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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本の戦争 封印された言葉」

2012-03-14 13:28:34 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本の戦争 封印された言葉」という本を読んだ。
著者というよりも監修を田原総一郎が行っている。
故人の残した名言を集めたものであるが、こういう名士の言葉を集めた書簡というのは、古くからあった様に思う。
こうして後世に残る言葉はまだ生きた言葉といえる。
だが昨今のメデイアの発達というのは、ある意味で言葉狩りが進化したようにも見える。
東日本大震災が起きて丁度一年を経過したことになるが、あの地震で、被災した東京電力の第一原子力発電所を視察した大臣が、取り囲んだ記者団に「放射能を移すぞ」とジョークを言ったら、それが不謹慎だということで大臣の椅子を追われてしまったが、こんな馬鹿な話はないと思う。
私はその時の大臣、鉢呂元経産大臣に義理があるわけではないが、大臣としてあるいは公人たるもの、記者団の前で冗談も言ってはならない、という風潮は全くもって閉鎖社会の到来だと思う。
閉鎖社会というよりも一人の人間として、一人の日本人として、ユーモアも理解できない知性も理性も欠いた人間ということだと思う。
その時のその場の雰囲気としては、震災の被災者を前にしていう冗談ではない、ということかもしれないが、この正義感は一体何なんだと言いたい。
メデイアに関わる人間は、その全てがインテリヤクザと見做さなければならないわけで、ここで取材される側が良い格好シイで相手を甘く見ると、このケースのように足元を掬われるという事になるのである。
だからその点からしても、為政者の側、つまり大臣の側が真に立派かどうか、という人格の対比という意味ではないが、お互いに日本人という過去の同質性が薄れたということだと思う。
取材者を取り巻くメデイアの側がヤクザな人間でないとするならば、人の足元を掬うような卑劣な文言は撒き散らさないと思う。
メデイアによって少しばかり叩かれたからと言って、さっさと辞める大臣も本当な情けない有り様だと思う。
自分を取り巻くメデイアの面々に、少しばかりお愛想のつもりでジョークを言ったら、その言葉尻を掴まれて大臣の椅子を放り投げるというのも、まさしく子供じみた振る舞いで、冗談でいったものならば、その旨を堂々と反論すべきではないのか。
取材する側とされる側にも、過去においては目に見えないルールというか、仁義というか、規範というか、モラルのようなものがあって、それが個人のプライバシーを徹底的に暴くことの防波堤になっていたに違いない。
双方に人間としての知性と理性が備わっていれば、報じるべきか握りつぶすべきかは、個人の裁量権の中のあるように思う。
取材で知り得たことでも、「これは公にすべきことではない」という判断が取材する側にも備わっていたと思う。
大臣の言ったジョークも、あくまでもジョークの範疇で捉えて、しかもオフレコの発言であればなおさら公にすべきではなかったと思う。
公人の発言した言葉尻を掴まえて、相手を貶める発想というのは、正に汚い人間のすることで、ジョークを本音と置き換えて人を貶めるなどという事はあってはならないと思う。
メデイアの存在価値は権力の番人という意味で、メデイアが権力者の発言に注意を払うことは彼らの本質そのものであるが、私生活や内輪の冗談まで暴きたてて、言葉尻を掴まえて罠に嵌めても良いというわけではないと思う。
そこには社会人としての常識というものが普通に機能してバランスを保たねばならないと思う。
しかし、もう少し穿った見方をすると、これは言葉によるイジメという面もあるように見受けられる。
かなり以前の話であるが、小説家、筒井康隆氏の作品が教科書に載ったら、その中に差別用語があったと指摘されて、筒井氏が絶筆宣言をした事があった。
これは氏の『無人警察』という作品の中に、てんかんに対する差別的な表現があったらしくて、その部分は実際にはこうなっている。
「テンカンを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定機で運転者の脳波を検査する。異常波を出している者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである。
このコンテンツの何処が差別的なのであろう。
この文の前後にはスピード違反を取り締まる機能や、飲酒運転を取り締まる機能を有するロボットの話であって、その流れの中で、危険な運転手をあらかじめ排除するという安全への心配りを逆手にとって、てんかん患者への差別と捉えているが、これは明らかにあてこすり以外の何ものではないではないか。
こういうことが言葉狩りであって、その実態は明らかに難癖であり、イチャモン付けであり、イジメ以外の何ものでもないではないか。
人が目の前のものを見て如何に感じ取るか、ということは極めて難しいことであって、世間一般には素直に受けとっていることでも、故意にそれを逆手にとって、真逆の解釈をする人もいるわけで、こういう人はその正当性をアピールしなければならないので、どういう風にも理由つけをする。
それを良い子ぶって追認すると、世間の常識が徐々に徐々におかしな方向にずれて行ってしまう。
この本は、田原総一郎氏が日本の近現代史の中の著名人の中から随意に選んで、その人達の言葉を羅列したものであるが、一人の人間がその生涯に云い残した言葉等というものは、数え切れないほどあるに違いない。
あの太平洋戦争の開戦に至る過程でも、政府首脳の誰一人として、イケイケドンドンと称えた人はいないわけで、好戦論者と言われていた東条英機でさえも、天皇の意思を実現すべく、最大限の努力をしたに違いなかろうと思う。
それでも天皇の意思に応えること(避戦)ができなかったわけで、夜中に一人涙したという話は、胸のつまる思いがする。
私が思うに、あの戦争の責任はやはり国民全体にあったように思えてならない。
確か、終戦のとき、東久爾宮ではなかったかと思うが、『一億総懺悔』とういう言葉を発した人がいたが、確かに我々国民にも懺悔の値打ちはあるが、直接の責任は軍部であることは言うまでもない。
子供でも判ることだが、負ける戦争ならば誰でも出来る。
当時の陸軍士官学校、海軍兵学校というのは、戦争に勝つ軍人を養成していたのではないのか。
戦争は博打ではないのだから、何が何でも勝たねばならないわけで、負ける戦争ならば最初からしてはならないのである。
我々同胞の先輩は、日清・日露でたまたま勝ってしまったので、勝算がないと思ってもやってみなければ判らない、という安易な思考に流れてしまったのである。
これは一人や二人の先走った人の発想ではなく、国民の全部がそう思ってしまったわけで、それを安易に実践したのが軍部という事になるが、問題は本来優秀であるべき陸士や海兵を出た人たちが、そういう国民の時流に迎合した思考を諌める方向に機能すべきであった、ということだ。
それでこそ戦争のプロフェッショナルであり、真の戦争のプロフェッショナルであれば、無芸大食の一般国民と同じレベルの思考であって良いわけないではないか。
昭和初期の軍人、あるいは軍部が、天皇にのみ責任を負うものであるとするならば、天皇の軍隊が真けるような戦争指導して良いわけないではないか。
天皇の軍隊が、天皇の赤子を死地に追いやるような作戦をして良いわけないではないか。
あの戦争に突き進む潜在的なエネルギーは、国民の側にあったと思うが、その国民の期待に応えるべく動いたのは紛れもなく大日本帝国軍隊であって、彼らが戦争のプロであったにもかかわらず敗北したということは、彼らの組織が限りなく官僚化していて、普通のことが普通でなくなっていたからに他ならない。
我々が常に考えなければならないことは、単純に考えれば子供でも判ることを、何故に理解不能の行動に駆り立てるのか、という思考回路についてである。
戦前の日本においても、真にものを見る目を持った人は、軍部のやっていることに批判的であったが、我々の同胞はそういう意見を封殺してしまったではないか。
真にものが見ていた人の言質を、少数意見なるが故に非国民というレッテル付けをして、封殺して、表面的な一時的な勝利に酔いしれて「勝った!勝った!」と有頂天になっていたではないか。
この本の標題「封印された言葉」は戦前にもあったわけで、言葉を封印することこそ、民主主義の禁じ手だと思う。
焚書にも匹敵する愚昧なことだと思うが、我々日本民族の良心の揺らぎというのは、まことに曖昧で、その時の時流によって、その良心を規制する基準が右に寄ったり左に寄ったりを全く定まらない。
我々の民族の価値観が時代によって揺らぐということは、言い方を変えて善意に解釈すれば、思考の柔軟性であって、時の状況に応じて柔軟に対応しているということも言えるが、日本民族の今日の繁栄は、その部分に負うところが大だと思う。
戦前戦後を通じて、言葉狩りで、正義と思しき事がらを、大勢の人が寄ってたかって封殺しながら、新しい価値観を築き上げて前に進んできたわけで、その間に人民の側に多大な犠牲者・被害者が出たけれども、民族全体としては大きく前に進んだ。
我々は太平洋戦争に敗北したことによって、世界屈指の経済大国になりえたと言える。
我々のおっぱじめた戦争の目的は、こういう日本の建設を目指して世界に挑戦したわけであって、一時的には日本は敗北の憂き目にあって、国土は灰に化したが、その後の復興が戦争の目的を完全に実現したものと考えられる。
そこで今に生きる我々は、その時に被害をこうむった同胞、戦死者、引き揚げ者、抑留者、原爆被害者に対してどういう思いを捧げるべきかという事になるが、こういう人々は全てが殉教者だと私自身は考える。
この世に生まれいでた人は必ずどこかで死ぬわけで、永遠に生き続けるということはあり得ない筈である。
ならば、その死に方も多種多様であって、自分の家の布団の中で往生することだけが、自然であるわけはなく、不自然な死に方というのもあって当然だと思う。
人はそういう死に方を目にすると「可哀そうだ!」という。
生きた生身の人間の感情としては確かに「可哀そうに!」と思うのが普通であり、自然の感情であるが、人の生き様の中には避けきれない最悪というのも掃いて捨てるほどあるわけで、その一つ一つを全部人の所為にすること、他者の思惟的な立ち居振る舞いに置き替えることも、しょせん無理な話だと思う。
しかし、被害に遭われた当人は「死人に口なし」で、ものが言えないので、その周りのものが当人になり替わって死んだ人の無念さを訴えようとする。
すると感情が増幅されて、恨みが倍加するので、憤懣の持って行き場が自分たちの民族の根幹にある国家に行きついてしまう。
人の住むこの世には人知では計り知れない災害というものが歴然と存在する。
昨年の東日本大震災もその一つであるが、こういう災害で亡くなられた方は、気の毒だとは思うが、他者では何とも救いようがない。
せいぜいボランテイアー活動で後片付けするぐらいのことしかできないが、こういう災害に対しては諦めという達観した考え方も必要だと思う。
「被災者が可哀そうだ」という残されたものの感情は理解できるが、災害を危機管理だという認識で捉えることは今後の教訓につながることは確かだと思う。
しかし、被災者の前ではジョークも言えないという社会であってはならないと思うが、そういう場でジョークを言う神経もただものではない、ことは言うまでもない。

