生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

方丈記

2024-07-02 13:08:52 | 日々の暮らし
今日は760年以上前の古典、鴨長明の「方丈記」を紹介します。
古代も現代も変わらないものだと感じましたので。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶ、うたかたは(水のあわ)、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし…」。

(現代訳)

「流れ行く川の水はとだえないが、もとのままではなく、よどみに浮かぶ水のあわは、消えたり結んだりして、久しくとどまっていることはない。
この世のなかにある人と住居(すまい)も
やはりそうである」。
ーこの後は現代訳で―
花の都の中に、棟(むね)をならべ、軒を競いあっている高貴な人の住居は、代々続いてなくならないものだが、これを本当かと
たずねてみれば、昔ながらの家はごくまれである。
去年焼けて、今年作ったりまた、大きな家が無くなって、小さな家になったりしている。
その家に住む人間も同じことで、場所も変わらず、人も多いけれど
、昔からの人は、30人の中でほんの1人か2人である。
あしたに死に、ゆうべに生まれる人の世の
ならいは、全くあの水のあわの通りである。
一体、生まれたり死んだりする人たちは、どこから来てどこへ行ってしまうのであろう。
また、はかないこの世の仮の住居を、一体だれのために心を悩まし、どういうわけで見栄えをよくしようとするのか。
その主人と住居とが、たがいに、はかなさを競うありさまは、朝顔の花に宿る露とかわらない。
ある時は露が落ちて花が残る。
しかし、花が残っても、朝日にあうとしぼんでしまう。
あるいはまた、花が先にしぼんで、露があとに消え残る。
例え消え残ったとしても夕方まではもたない。
人間のすることは、みなばかげている。
もっとも危険な都会の中に家を建てるといって、財産を使い、心を悩ますということは、
とりわけつまらぬことである。
またつむじ風が起こって、家の中の財宝などは、そっくり大空に舞い上がり、屋根は吹き飛ぶさまは、まるで冬の木の葉が風に乱れ狂うようであった。
また、大きな地震があった。
山はくずれて河をうずめ、海はひっくり返って陸地をひたしてしまった。
土が裂けて水が涌き出し、岩石が割れて谷にころがり海岸近くを漕いでいた船は、津波に沖へ持って行かれ、道行く馬は、踏みどころが定まらず、神社仏閣は一つとして無事に立っているものはなく、家がくずれる音は、まるで雷鳴のようであった。
そのあとの余震がしばらくは絶えず、3ヵ月は続いた…。

なんと、古代も現代も変わらないものだと感じました。
また我々の生活に関係することが一杯あります。
今日を生きる参考になれば。

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困った時

2024-07-02 04:00:29 | 日々の暮らし
「神様は困った事が好き」
何もない時は、神頼みもしない。
思い出しもしない。
だから神様は困った課題を出しているのだ。
困った事が起きたら、
笑って言いましょう。
「ありがとう神様」。
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