横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

座して死を待つのか? それとも・・・⑭

2008-02-29 10:05:11 | Weblog
 切羽詰らないとなかなか腰を上げて行動しようとしない習性を大半の人間は持っています。健康の点でもこの傾向は変わりません。たいていのケースに於いて、病気が発症し重篤となって初めて大騒ぎすることとなっているのです。
 しかし、切羽詰まるに至ったら、当然元に戻すことが一層難しくなり、そのために遥かに多くの時間と努力を必要とするようになるのです。

 また、その切羽詰った際に、そのような際に役立つ知識や技能を人々が何も準備していないケースがほとんどです(したがって、何か事が起こるとすぐにオロオロして、ただ救急車を呼ぶだけしかできないということになっています。ただ近年は、大した病気でも無いのに、また、タクシー代わりに救急車を呼ぶなどのこともかなりの頻度で起こっていると耳にします。日本人の倫理観もそこまで失われてしまったのかと驚き、嘆かわしいと思うばかりです)。
 例えば、突然の心身の不調に対して一般的には、せいぜい講習などで習得した既存の救急処置を行う程度であるのです。
 もちろんそれでも、何も用意していないよりはマシですが、そのような処置で助けられるのは、極めてごく少数の人の命でしかありません(その少ない救命数では、救急処置に価値が無いと私は述べているわけではもちろんありません。しかし、もっと遥かに数多く〔10~数十倍以上〕の人の命を救える救急処置が存在すると私は考えているのです)。
 したがって、そうならない前に十分な知識・情報を収集し、それらの中の確かだと確信できるものだけを選び出し、日常の生活の中に採り入れられるものは取り入れ、更には、いざという事態の備えをしておくことが大切なのです。

 このようなことに関する情報の啓蒙は、個のレベルでは無く、国家の行政によって行われるのが理想的であると私は思います。
 しかし残念ながら、とくに日本の場合には、行政の行動が苛立たしくなるほどノロく、決定するまでに物凄く時間が掛かるのです(様々な業界などに影響が生ずる可能性の有る問題は、例えそのことを実行した場合に大きな利益・成果の得られることが、確度高く予想できるようなことであっても、行政が先頭に立って動くことはごく稀だと私は感じています)。
 他の国ことに米国が行って成果がハッキリとしてから、やっと自国民に知らせるなどという例が幾つもあります。したがって、数年から10年以上も経ってからやっと改革に着手するというような事例が多数見受けられます。
 そのような有様ですから、個人のレベルで、いち早く価値に気づいた人から改革に着手して頂きたいと私は思っているのです。