後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

雑木林のお好きな方の為に(5)玉川上水両側に連なる雑木林

2008年11月30日 | インポート

江戸時代初期に作られた玉川上水は羽村の堰から四谷の大堰までありました。現在は羽村からJR三鷹駅近くまでは、常に水が流れ、両側には大きな雑木が厚く連なっています。

特に三鷹市、小金井市、小平市、国分寺市、立川市の付近は木々も大きい上に林の巾も広く、見事な雑木林になっています。

この写真は五日市街道の北にある幸町の、さらに北側の小平市の玉川上水の南岸の雑木林の風景です。北岸にも同じような雑木林があり、樹下には遊歩道がついています。

(続く)

撮影日時:11月29日午後2時頃、撮影者:Mrs.藤山

031 038 039_2

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

雑木林がお好きな方の為に(4)小平市の保護している雑木林

2008年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

052_2

028_2 033_2 043_2 047_2 051_2 054_2

東京都の西の地域に小平市があります。玉川上水の管理保護や、雑木林の自然な保護に力を入れています。ここにあげた写真は、幸町団地の北側から玉川上水の間にある雑木林の写真です。晩秋の木々のたたずまいの様子をお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。(続く)

撮影日時:11月29日午後2時頃、撮影者:Mrs.藤山

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

海で舵の壊れたヨット

2008年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨットが趣味なので、ヨットに関する他のブログでもよく見ています。その中に「Hoota’s Yacht Life」というブログ(http://hoota.blog.so-net.ne.jp/)のHootaさんとは「あし友」です。

11月22日から三宅島を目指した航海記は風向きが悪く、伊豆稲取港までしか行けませんでた。風向きが悪いとどのように苦労するか?航海記を克明に書いているのでスリルを感じます。

ところが帰りに三崎港から東京湾の奥の保田港まで、Hootaさんが一人で回航しているとき舵輪が空回りし、舵が動かなくなりました。舵の故障ほど怖いものがありません。素人ながら舵輪は故障の可能性があるので、単純に舵に棒(テラー)が直結したヨットなら安心と思っていました。自分のヨットの舵が壊れたことを想像して怖くなります。

さてHoota さんはどうしたでしょう? 続きはHootaさんのブログをどうぞ。

(終わり)

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

自己紹介の写真

2008年11月29日 | 写真

003

011 012 017

ブログでは仮名やハンドルネームを用いるので無責任な意見が多いという人も居ます。あるいはバーチャル世界で実生活とは関係が無さすぎるという人もいます。そこで自分の生活の様子を表現するのも良いと思い、小金井公園で家内と散歩したときの写真を掲載します。小春日に老夫婦がのんびり木々をながめています。ついでに以前ユーカリの木の写真を掲載しましたが、もう少し良い写真が撮れましたので載せます。(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ある方の宗教に対する心の軌跡(1)「軍国少年」だった私の告白

2008年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

私のブログでは宗教のことを何度を取り上げています。いろいろな視点からの感想や考察を公平に紹介し、皆様にお考え頂ければ幸いと思っています。

最近、吉備野禅三様(本名:銭本三千年(ぜにもと みちとし)様)とおっしゃる方がご自分の宗教にたいする心の軌跡を真摯に御書きになっている文章を読み、感動しましました。

ご本人の許可を頂けましたので何回かに分けて連載したいと思います。

戦争になると宗教の教団がどうなるか?貴重な歴史的な記録と思います。

====ある方の宗教に対する心の軌跡(1)「軍国少年」だった私の告白=====

 第二次世界大戦・・・日本を巻き込んだ15年戦争。その全時期を、私は「軍国少年」として育ち、敗戦を迎えた時、15歳でした。熱心なキリスト教徒であった母の影響で、私は幼児洗礼を受けたクリスチャンでもありました。何が私を「軍国少年」に育てたのか? 

 老境に入った今、静かに、それを想う時、私は、二つの「神」に操られたことを思います。
現人神(この世の生き神様)の「天皇陛下」と、日本独特の日本基督教団が奉戴した「全知全能の唯一神」です。

 信じられないでしょうが、この二つのは、共に、あの戦争を、西欧帝国主義が植民地化したアジア友邦諸国を解放し、天皇陛下を盟主とする「八紘一宇」を樹立するための「聖戦」であると礼賛し、若者たちを戦場へ送りました。

 現人神の責任追及は、天皇陛下の「人間宣言」で帳消しにされました。しかし、日本基督教団が奉戴した《「八紘一宇」を祝福した全知全能の神》については語られることがありません。

 戦争翼賛のため合同し、第二次世界大戦を聖戦として信徒を戦場に送り出したこの教団は、現人神と仲のいい日本式全知全能神を創造しました。この事実と、過ちは知る人が少ないと思います。若いキリスト教信者が「靖国で会おう」を合い言葉に戦場におもむいた、その事実から目をそらしてはなりません。

 私は、クリスチャン・ボーイであると同時に「軍国少年」であった自分の不思議を、キチンと整理し、次世代に残す責務を感じています。是非、以下の告白を真剣に受け止めて下さることを、国民の皆様にお願いいたします。(続く)

藤山杜人の感想:キリスト教の教団が戦争になるとどうなったかという貴重な記述と思います。教団を組織していたのは弱い人間でした。キリストの教えを深く理解しなかったのです。自分も同じようなことをしそうです。このような事実を戦後の日本は忘れたのでしょうか? あまりにも生活が苦しくて忘れようとしたのでしょう。でも今こそ静かに考えることが出来ます。そんな時代が来て幸いです。(続く)

原文のURL:http://zenmz.exblog.jp/1125365#1125365_1

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ここをクリックしてお遊び下さい!