「出る杭・日本の宿命」

2012-03-11 21:43:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「出る杭・日本の宿命」という本を読んだ。
著者は三浦朱門氏である。
彼に対する私の認識はそう悪いものではなく、極めてニュートラルな思考の持ち主という印象を持っていた。
にも拘らず、本を開いて読み始めた瞬間、大いなる違和感を覚えた。
というのは、はしがきの部分で金大中氏との対談のことが書かれていたが、その中で、金大中氏が言うには「中国もしばしば我が国を侵したが、文明という恩恵も与えてくれた。日本は我が国を侵略して何を残したか」と述べた場面で、三浦朱門氏は、それは交渉や議論の場でなかったので黙っていたと、書かれていた。
だが、心の中では「日本はここに近代をもたらした。しかも、それは成功であった。韓国の人が優秀であったということもある。中国文明という下地があったにせよ、韓国の人達は植民地時代の30年程で近代化の真髄を学んだ。アフリカ諸国は200年もヨーロッパ諸国の植民地であったのに、政治、経済、文化のあらゆる面でヨーロッパの近代文明を身に付けられなかった」と書いている。
私に言わしめれば、金大中という韓国側の最高の知識人、大統領まで務めた知識人が、日本に対する偏見に満ちた言辞を述べれば、公式の場でないからこそ、その場で、此処に描かれたような心の内を反論として論駁しなければならなかったと考える。
この本は、その時の彼の心の内を再構築した内容であって、金大中氏との対談が外交という公式の場でないからこそ、こちらもこちらの言い分を正面からぶつけることが必要だと思う。
外交という公式の場での論駁であれば、いったん口に出したら引っ込みのつかないこともあるかもしれないが、非公式の場であればこそ、こちらの本音を相手にぶつける必要があったと思う。
彼の言うところの、「交渉や議論の場でなかったから黙っていた」という振る舞いは、極めて典型的な日本人の行動パターンであって、我々の民族の究極の優雅さを表しており、日本民族の価値観として極めて奥ゆかしく、大人の立ち居振る舞いで、優雅な思考であるが、これこそが日本人の特異な民族性でもある。
「場を弁える」とか、「空気を読む」とも表現されるが、相手の気持ちを推し量って沈黙を守るということは、日本人にとっては大いなる美徳であるが、それは相手からすれば、「自分たちに弱点があるか反論してこないのだ」と受け取られている。
金大中にしろ李明博にしろ、日本を攻撃しないことには韓国内で同胞として認められないという節があるようで、朝鮮半島では日本を悪し様に言わないことには、彼らのアイデンテイテイ―が疑われるということである。
この本で著者、三浦朱門氏が言わんとしていることは、日本とヨーロッパは別々に何の関連もなく、近代化に向けて進化してきたが、他の地域や他の民族では、そういうことが全く無いということを強調している。
そういう意味で、近代化をなしうる地域、あるいは民族は他にあり得ないということを言っている。
その根拠は、近代化にはそれを成すに値する前段階が必要であって、日本とヨーロッパは共にそれを備えているが、他の地域の人々にはそれがないので、同じ道を歩むことはあり得ないという論調である。
そのヨーロッパでもない、日本でもないという部分に、中国も朝鮮も入るわけであるが、今の世界の情勢をみると、どうもこの論旨も危うい場面にさしかかっているように見受けられる。
韓国と中国の繁栄が本物かどうかということになろうが、日本の戦後の繁栄も、ある意味で砂上の楼閣であったわけで、そのことから考えると主権国家が栄華盛衰を繰り返すこと自体が、自然の摂理とも言える。
ある国が一時期繁栄すれば、その裏側では衰退する国もあるわけで、それを輪廻転生と称して、地球規模で見た自然ということではないかと、私は考える。
そこで自然ということを考えると、人が死ぬということも極めて自然なことで、それを忌み嫌うというのは、生きた人間にとっては普遍的な思考であるが、それは自然という見地から見れば、煩悩とも言えるが、もう一つ裏側からうがった見方をすれば、人間の驕りともとれる。
生きた人間に対して向こうからやってくる死に対して、それに抗う思考、死に対して抵抗する、つまり「死にたくない」という考え方は、自然に対する大きな挑戦だと思う。
戦争は、人々がまとまった群れとして生死に直接かかわる行為なので、知恵あるものならは、それを最初から避けたいと願うのが普通である。
何も好き好んで死地に就ことはないわけで、出来れば外交という口舌3寸の話芸で以て、血で血を洗う抗争を避けるに越したことはない。
日本とヨーロッパでは、地球の反対側にいながら、それぞれに近代化の条件を整えてきたが、言語のみは共有していなかったので、ここで口舌のテクニックに大きな格差が生じて、その意味で我々は大いに不利な立場に置かれてしまった。
つまり、言葉の言質に対する認識の相違で、それが思考にも及んで、言葉の重みというものを軽視する傾向が我々の側にはあって、言葉に対する信用が甘い面がある。
日常生活においても、口約束はあまりあてにならないわけで、どうしても文書にしないと心配でならないという面がある。
日本とヨーロッパは、近代化の助走を17世紀からしていた、とこの本では言っているが、それは20世紀の半ばで終わっていると私は思う。
20世紀の後半から21世紀は、やはりアメリカの世紀であり、それに中国がどれだけ歩調を合わせれるかということだと思うが、中国というのは主権があるのかないのか判らない存在で、今でも近代国家と言えるかどうか甚だ危うい面がある。
中国人と言うべきか、アジア大陸の民と言うべきか、彼らはアジアを離れて他の大陸や土地に行って、そこで自分たちのテリトリーを築いて、自分たちの小宇宙を作って、それがチャイナタウンとなって世界各地に存在している。
彼らの生き様というのは、ある意味で主権国家に寄生する寄生虫のようなもので、主権国家の恩恵は十分に受けながら、それに報いる義務は上手に逃げると言うか、義務を負うような信用を得られない有り様で、ただただ自然人として食って糞して寝るだけの存在とみなされている。
宿主としては、最初から彼らを自分の国の国民等とは思ってもおらず、また何時かは何処かに行く流れものという感覚で、誰も彼らの存在を真剣に考えていないということだ。
彼ら、本国を出た彼らの一人一人には、自分の祖国という感覚は全くないわけで、彼らにして見れば、国家主権とか、国家の利益、国益等いう概念もなく、ただ目の前の人間が自分にとって有利な存在か不利な存在かという認識でしかない。
それは彼らの歴史と彼らの文化に起因しているわけで、アジアには多くの民族が居るので、統一がし難いという判り易い論理に帰結している。
しかし、民族ということでいえば、ヨーロッパにもそれぞれに異なる民族がいたわけで、民族の数が多いから統一出来ない、ということは理由にならない。
これは私一人の個人的な考えであるが、人間には基本的に優劣などないと思う。
しかし、20世紀になるまでの日本人と朝鮮人では明らかに格差があったし、スペイン・ポルトガルとフランス・ドイツでは明らかに相異があるわけで、これは一体どういうことなのであろう。
この格差や相異は判り易く言えば歴史の重みではないかと思う。
しかし、歴史ということでいえば、我々日本人も、朝鮮人も、フランス人も、ドイツ人も、オランダ人も、ポルトガル人も、同じ時空間を共有しているわけで、そこには時間の長短は存在していない。
ならば何がこういう格差や相異を作りだしたかと問えば、それぞれの民族の生き様であって、人々の毎日の日常生活を幼い子供が見ることによって、それが習慣となり、風習となり、モノの考え方の元となって、結果として格差や相異を作りだしたのではなかろうか。
地球上に存在する様々な民族の民族性というのはこうして出来上がったと想像するが、だとすれば民族をなす個々の人間には優劣はないが、個々の人間の生き様には歴然と優劣があったわけで、それが近代にも歴然と表れたのではなかろうか。
朝鮮の人々は、日本統治の時代の七奪という言葉をつかうが、自分たちの力で独立もできなかった彼らの生き様はどう説明するのだろう。
日本と清が戦争して、つまり日清戦争をして、その講和の条件として、日本が清に朝鮮の独立を認めさせたことによってはじめて朝鮮は帝國、つまり独立国になり得たのである。
この事実を金大中や李明博はどう捉えているのであろう。
事ほど左様に明らかなる事実でも、それを無視して自己の主張を声高に叫ぶ、ということは朝鮮の人々及び中国の人々には普遍的な行為であって、彼らのこの価値観は、我々日本人にはないものであるから、どこまで話をしても平行線のままである。
彼らの論理では、1プラス1が3で、2プラス2が5なわけで、これを「あなたは間違っているよ」とどう納得させることができるのであろう。
土井たか子や福島みずほや辻本清美に、どのように日米安保を説明したら、相手が判ってくれるのかというのと同じで、彼らはそういう不合理を言い立てることが政治的なパフォーマンスであって、金大中や李明博は、彼の地で日本に理解を示す発言をすると、政治家で居れないわけで、どうしても立場上、1プラス1が3で、2プラス2が5という論理を引っ込めることができないのである。
だとすれば、自分の国のリーダーにそういう不合理を強いる朝鮮の民衆がアホだ、ということになるわけで、朝鮮民族が日本の支配下に下った、ということはそういうことだった。
日韓併合というのは実に不思議なことで、日本は日米戦争に敗北してアメリカに占領された。
朝鮮、韓国は、日本と戦争してその戦争に負けて日本に占領されたわけではなく、企業でいうところの対等合併をしたわけで、それは軍事占領とは明らかに違って、敗者を搾取するなどという思考は全く無かった。
ただ、誰が見ても、日本と韓国では、あらゆる面で格差があったので、それが一気に解消されたわけではなく、時間差があったことはいなめない。
同じ時空間を共有していた中で、確かに、日本民族と朝鮮民族の間に大きな確執があったことも歴史的事実としては否めないが、それを言うと今の教科書問題と同じ思考パターンになってしまう。
何らかのスケープゴートを探し出してきて、それに対して論理的に不合理な議論を撒くし立てて、自分はこれほどにも愛国的だ、というパフォーマンスを彼の同胞に対してアピールしなければならないのである。
その為には、1プラス1は2であってはならず、2プラス2は4であってはならないわけで、そうであれば彼の言う事は、凡人の論理と何ら変わりがないということになって、ならば政治家にしておくことはないという事になるのである。
この本の終わりには外交に関しての記述が語られているが、そのコンテンツを引用すると、「外交とは相手国に対して友好的あるためには、その国の嫌がることを言わない、といったキレイゴトでおさまるものではない。外交は武器を使わないで相手国の人を殺さない戦争であるかもしれない」となっているが、三浦氏としては余りにも認識が甘いと思う。
「戦争であるかもしれない」ではなくて「戦争である」と言い切らねばならない。
外交交渉は戦争そのものと考えなければならない。
戦後66年間、日本の外交担当者はそういう意識で外交交渉に臨んだであろうか。
衣の下に鎧をちらちら見せることによって、話し合いを有利に持って行くということは、武力行使を前提とした砲艦外交に見えるが、それぐらいの気迫で相手に迫らないと、相手から何の妥協も引き出せないままに終わる。
ところが我々は憲法で武力というものを全否定してしまっているので、衣の下の鎧というものが最初から無いわけで、相手にすれば何ら怖くもなければ恐ろしくないので、要求のみ声高に叫んで、妥協する気はさらさらないのである。
その上、我が方の外交担当者が相手の顔色ばかりを伺って、相手に対して良い子ぶって、綺麗ごとばかりを並べるので、鴨がネギを背負ってきた形になってしまうのである。
外交交渉というのは戦争そのものと考えねばならない。
だからこそ、その任を負った人は、本当ならば軍人が理想的であるが、軍人と言わないまでも軍事知識の豊富な人であることが重要だと思う。
軍事知識と言うと、我々は人殺しのテクニクというように狭義の解釈にとらわれがちだが、主権国家がこの生き馬の目を抜く国際社会を生き抜くということは、実質、生存競争そのものであって、経済を包括した戦略思想を持たないことにはあり得ない。
日本の今の政治家には、そういう考え方は微塵もないわけで、折角民主党が政権を取っても、鳩山由紀夫のような陳腐な首相しか輩出し得ないのは、戦後の民主教育の賜物という大きな矛盾である。
三浦朱門氏は日本を代表する知識人なので、この本の中には人種差別のことはあまり語られていないが、昔も今も、それは歴然とあると言える。
あって当たり前だと思う。
人が10人集まれば10人10色と言われているように、人の感情には好き嫌いはついて回るもので、他者が「あいつを好きになれ」と強いても、そう簡単に行くとは限らない。
ヨーロッパのアングロサクソン系の人からモンゴリアンを見れば、嫌悪したくなるのは当然のことだと思う。
だからと言って、アングロサクソン系の人に、モンゴリアンを差別するな、人並みに扱え、動物並みに見るな、と言っても意味ない事で、彼らは民族のDNAとしてモンゴリアンが生理的に嫌いなわけで、理由など最初から無いのである。
その良い例が、日本とドイツの3国同盟であり、日ソ不可侵条約を見ても、彼らは最初から日本を信用などしておらず、その場の利得のみで騙すつもりでいたではないか。
彼らから、色の黄色い我々を眺めた場合、知能程度の高い猿、ゴリラ並みにしか見ていないわけで、そういう野蛮人がロシアと戦争して勝つ、イギリスの最新鋭の軍艦を2隻もいっぺんに沈めたということは、まさしく驚天動地の出来事であって、想定外のことであったに違いない。
こういう背景があちら側にあったればこそ、日本に対して原子爆弾を使用しても、彼らは良心の呵責に何ら影響を感じないのである。
日本が第1次世界大戦後の国際連盟の場で人種差別撤廃を叫んでも、彼らが耳を貸さなかった背景には、彼らの人種的偏見が根強く残っていたからにほかならず、彼らにとって黄色人種は、人間の内と認識していないということだ。
ただこの本の中で言及されている異質性と同質性の問題は、今後とも深く掘り下げて考えるべき内容であって、決してあだや疎かに扱うべき問題ではない。
異質性に価値を置くべきか、同質性に価値を置くべきかは、極めて難しい設問で、日本とヨーロッパは17世紀以降、別々に近代化を推し進めてきたが、その背景にはそれぞれに違った要因があって、ヨーロッパは異質なるが故に進化してきたが、日本は逆に同質であるが故に進化してきたわけで、これから先の世の中はどちらが有利かと言うことは一概に言えない。
しかし、私の浅薄な知識で推察するとするならば、異質なものの新陳代謝が新たな進化を導き出すように思えてならない。
同質なものばかりでは、いずれアイデアが枯渇すると思うが、異質なモノの集まりであれば、そういうことはないように思える。
それと、今、コンピューターは進化の頂点に来ていると思うが、そのコンテンツには進化の頂点というものがないわけで、こういう方向には無限の広がりがあるように思えてならない。
ここで再びアジアの悪口に帰るわけだが、中国は未だにコピーしか作れないし、韓国は日本文化の焚書のようなことをしていたので、そういうコンテンツの制作には今一見劣りがする。
21世紀の地球は、アジアが一体になれば非常に大きなエネルギーになると思うが、中国と韓国は、そういうテーブルに付く気はなさそうだ。
21世紀には再び大東亜共栄圏を深刻に考えるべき時だと思う。

『イージス艦はなぜ最強の盾といわれるのか』

2012-03-10 18:49:21 | Weblog
何時もならば「例によって……」という書き出しであるが今回は違う。
知人から送られてきた本で、「私が興味を持っていそうだから」という心慮の元に送られてきた本だが、まさしく内容的には私の好奇心を大いにくすぐるものであった。
『イージス艦はなぜ最強の盾といわれるのか』というハウツーものの典型的な本である。
私レベルの軍事お宅になると、イージス艦=『あたご』の衝突事件という連想が起きるのが、この本にはそのことに関しては一言の言及もない。
あの事件は2008年平成20年の2月に起きており、この本の発行が2009年だとすれば、一言ぐらいは言及があっても良さそうに思うが、海難審判中のことだからそれを回避したのかもしれない。
この時からイージス艦の、イージスという言葉そのものが世間に認知されたのではないかと思う。
私自身もイージスという真の意味をこの本を読むまで知らなかった。
Aegisと書いてイージスと読ませることは、日本人に対してはいささか無理があるように思う。
ギリシャ神話では、主神のゼウスが娘アテーナーに与えた盾ということだそうだが、我々が声に出して読むとすれば「アィジス」ぐらいにしかならないのではなかろうか。
キリスト教徒が祈りをささげる時の祈りの言葉を我々は「アーメン」と書き、言っているが、あれは実際は「エイメン」と発音している。
そんなことはともかく、このイージス艦は基本的にはテクノロジ-の塊だと思う。
にも拘らず、2008年には東京湾の入り口で漁船と衝突して、相手を死なせたことは現実である。
その事は、テクノロジーが万能ではないということを如実に表しているわけで、東京湾のような狭い海域を通るときには、人間の目というローテクしか頼るものがないということでもある。
イージス艦『あたご』と漁船・清徳丸の衝突事件では、清徳丸の方の乗員2名が死んでしまったので、自衛艦が漁民を見殺しにしたというニュアンスで報道されたが、詳細にあの事件をフォローしてみると、明らかに漁船の方の行動がおかしいわけで、あの当時のメデイアの論調は偏向していたと言わざるを得ない。
しかし、あの事件でイージス艦というものを我々の知るところとなったわけであるが、この軍艦は船全体がセンサーになっている、ということは素人には判らないだろうと思う。
そもそもフェーズドアレイレーダーというものを理解しないと、イージス艦の本質を理解し切れないと思う。
第2次世界大戦で開発されたレーダーは、大きなアンテナを回転させて、そのアンテナの中心から電波を発射して、それが跳ね返ってくるのをキャッチして目標を捉えていた。
電波を発信してその跳ね返えりをキャッチするという構図は同じだが、問題はそのアンテナである。
従来の物は大きなお椀のようなアンテナを回転させて目標を探査していたが、イージス艦が備えているフェーズドアレイレーダーというのは、それを回転させるのではなく、四方に固定して貼り付けて、回転部分を無くしてしまったのである。
その為には、おそらく大きな技術革新があって、従来の回転するアンテナを極めて小さなものに置き替えて、アンテナを回転させるのではなく、四方八方に貼り付けて、固定した位置のまま常時遥か彼方をにらみつけている、という感じなのであろう。
この本には公然と紹介され、そのフェーズドアレイレーダーをSPY-1と書かれているが、恐らくイージス艦『あたご』の全体写真を見ても、どの部分がそれに当たるのか判らない人が多いのではないかと思う。
しかし、インターネット上にはごまんと情報が開示されているので、今更知らなかったとは言いづらいが、私はその小さな素子、昔のレーダーのアンテナ部分と言われている部品をじかに見たことがないので、何とも言えない。
日本の航空自衛隊の基地で行われる航空際には、航空自衛隊のパトリオットが展示されるが、あれも同じようなレーダーを装備しており、やはりレーダーの前面には大きなカバーが被せてあって、張り付けられた素子というべきかエレメントというべきか、それまでは見ることができない。
しかし、こういうテクノロジーの進化は素晴らしいものがあるが、人類の歴史を考えてみると、テクノロジ―の進化が効率的な戦いの手法を編み出して来たのではなかろうか。
戦いのテクノロジ-は限りなく進化してきたが、それに反し、平和のテクノロジ―というものは果たしてこの世に実在しているのだろうか。
平和のテクノロジ―ということは、いわゆる政治手法の良し悪しにかかっているのだろうが、我々はどうもこの政治というものが下手で、損な立場に甘んじている。
戦後の我々は憲法で戦争放棄を宣言しているので、国連至上主義というか、諸国の善意の上に自分の国の安寧秩序を委ねている。
だとすれば、我々はもっともっと、口先で祖国の国益を擁護する方策を講じなければならない。
我々は国連至上主義で諸外国の善意によって自分の国の国益を維持しようとするあまり、その事が金で平和を買う、ということと勘違いしている節がある。
「国益を擁護する」というフレーズを聞くと、すぐに「武力行使で国益を守る」という発想に陥ってしまいがちであるが、こういう短絡的な思考そのものが、政治的発想の稚拙な面であって、口先3寸で相手をごまかす、騙す、嘘で相手を貶める、ということを悪しき事と捉えているので、結果として正直に振舞って金だけ取られるということになる。
ただ、もの作りというのは、こういう人間の精神の葛藤とは別次元の立ち居振る舞いで、自分の作ろうとする目標に対して、一図に精神を集中させることが可能である。
だが、政治とか外交というのは、常に相手の存在があるわけで、相手の相対的な位置関係を考慮しなければならないが、その為に我々にはその一図さが不利に作用する。
我々の内輪だけの価値観であれば、嘘を言ってはいけないし、正直であらねばならないが、これが外国人、あるいは異民族との交渉事という場面になれば、内輪のルールは無視すべきなのに、我々にはあそういう決然とした割り切り方ができない。
で、戦争のツールとしての兵器の革新ということであれば、外国が開発したものをそのまま使うということは、完全に相手の手の内に中に取り込まれたということを意味していおるわけで、相手との戦争は想定外のこととして考えることになっている。
だとすれば、それは平和の継続という意味で、誠に喜ばしいことであるが、もう少し大きい目で見ると、世界のブロック化の形成ということにもつながる。
現に東西の冷戦構造というのはブロック化の具現であったわけで、そういう時ならばブロックの内側だけで兵器の共有、共同開発ということもありうるが、個々の主権国家が真に主権国家として屹立するためには兵器の共有とか共同開発などということは論理的にあり得ない。
主権国家がイージス艦を持つということは、それにふさわしい国力としての経済力と祖国を守るという祖国愛の両方がないことには意味がないわけで、我々はテクノロジ―には長けているが、それを政治的にあるいは外交的に如何にそのテクノロジ―を生かすかという段になると、途端に馬脚を現す。
イージス艦『あたご』と漁船・清徳丸の衝突事件を見る世間・メデイアの視点にそれが如実に表れているわけで、巨大な組織対個人の対立という構図になると、最初から大きい方が悪い、という偏見を通り越した無知が罷り通る所が何ともやりきれない。
巨大なダンプカーの直前を自転車で横切って、轢いた方が悪いという論理である。
その論議は脇に置いて、アメリカではこのイージス艦が空母の直掩に任に当たるというのは極めてアメリカ的な発想だと思う。
アメリカ軍の戦法は如何なる場合でもチームプレーで攻めてくるわけで、決して単独でがむしゃらに突進するという戦法は取らない。
戦というものは昔から大勢のものが一致団結して一つの目標に突進して成果を上げているが、我々の戦いの美学では、大将同志の一騎打ちに戦いの美学を見出している。
しかし、これは世界に通用しないわけで結果として敗北に帰してしまった。
先のイージス艦の衝突事件でも、大きい船が小さい船にぶつかって小さい船の乗員が死んだのは、大きい船の責任だという論理は、俗に言うところの判官贔屓という面もあるわけで、こういうことは論理的な思考ではなく、感情的な心の揺らぎでもあるわけで、極めて前近代的な精神構造ということでもある。

