私はイタリア、アッシジの聖フランシスコと日本の僧侶、良寛が大好きです(共に共通点が多い、フランスカトリック教会資料)。
晩年の樹木希林さんがたどり着いた境地に
「うらを見せ おもてを見せてちるもみぢ」
(良寛)
「裏から始まるところがすごい。
年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」
(希林)
また、良寛の次の句も好んだ。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に
「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で行き続けることなんじゃないかしら」
(希林)
お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。
釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。
だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。困らせる人は己を磨く上で必要だ」と説いた。
すると、希林さんは
「くっくっ」と笑いながら言ったという。
「そういえば提婆逹多は私にとっての裕也ね」と。
「死ぬことは
誰かの心の中で生きること」
素敵な言葉に感謝。
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