[森に帰ったリス]
木材を積み込む無蓋の貨車に、一匹のリスが乗り込んだ。うっかりであったか、故意であったか。
山が尽き、野が尽き、田畑が尽き、都市に入って、引込み線に入って、着いたところが材木置き場だった
リスは野積みにされた丸太の上で生活するようになった。山と違うところは、木々は直立しているのに、丸太はどれも横に寝ていることだ。樹の香りという点では、こちらの方がむしろ強く匂っている。それはそうだ。どの木も皮を剥かれて、そう日が経っていないときている。緑が一つもなく、どれも白い肌をしているところも、森とは異なっている。
リスは丸太の上を飛び跳ねて、楽しそうに過ごしていた。森の中ほど鳥の声はしないが、代わりにサイレンがけたたましく鳴り響いたり、クラクションの狂騒も、山の鳥の声に匹敵するほどだった。
リスはよく丸太のてっぺんに登って、後ろ足で立ち上がり、都市の景観に見入っていた。スモッグに霞んで、とても空気が澄んでいるとはいえないが、物珍しさから、何分も立ち上がっては、少しずつ角度をずらして、伸び広がる都市の風景を眺めていた。
木工場で働く本山さんは、五歳の末娘のリカを連れてきて、そのリスを見せた。
本山さんは、山奥から丸太を貨車に積むときも立ち会っているので、リスが貨車に乗り込むのも見ていたのだ。貨車は無蓋なので、途中で逃げようとすれば、いくらでもできたのに、このリスはそうしなかった。
「ほら、見えるだろう。積み上げた丸太のてっぺんに、小鳥みたいに留まっているのが」
と本山さんは末娘のリカに言った。
「あのぽつんといる、小さいのが、リスさん?」
「そうだよ。あれが森に棲んでいたリスだよ」
と本山さんは言った。もう何度もリスの話は娘にしていたので、ほかに説明を加えることはなかった。
「ふーん、リスさん淋しくないのかな。友達だって、お母さんリスだっていないのに」
この話も何度もしているので、本山さんは、そうだね、と相槌を打ったきり、丸太に番号をふる作業に取り掛かった。
娘は父親の働く傍らの一本の丸太に腰掛け、リスを見やりながら思いにふけっている様子である。
「あのリスさん、街を見飽きたら、またパパの貨車に乗って山に帰るんだよ」
と娘が言った。これは家で父親に質問を投げかけ、父親から聞いたものを、そっくりここで反芻しているのである。その中に本山さんは聞き捨てに出来ない内容があるのを知って、訂正しなければならなかった。
「パパの貨車じゃなく、会社の貨車だ!」
本山さんの声の大きさに、奥で作業をしていた同僚が、こちらに顔を振り向けた。
娘はしょぼんとなって、父親の傍を離れた。
本山さんは昼食を、車で十分ほどのところにある家でとることにしていた。今も食事を済ませ、車に娘を乗せて来たのである。かねてから、リスを見せると約束していたので、今日それを果たしたというわけだった。
もう少ししたら中学生の長女が下校するので、木工場に寄って末娘を連れ帰ることにしていた。
せっかく連れて来たのだから、あのリスももっと近づいてくればいいのにと、本山さんは腹立たしくもなっていた。
リカがいないのに気づいたのは、中学生の長女が立ち寄ったときだった。
「あれ、リカは?」
と長女の言葉に、本山さんは末娘の監視を怠っていたのに気がついた。
木工場に連絡している引込み線とか、雑草の繁茂する周りの敷地とか、交差する路地など、行きつ戻りつして探し回った。三人の同僚も加わって、探し回った。
「あれは?」
長女が積まれた丸太の上を指差して言った。丸太の間から小さな頭と手が出て、なにやら蠢いている。
本山さんはすかさずピッケル状の杖を手にすると、積まれた丸太を伝って、その場所へと急いだ。
小さな頭が出ている近くの丸太の上から、リスが覗き込むようにしている。リスは今、街を遠望するときの、後足で立つ仕草はしていない。前足を丸太について、体を左右に振り、緊迫して下を見ている。
本山さんは末娘に近づくと、
「二人頼みます!」
と応援を要請した。
間もなく二人の作業員が丸太を伝って行き、リカの救出に手をかした。
リカが引き上げられたとき、本山さんは抑えが利かず、娘を平手打ちした。ピシッと肌の弾ける音が、下で見守る長女の耳にも届いた。リカの号泣は、やや遅れて起こった。
幸い擦り傷程度ですみ、大人に支えられて地上に戻ると、長女に連れられて家に帰った。
それ以来、あのリスは姿を見せなくなった。リカも、リスのその後について訊けるはずもなく、日が過ぎて行った。
リカは沈み込んでいることが多くなり、少女なりに、リスへの恋が芽生えているのかもしれなかった。
少女の頭の中で、リスは森に帰っていた。
あの日父親に、
「パパの貨車じゃなく、会社の貨車だ!」
と頭ごなしに一喝された、会社の貨車に乗って、少女のことを想いながら、森に帰ったのだと考えていた。
了
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