横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

座して死を待つのか? それとも・・・②

2008-02-16 20:38:34 | Weblog
 普通の会社では、余りに非効率的なことを行っていたら、この競争社会の中では負け組みとなってしまい、やがては倒産という事態さえも起こりえます。
 一方、医療の世界では、病気の予防・治癒、健康・生命の維持・増進が目的とされますから、例えかなり非効率ではあっても、上記の目的がある程度達成できさえすれば良いわけです。
 しかし、医療の世界でも経済的な制約が当然あります。したがって、対価効率ということを考える必要はあります。
 医療の世界では近年、診療科目が細分化・専門化されてきています。もちろん、科目によって進歩の度合いはかなり差異がありますので、一律に述べることはできません。
 ただ、慢性病に関する内科領域の医療は、“かなり遅れている”と述べても過言では無い状態にあると私には感ぜられます。

 近所の個人医に受診されているお年よりの方では、毎月二度ほどのペースでちゃんちゃんと受診され、処方箋で出されたとおりの服薬を続けていても、一向に病気の治癒する気配が感ぜられないと思われている方がかなりのパーセントおられるであろうと私は推察するのです(また、心ある医師の方では、現在の慢性病に対する医療が極めて心もとなく、歯がゆいものであると感じておられる方も数多くおられるであろう私は推測しております)。
 ただ、かといってそれに替わる他の方策を見出せないということもあって、ただ坦々と医者通いを続けておられる方が多いようです。

 私は、最近、患者さんの権利意識が非常に高まっているという記事を目にしました。
 かなりのお金を支払うのだから、治してもらえて当然であると考えておられる方が圧倒的に多いようなのです。
 一般の人々の医学に対する期待は非常に高いものがあるようです(ゲノムや再生医療などのニュースなどがしばしば目にされたりしますことから、現実とかなりかけ離れた、医療に対する過度の期待を生ませているように感ぜられます)。
 したがって、治せないと辛らつな文句を言い、時には、裁判にまで持ち込む方もおられるらしいのです。
 普通、物品を買い求めるのであれば、対価を支払えば欲しい品物を買い求めることはできます。しかし、健康・生命の場合には、かなりの金額を支払っても、必ずしもそれを手に入れられるとは限りません。
 このような点から、健康・生命は普通の物品とは大きく異なる性質を持つものであることがお判り頂けるはずです。