「GHQ焚書図書開封6」

2012-03-09 07:50:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「GHQ焚書図書開封6」という本を読んだ。
著者は西尾幹二氏である。
彼は以前、田原総一郎の「朝まで生テレビ」のコメンテイタ―として登場していたので、そういう意味ではよく知っていたが、極めて右寄りの発言する学者という認識である。
私のいう右寄りという言い方は、ある意味で極めてニュートラルであって、字義通りの右翼的思考というわけでもない。
標題の「焚書」という言葉は、いささか挑発的なニュアンスであるが、言葉の原義は「俗悪な書物を焼却処分する」という行為を指すものであるが、問題は何をもって「俗悪」かということである。
普通の常識人がこの言葉を使うときは、為政者として統治上、余り好ましくない書物を燃やすと意味で使われている。
で、ここで西尾幹二氏が言わんとすることは、東京国際軍事法廷、いわゆる東京裁判で、連合軍側は自分にとって不利な証拠を、証拠として一切認めずお蔵入りにして、自分たちに都合のいい証拠のみを証拠として採用したということを言わんとしているのである。
連合軍側は、自分たちに不利だと思えるような証拠書類は一切関係者の目に触れないような措置をしてしまったので、それを「焚書」という言い方で糾弾しているのである。
そもそも勝者が自分たちの行為を正当化しようとするからこういう妙なことになるわけで、戦争を「正義の戦い」としようとするので、自分たちの正当性を強調しなければならなくなったのである。
そもそも第2次世界大戦は、ドイツが領土的野心を満たすという動機から始まったわけで、言い換えれば人間の素朴な欲望の実現が根底にあったと考えられ、人間の過去の生き様の延長線上の物でしかなった筈ある。
ところが、そう単純に人間の本質を赤裸々に言ってしまっては、文化を醸成してきた過去の人間の尊厳を踏みにじってしまうので、20世紀ともなれば戦争にももっともらしい意味付けが必要になって来た。
それで、正義の戦争と不正義としての侵略という構図を作り出したのである。
従来ならば、他者のテリトリーに乗りこんで行って、そこで住民を殺傷して屈服させれば、土地も自然に我がものとなったが、それでは余りにも野生動物の行為と変わらないので、野生動物とは一味違うよ、ということを誇示するために、自分たちは正しい戦争をしているのだ、ということを相手にも自分の陣営にも指し示さねばならなくなったのである。
しかし、正しい戦争といったところで、立場が変われば何が正しいかさっぱりわからないわけで、連合軍側と枢軸側では、勝った連合軍側の言い文が、正しい戦争ということになってしまった。
そりゃそうだと思う。
負けた側がいくら「正しい」と言っても、負けてしまえば、その正しさも意味をなさないわけで、正しいとか正しくないといくら言ってところで何の意味もない。
ところで、この本はサブタイトルに「日米開戦前夜」となっていて、日本が真珠湾攻撃に至るまでには、こういう風に考えていた、ということをこと細かに記述しているが、それは決してイケイケドンドンデはなかったということを述べている。
ところがその記述は、勝者として日本を裁く立場の連中には極めて具合が悪いわけで、だからこそ、そういう本は証拠として採用せずにお蔵入りにしてしまったということだ。
勝った連合軍側としては、開戦時の日本の国民、民衆は、イケイイケドンドンで極めて交戦的で、侵略思想に凝り固まってまっていた、という風に持って行きたかったのである。
ところがあの時代の日本の識者、大衆に影響力を持った人達の国際認識は、極めて冷静かつ適確に国際情勢を掌握していたので、そういう趣旨の文書が野放しであれば、彼らの行為の悪辣さが露呈してしまうわけで、そういう文書は一切眼に触れないようにしてしまったのである。
しかるに、この著者の言いたいことの本質は、日本が真珠湾攻撃に踏み切るに至ったのは、アメリカ側の執拗な嫌がらせ、あるいは敵対的な行為があったからであって、決して我々の側が望んでそういう行為に出たわけではない、ということが言いたいことはよくわかる。
ここでも正面切ってあからさまには言い立てていないが、連合軍側には基本的に潜在的な人種差別の意識が基底に流れていたと考えねばならない。
アングロサクソン系の民族からすれば、モンゴリアン系の人間を、自分たちと同じ人類という範疇では考えたくない、という意識は拭い切れない潜在的なものだと思う。
理性や知性ではコントロールし切れない、生理的な嫌悪感であって、自分たちが優位な位置にいるときは、無意識のうちに高飛車に振舞っておれたが、モンゴリアンの活躍が顕著になってくると、あらゆる状況で鼻に尽くようになって来たということだ。
モンゴリアンがアングロサクソン系の人々の下で卑屈に生きている間は、彼らも自己の優越感に浸っておれたが、それが自分達を超越するような力を持ってくると、内心穏やかではおれず、対抗心を燃やす事になったのである。
ヨーロッパの人々がアジアを見る目にはそれが如実に表れていたが、戦前の我々の同胞は、その点を安易に見落としている節がある。
アメリカが中国を支援するということは、そういうことであったと考えなければならない。
中国人は決してアメリカを越えるような事はしでかさないが、日本はそれをしでかす恐れがあったので、アメリカは中国を支援しても日本に対しては挑発的な行動に出るということは、そういうことと言わねばならない。
この事実は、西洋列強、つまりアングロサクソン系の人達にとっては、中国人は恐ろしくないが、日本人は恐ろしくてたまらない、ということだったと思う。
それは日清・日露の戦役に日本が勝ったという実績からして、彼らがそう思い込むのも無理からぬことであるが、そうは言いつつも心の中では日本を侮っているわけで、それこそが彼らの本音であったということだ。
この本の著者、西尾幹二氏は、戦後の同胞を憂う余り、アメリカの戦争指導を大いに糾弾しているが、戦前の日本の知識人は、相当に冷静沈着にアメリカの行動を分析している。
特に、来栖三郎氏にまつわる記述などは、先方とじかに交渉した当人の談話を記載して、その内容が東京裁判で証拠と採用されなかったことに憤慨しているが、それは勝者の裁判である限り、いた仕方ない面がある。
これを見てもアメリカ側は明らかに日本を舐め切っているわけで、だからこそ日本が真珠湾を攻撃することを知りながら、現地の司令官に通報しなかったともいえる。
問題は、アメリカは、日本海軍が開戦の劈頭に真珠湾に来る、ということを予想していたということだ。
先方が予想していたことを、我々の側は必死になって隠匿しようとしていたわけで、これは一体どういうことなのであろう。
アメリカは、日本が真珠湾を叩きに来ることは予想していたが、その程度に関しては判らなかったようで、あれほど過酷に痛められるとは想定外であったということだ。
しかし、日本の立場からすれば、あれでも攻撃の手法としては不十分で、思慮が足りなかったと私などは思う。
そこを掘り下げると民族性の相異という問題に行きついてしまが、やはり我々には武士道の美学があるわけで、戦とは戦士と戦士の一騎打ちこそが真の戦である、という古典的な戦争美学に酔っていたものと考えざるを得ない。
海戦であれば、戦艦と戦艦の一騎打ちこそが真の海戦で、潜水艦で輸送船を叩くなど卑劣な戦だ、という認識だったと思う。
しかし、戦争の美学で戦争は勝てないわけで、この認識のズレが、日本の敗北に繋がったものと思う。
問題は、あの時代の日本には、戦争のプロフェッショナルがごまんといたわけで、そういう人たちが近代戦の認識のズレを感知していなかったとすれば、勝てる戦も負けて当然である。
結果として、日本の戦争指導者、政治指導者という人には、近代戦の意味、あるいは本質を真に理解している人が一人も居なかったということだ。
この本は東京裁判に一矢報いる目的で、その裁判で証拠として受理されなかった本を紹介しており、それは当然、戦前の日本はこういう状況であって、決してイケイイケドンドンという雰囲気ではなかった、ということを指し示そうとしている。
東京裁判で裁く側としては、公表されるとまことに不都合な内容の物で、だからこそ焚書並みに扱われたわけだが、我々があの戦争に極めて消極的であったと言うことと、戦争の敗北とは何の因果関係もないわけで、戦争である以上、何が何でも勝たねばならなかった。
この本を読んで、我々はアメリカに嵌められたので、開戦の火蓋を切らされたという因果関係は理解できたが、何故我々は敗北したのか、ということが解明されたわけではない。
それは先にも少し述べたように、戦の美学が大きく影響を及ぼしていたとも言えるが、より根本的には、あの当時の戦争のプロフェッショナルが、現代の戦争というものを全く知らなかったという点に尽きると思う。
考えても見よ。世界地図を拡げて、アジア大陸から太平洋の全域に兵隊を分散させて、どうやって戦争を遂行するのだ。
こんなことは幼児でもわかるではないか。
それを戦争のプロフェッショナルが判らない筈がないではないか。 
なのに何故こんな判り切ったことを繰り返したのだ。
飛行機の搭乗員を養成するには、日本でもアメリカでも、ある程度の日数が掛かることに変わりはないが、そうして養成した搭乗員を日本は特攻機で一回のみの使い捨てにしたが、アメリカは海に落ちた搭乗員を拾い集めて、再び戦場に送り出して使い回しをした。
こういう発想の相異が積もり積もって、勝敗に大きく影響を及ぼしたと考えられる。
ただ我々は、ある限られた制限の中では創意工夫で最高のモノを作り出すが、これは物つくりの能力であって、その作ったものを如何に効率良く使いこなすか、となると別の問題となるわけで、この部分で非常に稚拙になってしまうのである。
この本を読んでみると、アメリカは日本が日清・日露の戦役に勝利した時から、日本を仮想敵国に見立てていたが、我々にはこういう政治手段、政治的発想が極めて稚拙で、政治というとお互いの足の引っ張り合いに終始してしまって、国として、或いは民族として如何にあるべきか、何をなすべきかという指針が立てられない。
何をなすべきか、如何にすべきか、という設問に対して、各人各様に様々な意見が出ることは結構だが、その出た意見を集約することが下手で、すぐに「独裁だ」ということになるが、意見集約と独裁的な決定の区別もつかないのが我々の民主主義である。
民主主義でありながら、多数意見を否定し、少数意見を尊重せよというが、少数意見を尊重すればそれは独裁に繋がるにもかかわらず、そういうことを言う人がいる。
西尾幹二氏は戦後の平和主義者を憂えて警鐘を鳴らしているが、この平和主義というのも、政治の延長なわけで、平和主義の名の元で戦争を忌避する余り、自分の立ち位置がさっぱりわからないという状況に陥っていると思う。
この世の人は誰でも、戦争よりも平和を好むのが当然で、そんなことは幼児でも理解しうることでなのに、何故に大学教授ともあろう者が、口角泡を飛ばして議論しなければならないのだ。
つまり、幼児でも判ることを政治家や学者がことさら熱い議論をするということは、その事が一種のパフォーマンスであって、いわば人寄せパンダと同じ意味合いということだ。
そういうパフォーマンスも、誰にも知られずたった一人のパフォーマンスであったとするならば、何の意味もないわけで、それをメデイアが報ずることによって、意味を持つことになるが、それはメデイアにとってもパフォーマーにとっても、ある種の糧を得る手段であって、生活のための手法の一つに過ぎないが、これが世の風潮として根ついてしまうと事は簡単に済まなくなる。
世論形成ということになるのだが、この世論というも甚だ不本意な存在で、世論だから正しいと言うことにはならないので、まことに悩ましい存在になる。
大勢の人のが望むことだから良さそうに思えるが、大勢の人が望むことだから、究極の無責任ということでもあるわけで、それを許容していると、限りなく無政府状態になるに違いない。
我々日本人、日本民族の政治下手、外交下手ということは一体どこから来ているのであろう。
我々は大陸から離れた絶海の孤島の住民で、最近のはやり言葉でいうとガラパゴス化という面があるかもしれないが、基本的には有能な民族の筈である。
ところが、それでも外交下手、政治下手というのはどういうことなのであろう。
物作りは、自分一人で、あることに没頭出来る性格のものであるが、政治とか外交というのは相手のあることで、自分一人の意志ではどうにもならない場面があるわけで、そう意味の対処が下手だということなのだろうか。
絶海の孤島の住民であるが故に、極めて均一性が高く、同一性も高いので、いわゆるなあなあ主義、以心伝心、黙っていても判りあえるという面がある。
だから、その部分が逆効果になって、判っているつもりでいると真に判っていなかったりするので、意思の疎通に齟齬を生じるのであろうか。
戦争をするかどうかの御前会議でも、天皇陛下の前に政府の要人が集まっていながら、自分の意見を撒く仕立てて、開戦するなり、避戦でいくなり、はっきり言う人が全くいないわけで、まさしく政治下手の状況をそのまま露呈している図である。
これが外国との話となると、当然、国益の衝突は避けられないわけで、その場合に何処まで妥協が可能で、それ以降は一歩足りとも譲れないという線がある筈だが、そういう場面の駆け引きが極めて稚拙で、ついつい相手の前で良い子ぶった態度をとりがちである。
西尾幹二氏は、戦前はこういう場面でも日本人はしっかりしていたが、戦後の政治家は実にだらしなく、安易に妥協し、良い子ぶって相手に手玉に取られ、得るものは何もないということを言っている。
戦争に勝ったものが負けたものを裁く、これは人間が有史以来繰り返してきたことであって、今更負けたものが言い訳がましいことを言っても詮無い事だと思うが、何故我々はそれにこだわっているのだろう。
勝ったものが負けたものを如何様に料理しようが、負けた側として何とも手の施しようがないわけで、黙って指をくわえて眺めている他ないと思う。
アメリカが不正な裁判をした、あの裁判は不公平だ、といくら言ったとしても何ともしようがない。
戦争に勝った側が、負けた側を如何様に料理しようとも、負けた側としては何の手の打ちようもないわけで、いくら「我々が好き好んで戦端を開いたわけではない」と叫んだところで、何の意味も無さない。
我々が歴史から学ぶべきは、戦争では勝たねばならないという現実である。
ところが我々にも勝った歴史はあるわけで、言うまでもなく日清・日露の戦いには勝ったけれども、それで我々は有頂天になってしまって、「勝て兜の緒を締めよ」という子供でも判る鉄則を忘れてしまったところに問題がある。
あの戦争で敗北すると、我々の同胞は全国民がこぞって平和主義になってしまって、戦争放棄を金科玉条として崇め奉る思考というのは一体どう言うことなのであろう。
昨年、平成23年3月11日に東日本大震災が起き、東京電力の福島原子力発電所が被災して、原子炉が事故を起こしたら、日本全国、原子力発電反対の大合唱になるということは一体どういうことなのであろう。
自分に火の子が振り掛かってくると、他者に降りかかってくる火の子まで、真剣に心配するというのはある意味では同胞愛に満ちた善意の好意であろうが、もう少し自分の頭で考える余裕というか、ゆとりというか、冷静な目で観察することが必要ではなかろうか。
あの地震によって福島原子力発電所の事故が起きて、日本中が「原子力発電は危険だから止めましょう」というキャンペンが全国を駆け巡ったが、あの事故が国家的な危機管理に直面していたことには誰も気がつかないことは、これまた一体どういうことなんであろう。
メデイアで大きく取り扱われると、極めて直截的に、短絡的に、「直ちに原発は止めよう」というキャンペンになるということは一体どういうことなのであろう。
このことはメデイアの報道を鵜のみにするだけで、自分の頭脳でものを考えておらず、人の振り見て我が振りを直しているだけということで、それを声高に叫ぶことで、自分も世の中に貢献していると思い違いをしているということだ。
日米開戦の前にも、「アメリカ人は極めて軟弱だから大和魂の一撃ですぐに降参する」と言われたものだが、一体誰がこんなことを言いふらしたのだろう。
こういう無責任な声が、日本の政治そのものを開戦の方向に引き込んだように思えてならない。
この本を見るまでもなく、当時の日本の為政者は、ことごとくが非戦、避戦を願っていたにも拘らず、大きな国民のウネリのようなものが、開戦の方向に押しやったように見える。
民主主義というのは最大多数の最大幸福を追求するものではあるが、その手段・手法が常に正しいということはないわけで、最大多数のものが追い求める最大幸福は、正しく綺麗な正義というわけではなく、生きんがための必須アイテムということも大いにありうる。
生きんがための必須アイテムが遮断されれば、モナコのような小国でも立ち上がらざるを得ないこともありうると、かのマッカアサー元帥は彼の祖国で述べたことを忘れてはならない。

