衛隊で制服を着ているものは、人殺がしたくてしたくてたまらない連中だ、という誤認がある。
その誤認を自ら正そうとせず、間違った思い込みのまま論議を推し進めるのである。
それは戦前の我々の同胞が、社会の上の方の、あるいは組織の上の方の人の言う事を鵜呑みにした構図と瓜二つで、そういう人の言葉を自分の頭で以て斟酌せず、鵜呑みして社会の上の方に、あるいは組織の上の方に忠実たらんとしたからに他ならない。
天皇陛下の御真影を遥拝して戦争に勝てるわけがないではないか。
天皇陛下が現人神であるわけがないではないか。
誰がそんなことを普通に常識のある社会人や、理性的であるはずの学生に無理強いして教え込ましたのだ。
それを黙って受け入れる方もどうかしているが、ましてそれに忠実たらんと従った、向こう3軒両隣リの近隣同胞の存在も、今から思うと不可解千万である。
昭和の初期の日本がこういう状況に陥ったのは、明らかに政治の腐敗堕落であったわけで、政治が腐敗し、政治家が堕落したから軍人が政治を牛耳ったわけで、政治家がきちんと政党政治を全うしておれば、軍人がその隙に出てくることはなかったはずである。
では何故政治家が堕落し、軍人をのさばらせる状況に至ったかといえば、その理由は我々日本民族は政治の本質を未だに理解し切れてい、ということだと思う。
つまり我々の過去の歴史、明治維新までの歴史では、普通の市民、すなわち市井の庶民が政治をした経験が無いわけで、それまでの政治は武家か皇室のものであった。
明治維新になって一般の庶民から選出した代議員によって政治が行われるようになったが、一般の庶民から選出された代議員も、国の舵とりをした経験は無いわけで、何をどう決すればいいか皆目わからなかったに違いない。
2大政党制になって、健全な議論を積み重ねようとしても、今までに自分たちに統治という経験がないものだから、相手を舞台から引きづりおろして、自分がそれにとって代わるぐらいの事しか思いつかなかったのである。
軍人をのさばらせるきっかけになったのが、ロンドン軍縮会議において全権団が艦船の保有率を決めてきたことに対して、「統帥権の干犯だ」と鳩山一郎が騒いだことにある。
これは明らかに彼のスタンドプレーであって、人気取りのパフォーマンスでしかなかったが、政党政治はこれによって死滅してしまったのである。
鳩山家というのは3代にわたって日本の政治を混沌の渦に巻き込んだ家系で、世が世ならば獄門磔に処せられるほどの日本民族の敵である。
政友会と民政党の意味のない言葉狩りの典型的なものが統帥権干犯問題であったわけで、我々の場合2大政党の議論が双方の言葉狩りに終わってしまうところが討論のテクニックの未熟な部分である。
論理的に考えれば、政府から全権を委任されて交渉に臨めば、野党であろうともその条約は順守されるべきものであるし、それは天皇の権利としての統帥権を犯すものでないことは当然なわけで、 にもかかわらず相手の党を引きづりおろす為に執拗にそれを強調したわけである。
そこには正常な判断力が欠如していたわけで、その隙に軍人が主導権を押し込んできたのである。
政治家の堕落ということは、普通に常識のあるものが、普通に考えれば、今までとは変わった在り様になる筈がないのに、ある時、この普通ということがマヒしてしまって、普通でなくなってしまうのである。
その後日中戦争が進化してくると、ますます軍人に依拠する部分が多くなって、軍人が政局をフォローするのに、それを後押しするような形になってしまった。
大政翼賛会は軍人の強制で政党がそういう体制になったわけではなく、政党の方から軍部にすり寄って、政党の空中分解という態様になってしまったのである。
これはひとえに政党側の堕落の結果であって、その堕落の行き着いた先が、日本全国津々浦々にわたる軍国主義であった。
政府から全権を委任された交渉団が、交渉を締結して帰ってきたら、天皇の統帥権を干犯したという論理は、普通に考えれば有り得な話で、政治家たるものがこの軍部の横車をそのまま容認するということは、政治家足り得ないということだ。
だから政治家の瑕疵の部分を軍人・軍部がカバーしたわけで、その間当時の日本の国会議員は一体何をしていたのかということに尽きる。
あの戦時中にも日本の国会は完全に機能していたわけで、開戦の時の総理大臣東条英機は、ミッドウエー海戦の敗北で以て引責辞任したが、国会はきちんと機能していた筈である。
