例によって図書館から借りてきた本で「日本の戦争 封印された言葉」という本を読んだ。
著者というよりも監修を田原総一郎が行っている。
故人の残した名言を集めたものであるが、こういう名士の言葉を集めた書簡というのは、古くからあった様に思う。
こうして後世に残る言葉はまだ生きた言葉といえる。
だが昨今のメデイアの発達というのは、ある意味で言葉狩りが進化したようにも見える。
東日本大震災が起きて丁度一年を経過したことになるが、あの地震で、被災した東京電力の第一原子力発電所を視察した大臣が、取り囲んだ記者団に「放射能を移すぞ」とジョークを言ったら、それが不謹慎だということで大臣の椅子を追われてしまったが、こんな馬鹿な話はないと思う。
私はその時の大臣、鉢呂元経産大臣に義理があるわけではないが、大臣としてあるいは公人たるもの、記者団の前で冗談も言ってはならない、という風潮は全くもって閉鎖社会の到来だと思う。
閉鎖社会というよりも一人の人間として、一人の日本人として、ユーモアも理解できない知性も理性も欠いた人間ということだと思う。
その時のその場の雰囲気としては、震災の被災者を前にしていう冗談ではない、ということかもしれないが、この正義感は一体何なんだと言いたい。
メデイアに関わる人間は、その全てがインテリヤクザと見做さなければならないわけで、ここで取材される側が良い格好シイで相手を甘く見ると、このケースのように足元を掬われるという事になるのである。
だからその点からしても、為政者の側、つまり大臣の側が真に立派かどうか、という人格の対比という意味ではないが、お互いに日本人という過去の同質性が薄れたということだと思う。
取材者を取り巻くメデイアの側がヤクザな人間でないとするならば、人の足元を掬うような卑劣な文言は撒き散らさないと思う。
メデイアによって少しばかり叩かれたからと言って、さっさと辞める大臣も本当な情けない有り様だと思う。
自分を取り巻くメデイアの面々に、少しばかりお愛想のつもりでジョークを言ったら、その言葉尻を掴まれて大臣の椅子を放り投げるというのも、まさしく子供じみた振る舞いで、冗談でいったものならば、その旨を堂々と反論すべきではないのか。
取材する側とされる側にも、過去においては目に見えないルールというか、仁義というか、規範というか、モラルのようなものがあって、それが個人のプライバシーを徹底的に暴くことの防波堤になっていたに違いない。
双方に人間としての知性と理性が備わっていれば、報じるべきか握りつぶすべきかは、個人の裁量権の中のあるように思う。
取材で知り得たことでも、「これは公にすべきことではない」という判断が取材する側にも備わっていたと思う。
大臣の言ったジョークも、あくまでもジョークの範疇で捉えて、しかもオフレコの発言であればなおさら公にすべきではなかったと思う。
公人の発言した言葉尻を掴まえて、相手を貶める発想というのは、正に汚い人間のすることで、ジョークを本音と置き換えて人を貶めるなどという事はあってはならないと思う。
メデイアの存在価値は権力の番人という意味で、メデイアが権力者の発言に注意を払うことは彼らの本質そのものであるが、私生活や内輪の冗談まで暴きたてて、言葉尻を掴まえて罠に嵌めても良いというわけではないと思う。
そこには社会人としての常識というものが普通に機能してバランスを保たねばならないと思う。
しかし、もう少し穿った見方をすると、これは言葉によるイジメという面もあるように見受けられる。
かなり以前の話であるが、小説家、筒井康隆氏の作品が教科書に載ったら、その中に差別用語があったと指摘されて、筒井氏が絶筆宣言をした事があった。
これは氏の『無人警察』という作品の中に、てんかんに対する差別的な表現があったらしくて、その部分は実際にはこうなっている。
「テンカンを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定機で運転者の脳波を検査する。異常波を出している者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである。
このコンテンツの何処が差別的なのであろう。
この文の前後にはスピード違反を取り締まる機能や、飲酒運転を取り締まる機能を有するロボットの話であって、その流れの中で、危険な運転手をあらかじめ排除するという安全への心配りを逆手にとって、てんかん患者への差別と捉えているが、これは明らかにあてこすり以外の何ものではないではないか。
