横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

日本再生論(その17)

2011-05-10 16:18:17 | Weblog
 今回採り上げますのは、主には医師の内科処置に関係することですので、一般の人々には手出しできない領域です。ただ、酸性腐敗便学説が広く啓蒙できていれば、症状がごく軽度のうちに、予め個人乃至家庭に於いて自分たちでできる範囲内の一般的な処置でそれに代えることができ、その方が遥かに安全で、なおかつ、経済的負担も極めて僅かで済ませられることであるのです。

 ことに、青天霹靂様に突発的に生ずる激烈な心臓発作あるいは脳卒中発作に対する処置に於いて、その原因を未解明としていることは、時々刻々と変化する症状に対して、これを治癒へと導くにはどのように処置するのが最適の方法であるのかが十分には良く判らない手探りの状態であることを意味します。
 すなわち、原因が解明できていないということは、病気ことに急変事の治療に於いて処置が十分で無かったり(現在の健康保険制度の下では、医療費の伸びを抑えるために、使用できる薬剤の量に対する制約が設けられている場合のあることも、これに関係する因子の一つです)、欠けている部分のあるものとなり易いということを意味します。
 重篤な心臓発作あるいは脳卒中発作を治癒させるための処置を行うに際して、病気を引き起こす原因となるその中心の物質の性質を良く知ることができれば、敵の手の内・遣り口が判ることとなりますので、これに対抗するための適切な手を打つことが可能となります。
 また、病気のメカニズムが十分に判らないということは、時宜にふさわしい手順で十分な処置を滞りなく打つことができないことも意味します。例えば、時間の経過とともに合併症を生ずるなど、その姿形を刻々と変えて行くタイプの病気があります。そのような病気に関しては、タイミングを逃さぬように、その時々に先手先手と適切な手を着々と打つことが病気治癒にとって重要なのです。

 ところで、何十年か前までは、救急患者の場合に開業医に往診を要請することは当り前のこととされ、行われていました。
 私の父などは、夜間に於いても少しも嫌がらずに心臓発作あるいは脳卒中発作を起こした患者宅に良く往診を行っておりました。当時は“医は仁術”という言葉が通用していたのです。
 しかし近年は、とくに都市部の医師は、自宅以外に診療の場所を借りていて、診察時間以外は、馴染みの患者に対しては救急用の電話番号を知らせて置いて、近くの総合病院へと搬送させる便宜を図るシステムを採用している者が多いようです(時代の変化とともにこのようなシステムを採用することは無理無いことだとは私も思っています)。
 また近年は、救急搬送される患者の数は急速度に増加しており、そのため搬送に要する時間がだいぶ掛かるようになってきています。
 重篤な心臓発作あるいは脳卒中発作では、分秒単位で刻々と症状が進行しますので、病院に運び込まれた時にはもはや外科的に対処しないとどうにもならないような患者がかなり増えているようです。

 酸性腐敗便学説を良く理解していれば、予防医学の実践もでき、また、例え誤って心臓発作あるいは脳卒中発作が発症してしまった場合でも、個人的乃至家庭内での簡単な処置で安全に治癒できるものであるのです。これが、病気の原因と発症のメカニズムを明らかとした酸性腐敗便学説の情報が広く啓蒙できていないために、また、このような無知な状態であることを放置していて、病気は医師に任せておけば大丈夫と呑気に構えている人が大半らしく、遥かに危険性が高く、経済的負担も何桁も多く掛かることを当然のことだとしています。
 医療費が巨額に膨れ上がり、家計を圧迫する数ある因子の中の主要な一つとなっているのに、しかも、唯一無二の掛け替えのない生命の存否に密接に関わることであるにもかかわらず、人々は何故もっとこのような大問題を真剣に正面から向き合って考え、更には行動をとろうとしないのか、私はとても不思議でなりません。