後藤和弘のブログ

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多種多様な仏像のある日本の仏教の多神教性

2018年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
一般に仏教を眺めると非常に複雑な発展の歴史があって、簡単には理解できません。
そこで大雑把にその発展の歴史を書いてみます。
佛教は紀元前6世紀の中葉にお釈迦様によって作られた世界宗教です。
それが2つに分かれ、上座部仏教(南伝仏教やテラワーダ仏教とも呼ばれます)と大乗仏教(北伝仏教)の二大宗派になりました。
上座部仏教は紀元前4世紀頃に初期仏教から生まれ、それがスリランカに渡り、現在のようにミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなどに普及しています。
一方、大乗仏教はインドで紀元前1世紀頃に作られ、1世紀以後に中央アジアから中国、朝鮮、台湾、日本へと伝承されました。従って日本に伝承された仏教はインド出来た大乗仏教だったのです。
尚詳しくは、「日本の仏教と釈迦の教えの違い(3)般若心経は大乗仏教のお経」(2018年05月17日掲載記事)をご覧下さい。

インドから大乗仏教の教典を中国の長安に運んで漢訳した人の代表は西暦400年前後に漢訳した鳩摩羅什と600年代に漢訳した玄奘三蔵法師です。ですから鳩摩羅什と玄奘を二大訳聖と呼びます。

鳩摩羅什(344年 - 413年)はインド系の西域僧で、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳します。彼が漢訳したお経は次のように日本でも広く親しまれています。
『仏説阿弥陀経』1巻
『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻)
『妙法蓮華経』8巻、その他、多数。
一方、玄奘三蔵法師の漢訳した「般若心経」などは有名なので省略します。

さて、日本に来た仏教は中国でも道教などと混淆し、一層、多彩なっています。
そこで今日は日本で崇拝され信仰の対象になっている多種多様な仏像の一覧表をまず示します。以下の仏像は、『仏の一覧、https://ja.wikipedia.org/wiki/仏の一覧』からの抜粋です。

本来、佛像とは、仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者である釈迦如来の像だけとするべきでしょう。
しかし後の大乗仏教運動によって、悟りを開こうと修行している菩薩、密教特有の明王、天部の護法善神などを含めた全ての像を仏像と言うようになりました。
また顕教と密教の相違、あるいは宗派の違いにより仏像は異なります。
このように大乗仏教では多くの如来や菩薩などが後に生み出されたために多種多様の仏像があるのです。
なお上座部仏教では、仏像は釈迦牟尼仏のみの像であり、釈迦の像以外は信仰の対象とはしていません。
それでは日本の多種多様の仏像の一部を以下に示します。
以下は次の7種の順に従って示してあります。
1、如来部、2、菩薩部、3、観音部、4、明王部、5、天部、6、開祖・高僧、7、垂迹神

(1)如来部
釈迦如来 (釈迦牟尼仏)
阿弥陀如来(阿弥陀仏、無量寿仏、無量光仏)
薬師如来(薬師瑠璃光如来、薬師仏)
大日如来(遍照如来、毘盧遮那仏)
阿閦如来(あしゅくにょらい)
無量寿如来
天鼓雷音如来
普賢王如来
多宝如来
毘盧遮那仏(盧遮那仏、遍照遮那仏)
弥勒如来

(2)菩薩部
文殊菩薩
普賢菩薩
普賢延命菩薩
薬王菩薩
地蔵菩薩
六地蔵
虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩
弥勒菩薩
観音菩薩(観世音菩薩または観自在菩薩の略)
聖観音
千手観音
馬頭観音(馬頭明王)
勢至菩薩
日光菩薩
月光菩薩

(3)観音部
観音菩薩(観世音菩薩または観自在菩薩の略)
阿弥陀如来(阿弥陀仏、無量寿仏、無量光仏、観自在王如来)
千手観音
十一面観音
如意輪観音
馬頭観音(馬頭明王)
大黒天(摩訶迦羅、瑪哈嘎拉、チベット仏教の忿怒相の大黒天、観音の化身)

