横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

日本再生論(その32)

2011-08-11 01:51:13 | Weblog
 冷静に考えたら誰もが、“何かおかしい?変だ!”と感ぜられるであろうことが、それが当り前とされる状態となってしまっている世の中にあっては、誰も、おかしいあるいは変だなどと思わず、何とも感じないということが存在します(上記の文章は、私の言っていることが何の事やら判らんと感ずる方が多いのではと思われます。私は、私どもが、医学界ですら現在、原因未解明だとしている慢性病の根本原因を明らかとすることができたということをこのブログでは述べてきております。そこで例えば、“コロンブスの卵”の逸話のように、卵を机の上に立てる方法の答えが示されますと、“ナァーンだ。そんなことかァ”と思うようなことでも、答えの示されぬ中は、既存の常識にとらわれるというか、勝手に自らが自らの思考に枠をはめてしまって、その枠を飛び出しての判断ができなくなってしまうということを、色々なケースで体験されているはずです。ここで述べているのはそれとやや類似のことであります)。
 このような事例を真剣に探せば、色々な分野で幾つか見つけられることでしょうが、私は病気や医療のことをもっぱら考えてきておりますので、どうしてもそのような分野にのみ目が行ってしまいます。

 先般、元日本代表であった松田直樹選手が練習を始めてまもなく、心筋梗塞の発作を発症されて、何と!34歳の若さで急死されたニュースをこのブログでも採り上げました。
 そしてテレビ番組でも、彼の死をテーマに採り上げた番組で、ゲストに医師が招かれて、心筋梗塞とはどのような病気かの解説がなされておりました。
 ただ、どのような病気かを解説するといっても、何らかの原因で血液の血球成分がくっつきあうことが起こり、その血の塊が心臓を養う冠状動脈と呼ばれる血管の狭くなった箇所に詰まって血液の流れが遮断されるとか、何らかの原因で激烈な血管収縮・痙れんが起こって血液の流れが遮断され、その下流領域に高度の酸素欠乏が生じ、細胞の壊死が起こるなど、医学事典を開けば書いてある既知のことが繰り返し述べられていただけでした。
 こんなコメントを述べるだけの医師や医学者であるなら、出演する価値はまったく無いのです(テレビ番組では何を説明するにも絵を欲しますので、バカバカしくすら感ぜられますが、良くこのようなことが行われます)。

 なぜ、血管の狭隘部に詰まる物質が生ずるのか、血液が固まる場合には、固まり易くする原因として何(どのような状態)があるか(今回の松田選手の場合には、熱中症による血液濃度の上昇なども原因の一部として関わった可能性はありうるということは述べられていましたが)?
血液以外の可能性としては、血管壁の一部が剥離するなどして血液中を浮遊したものが狭隘部を詰まらせる原因となりえます。このようなことはどのようなケースに起こる確率が高まるかなどが明らかとされる必要があります。
 また、血管の激烈な血管収縮・痙れんが原因で起こるとしたら、体内で産生される激烈な血管収縮・痙れん作用を持つ物質として何があるか、それはどのような際に産生されるのか?などについて探究される必要があるのです。

 アメリカ合衆国では心筋梗塞が多発していることが知られています。近年は色々な努力が奏功しつつあるため減少傾向にありますが、それでも心筋梗塞死は年間数十万人にも及びます。死亡するに至らぬ心筋梗塞発作は恐らく、年間延べ何百万件にも達するであろうと推測されます。したがって、全世界では軽度の発作まで含めれば、年間延べ何千万人もの人々が心筋梗塞を発症されておられることと推測されます。

 これが、医師が上記しましたような状態にあったのでは、少し重い心筋梗塞発作のケースでは心臓外科医のお世話にならないとどうしようも無いということになります。したがって、医療費は少なくも何十万円かは掛かることになります(アメリカで同じことが起これば、さらに桁違いの医療費が掛かることになるのでしょう)。
 これを、原因解明がなされれば、理想的には予防医学の実践、あるいは、極めて軽度の中に様々な手を打つことが可能となります。何よりも、死への恐怖などを感ずること無く軽度で済ましうることが最も望ましい成果と言い得るものと思われます。

 そして、これだけ頻度高く起こる病気の原因が、数知れぬほどのデータも得られているにもかかわらず、いまだ原因未解明だとされておりますことは、不思議だと感ぜぬ方がおかしくはないでしょうか?
 このような状態にある中で、社会的に無名な者が、原因を解明できたと述べる言葉は、なかなか信用されにくいものであるのは確かです。
 しかし、医学が科学の一領域であるのなら、要は論理的に筋が通っているか否かが問題であるはずです。最初から社会的に有名な人は存在しないのですから、犠牲者の数が莫大で、経済的損失も天文学的数値に上るのですから、是非とも検討して頂きたいと私は願うばかりです。