横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

日本再生論(その73)

2012-03-12 23:39:47 | Weblog
 腐敗便に関しての研究の先駆者としてはパスツール研究所の第三代研究所長を務められたイリヤ・メチニコフ博士(Ilya Metchinikoff: 1845~1916年、ロシア生まれ。後にフランスへと帰化。『免疫の食細胞説を支持する研究』で1908年にノーベル医学生理学賞を受賞)がおられます。
 同博士は、『楽観論者のエッセイ』というタイトルの著書の中で、“腐敗便が人畜の急死と短命の主因であり、ほとんどすべての病気及び死は腐敗便によって起こる”という学説を発表提唱されています。

 このメチニコフ博士の上記著書が発端となって、腐敗便に関する研究は欧米の研究者たちによって盛んに行われるようになりました。これがだいたい20世紀の上旬期の頃のことです(父の基礎医学研究に於ける直接的な指導者であった佐々木隆興博士が各種食物の腐敗実験の研究成果をドイツの論文誌に発表しましたのは1914年の事です〔この佐々木博士の研究成果が、父の酸性腐敗便学説の心臓発作や脳卒中を始めとする慢性病の根本原因物質に関しての根幹部分の科学的根拠となっております〕)。

 腐敗便中に色々な有害物質が産生されること、また、食べた物と腸内の細菌の種類や割合の変化などなど、色々な研究が行われ、様々な成果が得られたのです。
 ただ残念ながら、それらの研究努力が何らかの病気の原因解明という、大きな具体的成果に結実するまでには至りませんでした。
 腸内は極めて数多くの種類の細菌が生息し、その数も数十兆~百兆個にも及び、これに様々な食べ物の消化残渣の混在する世界は、その中で行われる変化は余りに複雑すぎるものであったことが、研究がひと固まりのまとまった大きな発見に結び付きにくかったのだと推測されます。

 また、科学者も、研究成果を論文として発表し、それが価値あるものと認められることを目的として努力します。したがって、研究成果が大した価値あるものとして認められ無い場合には、そのようなテーマに関しての研究に対して努力が傾注されないことになりがちです。
 腸内は上記しましたようにブラックボックスの存在で、余りに複雑であるので研究データを得ることが困難で、論文としてまとめられるに足るデータを得ることが難しい研究対象であるということがあります。したがって、大まかな予測はできても、それ以上の精密な研究成果を当時の科学では獲得できなかったのであろうと推測されます。

 また、科学にも時代の流れと共に、流行の研究テーマが存在し、その時流に乗ったテーマに科学者の興味が集中する傾向が強くあります。腐敗便の研究も一通りのものがやり尽くされると共に、研究の興味の対象は別のテーマへと移ることが起こったことも、中途半端で終わった大きな因子になったものと推測されます。

 食べ物は生物が様々な活動する際のエネルギーの根源物質です。また、摂取する食べ物は体の素材となり、その体の能力や質に多大な影響を及ぼす存在であるわけです。そしてまた、長期にわたる食生活の累積的な影響は、将来罹患する病気の種類を決定する主要因と考えられるものです。
 ただし、近代栄養学は、食べ物は健康の維持・増進の基盤となるものという視点で主には発展してきたと私は感じています。ことに、結核が“死病”あるいは“国民病”と呼ばれ、これに対する治療手段が絶無であった時代にあって、唯一、体力を維持することを防御手段としてきたという歴史があります。そのため、栄養至上主義の観念が強く人々の頭に植え付けられ、今日もなおこの観念に縛られているということも、食生活に対する判断を狂わせる大きな一因子と考えられます。
 そこで、腐敗便の問題は病気の原因因子となりうると推測できるものではありますが、上記しましたように、残念ながらこの問題の詰めが甘く、利用可能な価値ある成果が今もなお得られていないのです。

 物を色々な角度から見た場合に、それぞれ違った風に見えるものです。食べ物の場合には、これまで健康の維持・増進にプラスになるという方向の見方が主になされてきました。また、例えプラスにならない場合にも、消化管を素通りして何の役にも立たず糞便として排泄されるだけという風な考え方がもっぱらでした。
 そこで、食べ物に関してはとくに、健康の維持・増進に寄与するというプラス面を見ることに夢中になるばかりに、マイナス面の存在をなぜか見落とすという、差別用語ではありますが“片手落ち”の目に研究者の多くがなっていたと推測されるのです。