(4)明王部
不動明王
金剛夜叉明王
愛染明王
孔雀明王
青面金剛

(5)天部
梵天 - ヒンドゥー教の神ブラフマーに由来
帝釈天 - ヒンドゥー教の神インドラに由来
四天王
兜跋毘沙門天
大自在天 - ヒンドゥー教の神シヴァに由来
弁才天 - ヒンドゥー教の神サラスヴァティーに由来 - 七福神の一柱。
大黒天 - ヒンドゥー教の神マハーカーラ(シヴァの別名)が日本の大国主命と習合 - 七福神の一柱。
吉祥天(功徳天) - ヒンドゥー教の神ラクシュミーに由来
韋駄天(陰天) - ヒンドゥー教の神スカンダに由来
鳩摩羅天 - ヒンドゥー教の神クマーラに由来
摩利支天 - ヒンドゥー教の神ウシャスに由来
歓喜天(聖天)- ヒンドゥー教の神ガネーシャに由来
鬼子母神 - ヒンドゥー教の神ハリティーに由来
焔摩天(閻魔) - ヒンドゥー教の神ヤマに由来
深沙大将(じんじゃだいしょう)
寿老人
福禄寿
布袋
恵比寿
関帝菩薩

(6)開祖・高僧
羅漢
祖師像
聖徳太子
達磨大師
天台大師(智顗)
善導大師
伝教大師(最澄)
弘法大師(空海)
慈恵大師(良源、元三大師、角大師とも)
円光大師(法然)
見真大師(親鸞)
立正大師(日蓮、日蓮正宗では仏宝として崇められている)
神変大菩薩役行者(えんのぎょうしゃ)
行基菩薩

(7)垂迹神
八幡大菩薩 (はちまん)- 日本の神道の神である八幡神の別称。
秋葉権現(あきば)
愛宕権現(あたご)
飯縄権現(いづな)
越知大権現(おち) - 白山修験
金毘羅権現(こんぴら)
熊野権現(くまの)
三宝荒神(さんぽうこうじん)
牛頭天王(ごずてんのう)
蔵王権現(ざおう)

以上のような数多くの仏像を見ていると日本の仏教は多神教的な宗教と言えます。
お釈迦様は神の存在を認めず、人間が出家して戒律を守れば悟りの境地に入れると教えました。ですから仏教を多神教と断定するのは間違いです。
しかしこの記事では「多神教的」とか「多神教性」という言葉を使っています。その理由を次に示します。
釈迦の教えをよく勉強している僧侶たちの全ての仏像に対する祈りの例です。
「どうか私を悟りの境地にお導き下さい。私の全てをお釈迦さまへ捧げます。お釈迦さまに帰依します」
という内容ではないでしょうか。
一方、仏教を深く勉強していない大衆の人々の祈りの例を示します。
「どうか家内安全を守って下さい。商売も繁盛するようにして下さい」
この祈りは神道の神社での祈りと同じです。
すなわち多種多様な仏像を神道の神々と同じように信仰しているのです。そこには神々が存在する宗教なのです。ですから私は「多神教的」とか「多神教性」という言葉を使うのです。

一方私は一神教のカトリックの信者のはしくれにいます。ですから仏教の多神教的な性質が明快に分かる気がするのでしょう。
誤解を避けるために強調します。どんな宗教にも絶対に優劣はありません。一神教だろうが多神教だろうが絶対に優劣などありません。

今日の挿し絵代わりの写真は奈良と京都にある仏像の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は京都の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像です。国宝です。

2番目の写真は奈良の大仏です。お釈迦さまではありません。盧舎那仏です。

3番目の写真は奈良・東大寺戒壇院の四天王立像です。奈良時代の塑像の最高傑作といわれる。

4番目の写真は京都の教王護国寺の帝釈天の像です。もとはヒンズー教の神でした。

5番目の写真は京都の三十三間堂の千手観音です。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、正式名称を蓮華王院本堂と言います。

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-03-10 17:24:30
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムは人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。ひるがえって考えてみると日本らしさというか多神教的な魂の根源に関わるような話にも思える。
ありがとうございました。 (後藤和弘)
2024-03-10 19:19:28
詳しい説明ありがとうございました。
ありがとうございました。 (後藤和弘)
2024-03-10 19:24:45
詳しいご教授ありがとうございました。
マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-04-19 16:55:07
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム、人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさもしくは東洋らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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