「大韓民国の物語」

2012-03-03 14:23:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「大韓民国の物語」という本を読んだ。
サブタイトルは「韓国の『国史』教科書を書き換えよ」となっており、著者は当然韓国人の李榮薫という人だ。
韓国の人にも関わらず随分思い切ったことを記述している。
以前、黄文雄という台湾人の「日本の植民地の真実」という本を読んだ時も随分驚いた。
我々はどうしても自虐史観に嵌り込んで、我々の先輩諸氏はアジアで悪い事ばかりをしてきたと思い込んでいたが、この両名はそれを真っ向から否定しているわけで、我々とすればキツネにつままれたような奇異な感じさえする。
台湾の人達が余り日本の悪口を言わず、親日的な態度でいるのは、敗戦で日本人が居なくなった後に入ってきた、蒋介石の国民党政府というのが余りにもレベルが低くて、「犬が去って豚が来た」と言われるほどであったことによる。
だから中国人に比べれば日本人の統治の方がまだましだった、ということがあったからだと理解している。
ところが朝鮮半島では日本の敗戦によって半島が分断されてしまったので、問題がより複雑化した。
現代の考え方では「人は皆平等だ」ということが普遍化した考え方になっているが、生きた人間にそれぞれに個性があるように、生きた人間の集団にも、それぞれの集団にそれぞれの個性がある。
アフリカのマサイ族もアラスカのイヌイットも、それぞれに同じ人類に属しているが、考え方も生き方も生活の仕方もそれぞれに違っているわけで、決して平等でもなく均一でもない。
それは、それぞれの民族の個性とも言えるが、個性を尊重するということは、それぞれの優劣をしかと認識し、受忍するということでもあり、格差を厳然と認めるということでもある。
格差の是正ということは、物事の一面のみを見た綺麗ごとに過ぎず、理念倒れの絵空ごとに過ぎない。
それをアジア大陸で生きているそれぞれの民族の視点から眺めると、過去においては漢民族が一番優位な位置を占め、その次が陸続きの朝鮮民族で、一番外側が海を隔てた倭の国、いわゆる日本ということになる。
アジアの何千年という歴史の中で、アジア大陸の主であるところの漢民族には、中華思想というものが歴然とあり、華夷秩序が厳然とあるわけで、それによれば我々日本民族は夷狄であり、野蛮人そのものであった。
だから朝鮮の人々にとって我々日本人は、何処までいっても蔑むべき対象であって、朝鮮人と同一であってはならない存在であったということだ。
朝鮮人の立場からすれば、漢民族は自分たちの先生に当たる存在なので、彼らに対して何処までも卑屈な態度で接しなければならないが、倭人は自分たちよりも下の存在だから、威張り散らして尊大に振舞っても良心の呵責を感じないのである。
これはいわゆる民族性というものであるが、それを別の言い方で表現すれば個性ということになる。
しかし、我々日本人の倫理感からすると、「上のモノには卑屈になり、下のモノには尊大に振舞う行為」というのは一番見下げた行為ということになっている。
日本人と韓国人の民族としての個性を比較すると、どうしても我々にはこういう風にしか見えない。
弱みを見せると何処までも突き上がって、その弱点を突いてくる、水に落ちた犬を叩く、節度を弁えないという部分は、我々の価値観からは到底許容できるものではないが、彼らにはそのセンスが判っていない節がある。
本来、人間の本質というのはそうそう悪いものではなく、何の利害関係のない者同士であれば、出会った瞬間から殴り合うというということはなく、最初は様子見というか冷静に相手を観察することから始まると思う。
ところが、その後の接触が長引くと、個々の感情が芽生え、そこで個々の民族の個性が表面化することになり、利害の衝突という事が起きる。
こういう原始の時代の人の有り体を21世紀に生きる人々は、21世紀の価値観で見ようとするので、どうしても正義とか不正、正しい正しくない、善悪、良い事悪い事という価値判断を下してしまう。
生存競争というのは自然界の自然の営みであるにもかかわらず、それを人間の理性で、自分たちの価値判断で以て自分たちの理想や理念に合わそうとするから、自然の摂理までも善悪、正邪という基準で量らねばならないことになっている。
人類の誕生以来、地球の各地で生き延びたもろもろの人間集団としての民族は、それぞれに離合集散してきたと想像される。
天候の異変や、それに伴う農作物の増減によって、併合したり離散したりを繰り返して来たと思うが、それは人類が生き延びるための生存競争の手段であったわけで、それを今日の価値観で強制であったとか自主的であったとか言い立てても意味ない事だと思う。

この本の言わんとするところは、その大部分に私は大賛成で、現実を実によく直視した内容で、彼の地でこういう内容の本を出して生きておれるな、と思うぐらい衝撃的なものである。
ところが、只一つ私の気に入らない部分があった。
それは従軍慰安婦の問題で、これに日本の軍隊と朝鮮総督府が関与していたという部分であるが、この関与という部分にいささか違和感を覚える。
この問題が日本で湧き起こった時、こういう例で説明がなされたことがある。
つまり、例えばの話として、文部省の中に売店があったとする、すると文部省はこの売店の経営に関与していると言えるかどうかという問題提起であった。
この本の著者の思考も、「文部省が売店を追い出さないかぎり、その売店の経営に関与した」という言い方であるが、これは無理やりにこじつけた論法ではなかろうか。
そもそも従軍慰安婦というものを政治の場、外交のツールとして表舞台に持ってくること自体が破廉恥な行為である。
「従軍慰安婦」と漢字で表記すると、従軍看護婦と混同して、何となく立派な職業で、世間に認知された職業のようにみえるが、いわば究極の賤業ではあるが、人間社会にはやはりなくてはならないものであった。
ゴミ収集の人や、墓掘り人が人間の生活に必要であるように、嫌な仕事ではあるが、そういう職業も人間の営みには必要不可欠であった。
だが、決して誇りを持って人様に名乗れるほどのものではなかった。
特に儒教の文化圏では時に蔑まれた職域であって、とても人さまの前で名乗れるものではなかった。
だから、そういう経験者は社会の隅で密かに暮らしていたのだが、そういう人を陽の当たる場に引っ張り出し、政治と外交のツールに仕立てて金をせしめようと言う発想は、まことにもって意地汚いと言わざるを得ない。
こういう場面で、当事者は決して「金寄こせ」という発言はしないわけで、人権をふりかざしてくるのである。
人権を水戸黄門の印篭のように掲げられると、迎え撃つ側は塩を掛けられた菜っ葉のようにシュンとしてしまうのである。
人権という立場から、政府の誠意ある謝罪を要求するという言い分であるが、それは具体的に何を言うのかということを突き詰めていけば、結局は金に行き着くことになる。 
朝鮮の人たちが日韓併合を恨みに思う気持ちは十分に理解し得るし、日本サイドの行き過ぎも多々あったに違いなかろうとは思う。
ところが、日韓関係の戦後処理は1965年の日韓基本条約で一応の解決は出来ている。
にもかかわらず、一度締結した条約を破棄するしないという問題は、他者との約束を何処まで誠実に守るかどうか、という道義の問題に摺り替わってしまう。
お互いに約束を取り交わしたにもかかわらず、その約束を内容を軽んじ、安易に無視する、いわば約束不履行に対してなんら忸怩たる思いを持たないということは、如何にも民主化度の遅延を思わせる思考に他ならない。
日韓併合される前の朝鮮民族、いわゆる李氏朝鮮は、民族全体としてこういう習俗に慣れ親しんでいたので、近代化に乗り遅れ、その事実を世界が認めていたので、世界中が日韓併合を妥当な処置だ、と考えていたのである。
一度交わした約束はどんなことがあっても守り抜く、というのが儒教文化圏の根本的な道義であったにもかかわらず、朝鮮民族はそれに徹し切れなかったというわけだ。
極めて日和見に、その場その時の状況で、状況が変われば昔の約束もコロッと忘れ、木に竹を接ぐような荒唐無稽な議論を蒸し返すという点では、極めてワイルドな思考でしかない。
最近、韓国が経済成長をなして日本をも凌ぐようになると、こちらの立場を見越して、弱いものを叩き、水に落ちた犬を叩き、下卑な態度で増長するのが朝鮮民族なのである。
これが彼らの有史以来の民族的な特質であって、我々、日本民族の価値観からすれば究極の卑賤な思考ということになる。
だが、彼らは有史以来、未だかって自主的に生きるということを経験していないわけで、21世紀以降の彼らの存在は非常に興味あるものである。
ところがこの本の著者は、そういう朝鮮民族の普遍性を超越した論旨を展開しているので、韓国人の同胞から袋叩きに合いそうなことを述べている。
異端者を寄ってたかって非難中傷するという行為は、我々日本民族の中にも昔からあることではあるが、それが有る間、残っている間は、我々の民主化の度合いも低かったわけで、朝鮮民族も我々の軌跡と同じことを踏襲しているということなのかもしれない。
自分たちの同胞の集団の中で、同胞が共有している価値観や過去の認識と異なった意見を述べると、異端者と見做され、同胞を裏切る行為と受け取られがちなので、大勢に対して自分の思いを言うこと控えてしまうことが往々にしてある。
自分と違う意見を言うと、周囲が寄ってたかって袋叩きにするという風潮は、極めて民度の低い行為であるが、それは同時にある一定の方向が定まると、見境も無くそれに突進する面もあるわけで、それは個々の人間が自分の頭脳で物事を考えないという面でもある。
韓国の人の対日批判の中で、日本が韓国を抑圧したという言い分は、よくよく吟味しなければならない事柄である。
例えば創氏改名も、彼らの言い分としては強制されたというものであるが、その本質を詳しく吟味すると、日本支配の元で被支配者である朝鮮の人々にとって、日本姓を名乗った方が何かと便利であったわけで、生活の便宜上率先して日本姓を使用したケースもあると思う。
そういうものを全て強制であったという言い分は少々言い過ぎだと思う。
彼らのいう『日帝36年間の七奪』という言い方も、彼らが自主的にその七つの変革を自主努力でなしておれば、日帝の36年間の支配ということも最初からなかったに違いない。
その7項目の革新ができなかったから、彼らは併合されたわけで、その併合で得をしたのは言うまでもなく彼らの側であった。
この著者は、それを公言しているわけで、彼の地でこれを言うということは、相当に勇気のいる行為だと思う。
そもそも彼の国でも教科書を編纂するような人は、従軍慰安婦などと同じレベルの人ではないわけで、であるとするならば、史実というものを正確に直視して、物事の筋道の通りに記述すべきであって、歴史を歪曲して、自己満足に耽るようなことはすべきではないと思う。
にも拘らず、それをするということは、大衆に迎合したパフォーマンスに過ぎず、砂上の楼閣を築きながら相手から何がしかの利益を引き出そうとする乞食根性だと言える。
こういう発想は、アジアの儒教文化圏ではもっとも蔑まれる考え方であるにもかかわらず、韓国の知識階層が臆面もなくそういう行為をするということは、彼らの精神構造が如何に卑猥で下劣かということを指し示している。
売春婦に人権の衣を被せて、水戸黄門の印篭のように振りかざし、外交の切り札に仕立て上げる発想は、とても儒教の国の知識人の思考とは考えられないではないか。
日韓基本条約という約束を取り交わしておきながら、後年、その約束のあることをすっかり忘れて、同じ問題をぶり返して金をせしめようという思考のいやらしさ、卑劣さ、下品さ、卑猥さというもの、儒教の論理でどう説明しようと言うのか。
こういう思考が、彼ら朝鮮民族の潜在意識として、朝鮮半島に住む人々の心の奥底に横たわっているからこそ、李氏朝鮮は自立できずに、日韓併合という形にならざるを得なかったのだ。
併合というからには上下の関係ではなく、主従の関係でもなく、企業でいえば対等合併ということだと思う。
1989年の東西ドイツの統合でも、繁栄していた西ドイツは疲弊困憊していた東ドイツと統合することで当面は大損することを覚悟の上で統一を決断したわけで、それと同じことがこの日韓併合であった。
日韓併合に反対の声は日本側にもあり、その理由は言うまでもなく、併合すれば日本側が損をするから駄目だ、という意見であったが日本はその損を覚悟で踏み切ったのである。
だから当然、そういう日本に協力して、アジアの発展に貢献しようと考える朝鮮の若者が出来ても不思議ではない。
しかし、そういう朝鮮の若者の出現を、21世紀に生きる朝鮮の人々は「祖国に対する裏切り」と捉えているわけで、こんな馬鹿な話も無い。
第2次世界大戦後の韓国の躍進は、日本の支配下において日本の統治のノウハウを習得した韓国の若者によって推進されたわけで、そういう韓国の躍進の影武者的な人達を、「日本に協力した売国奴」という認識は根本的に間違っている。
この本の著者は、その部分を突いているが、私に言わしめれば、極めて正鵠を得た論旨だと思う。
昔から言われているように、人の口に戸は立てられないわけで、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という無意味な論議は、時間の無駄以外の何ものでもないが、こういう論議を終わらせる手段がないのが人間の業というものであろう。 
理性を欠いた人間に、論理的に極めて理性的に話をしても意味をなさないわけで、こういう人にはどう対応したらいいのであろう。
1プラス1が3という人に、「それは間違っているよ」と、どういう風に説得したら理解してもらえるのだろう。