大本営の戦況報告は天皇に対しても、国会議員に対しても、国民に対しても嘘を言っていたわけで、それを是正できなかった政治家は一体何をしていたのかと言う事になる。
あの頃、軍人の中の跳ね上がりで政治感覚の欠落した若者が一方的な思い込みで蹶起する風潮があったことは大いに認めざるを得ないが、それをコントロールすべきが世の識者であり、組織のトップであり、政治家の使命であった筈である。
軍人の中の若手将校と言われる無鉄砲な連中が、前後の見境もなく過激な行動、つまりテロに走る状況を鑑みて、そのテロが恐ろしくてこういうリーダー的な地位にいる人たちが、自分の発言に尻込みした結果が軍人の跋扈を招いたと考えられる。
中国戦線では赤紙一枚で招集された将兵が血みどろの戦をしている最中に、暖衣飽食でのうのうと生きている内地のリーダーが、テロに怯えて言いたいことも言わず、筋の通った論議もせず、バカな軍人の言うがままになった政治家を、我々はどう考えればいいのであろう。
大本営の発表、ミッドウエー海戦の敗北を、当時の日本人は皆、日本側の勝利と聞かされていたというが、この欺瞞は一体どういう事なのであろう。
軍部の中からも、海軍の中からも、その結果に対する疑問というものは一切封殺されたということだが、こういう大日本帝国海軍が、時を経ずして海の藻屑と消えるのも極めて自然の摂理だと思う。
こういう愚かな軍を使いこなす政治が、シビリアン・コントロールであって、アジアに生息する諸民族の間では、普遍的に文民が野蛮な武人を使いこなすという思考が根付いていて、ものの考え方の基底には潜在意識としてこの発想が潜んでいる。
中国でも、朝鮮でも、君主が人々を統治するシステムとしては、文武両道を使い分けている。
その中でも文官の方に重きが置かれて、戦を専門とする武人、武士、防人というレベルの人々は一段下に見られるのが普遍的であった。
あくまでも政治の道具、統治の尖兵であって、文官はこういうレベルの人が政治の前面に出ることを忌み嫌うものである。
ところが昭和の初期の我々の政治家は、その根本理念を投げ捨ててしまって、愚かな軍人に政治の一切合財を投げつけてしまったということだ。
政治家として、未完の制度とはいえ国民の一部の選択を経た国会議員が、自分たちの鼻面をサーベルの音をチャラチャラさせて闊歩する青年将校に震え上がってしまって、そこで思考停止になってしまったことでシビリアン・コントロールが雲散霧消してしまったということだ。
我々日本民族の政治感覚は、その稚拙さにおいてつとに有名で、その稚拙さの元にある要因は、我々は言論というものの価値を認めないという点にあると思う。
我々日本民族というのは、比較的単一民族で、以心伝心という言葉もあり、男とは「黙って何とかビール」というコマシャルにもあるように、寡黙に価値を見出す習性があるので、口から唾を飛ばしながら声高に議論する有様を卑下する風潮がある。
ところが民主政治というのは究極の言葉の戦争なわけで、黒を白と言いくるめ、赤を黒と言いくるめる技が問われるわけで、そういう技量も才覚も我々には備わっていないので、国内の政治では嘘が罷り通り、異民族に関しては相手のごり押しに押されてしまうのである。
我々日本民族というのは極めて単一民族に近いので、他の民族との接触の経験に乏しいものだから、他の民族もみな自分たちと同じ思考回路で物事考えると思い違いする傾向がある。
「友達の友達は友達だ」という心理であって、「人はみな兄弟」という発想であるが、世の中はそんなに甘いものではない。
政治の局面において、今の時点で、あるいはその時点で解決を迫られている事柄に関しては、国全体として与党も野党も立場の相違というのはありえないはずである。
尖閣諸島の問題に関んして、与党も野党も立場の相違がないとなると、ならば両方を一緒にして大政翼賛会でもいいではないかという事になる。
これが戦前の日本の政治状況であって、その意味であの戦争の意義は、当時の日本の民族としての総意であったと私は思う。
人間の歴史の中で、統治のシステムとして文官と武官、武士との峻別は普遍的なものであって、戦を、つまり戦争を専門とするセクションは文官よりも低く見るのが、人類の普遍的な思考であったわけだ。
ところが我々の場合、文官つまり政治家が堕落していたので、きちんと武官、戦の専門家を統御しきれなかったため、軍国主義の蔓延となってしまったのである。
