昨日まで続けてきた文章の続きをどう話を進めようかと思案中でありますので、ここで少し違う話題を間に挟むこととします。
3ヶ月近く前のことになりますが、新宿の紀伊国屋書店本店4Fの一般医学書コーナーを久しぶりに私は覗いてみました。
その際、そのコーナーにとくに顕著な変化が生じていることに気付きました。それは、“医療崩壊”という言葉や類似の意味を持つ言葉がタイトルとして付く本が驚くほど数多く増えているということでした。
それぞれの本の中身をジックリ見たわけではありませんが、このようなタイトルの本が多数出版されることの主要な原因として、病気治療に於いて芳しい治癒成果を上げられる有効な治療手段のほとんど無いこと、すなわち、原因の解明されている病気が伝染病(及び、一部の皮膚病)以外にほとんど無いことがあると私は判断するのです。
また、“死生感”という類のタイトルの本も非常に数多くなっていると感ぜられました(ただ、この類の本の著者のどれほどが医師であるかは調べませんでした)。
或る意味で、このような本が多数出されることは、医療に余り希望が持てない現状であるということを医師たちがもはや是認してしまっていることの表れでは無かろうかと私は感じました。
だからこそ、例えば、重篤なガン患者のために用意されたホスピスのような、安らかな最期の時を迎える心の準備をどのようにすべきかなどについて著した読み物が増えているようなのです。
すなわち、医療界全体が“諦観”という方向に強く傾き、その状態を受け入れて、精神的動揺をいかに鎮めるかということを治療と称する状態に至っているのではなかろうかと私は想像したのです。
3ヶ月近く前のことになりますが、新宿の紀伊国屋書店本店4Fの一般医学書コーナーを久しぶりに私は覗いてみました。
その際、そのコーナーにとくに顕著な変化が生じていることに気付きました。それは、“医療崩壊”という言葉や類似の意味を持つ言葉がタイトルとして付く本が驚くほど数多く増えているということでした。
それぞれの本の中身をジックリ見たわけではありませんが、このようなタイトルの本が多数出版されることの主要な原因として、病気治療に於いて芳しい治癒成果を上げられる有効な治療手段のほとんど無いこと、すなわち、原因の解明されている病気が伝染病(及び、一部の皮膚病)以外にほとんど無いことがあると私は判断するのです。
また、“死生感”という類のタイトルの本も非常に数多くなっていると感ぜられました(ただ、この類の本の著者のどれほどが医師であるかは調べませんでした)。
或る意味で、このような本が多数出されることは、医療に余り希望が持てない現状であるということを医師たちがもはや是認してしまっていることの表れでは無かろうかと私は感じました。
だからこそ、例えば、重篤なガン患者のために用意されたホスピスのような、安らかな最期の時を迎える心の準備をどのようにすべきかなどについて著した読み物が増えているようなのです。
すなわち、医療界全体が“諦観”という方向に強く傾き、その状態を受け入れて、精神的動揺をいかに鎮めるかということを治療と称する状態に至っているのではなかろうかと私は想像したのです。