「未来に語り継ぐ戦争」

2012-03-01 17:29:16 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「未来に語り継ぐ戦争」という本を読んだ。
これは本というよりも岩波ブックレットNo826というもので、薄い冊子である。
内容的には東京新聞社会部が戦争を体験した世代と体験していない世代の対談させることで、戦争というものを語り継ごうという趣旨で書かれたものである。
こういうアプローチでは、戦争という言葉が前面に出がちであるが、戦争というものは、こういう型では語りえない内容を含んでいるのではないかと思う。
我々が戦争を語ろうとするときの戦争と言うものは、なんだか昨年起きた東日本大震災とか、はたまた宇宙人のエイリアンが善良な人間を人殺しゲームに駆り立てるような印象で語られているが、そんな単純な思考で捉えてはならないと思う。
戦争と言えども人間の営みの一環であって、人が生きんが為に息を吸うように、生きんがための生存の手段であって、回避するに越したことはないが、回避し切れるものではないと考えるべきだ。
人間がこの地球上で生きるということを考えた場合、地球上のあちらこちらに散らばって、群れをなして生を維持してきたが、そのあちらこちらに散らばった群れ同士の接点では、必ず何らかのトラブルを引き起こしていたに違いない。
そのトラブルには、必ずしも血で血を洗う抗争だけではなく、話し合いでトラブルを回避できたケースも多々あろうが、誰が何と言おうと、血で血を洗う抗争が一番下手なトラブル解決の手法ということだけは間違いがない。
その反面、口先3寸で、血の抗争を回避する外交手段が最上・最高の政治手腕であることは論をまたない。
しかし、人間の織り成す社会は、全ての人間、全ての人種、全ての民族が、そういう口先3寸で血の抗争を回避したいと願っていても、過去の歴史はそれを許さなかった。
それで、人はもっとも下手な外交手段としての戦争という手段に訴えざるを得なかったのである。
戦争ということは、地球上に住む人々の生存権のぶつかりあい、主権国家の主権のぶつかり合いであって、戦争の好きなものが自己満足のために善良な市民に銃や刀を持たせて戦わせているわけではない。
この地球上には漢民族がおり、朝鮮民族がおり、日本民族が居て、モンゴロイドが居て、アーリア人が居て、アポリジニが居て、ネイテブアメリカンが居て、それぞれが自分の生き方で生きようとすれば、その接点で摩擦が生じないわけがない。
価値観も、モノの考え方も、生き方も、処世術も、それぞれに違った背景を持った人たちが、接して暮らす状況下で、出会った途端に殴り合うということはないかもしれないが、日ごろの不満が高じて、ある日にいきなり発火点に達する、と言うことは往々にして有りうると考えねばならない。
これを論理的にどう説明するのだと言われても説明の仕様がないと思う。
人が生きる、生き続ける、生き抜くということは、何処かでトラブルの種を抱え込んで生きているわけで、そのトラブルを回避するには、話し合いでことが解決できればそんな有難いことはないが、そうならないのが世の常なのである。
ところが戦後日本人は、先の戦争のPTSD、心的外傷後ストレス障害に陥って、思考停止状態に陥っているところが最大の問題点だと思う。
だから戦争というものを悪魔の塊という感覚で捉えている面があって、その本質を自分の目で確かめようという発想に至っていない。
私は戦争を肯定するつもりはさらさらないが、戦争というのは一人では出来ないわけで、かならず相手がいるにもかかわらず、その相手の存在を何も考えることなく、ただ自分が無手勝流に毅然と立っておれば、相手が避けて通ってくれるという思考は、余りにも無責任すぎると思う。
イラク戦争の時だったと思うが、日本の婦人達が「自分たちの息子を戦場に送るな」というキャンペーンを張った。
母親の気持ちとしては当然すぎるほど当然の感情であるが、その気持ちはアメリカ人の母親のみならず、イギリス人の母親のみならず、イラン人の母親もアフガニスタンの母親も同じだと思う。
にも拘らず両陣営に分かれて、血で血を洗う抗争が起きているわけだが、世界のメデイアは、アメリカには「戦争を止めよ」と言い続けるが、イラン、イラク、アフガニスタンに対しては同じ事を言わないということは一体どういうことなのであろう。
それはアメリカのする戦争は悪いが、イラン、イラク、アフガニスタンのする戦争は良い戦争だから、という認識だと思う。
その前のベトナム戦争のころは、東西冷戦が華やかだったので、東側いわゆる共産主義国のする戦争は良い戦争で、アメリカのする戦争は悪い戦争だ、ということを日本の大学の先生方が唱えていたが、どうして大学の先生ともあろう者が、こういう思考に嵌り込むのだろう。
平和を語る平和論者が、全く平和について知らないということを露呈した図だと私には見える。
先の大戦について言えば、あの当時、昭和の初期の時代の戦争指導者、政治指導者は、平和を知らない平和論者と同じように、戦争を知らない戦争のプロフェッショナルだったと思う。
あの時代において、日本の戦争指導者、政治指導者は、須らく陸軍士官学校あるいは海軍兵学校を出た優秀な人材だと思われていた。
結果論から見て、戦争に負けるような戦争指導者、政治指導者が優秀であるわけがないが、我々はそれに全く気がつかなかった。
我々は陸軍士官学校あるいは海軍兵学校を出た人ならば優秀な人材だと思い違いをしていたわけで、よくよく冷静な思考で考えて見れば、陸軍士官学校とか海軍兵学校というのは職業訓練校であったが、その当時はそういう発想に至っていなかった。
だが、この地球上にある主権国家で、生き馬の目を抜く国際社会を生き延びるためには、戦争の知識を持つことは必須条件であって、決して平和念仏だけで世渡りができると思ってはならない。
「戦争をする」ということと「戦争を知る」ということは似て非なるものであって、全く次元の違う話で、それを知らない今の日本人は、外交面で多いなる損害を被っている。
主権国家同志がお互いの妥協点を見出せずに、最後の最後になって武力行使にまで発展してしまったとすれば、それは見るからに下手くそな外交なわけで、下の下の施策である。
しかし、人と人が行う交渉事なのだから、そういう結果に至ることもあることは考慮に入れておかねばならない。
戦後の我々は、そういう部分に思いが至っておらず、自分たちだけが平和念仏さえ唱えておれば、先方が理解してくれると思っているところが極めて危ういのである。
この本は薄っぺらな冊子であるが、この本に登場する年寄りの発言は、案外、的を得たことを言っている。
弾の下を潜って生き延びてきた人達だけの信念が垣間見れるが、それらを総合して敷衍的な視点で眺めて見ると、あの戦争の底流にながれていた熱情は、日本国民の全部に流れていた、民族的な熱情であったようだ。
我々は、やはり日本民族の総意としてのあの戦争を推し進めていたように思えてならない。
確かに、あの時代の戦争指導者、政治指導者が愚昧で、馬鹿だったから我々は敗北したが、日本民族の底流に流れていた熱い熱情は、あくまでも戦争遂行であって、大東亜共栄圏の確立であって、アジアからの西洋列強の駆逐を心から信じ切っていたと思う。
それを推し進めるべき戦争指導者、政治指導者が馬鹿で愚昧で、戦争あるいは作戦を私物化して、個人の戦争に摺り換えてしまったので、結果として敗北に至ったのであるが、負ける戦争ならば馬鹿でもチョンでも出来る。
この本の中で戦争を語るべき立場の人は、案外素直に語っていると思う。
例えば、新聞社として終戦のポツダム宣言のことは事前に判っていたが、報道できなかったというくだりは、当時の雰囲気を実に如実に語っていると思う。
あの時代において、非戦、厭戦、反戦の言葉が言えなかった背景には、同胞の監視の目が光っていて、当局の官憲に抑圧される前に、同胞の向こう3軒両隣、職場の同僚の眼が光っており、そういうものからの指摘が怖くてモノが言えなかったと素直に述べている。
その状況は私には十分理解できるし、現実にそうであったろうと思う。
捕虜を処刑するのに、自分では手を下さず、部下にさせるという心境も、充分に察しが付く。
しかし、それとは別の次元で、旧日本軍が行った先々で滅多矢鱈と被占領地の住民を殺した、という記述は少々無責任な発言だと思う。
滅多矢鱈という形容に、「3人になら良いが30人ならば許容範囲を越す」、などという論理があるわけではなく、こちらが殺さなければ自分が殺されるという状況もあるし、手柄話として誇大な表現で述べたかもしれないし、抗戦中の話は真偽の程を確かめる術もないわけで、何処までが本当か判ったものではない。
だが、あの戦争を、あの当時の国民の多くが支持をしていたことは確かだと思う。
その部分で、国民が軍部あるいは軍国主義者に騙されていた、という言い訳は成り立たないわけで、軍部の独断専行ということも、その軍部そのものが国民の総意を具現していた筈で、軍部、軍隊、さまざな将兵達も、皆日本の国民の一人として、その基盤は農家、農民、貧しい百姓出身であった。
そういう人たちが、富国強兵の国是に真から殉じようと考えるのも自然の流れであった。
問題は、戦争のプロフェッシナルとしての戦争の専門家が、もう少しましな作戦を練って、勝てる戦争をしなければ戦争のプロとしての意味がないということだ。
真偽のほどは知る由も無いが、戦艦大和の艦長室はホテル並みに豪華なものであったと聞くが、戦争のツールである戦艦の艦長室に、何故にそんな贅を尽くす必要があったのか、ということから考えなおさねばならない。
特攻隊として出撃していく機体には、重量軽減のため無線機まで取り外したと言われているが、それでいて出撃前の搭乗員は日本刀を手に持っているが、これは一体どういうことなのであろう。
これは戦後世代の無責任な軍部批判であるが、こういう私の指摘に対して、戦争のプロフェッショナルはどういう反論をし得るのであろう。
負ける戦争ならば馬鹿でもチョンでも出来る。
この単純明快な論理が、陸軍士官学校、海軍兵学校を出たプロフェッショナルの人たちに判らなかったのであろうか。
当時の政府には、こういう人ばかりではなく、帝国大学を出た官僚もいたわけだが、本来ならばこういう人たちはエリート中のエリートで、下々のモノは近寄りがたい程偉い人であった筈だが、そういう人の戦争指導が根本的に間違っていたということをどういう風に考えたらいいのであろう。
日本の兵卒は勇猛果敢で、世界から恐れられているが、それに反し日本の高級将校は、馬鹿ばかりだということも世界の定説になっているわけで、それを知らなかったのは当人ばかりだったということだ。
これと同じ構図の馬鹿は、戦後の平和主義者の中にもいるわけで、平和を知らない平和主義者は、戦争を知らない戦争のプロフェッショナルと同根である。
共に、現場を知らずに机上の空論ばかりに明け暮れているので、理念倒れに陥るわけで、人間の生の姿を直視するという考察に欠けるからである。
昭和の初期の我が同胞が、日清・日露の戦役に勝利したことによって、思い上がって増長し、アジアの諸国を見下していたことは確かだろうと思う。
こういう風潮を是正すべきが、本来ならば知識人、教養人であらねばならなかったはずであるが、あの当時の知識人、教養人も、それこそ無学文盲の一般大衆と同じように浮かれ舞い上がっていたのである。
ここでも人と同じことをしないと白い目で見られる、という同胞の監視の目が光っていたわけで、理性や知性がきちんと機能しなかったということだ。

「国民の教育」

2012-02-28 14:10:41 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「国民の教育」という本を読んだ。
著者は渡部昇一氏である。
氏はメデイアによく登場しているので、そういう意味ではよく知った人であるが、彼の思考は私と全く同じなので、何となく自分の姿を鏡で見て脂汗を流しているガマガエルという感がしないでもない。
ただ違うのは、彼には灰色の脳髄がらあふれかえるような知識が備わっているが、私の脳みそは空っぽという点だけでである。
しかし、考え方が全く同じという場合、評論の仕様もないので、これもいささか困ったことだ。
この本は口述筆記と明記してあるので、その意味では非常に読み易かったが、何せその本の分厚さには閉口したものだ。
こういう時、私は、後ろの方ないしは真ん中から読んで、そこから先に繰り上がってくる、という読み方をする。
標題で教育と名売っているので、学校教育が話題になっていることは当然であろうが、その中で大学のレベル低下を憂う文言があったが、これもある意味で人類の軌跡の歩みに沿った、自然の流れに順応しながらの傾向であって、そうそう心配することでもないと思う。
人類の文化というものが未来永劫、右肩上がりで続くという発想は、そう考えた時点で間違っている。
人類の歴史はサインカーブと同じで、頂点を過ぎれば後は下降線を辿るというのは自然の摂理だと思う。
だから日本も既にその頂点を経過したわけで、後は右肩下がりの下降線を辿る運命だ、と考えればそう悲観することもない。
十数年前の日本経済の絶頂期においてさえ、日本の優良銀行や優良証券会社が倒産した事実がある。
そのことを考えると、日本の社会の中で優良と思われていた企業が倒産したということは、結果から見てそれらの企業は何にも優良ではなかった、ということである。
我々は優良でないものを優良と思いこんでいただけのことである。
私は先の大戦、アメリカ流の言い方で太平洋戦争、日本流の言い方で大東亜戦争の敗因は、我々の同胞の大部分の者が、優良な軍人、優良な政治家、優良な戦争指導者と思っていた人達が全く優良ではなかった、戦争の本質も知らないアホだった、だから敗戦に至ったと考えている。
あの当時は当然のこと軍部があり、軍隊があり、その軍隊には高級官僚がおり、その高級官僚を養成する職業訓練校として陸軍士官学校、海軍兵学校というものがあった。
この職業訓練校として陸軍士官学校、海軍兵学校は、軍人を養成するというコンセプトであったが故に、国民の中から広く人材を探し、優秀な人材をピックアップするシステムであって、日本全国津々浦々から優秀な人材が集まったことは事実であろうが、我々、日本民族の嵌り込んだ過ちは、その優秀さの中味を吟味することに気がつかなかったということだ。
つまり、この時に、我々日本民族の嵌り込んだ優秀という概念の本質が、学校の成績において高得点を取った者を優秀な人材と誤って認識してしまった、ということだ。
言い方を変えれば、点取り虫が良い点を取ることを優秀だ、思い違いしたというわけだ。
それが在校生や卒業生のみならず、日本国民の全階層にわたって、そういう認識で満ちあふれてしまったものだから、論理的な議論の進め方が成り立たなくなってしまったということだ。
戦後の日本においても、優秀な企業というのは、有名大学から人材をドンドン注ぎ込んで、完膚無きまでに優秀な体質であった筈であったが、実態は全くそうではなかったわけで、だからこそ倒産に至ったということだ。
戦争中の日本の戦争指導者、政治指導者が優秀でなかったから日本が負けたのと同じ論理なわけで、戦争で負ける、企業が倒産するということは、トップがバカだったの一語に尽きる。
で、日本の大学の知的レベルの低下の問題に戻ると、そもそも教育を金儲けの手段にしようという発想から間違っている。
公立であろうが私立であろうが、学校を作る、学校経営をするということは、文化的な事業で、金儲けは二の次三の次というポーズを取りたがるが、この偽善的な思考が深層に横たわってかぎり、真の教育には成りえない。
これは教育界だけの問題ではなく、社会全般で考えねばならない問題であって、その行きつく先は、日本民族が今後どう生き残るかの問題として考えねばならない。
我々の国ばかりではなく、世界的な傾向として、教育が個人の出世のツールに成り掛けている。
個人の出世のツールということは、少しでもよりよい生活に近ずく免罪符として高等教育があるわけで、それは学問の追求ではなくて、出世のためのカード・免罪符としての高等教育になってしまっているところが最大の問題だと思う。
時代が進むに連れて、社会のあらゆる階層で合理化が進むと、人はますます不要になり、人が余って失業者が増えてくる。
人が余りに余って失業者が多くなると、人々はますます職にありつくために、人よりも一歩でも付加価値の高いことを示さねばならず、高学歴を証明する免罪符が必要になり、それを求めて学校に集まってくる。
ところが我々の国はもう既にその段階も超越して、人口そのものが少なくなってきたわけで、学校も余ってくるようになってきた。
これは戦後の我が国の歴史の中で見られたように、産業構造の根本的、根源的な変化である。
石炭産業が淘汰されたように、繊維産業が淘汰されたように、製造業が海外にシフトしたように、人口の減少によって教育産業が淘汰される時代になってきたということである。
人口が少なくなるということは、その民族が衰退していくということであって、それは人間の力では是正し切れるものではない。
今の日本では30歳でも40歳でも親にパラサイトして生きいけるわけで、そういう人は当然子孫をつくるということもなく、負の資産しか残し得ない。
30歳の男や女が親と同居しておれば、その内に親子ともども社会福祉に依存するわけで、こういう傾向が普遍化すれば、日本全体として下降線を辿るということになるわけで、これは自然の摂理であって、人間の英知では克服できないことだと思う。
30代40代の高学歴な男女が、職も無いまま親にパラサイトしていて良い訳がないが、そういう人間がコンビニでレジを打つのも妙なもので、現実には今の日本はそうなっていると思う。
高学歴になればなるほど職はなくなると思う。
これはあくまでも産業構造の変革であって、実業の元での産業界ではこういう変遷はつきものであるが、大学といわず教育機関が、新入生の確保に血眼になるというのは、教育界が産業と化した結果であって、果たしてそれで本当に良いものであろうか。
教育というものが、金儲けの手段あるいは手法となってしまっていいものだろうか。
資本主義体制の日本の社会なのだから、何をやって金儲けをしても良い、という理屈は判らないではないが、教育を金儲けの手段にするという発想にはついて行けない。
むしろ、パチンコ屋やサラ金の経営者が金儲けと割り切って学校経営をするのならば、論理的にすっきりするが、教育を振りかざして金儲けをする偽善者又は欺瞞的な思考に対しては唾棄したくなる。
高学歴志向というのは何も日本だけの問題ではなく、地球規模で人々は高学歴に期待を寄せる傾向にあるが、大勢の人が望んでいることが正しいというわけではない。
人間の織り成す生きた社会というのは、常に進化しているわけで、物作りの手法が進化すれば、それは結果的に人余りの現象を呈するわけで、昔は10人も20人もでしていた作業を一台の機械で済んでしまうようになれば、人が余ってくるのは当然の帰結であって、その余った人間が再び職に就こうとすれば、それは限りなく狭き門になるわけで、結果として巷に失業者があふれるということになる。
有り余っている失業者の中で、何とか職に就こうとすれば、他者にはない付加価値を持たねばならず、それがいわゆる学歴となるが、そういう現状であればこそ、その学歴を売る商売、つまり教育産業が成り立つということになる。
そして教育が産業であるとするならば、当然のこと、実業界の試練をまともに受けても不思議ではないわけで、昨今の少子化という社会現象の波をモロに受ける仕儀に至っても居た仕方ない。
ヨーロッパには昔も今も立派な大学がいくつもあると思う。
アメリカにも優秀な大学が沢山あり、日本にも当然そういう立派な大学が沢山あることは言うまでもない。
しかし、この世に優秀な大学が掃いて捨てるほどあるにもかかわらず、人間の業としての戦争を、この人間社会から絶つことができないということは一体どういうことなのであろう。
この地球上に生きる人間の中に戦争を肯定する人はいないと思う。
戦争が好きで好きで、人と人が殺し合う光景がたまらなく好きだ、という人がこの世にいる筈はないが、それにもかかわらず人類が戦争を繰り返すということは、学問というものが人の欲望をコントロールするには何の役も立っていないということだと思う。
戦争ということは、主権者の欲望の葛藤なわけで、自分の思う通りに操縦できない他者に対して、武力で以て言うことを効かせるという行為だと思う。
この場合、戦う双方に人間がいるわけで、その人間の中から賢明な人が出てきて、双方の欲求の妥協点を見つけ出す知恵者が居そうなものだが、双方とも興奮し切っていると、そういう知恵者の出現を察知し得ないまま、血で血を洗う抗争に発展してしまう。
この時に、学問とか教養というものが何の役にも立っていないわけで、ヨーロッパの古い大学、アメリカの立派な大学、日本の旧帝大というような学問の府は一体どういう機能を果たしたのであろう。
人間の福祉に貢献しない学問など何の値打も無いではないか。
ここで私の言う福祉という言葉は、死に掛けた老人の介護というような狭義の福祉ではなく、戦争のない社会、武力行使のない世の中という意味で、親にパラサイトしている若者に生活保護を与えよというものではない。
ところがこういう状況下でも、学問あるいは最高の知性というのは、国家に殉じてしまうわけで、自分の属する国家が最高の利益を得るように機能してしまって、相手に対しては容赦ない妥協を強いるわけで、ぶっちゃけてざっくばらんに言い表せば、弱肉強食、強い者勝ち、適者生存という自然の論理から一歩も出るものではない。
知性、理性、教養というものは、戦争を回避する趣向に対しては何の価値も見出せず、何の力も示し得ないというわけで、所詮は自然の流れに身を委ねる他何ら価値ある行為はし得ないということだ。
ところが主権国家の中の一国民という立場からすれば、個々の知性、理性、教養は、国家に準じなければならないわけで、その事は自分の祖国に対して最高の利益の還元が求められるように、出処進退を律しなければならないということである。
つまり、個人の持てる能力の全部を、祖国に対して奉じるということであって、国益の追求に対して全知全能を傾けよということである。
主権国家であるならば、為政者・統治者は、国民に対して自国の繁栄と隆盛を実現させるべく、協力を強いることは当然の欲求であって、その目的実現に向かって、教育で以て国民をその方向に善導することは、主権国家の主権国家たる所以だと思う。
主権国家たるもの、自国の目指す理想や理念に向かって自国民に教育を施すことは当然のことであって、その教育内容に関して他国の干渉を受けるようでは、主権国家の自主権は一体何なのかということになる。
だから日本は我々の目指す理念と理想に向かって、その実現を目指して自分たちの子孫に教育するわけで、それは韓国でも中国でも同じである。
しかし、教育の場で明らかな差別意識、反日、嫌日、侮日の思想を、若い世代に摺り込んで果たしてそれが将来のお互いの関係に良い効果を示し得るであろうか。
事実は事実として若い世代に語り継がねばならないが、だからと言って、未来永劫、怨恨を引きずったままでは、両者の和解は成り立たないわけで、それが判らない知識人であっては甚だ困る。
歴史というのは、人間の生き様のある断面を示すものであって、「良いとか悪い」、「正義と不正」、「善悪」という価値感では計れないわけで、被害者と加害者という対立軸では語れない部分がある。
大きな世の中のウネリの中で、そのウネリとか流れに抗しきれないものがあって、それを勧善懲悪的な価値観では説明のし切れないものがある。
戦後の韓国にも、自立した中華人民共和国の中にも、ヨーロッパやアメリカの進んだ教育を受けた人が大勢いると思うが、そういう人たちは率先して狭義なナショナリズムの勃興をコントロールし、若い世代がお互いにいがみ合うことのないように、教育を考えるべきだと思う。
一衣帯水の隣国同士で、何時までもいがみ合っている場合ではないと思うが、どうしたらお互いに手を取り合うことが可能になるのであろう。
これが解決できない学問などというのは一体何ンなんだろう。

