生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

裸の付き合い

2024-07-22 20:43:36 | 日々の暮らし
人の批判ばかりする人がいます。
欠点を見つけては、皆に聞こえるように大声で指摘している。
自分を大きく見せようとしているのでしょうか。
または、そう言われて育ってきたたのでしょうか。
言いたければ、こっそり指摘すればよいのです。
自分も間違いはするものだから。
また、地位や名誉ばかりを意識して生きている人がいます。
あの世はお釈迦様やイエスキリスト様やアラーの神様が待っている世界です。
よく生き甲斐は何ですかと聞かれます。
生き甲斐はその時その時で変わるものです。
いま出来る事が生き甲斐です。
いましている事が生き甲斐です。
病気で入院している人
、悩み苦しんでいる人
それは強くなるためなの
です。
いま生きる事、今日を精一杯生きること。
明日はまた違った雨や風が吹くのです。
悩み苦しむのは当たり前。
だったら楽しく生きましょう。
ここはサウナルームです。
鎧兜は脱ぎましょう。
裸では濡れる心配はありません。

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笑顔

2024-07-22 13:18:56 | 日々の暮らし
『ユダヤの格言』に
「生物のなかで人間だけが笑う、」があります。
他に
「人間のなかでも、賢い者ほどよく笑う。」
「神の前で泣き、人の前で笑え。」
「自分を笑える者は、他人に笑われない。」
「表情は最悪の密告者である。」があります。

笑顔を大切にしましょう。
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2024-07-22 04:12:22 | 日々の暮らし
「旅」
90代の女性が30個以上あるお手本の中から選んで書いたのが「旅」でした。
「旅」の言葉のイメージに何か深い意味を感じました。
ドイツの詩人リルケやスペインの詩人アントニオ・マチャド、国内でも松尾芭蕉や若山牧水、島崎藤村と言った作家が、様々な「旅」「旅人」についての詩を残しています。
「旅はね、自分の思い出作りと生きがいを探しに行くことさ。
長い旅路の果て足元を見つけることだって旅なんだよ。」
      (私)


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人間の旬

2024-07-21 00:10:25 | 日々の暮らし
深夜ラジオからゴンドラの唄が流れてきました。 「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」 思い出した言葉に
「人間には旬というものが必ずあって、これを逃すわけにはいかない。
逃さない努力をしなくてはならない。 恋する乙女だけでなくすべての人間に旬がある。私はこの歌が大好きです。」    
(伊東四朗)
ラジオに投稿した65歳の女性が85歳で亡くなった母への感謝の言葉に感銘しました。 5人の子供がいる家に再婚で来てくれた母。 大きくなって母に聞いた。 初恋の人が外交官になってしまい結婚を諦めここに来た。 お客が来なかった旅館が母の力で繁盛した。 母への感謝の手紙にスタッフが選曲したのがゴンドラの唄でした。
人間の旬いい言葉です。
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お布施

2024-07-19 00:32:49 | 日々の暮らし
なんでも欲しいものが手に入れば、幸福で悔いのない人生を送れると思っていませんか。 太閤秀吉は、大阪城内に黄金の茶室を造り、天下の名器、財宝を集め、美女をはべらせ 威勢を張っていましたが、聚楽第(じゅらくだい)の湯殿や便所にまで、隠し堀を引いて舟を浮かべ、いつ襲われても脱出できるようにしていたという。
辞世は『露(つゆ)とおち露と消えにし我が身かな難波(なにわ)のことも夢のまた夢』。
少年時代は裸でどこにも寝転んで自由気ままに過ごしていた、それを考えると人間の生きる目的はほかにあると述べているようです。 なんでも夢を叶えても、いつか崩壊するという不安があったのでしょう。
仏教は人生は、ただ一瞬の稲光り、朝露のようにはかないものである。
楽しみといっても夢幻でしかない。 この世の別れとなれば、妻子も財宝もなにひとつあてになるものはない。 独りでこの世を去らね ばならぬからである。 と説いています。
人は夢を追い、夢に酔うことを幸福と信じてしまいがちです。
真の幸福とは何か考えてみるのもいいの ではと思いました。
良寛が竹林で拾った欠けたお椀を幸せそうにお粥を入れて使っていた。 幸せとは心の中にある。 そう感じてならないのです。 私は布の切れ端さえも 捨てれない古い人間です。
それでお守り袋や物入れ袋を作ったりしています。 布切れが生き返った気がします。
これが元祖お布施(布の切れ端を頂く)です。
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