こういうことが言葉狩りであって、その実態は明らかに難癖であり、イチャモン付けであり、イジメ以外の何ものでもないではないか。
人が目の前のものを見て如何に感じ取るか、ということは極めて難しいことであって、世間一般には素直に受けとっていることでも、故意にそれを逆手にとって、真逆の解釈をする人もいるわけで、こういう人はその正当性をアピールしなければならないので、どういう風にも理由つけをする。
それを良い子ぶって追認すると、世間の常識が徐々に徐々におかしな方向にずれて行ってしまう。
この本は、田原総一郎氏が日本の近現代史の中の著名人の中から随意に選んで、その人達の言葉を羅列したものであるが、一人の人間がその生涯に云い残した言葉等というものは、数え切れないほどあるに違いない。
あの太平洋戦争の開戦に至る過程でも、政府首脳の誰一人として、イケイケドンドンと称えた人はいないわけで、好戦論者と言われていた東条英機でさえも、天皇の意思を実現すべく、最大限の努力をしたに違いなかろうと思う。
それでも天皇の意思に応えること(避戦)ができなかったわけで、夜中に一人涙したという話は、胸のつまる思いがする。
私が思うに、あの戦争の責任はやはり国民全体にあったように思えてならない。
確か、終戦のとき、東久爾宮ではなかったかと思うが、『一億総懺悔』とういう言葉を発した人がいたが、確かに我々国民にも懺悔の値打ちはあるが、直接の責任は軍部であることは言うまでもない。
子供でも判ることだが、負ける戦争ならば誰でも出来る。
当時の陸軍士官学校、海軍兵学校というのは、戦争に勝つ軍人を養成していたのではないのか。
戦争は博打ではないのだから、何が何でも勝たねばならないわけで、負ける戦争ならば最初からしてはならないのである。
我々同胞の先輩は、日清・日露でたまたま勝ってしまったので、勝算がないと思ってもやってみなければ判らない、という安易な思考に流れてしまったのである。
これは一人や二人の先走った人の発想ではなく、国民の全部がそう思ってしまったわけで、それを安易に実践したのが軍部という事になるが、問題は本来優秀であるべき陸士や海兵を出た人たちが、そういう国民の時流に迎合した思考を諌める方向に機能すべきであった、ということだ。
それでこそ戦争のプロフェッショナルであり、真の戦争のプロフェッショナルであれば、無芸大食の一般国民と同じレベルの思考であって良いわけないではないか。
昭和初期の軍人、あるいは軍部が、天皇にのみ責任を負うものであるとするならば、天皇の軍隊が真けるような戦争指導して良いわけないではないか。
天皇の軍隊が、天皇の赤子を死地に追いやるような作戦をして良いわけないではないか。
あの戦争に突き進む潜在的なエネルギーは、国民の側にあったと思うが、その国民の期待に応えるべく動いたのは紛れもなく大日本帝国軍隊であって、彼らが戦争のプロであったにもかかわらず敗北したということは、彼らの組織が限りなく官僚化していて、普通のことが普通でなくなっていたからに他ならない。
我々が常に考えなければならないことは、単純に考えれば子供でも判ることを、何故に理解不能の行動に駆り立てるのか、という思考回路についてである。
戦前の日本においても、真にものを見る目を持った人は、軍部のやっていることに批判的であったが、我々の同胞はそういう意見を封殺してしまったではないか。
真にものが見ていた人の言質を、少数意見なるが故に非国民というレッテル付けをして、封殺して、表面的な一時的な勝利に酔いしれて「勝った!勝った!」と有頂天になっていたではないか。
この本の標題「封印された言葉」は戦前にもあったわけで、言葉を封印することこそ、民主主義の禁じ手だと思う。
焚書にも匹敵する愚昧なことだと思うが、我々日本民族の良心の揺らぎというのは、まことに曖昧で、その時の時流によって、その良心を規制する基準が右に寄ったり左に寄ったりを全く定まらない。
我々の民族の価値観が時代によって揺らぐということは、言い方を変えて善意に解釈すれば、思考の柔軟性であって、時の状況に応じて柔軟に対応しているということも言えるが、日本民族の今日の繁栄は、その部分に負うところが大だと思う。
戦前戦後を通じて、言葉狩りで、正義と思しき事がらを、大勢の人が寄ってたかって封殺しながら、新しい価値観を築き上げて前に進んできたわけで、その間に人民の側に多大な犠牲者・被害者が出たけれども、民族全体としては大きく前に進んだ。
