「仏は常に
いませども
うつつならぬぞ
あはれなる
人の音せぬ
暁(あかつき)に
ほのかに夢に
見えたまふ」
(平安末期の歌謡)
仏は常にいらっしゃるのだけれどまのあたりに拝することができないので一層しみじみと尊く思われる。
しかし、人々が寝静まって物音一つしない明け方に、仏はかすかに夢の中に姿を見せなさるのだ。
私の思いと同じなので紹介しました。
皆様も仏の導きの夢が見えますようにお祈りしています。
「私は復活であり、命。私を信じる人は、死んでも生きる。」
(聖書ヨハネ11.25-26)
誰でも「死」は恐ろしいことであり、避けられないことです。
イエスは「死」に対して、「私を信じるならば、死んでも生きる」と宣言しています。
この世の命が終わってからも、続く命があるから恐れなくても良いと述べています。
仏教も同じ事を述べています。この世は修業の場。どう生きたかは閻魔大王(お地蔵様)が見ていると。
真の勲章を与えてくださるのは神様だけなのです。
神様が微笑んでくれる生き方をしましょう。