「九十歳の省察」

2012-02-22 11:02:56 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「九十歳の省察」という本を読んだ。
サブタイトルは「哲学的断想」となっているが、著者は沢田允茂という慶応義塾大学の名誉教授ということだ。
私は標題から老人に関する記述かと思って手に取ってみたが、内容は哲学に関する考察で、私の手に負える代物ではなかった。
私のような無学者にとっては、哲学なんてものは何の意味も持たず、まさしく知のセンズリ以外の何ものでもない。
昔、オウム真理教の事件で、その広報を担当していた上裕史浩は、メディアのインタビューの度ごとに、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」と禅問答のような対応をしたので、後には「ああ言えば上裕」という風にまで言われたことがある。
私にとっての哲学なるものは、まさしく「ああ言えば上裕」の域を一歩も出るものではない。
この著者も本の中で言っているが、昔のギリシャ、アテネの時代は、普通の市民というのは何も仕事をせずにぶらぶらしている人間のことであって、日々、仕事に追われて汲々している人間は、奴隷クラスの卑しい人間であった、と記されている。。
仕事をするということは卑しいことであって、高貴な人は仕事などせずに、今のカウチ族のように、カウチ・ソファーに身を委ねてポテトチップでもつまみながら、人の噂話に花を咲かせているのがこの時代の普通の市民階層であったそうだ。
選挙権というのは、こういうクラスの人にしかなかったということだ。
つまり、こせこせ労働などせずとも食っていける富裕層の人が、ひとかどの市民であって、労働をするということは、それだけで神の罪科を背負わされた哀れな存在というわけだ。
だから、この時代の立派な青年というのは、一日中仕事もせずにぶらぶらしていて、日向ぼっこをしながら、カウチ・ソファーで、「ああでもないこうでもない」と人の噂話をしつつ、暇つぶしするのが常態であった、ということだ。
その中で「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という弁舌の技を磨くことが彼らの教養であった、というわけだ。
道具を使ってモノを作る、武器を持って人と戦う、人の世話をするという行為は、須らく奴隷という身分の者が行う行為であって、市民たるものの行うものではなかった、というわけだ。
古代の民主主義というのは、こういう狭い範囲の民主主義であって、にも拘らず、人間というのはやはり先天的に脳、頭脳を持っているので、モノを考えることが可能であった。
いつの時代でも、自分自身の立場、あるいは在り様を、自分の頭脳で考えるわけで、考えた挙句こうすればもっと合理的になるのではないか、と思考を巡らす。
例えば、飲料水を確保しなければならないという場合、水源の近くに人間の方が寄っていくか、あるいは合理的に水を運んでくる方法がないか、知恵を絞らなければならない。
こういうケースで、現場の人間つまり日々道具を使ってモノを作る作業を行っている人達ならば、過去の経験を上手に生かして、その場に適応した最も合理的な手法を考えだすが、いわゆる市民階層という選良の民は、具体的な経験がないので、口先で「ああでもないこうでもない」と言っている他なく、結果として安易に淘汰されてしまう。
ヨーロッパの古い伝統ある大学というのは、こういう富裕層のサロンであったわけで、ヨーロッパの学問の核となるものは、言うまでもなくこの哲学とか神学にあって、これを私の言葉で述べれば、知のセンズリ以外の何ものでもないということになる。
五体満足な立派な若者が、日がな無為な神学論争に耽っていても、世の中は一向に進化しないわけで、世の中がより良くなるためには、生産の合理性を追及して、奴隷階級に余暇を産み出さないことには、知の底上げには効果がないので、人間の進歩というのはそういう線に沿ってなされてきた。
地球の誕生が46億年前、人類の誕生が約1億年前として、今我々は2012年とその前数百年の歴史しか持っていないわけで、この間に人類の数は60億を越えるかどうかというところに立たされている。
地球が誕生し、人類が誕生し、それが今日まで来る間に、多くのモノが誕生し、それは同時に多くのモノが絶滅していったに違いない。
シダ植物の多くがそうだし、恐竜の多くがそうであるが、人間のみが絶滅することなく数を増やし続けている。
これはある意味で自然界にとって異常な事態ではないかと思う。
地球上に生息した生物は、ある一定の期間繁殖したら、後は絶滅の方向に向かうのが正常な自然なのではなかろうか。
人間だけがその自然の法則というべきか、自然の摂理というべきか正確には知らないが、自然の成り行きに逆らっているのではなかろうか。
何億年というタイム・スパンから、2012年プラス数百年という時間は、確かに一瞬の時間のようにも思える。
我々は有史以来、「人の命は一刻一秒たりとも長らえるべきだ」という思いから脱し切れていないが、これは自然の摂理に反した思考ではなかろうか。
ギリシャのアテネからローマ時代を通じて健全な青年は、日向ぼっこをしながら、日がな「ああでもない、こうでもない」と議論をして、哲学なるものに没頭しても、人の命の価値を正確に評価することが出来ず、人類の根源的願望である長寿願望を否定する論拠を見つけ出せずにいた、ということは一体どういうことなのであろう。
21世紀の今日においても、識者であればある程、人間の長寿願望に正当性を見出して、戦前・戦中の「産めよ増やせよ」をそのまま踏襲した思考に凝り固まっているということは一体どういうことなのであろう。
人類の数は、これから先、級数的に増加するものと考えられる。
昔は、未開の地域では、赤ん坊でも大人でも安易に死んでいって、それを天命だと本人も周囲も、そう思い込んで何の不合理も感じなかった。
ところが昨今では、そういう人々からの突き上げが厳しく、「こういう事態を招いたのは先進国の責任だ、何とかせよ」という欲求が強くなって、救済措置をこうじなければならなくなった。
本来は自分たちの問題であるにもかかわらず、周囲のモノに責任が転嫁されてしまって、先進国の責任にされてしまいがちである。
アテネ、ローマの時代から哲学なるものがあるとすれば、人類はもうそろそろ、人間の長寿願望の空しさを説く時期に来ているのではなかろうか。
今の地球上には、あきらかに文化の格差があるわけで、先進文化圏とそうでない未開の文明圏があり、先進諸国では人の命は一刻一秒たりとも粗末にすべきでないと言っているが、未開地では幼児が十分な栄養が行き渡らないので、幼くして死んでいる。
この状態を「何とかしなければならない」と大騒ぎするのは、先進国の側の知識人であって、それが文明の名で良い事だとされている。
ならば、今後、級数的に増加する人口問題に如何に対応するのかという問題になると、どうのように答えればいいのであろう。
地球にはまだまだ包容力があると言っても、それは何億年というタイム・スパンで量らねばならないわけで、この先1、2年の話ではないと思う。
この本の中には、人々の習慣が皆が皆同じ思考をして、それが普遍化したならば、それが一つのモラルとして確定し、それに反するものを異端者と見做すようになる、述べられている。
ところが、過去の人間は、それこそ皆が皆、長寿願望で一刻一秒たりとも長生きしたいと願っていたので、それが人間の普遍化した思考になってしまっている。
けれども、そこを突き崩すのが哲学者の使命なのではなかろうか。
富裕層の子弟が、五体満足で極めて健康的な青年でありながら、日向ぼっこをしながら日がな知のセンズリに耽って、それでも尚人は長生きを願望して止まないことに異議を差し挟まないというのであれば、彼らの考えは基本的に、古来から連綿と息づいていた奴隷の思考と何ら変わるものではないということになる。
だとすれば、人は高貴な富裕層の出自であろうと、額に汗して働くの出自であろうと、何の変わりも無いということになる。
哲学というものが、富裕層の若者の精神の遊びであるとするならば、それは遅かれ早かれ、精神の退廃に結び付くわけで、それの行きついた先が人間性の回復ということで、自然のままの心の在り様に行きついた、ということではなかろうか。
人間性の回復という言い方は、極めて美しい響きを持っているが、その言葉の裏の一面は、自分の我儘一杯の生活を望むことに繋がっているわけで、自堕落の助長と紙一重である。
自分の欲しいものは手に入れ、嫌いなものを遠ざけることは、人間の欲望の最も自然な在り様である。
ところが知のセンズリをしている連中は、あくまでも富裕層の民であって、暇を持て余した五体満足な毛気盛んな若者なわけで、そういう連中が老獪な大人や無邪気な幼児と同じ価値観で結ばれていては、彼らの估券に関わるわけで、若者ならば若者らしい独特な雰囲気で自己顕示欲を満たしたいだろうと思う。
それで日向ぼっこをしながら「ああでもない、こうでもない」「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という無意味な議論を繰り返していたのである。
21世紀の今日、学問というものが就職のためのツールになってしまっているが、この現状には哲学者たるもの大いに発奮し、是正の声を挙げるべきだと思う。
実践的なプラグマチズムに根付いた学問が不要というわけではないが、学問を就職の為のツールにしてしまってはならないと思う。
哲学者足るものは、そういうことを考えているのが真の哲学者ではなかろうか。
現代の進化した社会において、広範な知識は何人にも大いに必要なことは否めないが、大学というモノの本質を今一度根本から見直すべきだと思う。
医学や法律、はたまたテクノロジーを、同じ大学という枠組みで一括りして良いとは思えない。
学問というからには、あくまでも哲学や神学や、自然科学を追求すべきであって、医学や、法律、はたまた工学という分野は、あくまでもテクノロジ-の範疇であって、学問とは別物だと思う。
医学や、法律、工学というのは何処まで行っても就職のための職業課程であって、こういう分野にも学問的領域のあることは素直に認めざるを得ないが、それは就職過程の次に来る問題だと思う。
今、先進国では良い仕事に就くためには良い大学を出ることは必修条件になっているので、猫も杓子も良い大学に行きたがるが、こういう風潮に警鐘を鳴らすべきが哲学者ではなかろうか。
社会人として、知識は無いよりは有った方が良いことは言うまでもないが、教育というのもタダでは出来ないわけで、性根の卑しい若者が、ただたんに出世のための免罪符として大学に蝟集することが許されて良いとは思えない。
こういう風潮は一人や二人の特異な思考でこうなるのではなく、社会全体がそういうムードに浸り切っているからそれが普遍化して、「そうでなければならない」という倫理観、或いはモラルが形成されてしまうのである。
戦後の我々の民主教育では、個性の尊重ということが声高に叫ばれたが、みんなが皆、揃って大学に行くでは、個性を発揮する場を自ら潰しているようなものではないか。
哲学なんてものは、物事の本質を考え抜くことだと思うが、その考え抜いた事を世間に告知しなければ、哲学が死んだ思考のままで終わってしまう。
それではまさしく知のセンズリ、いや猿のセンズリのままでしかない。