我々は太平洋戦争に敗北したことによって、世界屈指の経済大国になりえたと言える。
我々のおっぱじめた戦争の目的は、こういう日本の建設を目指して世界に挑戦したわけであって、一時的には日本は敗北の憂き目にあって、国土は灰に化したが、その後の復興が戦争の目的を完全に実現したものと考えられる。
そこで今に生きる我々は、その時に被害をこうむった同胞、戦死者、引き揚げ者、抑留者、原爆被害者に対してどういう思いを捧げるべきかという事になるが、こういう人々は全てが殉教者だと私自身は考える。
この世に生まれいでた人は必ずどこかで死ぬわけで、永遠に生き続けるということはあり得ない筈である。
ならば、その死に方も多種多様であって、自分の家の布団の中で往生することだけが、自然であるわけはなく、不自然な死に方というのもあって当然だと思う。
人はそういう死に方を目にすると「可哀そうだ!」という。
生きた生身の人間の感情としては確かに「可哀そうに!」と思うのが普通であり、自然の感情であるが、人の生き様の中には避けきれない最悪というのも掃いて捨てるほどあるわけで、その一つ一つを全部人の所為にすること、他者の思惟的な立ち居振る舞いに置き替えることも、しょせん無理な話だと思う。
しかし、被害に遭われた当人は「死人に口なし」で、ものが言えないので、その周りのものが当人になり替わって死んだ人の無念さを訴えようとする。
すると感情が増幅されて、恨みが倍加するので、憤懣の持って行き場が自分たちの民族の根幹にある国家に行きついてしまう。
人の住むこの世には人知では計り知れない災害というものが歴然と存在する。
昨年の東日本大震災もその一つであるが、こういう災害で亡くなられた方は、気の毒だとは思うが、他者では何とも救いようがない。
せいぜいボランテイアー活動で後片付けするぐらいのことしかできないが、こういう災害に対しては諦めという達観した考え方も必要だと思う。
「被災者が可哀そうだ」という残されたものの感情は理解できるが、災害を危機管理だという認識で捉えることは今後の教訓につながることは確かだと思う。
しかし、被災者の前ではジョークも言えないという社会であってはならないと思うが、そういう場でジョークを言う神経もただものではない、ことは言うまでもない。
著者というよりも監修を田原総一郎が行っている。
故人の残した名言を集めたものであるが、こういう名士の言葉を集めた書簡というのは、古くからあった様に思う。
こうして後世に残る言葉はまだ生きた言葉といえる。
だが昨今のメデイアの発達というのは、ある意味で言葉狩りが進化したようにも見える。
東日本大震災が起きて丁度一年を経過したことになるが、あの地震で、被災した東京電力の第一原子力発電所を視察した大臣が、取り囲んだ記者団に「放射能を移すぞ」とジョークを言ったら、それが不謹慎だということで大臣の椅子を追われてしまったが、こんな馬鹿な話はないと思う。
私はその時の大臣、鉢呂元経産大臣に義理があるわけではないが、大臣としてあるいは公人たるもの、記者団の前で冗談も言ってはならない、という風潮は全くもって閉鎖社会の到来だと思う。
閉鎖社会というよりも一人の人間として、一人の日本人として、ユーモアも理解できない知性も理性も欠いた人間ということだと思う。
その時のその場の雰囲気としては、震災の被災者を前にしていう冗談ではない、ということかもしれないが、この正義感は一体何なんだと言いたい。
メデイアに関わる人間は、その全てがインテリヤクザと見做さなければならないわけで、ここで取材される側が良い格好シイで相手を甘く見ると、このケースのように足元を掬われるという事になるのである。
だからその点からしても、為政者の側、つまり大臣の側が真に立派かどうか、という人格の対比という意味ではないが、お互いに日本人という過去の同質性が薄れたということだと思う。
取材者を取り巻くメデイアの側がヤクザな人間でないとするならば、人の足元を掬うような卑劣な文言は撒き散らさないと思う。
メデイアによって少しばかり叩かれたからと言って、さっさと辞める大臣も本当な情けない有り様だと思う。
自分を取り巻くメデイアの面々に、少しばかりお愛想のつもりでジョークを言ったら、その言葉尻を掴まれて大臣の椅子を放り投げるというのも、まさしく子供じみた振る舞いで、冗談でいったものならば、その旨を堂々と反論すべきではないのか。