この本の趣旨は、防衛省には背広組と制服組があって、背広組が制服組の行動を縛っているので、制服組が反発するようになったので、シビリアン・コントロールが危機に瀕しているという論調であるが、この論旨には非常に偏見に満ちた視点だ。
制服組、つまり実質上の武力集団としての自衛隊を完全な人畜無害の集団のままにしておこうという意図のもとにこの本が編まれている。
この世のあらゆる組織にはラインとスタッフという仕事の役割分担というものはある。
組織の、組織としての究極の目的を追求し、実施し、遂行するラインと、そのラインを補佐するスタッフという部門があるのは組織としての普遍的なパターンだと思う。
防衛庁の中の背広組というのは、このスタッフに相当する位置付けだと思うが、ラインを補佐するスタッフが、ラインのことを何も知らないままでは有効な支援はありえない。
だから軍の組織としては、このスタッフにも軍人を配置するのが普通の思考であるが、日本の場合は自衛隊の成り立ちからして、他の国の軍隊とは異質なわけで、その部門に文民、文官がなっていた。
この著者は、この事自体をシビリアン・コントロールと認識しているようだが、まさしく盲人が像を撫ぜる構図と同じで、ラインとスタッフの考え方が合わないのも当然の成り行きになる。
この関係は、両方が車の両輪のように、本体のめざす指向に対して、足並みがきちんと揃ってこそ、組織の機能が万全となるわけで、それがちぐはぐでは前に進めないのも当然の帰結である。
シビリアン・コントロールの本質は、、この武力集団のラインとスタッフの身分に関わる問題ではなく、この組織の上に立って、それを有効にかつ迅速に動かすべく采配を振るうものが政治家であれねばならないということを指し示しているのである。
政治的決断によって軍隊が動くべきものであって、軍隊が勝手に動いてしまってはならないわけで、そうさせないためには政治家がきちんと軍の手綱を握りしめて、軍が勝手な行動をしないように監視しなければならない。
日本が戦争という奈落の底に転がり落ちた最大の理由は、政治家がテロの恐怖に怯えて自分たちの使命を放棄して、口をつぐみ、言うべきことを言わずに、時勢にすり寄った点にあった。
ここでも我々は言論による戦いが極めて稚拙で、例の美濃部達吉の『天皇機関説』でも、斉藤隆夫の粛軍演説でも、事件の初めのころには当人たちに大いに共感を覚えながら、事件が熾烈化してくると口をつぐみ、自分に振りかかる火の粉を振り払う仕儀に至るわけで、最終的には衆愚に阿ね日和見に徹し、みんな一緒に奈落の底に転がり落ちたということになったのである。
気が付いてみると軍部に騙されたということになるが、その軍部に一生懸命協力してきたことを忘れてしまって、騙されたという結果だけを言い立てても何の役にも立たない。
騙されまいと自助努力した人を非国民と言って差別し、蔑視してきた報いでもあるわけだ。
昨年の3月11日に東日本大震災が起きて、東京電力の福島第1原子力発電所の原子炉がメルトダウンして、放射能が周辺地域に飛び散って大惨事を呈した。
これは地震による災害に、東京電力の対応の不味さが重なって未曽有の被害を出したが、そのことによって日本の国民は原子力発電の危うさを身に染みて悟ったわけだ。
そうなってみると、日本全国津々浦々に至るまですべて原子力発電反対というムーブメントが湧きあがって、まさしく戦前の軍国主義の蔓延と構図が瓜二つになっているではないか。
国民、一般大衆、庶民というレベル、言い方を変えれば衆愚と言われる人間の塊が、そういう運動を起こすのならばまだなんとなく納得できるが、日本の知識階層や、ジャーナリストや、政治家がこぞって原子力発電反対の運動に馳せ参じるということは一体どういう事なのであろう。
放射能汚染のことを考えれば原子力発電など無いに越したことはないが、資源の何もない日本で、その後のエネルギー政策を考えた時、本当に原子力発電をゼロにして良いいものだろうか。
「地震によって原子力発電所が甚大な被害をこうむったから、もうそういう危険な物はいりません」とあまりにも短兵急に片付けてもいいものだろうか。
こういう場面で、日本の知識人や、ジャーナリストや、政治家や、大学教授というオピニオンリーダーたるべき人たちが、皆が皆、同じ方向を向いてしまっていいものだろうか。