「甦る零戦 国産戦闘機VS F22の攻防」

2012-02-19 08:13:54 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「甦る零戦 国産戦闘機VS F22の攻防」という本を読んだ。
著者は春原(しのはら)剛という若い人ひとだ。
本の表紙にはF22の機体の写真がデンと載っていたので、胸の踊る気持ちで読み進んだが、期待はずれだった。
こういうのを看板倒れというのであろう。
航空自衛隊の次期主力戦闘機はF35に決まったと聞いているが、この本の出版が平成21年なので、その時点ではF22 が有力候補だったことはいなめないであろう。
この本がいささか物足りなく思えたのは、主力戦闘機の決定が政治の場に置き換えられて、開発の苦労話が余り盛られていないので、いささか消化不良に感じられる。
ここで私自身のことを述べれば、私は昭和39年に航空自衛隊に入隊し、北海道石狩当別で警戒管制についていた。その後、満期除隊して、三菱重工で録を食んだ。
だから私の人生においては飛行機とは全く無縁と言うわけではなかったので、非常に興味を持っている。
そもそも私の育った場所が基地の近くで、60年前にはパンパンガールとGIにまぎれて青春を謳歌したようなものだ。
で、私が航空自衛隊の新兵であった頃、主力戦闘機は86FとDであり、アラートにはF104がついていた。
この86のFとDでは、Dがレーダー付きであったにもかかわらず、Dの方に人気がなく、Fが好まれていた。
当時の私の認識では、レーダーがついていた方が近代化されているように思えたが、実戦経験の豊富な先輩やパイロットの評価だと、レーダーの付いた分機体が重く運動性に難があるというものであった。
それと兵装の相異もあって、運用の仕方が根本的に異なっているという面もあった。
つまり、86Fは第2次世界大戦の空中戦の戦法でしか運用出来ないが、86Dはそういう古典的な戦法を超越してレーダーの支援を受けた総合的な戦法になっていた、ということではないかと素人なりに考えた。
我々がいた頃は要撃官制というものがあって、空中に上がった戦闘機に対して、地上のレーダ-・サイトから敵(目標)の情報を常に流し続けて、味方の戦闘機を最適な位置に誘導するという方法が普遍化していた。
私が自衛隊にいた頃はベトナム戦争華やかりし頃で、F4が最先端の戦闘機であった。
その後にF111という戦闘爆撃機というのが登場したが、これは可変翼であったので、その作動があまり芳しくなく、瞬く間に退役したように記憶しているが、F4に関しては我々レベルでは垂涎の的であった。
当時はF104がアラートに就いていたが、この機体の優れた部分を否定するものではないが、なにせF4はアメリカで空軍、海軍、海兵隊と、同一機種を三つの部隊が使っているという点で、その実力の程に驚いたものだ。
サイトには米軍の情報もふんだんにあって、F4の仕様なども分厚いTO(テクニカル・オーダー)で読みあさったものだが、頭の中のイメージでしかないにもかかわらず、その性能には大いに驚いたものだ。
それはベトナム戦争の戦況報告と多分にオーバーラップしていたに違いない。
後年、トム・クルーズ主演の「トップ・ガン」という映画を見たとき、あの時点すでにF4が時代遅れの遺物として描かれていたので、その意味でも大いに驚いたものである。
私もバッジへの転換教育は受けたが、その後の配置転換でバッジについては実際の経験はない。
バッジは104がF4に転換される事が前提でシステム化されたのではないかと思う。
F4のレーダーは当時においては驚異的なもので、おそらく当時の我々のサ-べランス・レーダ-に匹敵する能力を持っていたのではないかと思う。
当然のこと防衛秘密に指定されていたので 当時は我々も知ることができなかった。
戦闘機搭載のレーダーの能力が向上すると、当然のこと地上のレーダーで敵を発見し、そこへ友軍機を誘導するという手順も不要になるわけで、F4以降の戦法がどう変わったか私の知る所ではなくなった。
私があの当時知りえた戦法は、86のビーム・アタック、104のスターン・アタック、F4のフロント・スターン・アタックというもので、これらはそれぞれに戦闘機の特性にあった非常に合理的な戦法だったと思う。
私が警戒管制員として一番最初に石狩当別のオペレーション・ルームに入った時は、大いに感動し、大きなカルチャ-ショックを受けたものだ。
その後、仕事を通じて86のビーム・アタック、104のスターン・アタック、F4のフロント・スターン・アタック等の実態を知るにつけ、アメリカ空軍の戦争はこうなっているのかと大いに驚いたものだ。
そして、その合理性に接すると、我々日本人とアメリカ人の考え方の違いは、その発想の段階から大きなギャップがあることに気付き、その考え方のギャップの根源は、言うまでもなく資源の豊富さに裏打ちされた豊かさが垣間見えたものだ。
我々の発想では、如何なる開発でも常に省資源、省エネルギー、それでいて運動性抜群という性能が要求されるわけで、それを見事に具現化したのが零戦であったわけだ。
だが、アメリカはただただ零戦を落と為に高出力、燃料消費は考慮に入れず、強力な兵装を積む機体を開発したわけで、そういうことができるのも物が豊かだからである。
我々は資源小国なので、何時もいつも省資源が最優先され、ぞの次にセーブマネーが要求され、それでいて性能評価は最高のモノが要求されるわけで、何処かにその歪としてのしわ寄せが来ることは言うまでもない。
要撃機をレーダーで接敵地点まで誘導するという発想も、アメリカならではの豊かさの現れであって、それを目の当たりに見たときは大いに驚いたものだ。
あの戦争中の日本側の高級将校も、アメリカに留学しアメリカの事情に詳しい人もいたであろうに、アメリカを見て何も感じずに帰ってくれば、得るものがないのは当然だ。
私のように全く下っ端の新兵でも、オペレーション・ルームに一歩、足を踏み入れたただけで、アメリカ・プラグマチズムのシャワ―を浴びたように感じる人がいれば、あの戦いも大いに変わっていたであろう。
私が不思議でならないことは、こういう時代でありながら、なおも空中戦に意義を認めている戦闘機乗りの存在である。
空中戦という言葉は昔の言い方で、今はドッグ・ファイトと呼んでいるが、戦闘機の搭載レーダ-の性能が極端に進化して、遥か遠方の敵が捕捉されているのに、何故に近接ドッグ・ファイトが入用なのか、不思議でならない。
戦闘機乗りの古典的な思考のなせる技なのであろうか。
日本のように、専守防衛を国是としていて、自分から決して攻めることをしないと宣言している国ならば、もう有人の戦闘機は不要のようにも思える。
全くゼロという極端なことは言うつもりはないが、限りなくゼロの近づける工夫はされてもいいと思う。
今の世界情勢を鑑みて、自分の国を守る兵器を、自分の国だけで開発する、ということも非常に難しい問題に直面しているようだ。
特に我々の国のように、国家として戦争放棄を公言している国ならば、兵器の開発ということすら、近隣諸国に物議を醸し出しかねない。
我が国も戦後66年の間に多くの兵器を開発しては来たが、近代的な主権国家が自国の兵器を常に最善に維持することは、主権国家の存立の基本なわけで、自分のことは自分で考える、自分の国は自分で守る、ということは人が生きるミニマムの条件であって、それが判っているからこそ、日本近辺の諸国も日本の兵器開発に何にも文句を言ってはこなかった。
つまり、彼らとても、日本の掲げる戦争放棄ということを頭から信用していないわけで、負け犬の戯言という認識でいたに違いない。
ところが、そうは言いつつも、日本が世界に冠たる兵器を作るとなると、やはり心中穏やかではなくなるわけで、そうなると重慶を爆撃した日本軍の再来が瞼に浮かび、警戒心を募らせるということになる。
我々の国が66年前と同じで、復興の道半ばの状態であれば、周辺諸国も枕を高くして眠れるが、日本は既にアメリカと肩を並べるほどの大国になってしまったので、そういう日本にアメリカをも凌ぐような兵器を作られては甚だ困るわけで、彼らとしては干渉せざるを得ないが、下手に手を出すとアメリカが控えているので、それもままならないということなのであろう。
日本人の物作りは実にすごい事だと思う。
先日、『はやぶさ』という映画を見たが、あれは衛星『はやぶさ』が打ち上げられてから帰って来るまでの技術者の苦闘を描いているが、その中でアメリカのNASAの技術者が視察に来て、日本のクルーの使っている備品の粗末さに驚くシーンがった。
日本という国の決定的な弱点は、地勢的な条件でもあるが、いわゆる資源がない、金がない、政治手腕がない、という無いないずくしに尽きる。
だが、我々の持つ技術力とアイデアは世界に冠たるものがあって、その点は実に喜ばしいことであるが、合わせて、我々の持つ特性は我国の弱点でもあるが故に、それを克服できず十分に生かしきれないという面もある。
資源がない、金がないという面はいた仕方ないが、政治手腕がないという点に関していえば、我々の同胞が一致協力すれば克服できそうに思うが、それがそうならないところが我々の民族の弱点がある。
我々は、あの大戦を経て、戦争の無意味さは肝に銘じて悟り切っているが、だからと言って、戦争放棄を嬉々として受け入れ、良い子ぶっている姿は、見事に政治手腕の稚拙さを世に曝しているようなものではないか。
先の大戦で辛酸をなめた我が同胞が、再びああいう戦争をしでかす事がありうるであろうか。
憲法で改めて戦争放棄を宣言しなければ、我々は平和を維持できないのであろうか。
憲法で高々と戦争放棄を掲げないと、我々の同胞は、再びああいう悲惨な戦争を繰り返すような愚を犯す事が考えられるであろうか。
我々同胞が再びああいう戦争をしでかす、と思っている人達は、自分の同胞を全く信用していないという事で、如何にも政治手腕の欠如を見事に露呈しているではないか。
物つくりの場面において、我々は余りにも優れているので、その点を先進国は非常に恐れている。
その良い例が、この本でも縷々述べられているが、FSXの開発であって、日本の自主開発がアメリカの横槍で共同開発となり、アメリカ側のブラック・ボックスはそのままに、日本の先端技術はアメリカ側に掠め取られたわけで、こういう面でも我々の側の政治手腕の稚拙さが浮き彫りにされている。
今の世界で、良いものだから、というわけで自国だけで独自に開発することはゆるされていないようだ。
その根底には金の問題が底流として流れている様にも見えるが、一国だけで自主開発するには余りにも金が掛かり過ぎて、その金の問題に起因して、他の国と共同開発という風になりがちであるが、民生品ならばそれもゆるされるが、軍需品となるとどうしても秘密の部分がネックとなって、そう安易にタッグを組めない。
こういう状況の中で、世界中は日本の技術力にはほとほと驚き、驚嘆し、脅威に思っているに違いない。
中でもヨーロッパ系の白人の認識からすれば、モンゴリアンのジャップが、西洋文化を凌駕することは切歯扼腕の思いでいるに違いないと思う。
零戦の出現に対する彼らの驚きは、驚天動地のことであったと思うが、それによって彼らの日本人に対する認識が変わったわけではなく、差別意識はそのまま継続されているが、その部分を我々は正確に把握し切れなかったので、自己満足に陥って傲慢な態度で処してしまったのである。
これはひとえに政治手腕の問題で、我々はものを作っている間は極めて健気であるが、その作ったものを運用するというソフト面になると、途端に政治手腕の稚拙さが露呈して、出来上がった優秀なものを使いこなせないというジレンマに陥る。
この本を読んでいて物足りなかったのは、ここで紹介されている先進技術実証機『心神』の記述が少なかったからであるが、今の段階ではこれ以上の詳細な情報はあり得ないのかもしれない。
飛行機を作るについても、そのコンセプトの段階から政治が介入し、その上、安保条約の呪縛からアメリカとの折衝もあり、予算にまつわる政治的駆け引きまで絡んでいるわけで、現実の実物を作るだけでは済まない様々なハードルがある。
これが開発独裁といわれる後進国ならば、リーダ-のツルの一声さえあれば、全てがスムースに動くが、我々のような民主国家では、限りなく衆愚政治に近いわけで、単純にものを作るだけならば安易に進化できるが、これに政治とか周辺の事情がまつわりついてくると、一向に前に進まない。
日本が零戦を開発したときは、余所の国と同盟を結んでいたわけでもなく、周辺諸国に気配りをする必要もなかったので、軍は目一杯の要求をメーカーに押し付けたので、メーカーはそれに応えるべく奮闘努力をしたというわけだ。
日本の物作りの現場は、実現不可能に近い要求を押し付けても、メーカーはそれに一歩でも二歩でも近づけるべく努力するわけで、それに資金と物資を充分にあてがえば、世界一のモノが出来上がるとういうことになる。
ところが次期戦闘機の開発ということになると、最初にコンセプトをまとめる段階から、政治的にああでもないこうでもないという話が飛び交い、そこにアメリカとの意見調整も絡み、周辺諸国への気配りも考えねばならず、最初のコンセプトは日が経つにつれて縮小して、結局は意味をなさず、全機完成品の購入ということになりがちである。
これが民生品ならばこういうことはないわけで、車でも、カメラでも、電化製品でも、誰に遠慮することもなく自由に開発し、自由に作って、自由に売ればいいが、軍需品となるとこういう制約があるわけで、これも憲法で戦争放棄をうたっている以上、戦争のツールとしての武器の売買が出来ず、作る能力もあり、日本製の兵器を買いたいところもあるにもかかわらず、それに手が出せないでいるわけである。
日本国憲法の第9条の戦争放棄という条項は、我々が生きるという自然権、いわゆる基本的人権、国家の繁栄、民族の繁栄、人々の富を追い求める欲求を踏みにじっているということになる。
あの「憲法九条を遵守すれば平和に暮らせる」という思考は、人間の存在というものに対する不十分な理解の上になり立っ不遜で驕った考え方だと思う。
あの世界大戦で我々の祖国は敗北した。
その敗北の責任は、全て当時の戦争指導者、政治指導者が負うべきで、我々国民はそういう未曽有の人災の哀れな犠牲者であり、被害者であると言えるが、不幸なことに我々国民の側にも、戦争に協力した人々というか、勢力があったわけで、そういう雰囲気で日本中が覆われていたことは否めない事実であったと思う。
今の日本人の憲法9条擁護の考え方も、人間の在り方、あるべき姿、自然のあるがままの思考を故意に歪曲した、極めて夢想的な理念の上に押し建てられた考え方で、我々が追い求める理想に限りなく近いユートピアを待望する思考であって、人間の善意に余りにも寄り添った考え方である。
戦後66年間我々は銃火を交えたことは一度もないが、主権侵害が一度も無かったということではない。
主権侵害は数限りなくあったが、我々は穏忍自重して、事を荒立てなかったというだけで、決して我々の周辺諸国が日本の主権を尊重してくれていたわけではない。
そういう環境の中で、我々が勝手に戦争放棄すれば、日本の主権を侵す国はないと思い込む愚は、あの戦争で日本を奈落の底に突き落とした当時の我が同胞の戦争指導者、政治指導者と同じレベルの人間でしかないということだ。
戦後の我が同胞の知識人が、憲法9条の事をことのほか人間の理性の具現かのように大事にする心境を精密に分析すれば、やはり人間という生き物に対する無知に繋がっていると思う。
戦中の日本の軍人、特に高級将校といわれるような人達が、近代的な戦争の本質を全く知らなったのと同じで、戦後の知識人も、平和の本質をまったく知らず、知ろうともせず、ただただ平和念仏さえ唱えておれば、平和は向こうからやって来る、と信じ切っている愚と同じである。
今、世界中が景気の低迷に遭遇していて、何処の国も四苦八苦しているが、考えて見れば地球規模で物質文明が進化すれば、人は必然的に余り、その余った人間は行き場がなくなるのは当然の成り行きなのではなかろうか。
鉄道の駅を見ても、我々が子供の頃は、どの改札口にも駅員がいて切符にハサミを入れていた。
今、駅の改札口には駅員はほとんどいないが、あの駅員達は一体何処に行ったのであろう。
こういう現象が日本の社会のあらゆる場面にあるわけで、あの合理化で余った人達は一体何処に行ったのか、と考えると、社会全体として不景気になるのは当然の成り行きだと言える。
21世紀の今日は言うまでもなく、テクノロジ-は日進月歩で進化しているが、この進化は合理化の方向を向いて進化している。
ところが、これだけ合理化が進むと、それを否定する方向を模索しないと、益々人間は住みにくくなる。
人が生きる、生き抜くということは、生存競争に勝ち抜くということだ。
つまり、潜在的な、伏流水のように目に見えないところで濁流として流れている大きなうねりとしての戦いであって、それに勝ち残るには究極の合理主義でなければ立ち向かえないということだ。
ところが我々にはそういう認識がないものだから、古典的な騎士道、日本流にいえば武士道で、正面からの正攻法で勝負に臨むから、足元を掬われてしまうのである。
食うか食われるかの戦いであるからには、何が何でも自分の方が生き残らねば意味をなさないわけで、戦法が卑怯だとか姑息だとかいくら言ったところで、負けてしまえば全く意味をなさない。
我々とアメリカ人との発想の相違は、こういうことだと思う。
戦闘機に限らず、我々が何か新しいものを開発しようかという時に、真っ先に上がって来る要求が、省資源、省エネルギー、セーブマネーということである。
そのことは、我々日本民族が置かれた地勢的な必要不可欠な条件であって、これがある限り西洋あるいはアメリカを凌駕することはあり得ないであろう。

