昼休みです。
今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。
般若心経に
「度一切苦厄(どいっさいくやく)」
という言葉があります。
度は動詞で、
「悟りの世界に渡す」という意味です。
ゆえに、度一切苦厄とは
『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸に渡した』という意味です。
何故か、一切の苦や厄を消し去って無くしたと言わないのでしょうか。
苦(四苦八苦)や厄(行き詰まりの意味)は消し去ることはできないので、悟りの岸に渡してしまったというのです。
すごく、意味深い言葉だと思いました。
苦しみ悩みの心を
消すのでなく、
悟りのある仏様に渡してしまえば楽になるということでしょうか。
一人で悩んでいないで、どんどん渡してしまえばいいのです。
それが、「幸せ」になるということです。
幸せの語源を調べると、不思議な事が分かりました。
「幸」は手かせの象形文字から来ているのです。
手錠をかけられて束縛されている象形文字なのです。
幸せとは、とらわれている執着のような意味から、解放され手放すことで幸せを得ると解釈されたようです。
『度一切苦厄』『幸』
のキーワードは
「手放す幸せ」と
私は思いました。
皆様の日常の消し去る事ができない、苦しみや行き詰まりに
どうしよう!
お先真っ暗だ!
と落ち込む時もあると思います。
その心を一度
空っぽに
解放してみましょう!
楽になって
いい結果
救いの手立てが
やって来るものです。
私の経験から
今日の導きになりました。
皆様の導きの気づきになればありがたく思います。
合掌
今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。
般若心経に
「度一切苦厄(どいっさいくやく)」
という言葉があります。
度は動詞で、
「悟りの世界に渡す」という意味です。
ゆえに、度一切苦厄とは
『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸に渡した』という意味です。
何故か、一切の苦や厄を消し去って無くしたと言わないのでしょうか。
苦(四苦八苦)や厄(行き詰まりの意味)は消し去ることはできないので、悟りの岸に渡してしまったというのです。
すごく、意味深い言葉だと思いました。
苦しみ悩みの心を
消すのでなく、
悟りのある仏様に渡してしまえば楽になるということでしょうか。
一人で悩んでいないで、どんどん渡してしまえばいいのです。
それが、「幸せ」になるということです。
幸せの語源を調べると、不思議な事が分かりました。
「幸」は手かせの象形文字から来ているのです。
手錠をかけられて束縛されている象形文字なのです。
幸せとは、とらわれている執着のような意味から、解放され手放すことで幸せを得ると解釈されたようです。
『度一切苦厄』『幸』
のキーワードは
「手放す幸せ」と
私は思いました。
皆様の日常の消し去る事ができない、苦しみや行き詰まりに
どうしよう!
お先真っ暗だ!
と落ち込む時もあると思います。
その心を一度
空っぽに
解放してみましょう!
楽になって
いい結果
救いの手立てが
やって来るものです。
私の経験から
今日の導きになりました。
皆様の導きの気づきになればありがたく思います。
合掌
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