取材する側とされる側にも、過去においては目に見えないルールというか、仁義というか、規範というか、モラルのようなものがあって、それが個人のプライバシーを徹底的に暴くことの防波堤になっていたに違いない。
双方に人間としての知性と理性が備わっていれば、報じるべきか握りつぶすべきかは、個人の裁量権の中のあるように思う。
取材で知り得たことでも、「これは公にすべきことではない」という判断が取材する側にも備わっていたと思う。
大臣の言ったジョークも、あくまでもジョークの範疇で捉えて、しかもオフレコの発言であればなおさら公にすべきではなかったと思う。
公人の発言した言葉尻を掴まえて、相手を貶める発想というのは、正に汚い人間のすることで、ジョークを本音と置き換えて人を貶めるなどという事はあってはならないと思う。
メデイアの存在価値は権力の番人という意味で、メデイアが権力者の発言に注意を払うことは彼らの本質そのものであるが、私生活や内輪の冗談まで暴きたてて、言葉尻を掴まえて罠に嵌めても良いというわけではないと思う。
そこには社会人としての常識というものが普通に機能してバランスを保たねばならないと思う。
しかし、もう少し穿った見方をすると、これは言葉によるイジメという面もあるように見受けられる。
かなり以前の話であるが、小説家、筒井康隆氏の作品が教科書に載ったら、その中に差別用語があったと指摘されて、筒井氏が絶筆宣言をした事があった。
これは氏の『無人警察』という作品の中に、てんかんに対する差別的な表現があったらしくて、その部分は実際にはこうなっている。
「テンカンを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定機で運転者の脳波を検査する。異常波を出している者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである。
このコンテンツの何処が差別的なのであろう。
この文の前後にはスピード違反を取り締まる機能や、飲酒運転を取り締まる機能を有するロボットの話であって、その流れの中で、危険な運転手をあらかじめ排除するという安全への心配りを逆手にとって、てんかん患者への差別と捉えているが、これは明らかにあてこすり以外の何ものではないではないか。
こういうことが言葉狩りであって、その実態は明らかに難癖であり、イチャモン付けであり、イジメ以外の何ものでもないではないか。
人が目の前のものを見て如何に感じ取るか、ということは極めて難しいことであって、世間一般には素直に受けとっていることでも、故意にそれを逆手にとって、真逆の解釈をする人もいるわけで、こういう人はその正当性をアピールしなければならないので、どういう風にも理由つけをする。
それを良い子ぶって追認すると、世間の常識が徐々に徐々におかしな方向にずれて行ってしまう。
この本は、田原総一郎氏が日本の近現代史の中の著名人の中から随意に選んで、その人達の言葉を羅列したものであるが、一人の人間がその生涯に云い残した言葉等というものは、数え切れないほどあるに違いない。
あの太平洋戦争の開戦に至る過程でも、政府首脳の誰一人として、イケイケドンドンと称えた人はいないわけで、好戦論者と言われていた東条英機でさえも、天皇の意思を実現すべく、最大限の努力をしたに違いなかろうと思う。
それでも天皇の意思に応えること(避戦)ができなかったわけで、夜中に一人涙したという話は、胸のつまる思いがする。
私が思うに、あの戦争の責任はやはり国民全体にあったように思えてならない。
確か、終戦のとき、東久爾宮ではなかったかと思うが、『一億総懺悔』とういう言葉を発した人がいたが、確かに我々国民にも懺悔の値打ちはあるが、直接の責任は軍部であることは言うまでもない。
子供でも判ることだが、負ける戦争ならば誰でも出来る。
当時の陸軍士官学校、海軍兵学校というのは、戦争に勝つ軍人を養成していたのではないのか。
戦争は博打ではないのだから、何が何でも勝たねばならないわけで、負ける戦争ならば最初からしてはならないのである。
我々同胞の先輩は、日清・日露でたまたま勝ってしまったので、勝算がないと思ってもやってみなければ判らない、という安易な思考に流れてしまったのである。
これは一人や二人の先走った人の発想ではなく、国民の全部がそう思ってしまったわけで、それを安易に実践したのが軍部という事になるが、問題は本来優秀であるべき陸士や海兵を出た人たちが、そういう国民の時流に迎合した思考を諌める方向に機能すべきであった、ということだ。