「大正時代を訪ねてみた」

2012-02-17 09:39:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「大正時代を訪ねてみた」という本を読んだ。
サブタイトルには「平成日本の原風景」となっている。
著者は皿木喜久と言う人だ。
昭和15年生まれの私は今72歳であって、当然のこと大正時代については知る由もない。
しかし、あの狂気の昭和の時代を掘り下げて行くと、その前の大正時代についても、それなりに掘り下げなければならないと思う。
だが、この時代については案外等閑視されているような気がしてならない。
それと言うのも、戦後の歴史教育が西暦で語られるので、大正時代という言葉が俎上に上りにくい、という面があるのかもしれない。
大正時代を西暦でいえば、1912年から1926年までの間であるが、この間はある意味で日本の戦間期であって、平和を謳歌した時代でもある。
大正デモクラシーという言葉は巷にあふれたが、この戦争の無い平和な時代に、ある意味で民主主義が熟成されればよかったが、そうならなかったところが歴史の現実であった。
この本のサブタイトルにもある様に、平成の政治的混乱の萌芽が、既にこの時代に芽生えていたのではないかと思う。
そもそも、人間の生存ということを考えた時、基本的には民主主義が統治の原点ではないかと思う。
人間の集まりが国家という概念に至る前の時代においては、人々は今でいう集団合議制で、自分たちの在り方を決めていたのではないかと思う。
そういう時代を、今の概念で示せば、山賊や野武士の集団と考えればいいと思うが、こういう人達でも、自分たちの先行きを考える場合、リーダーの取り巻き、いわゆるスタッフの意見を聞いて、それを参考にしながらボスがある決定を下していると思う。
自分たちの集団の回りに起きるさまざまな事象、現象、具象に対して、如何に対応するかが統治であったに違いない。
統治の副産物として、金銀財宝を身の回りに集める、という行為もあったに違いなかろうが、それはあくまでも与録であって、統治の主眼がそこにあったわけではないと思う。
山賊の親分でも野武士の頭目でも、自分のスタッフの意見は尊重したに違いないと思うが、そういうスタッフの意見を聞いて決定し、決断を下したことを実践するについても、やはり同じようにスタッフが要るわけで、その部分を今風の言い方をすれば行政・官僚ということになる。
しかし、こういう山賊や夜盗及び海賊の様な集団を一つのマスと捉えた時、そこには必ずリーダーが自然発生的に産まれるわけだが、一つのマスの中ではリーダーの数は限りなく少なく、大抵の場合一人である。
リーダーが2人も3人も居れば、その中での意見の集約ということはあり得ないので、群れ全体が右往左往することになってしまう。
だから、リーダーは一人であるが、リーダーを補佐するスタッフは、それぞれの群れの統治の仕方によって千差万別である。
こういう人間の集団が近代国家をなすようになると、リーダーを補佐するシステムも複雑化してきて、統治のシステム化が顕著になってきた。
統治する側とされる側では、その中の人間の数が極端に違うわけで、統治のシステムとして行政を司る人は、ある程度の人数ではあるが、それでも統治される側の人から比べれば数はうんと少ない。
人間の集団としての社会は、統治する人とされる人の2種類に分類される。
リーダーがたった一人で、そのリーダーが統治すべき人から私利私欲を収奪するような思考であったならば、大勢の人々が困るわけで、そういう統治であってはならないというわけで、様々な政治システムが考案されたが、その中でももっとも人々の共感を得られるに違いないと思われるものが、民主主義という手法であった。
これは統治されるものが、自分たちの総意で、自分たちのリーダーを選出するというシステムであって、そうであるとするならば、人々は自分たちの選んだリーダーに黙ってついていくに違いない、という狙いがあった。
ところが人間の考えというのは、それこそ十人十色で、その考える事というのは文字通り千差万別であるわけで、リーダーが「あっち行こう」と言っても、様々な意見が出て、意見の集約が出来ず、行先は一向に決まらないということになる。
この地球上にある数ある人間集団の中には、リーダーの世襲制のところもあって、そういうところでは大体が独裁政治なので、リーダーは統治される側の人々の意向など考える必要はなく、リーダーの思い通りの施策が可能である。
問題は、そういう施策が、統治されている側の人々の共感を得、そういう人々の幸福感に寄与しているかどうかという点である。
我々日本民族の生い立ちも、基本的には農耕民族で、山から流れでる川の水が得られやすい場所で稲を栽培して、米を作って生計を立てていたに違いない。
そういう集団の中に、山賊か夜盗のような暴力集団が押し入って、今の暴力団のみかじめ料の様な搾取が恒常化して、それがおいおい地方豪族に成長して、最終的にはそれぞれに覇を競うようになった、と私は考えている。
問題は、元々稲を作って平和に暮らしていた人達の意思決定方法であって、こういう人たちは、リーダーをお互いの回り持ちでこなしていた。
だから自分がリーダーの時、余りはりきり過ぎて過去に前例がない特異な行為をすると、自分がリーダーを降りた時にしっぺ返しがあるわけで、好むと好まざると前例踏襲に徹しなければならなかった。
言い方を変えると、封建主義を踏襲せざるを得ず、過去の前例からの脱却できずにいたということである。
農作業の手順に関しては既にルーチン化しているので、誰が号令をかけてもつつがなくこなせるが、想定外の事態に直面した時の対応において、どうしても前例主義に陥ってしまって、新しい発想を試す事が出来なかった。
そういう殻を打ち破ったのが明治維新であったが、この大革命を経ても、日本民族のすべてがすべて意識改革に成功したわけではなく、それに乗り遅れた者も大勢いた。
我々の民族の歴史を振り返ってみると、我々は稲作農民であったが、この過程においてリーダーの回り持ちを経験しているので、大勢の人がある意味で政治的な物の考え方になじんでいたということが言える。
自分たちの考えを政治に反映させることの意義を知っていたとも言える。
ところが、これも我々の仲間の数が少ないうちはそれで治まっていたが、我々の同胞の人口が多くなると従来の方法では行き詰ってしまうことになった。
人口が増えるという意味は、物理的な人間の数のみではなく、従来政治に参与していなかった階層が、人権意識の高揚によって新たに政治参加の権利を持つようになった、という意味も含まれている。
これは、普通は民主化の成熟という言い方で語られているが、古代ギリシャの市民階層でも奴隷の階層の者は政治参加できなかったわけで、我々も同じような軌跡を歩んでいるということだ。
現に普通選挙法の施行も、新たな階層に政治参加の機会を与えたわけで、政治というものがお互いの顔の判りあえる範囲内のものではなくなって、不特定多数の顔の見えない大衆を相手にしなければならなくなったということだ。
従来ならば、自分の顔の見える範囲の利害得失を追い求めておればよかったが、顔の見ないどこの馬の骨とも判らない人間の利害得失を代弁するについては、どうしてもある程度無責任に成らざるを得ない。
そのことは、口を開けば国民大衆の利便を代弁する大言壮語を吠えまくらねばならないが、心の中ではあくまでも自己の利便のための方便であって、口先だけのリップサービスに過ぎないということになる。
だから、現代の先進国の民主主義体制というのは、統治する側のリップサービスと、そのリップサービスの実行を何処まで追求できるかのせめぎ合いだと考えてもいい。
統治する側に立とうと考えている人達の立候補の立会演説は、その内容の全てが「当選した暁にはこうします」という公約であるが、公約はあくまでもリップサービスに過ぎず、自己PRの場でしかない。
被選挙民、つまり選ぶ側が顔見知りの範囲ならば、候補者も本音で語れるが、選んでくれる相手が何処の馬の骨とも判らない大衆では、綺麗ごとを並べたリップサービスでしか、自己の特質を知らしめる方法がない。
よって、出来もしない理想論を振りかざすということになるのであるが、選ぶ側の見識に政治に対する期待が薄い場合は、その選択に瑕疵が生じ、結果はブーメランのように選んだ側に振りかかって来る。
我々の先祖は農耕民族としてルーチン化した祀り事はリーダーを廻り持ちで行ってきたので、ある意味で誰でもその長(おさ)が務まる。
これはいわゆる究極の民主主義体制であったわけだが、このDNAが今日までも引き継がれて、長という立場に固執する日本人は極めて少ない。
いとも安易に長という椅子を放り出してしまう。
リーダーの座に全く未練を持たないということは、その地位が廻り持ちで、誰がやってもある程度は全うできる、ということがわかっているからであるが、政治の場ではその間の政治的空白は免れない。
この政治的空白が問題になるケースは、喫緊の課題を抱え込んだ時であって、そういう時にこそリーダーの存在が問われるのに、その緊急課題を政争の具にするところが我々の悪弊である。
この本の中にも述べられているが、大正14年には治安維持法と普通選挙法は抱き合わせで成立している。
治安維持法は世紀の悪法のように言われているが、政友会、憲政会、革新倶楽部という政党の議論を経て成立しており、スターリンや毛沢東のような独裁者が自分の政敵を潰すために作ったわけではない。
「そういう法律が必要だ」、という国民の側の欲求があった、という当時の我々の置かれた状況をよくよく注視する必要がある。
普通選挙法だとて、当然のこと、国民の欲求があったればこそできたわけで、何も求めるものがないのに為政者の都合で法案ができるわけではない。
そういう意味では我々同胞の政治感覚は素晴らしいものがあるが、皆が皆、この素晴らしい特質を兼ね備えているが故に、結果として「船頭多くして船山を登る」ということになってしまっている。
一人一人が、それぞれに立派な意見を持っているので、百家争鳴となってしまい、意見の集約が出来ず、結果として物事は一歩も前に進まないということになっている。
大正時代の船成り金という言葉はよく聞いたものだが、この成り金という言葉には、成り金になり損ねた庶民の怨嗟の気持が含まれていることは容易に想像できるが、成り金といわれ、暫くして没落する人達のことはどう考えたらいいのであろう。
「自分が一代で稼いだ金なんだから、自分の代で使い切る」という考え方を、我々はどう考えるべきなのであろう。
私の考えで言えば、やはりこういう考え方は下衆っぽい思考であって、堅実な考え方の対極をなすものだと思う。
この考え方は、自分一人のことしか眼中になく、周りの人たちのことが思考から抜け落ちてしまっていて、今で言うところの究極のジコチュウ(自己中心主義)でしかない。
「自分で儲けた金を自分で使って何が悪い」という論法であるが、自分が儲けたということは、相手の犠牲の上に成り立っているわけで、そこの心配りが行き届いていないということが、その後の日本の先行きに大きく影響を及ぼした。
大正3年に日本が第1次世界大戦に参戦するということは、イギリスとの条約がある以上、いた仕方ない面があるが、中国に対して対支21カ条の要求というのは、余りにも我々の側の驕り高ぶった振る舞いだといわざるを得ない。
時の総理大隈重信は、あまりにもシナを舐め切っていたわけで、こういうことが判らない、事の善悪が判断できない、ということはその案件について無知だったとしか言いようがない。
昭和の軍人、特に高級将校、高級参謀といわれるような人々が、現代の戦争に無知だったのと同じように、大隈重信も我が隣国の人々のことに思いが至らず、相手に対して無知だったという事だと思う。
船成り金と同じで、たまたま時の巡り合わせで金持ちになれたものを、自分の実力で儲けれた、と思違いをしたようなもので、身の程知らずということだ。
その一方で、この時代は軍にとってはまことに不運な時期で、ある種の軍縮ムードに押されて、軍人が肩身の狭い思いをさせられた時期でもあった。
その反動で昭和初期の軍人は威張り散らしたわけでもなかろうが、軍人に対する扱い方に、余りにも幅が広いというのも大いに考えざるを得ない。
地球規模で眺めれば、軍人の中でも将校と下士官では扱いが違いうのが世界標準であって、将校というのは何処の国でもある程度社会的地位が確立していて、基本的には貴族であって、食うに困ることのない人々がなっている。
ところが日本の場合は、将校の出自は士農工商のあらゆる階層にあるわけで、一言でいえば官僚化されたサラリーマンである。
軍籍を離れたらその日から食うに困ったわけだ。
そういう階層の者にとって、軍縮は自分の首を絞めるようなもので、そういう状況下で軍人が軍服で街を歩けない、私服でなければ街を歩けない、という状況はまさしく受難の時期であって、その反動が昭和初期の軍人の態度に反映されたものと考えざるを得ない。
先に述べたように、近世以降の統治ということは、山賊や海賊の親玉ではあり得ないわけで、リーダーも下々の下世話にも大いに通じなければならなくなったわけで、下の者のご機嫌伺いをしながら、自己の目的を推し進めなければならないので、上からの「オイ、コラッ」式で行けなくなった。
上は上なりに気苦労が多くなった。
その意味で、大正時代に軍人が軍服で街を歩けないということは、市民の存在感が大きくなったということでもあって、市民の軍部に対する風当たりが強くなったことを指し示しているが、これはこれでまた大きな反省材料でもあった。
つまり、日露戦争では軍人や軍部の活躍を手放しで喜びながら、時代が下がって大正時代になると、彼らの存在を冷ややかな目で見ているわけで、軍人サイドに立って見れば、「何を小癪な平民メ」という思考に自然になると思う。
ということは、国民というものは常に時流に迎合するのがその本質であって、国民大衆には理念も理想も最初から存在していないわけで、それをあたかもある様に吹聴して回るのがメデイアというヤクザな存在であった。
もっとも国民とか市民というのは、目先の自己の利益だけが感心ごとなわけで、そう先のことまで考えてはおらず、目の前の利得だけに関心を示すので、統治者としてはそれに応えてさえおれば安心できる。
つまり馬の鼻さきにニンジンをぶら下げておけば安泰だと思われている。
これを今実践しているのが平成の民主党政権であって、民主党政権というのは国民に金をばら撒くことのみに専念しているわけで、そんなことをしておれば当面の人気は衰えないが、その先はどうなるか判ったものではない。
国民に対して耳障りの良い事ばかりを並べたてて、人気取りには熱心であるが、真の国益については何のビジョンも示し得ない。
国民の嫌がることは先送りして、国民のアメだけをばら撒けば、当座の人気は上がるけれど、そんな事が長続きするわけがない。
私自身の研究不足かもしれないが、昭和初期の時代に軍人が跋扈する背景が大正時代にあるのではないかと思って注視しているが、この時代の事柄を書いた書物は、全てが戦争の話になってしまって、肝心の政治から離れてしまっている。
例えば、美濃部達吉博士の『天皇機関説』の論議もまことに不思議な話で、最初は大勢の国会議員も違和感を持っていなかったにもかかわらず、最終的には議会を追い出されてしまった。
これは一体どういうことなのであろう。
斎藤隆夫の演説も、当初は彼の演説に好意的だった者が、時の経過とともに彼を糾弾する側に傾いてしまう、ということは一体どういうことなのであろう。
この時代には、いわゆる風見鶏のように時流を探り当てる才覚を持ち合わせていないと生き残れないということだったに違いない。
それは俗に言う「寄らば大樹の陰」というもので、大勢のグループに身を寄せるということで、身を寄せるべき大樹の正当性は何ら問題にされず、ただ数さえ多ければそれが正義だったというわけだ。
多数意見の具現といえば究極の民主主義で、その意味からすれば美濃部達吉も斎藤隆夫も自己にこだわり過ぎて冷や飯を食わされたということになる。
それと同時にある意味でイジメの構図でもあった。
彼らを糾弾する声が大きくなると、一人去り二人去りと、彼らの身の回りから身を引いたわけで、火の子が我が身に降りかかる事を避けたということだ。
自分がそういう状況から身を引くだけならまだ許せるが、この後に及んで「虎の威を借りる狐」よろしく、時流に呼応したスローガンを叫び、アジテーター乃至は自己顕示欲の塊のようなさもしい人間の存在である。
ここでいう時流というのが軍国主義であったわけで、この軍国主義に迎合しない気骨のある人間を、異端者としてイジメ抜く構図が一世を風靡していたのが昭和の初期という時代だった。