それでこそ戦争のプロフェッショナルであり、真の戦争のプロフェッショナルであれば、無芸大食の一般国民と同じレベルの思考であって良いわけないではないか。
昭和初期の軍人、あるいは軍部が、天皇にのみ責任を負うものであるとするならば、天皇の軍隊が真けるような戦争指導して良いわけないではないか。
天皇の軍隊が、天皇の赤子を死地に追いやるような作戦をして良いわけないではないか。
あの戦争に突き進む潜在的なエネルギーは、国民の側にあったと思うが、その国民の期待に応えるべく動いたのは紛れもなく大日本帝国軍隊であって、彼らが戦争のプロであったにもかかわらず敗北したということは、彼らの組織が限りなく官僚化していて、普通のことが普通でなくなっていたからに他ならない。
我々が常に考えなければならないことは、単純に考えれば子供でも判ることを、何故に理解不能の行動に駆り立てるのか、という思考回路についてである。
戦前の日本においても、真にものを見る目を持った人は、軍部のやっていることに批判的であったが、我々の同胞はそういう意見を封殺してしまったではないか。
真にものが見ていた人の言質を、少数意見なるが故に非国民というレッテル付けをして、封殺して、表面的な一時的な勝利に酔いしれて「勝った!勝った!」と有頂天になっていたではないか。
この本の標題「封印された言葉」は戦前にもあったわけで、言葉を封印することこそ、民主主義の禁じ手だと思う。
焚書にも匹敵する愚昧なことだと思うが、我々日本民族の良心の揺らぎというのは、まことに曖昧で、その時の時流によって、その良心を規制する基準が右に寄ったり左に寄ったりを全く定まらない。
我々の民族の価値観が時代によって揺らぐということは、言い方を変えて善意に解釈すれば、思考の柔軟性であって、時の状況に応じて柔軟に対応しているということも言えるが、日本民族の今日の繁栄は、その部分に負うところが大だと思う。
戦前戦後を通じて、言葉狩りで、正義と思しき事がらを、大勢の人が寄ってたかって封殺しながら、新しい価値観を築き上げて前に進んできたわけで、その間に人民の側に多大な犠牲者・被害者が出たけれども、民族全体としては大きく前に進んだ。
我々は太平洋戦争に敗北したことによって、世界屈指の経済大国になりえたと言える。
我々のおっぱじめた戦争の目的は、こういう日本の建設を目指して世界に挑戦したわけであって、一時的には日本は敗北の憂き目にあって、国土は灰に化したが、その後の復興が戦争の目的を完全に実現したものと考えられる。
そこで今に生きる我々は、その時に被害をこうむった同胞、戦死者、引き揚げ者、抑留者、原爆被害者に対してどういう思いを捧げるべきかという事になるが、こういう人々は全てが殉教者だと私自身は考える。
この世に生まれいでた人は必ずどこかで死ぬわけで、永遠に生き続けるということはあり得ない筈である。
ならば、その死に方も多種多様であって、自分の家の布団の中で往生することだけが、自然であるわけはなく、不自然な死に方というのもあって当然だと思う。
人はそういう死に方を目にすると「可哀そうだ!」という。
生きた生身の人間の感情としては確かに「可哀そうに!」と思うのが普通であり、自然の感情であるが、人の生き様の中には避けきれない最悪というのも掃いて捨てるほどあるわけで、その一つ一つを全部人の所為にすること、他者の思惟的な立ち居振る舞いに置き替えることも、しょせん無理な話だと思う。
しかし、被害に遭われた当人は「死人に口なし」で、ものが言えないので、その周りのものが当人になり替わって死んだ人の無念さを訴えようとする。
すると感情が増幅されて、恨みが倍加するので、憤懣の持って行き場が自分たちの民族の根幹にある国家に行きついてしまう。
人の住むこの世には人知では計り知れない災害というものが歴然と存在する。
昨年の東日本大震災もその一つであるが、こういう災害で亡くなられた方は、気の毒だとは思うが、他者では何とも救いようがない。
せいぜいボランテイアー活動で後片付けするぐらいのことしかできないが、こういう災害に対しては諦めという達観した考え方も必要だと思う。
「被災者が可哀そうだ」という残されたものの感情は理解できるが、災害を危機管理だという認識で捉えることは今後の教訓につながることは確かだと思う。
しかし、被災者の前ではジョークも言えないという社会であってはならないと思うが、そういう場でジョークを言う神経もただものではない、ことは言うまでもない。