2008年11月28日 | うんちく・小ネタ

アメリカ、オハイオ州の友人から時々ふざけたメールが来ます。彼も暇なんですね。微笑みながらいつも楽しんでいます。下のURlをクリックしてお楽しみ下さい。子供さんと一緒に楽しめますよ。

Subject: What Engineers do when they retire

Click here: http://www.chilloutzone.de/files/player.swf?b=10&l=197&u=ILLUMllSOOAvIF//P_LxP92A42lCHCeeWCejXnHAS/c

このトリックの秘密はあちこちにバネのエネルギーや位置のエネルギーをあらかじめ一杯貯めてあるところにありますね。

子供さんのためにもっと面白いものをお考えください。(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本の将来はベンチャー企業の成功にかかっている(1)ベストシステムズ社の場合

2008年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

1990年ころのバブル経済の崩壊後、日本の産業構造が大きな変革をしました。

特に個人の独創的な発想にもとずいた中小企業(ベンチャー企業)が隆盛しないと日本の将来は無いと言われています。政府もベンチャー企業支援のいろいろな施策を取ってきました。財界もそれに協力し、現在は数多くのベンチャー企業が日本の経済を支え、雇用者も増加してきまた。

従来の中小企業とベンチャー企業は、会社内の組織と人事管理が根本的に違います。簡単に言えば、ベンチャー企業はアメリカの中小企業とよく似た組織です。従来の中小企業は大会社に隷属し自主的活動が出来ませんでした。ベンチャー企業は何処とも隷属関係がなく、世界中へ商品を自由に売ることが出来ます。

言うはやさしいが、そのような会社を設立して成功させることの出来る人は非常に珍しいものです。ベンチャー企業を作るが、すぐに倒産する。そのような失敗の数が多いなかで10年以上も隆盛を続けるのは珍しいのではないでしょうか。

昨夜、あるベンチャー会社の10周年記念パーティに出て、いろいろな人の話を聞きながら、「成功の原因」をいくつか考えてみました。

下の写真は株式会社ベストシステムズを創立して10年間社長をしてきた西克也さんです。高速コンピューターや周辺機器をアメリカから輸入して、お客さんの使う目的に合うシステムを作りあげ、売っている会社である。お客さんにとってベストなシステムを作り上げるので、ベストシステムズという会社の名前にしたといいます。顧客は大学や研究機関の大型コンピューターセンターや民間会社の大型計算機センターです。

パーティの間いろいろ考えて、この企業の成功の原因は3つ有るという確信にいたりました。車でパーティへ行ったので、酒に酔わないで、正常な頭で熟慮した結果です。

1)西社長は常にアメリカの高速計算機と周辺機器の開発の動向を詳細に研究し、お客の要求にあう最新のシステムを作りあげています。この組み合わせ技術に独創性を示しているのです。

2)人柄が明るく柔和で、魅力的な個性を持っていて財界人の多くの人に愛され、助けられてきました。10年間、ベンチャー企業を経営すれば何度も危機に遭遇します。でも、その度に年上の財界人が資金を融通してくれて救ってくれます。社長の冒頭の挨拶でその事実を公表し、謝辞を述べていました。

3)ベンチャー企業をつくる人は良質な会社で「良い企業人」としての訓練を受けたほうがよいのです。西社長は以前、クレイ日本支社でスーパーコンピューターの営業をし、特につくば市の研究機関へ販売していました。

クレイという人はアメリカ人で、はじめて本格的なスーパーコンピューターを作り、世界中を席巻した人です。1960年代、1970年代の世界中の計算機センターはクレイのスーパーコンピューターを使っていました。もう故人となりましたが、非常に独創的で、優しい慎ましやかな人柄だったという伝説が残っています。競争相手の無い高価な商品を売るクレイ日本支社の活動はギスギスする必要がありません。利益が大きいので優秀な社員を数多く採用していたそうです。従って顧客サービスも決定的に良く、社員教育もおおらかで社内の人間関係が非常に良かったそうです。

しかしスーパーコンピューターの技術にも例外なく栄枯盛衰が起きます。クレイ支社はつぶれそうになります。優秀な社員は四散します。そこで驚くことは、多くの元クレイ社員がベンチャー企業をつくったことです。ベストシステムズの西克也社長もその一人です。

良質な会社が良い企業人を育てる。それは本当の事です。

株式会社ベストシステムズの成功には上に書いた三つの原因があります。どの一つが欠けても駄目だったと思います。

日本テレビを吸収しようとして騒動を起こしたライブドア社の元社長は、三番目の条件に欠けていました。

大学卒業後すぐにベンチャー企業を作りときの落とし穴にならないように祈って一旦終わりにします。(続く)この会社の詳細は:http://www.bestsystems.co.jp/index.html

014

010 007

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

無名戦士の墓へのロマンチックな誤解

2008年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

第二次大戦後、昭和20年代の映画は外国ものが多かった。ヘミングウエイ原作の「誰が為に鐘が鳴る」や「武器よさらば」、そしてフランス映画の「外人部隊」などを懐かしく思い出す。いずれも外国人義勇兵が活躍する恋愛・戦争映画である。その主人公たちが死んで、無名戦士の墓に葬られるのだろうと、私自身は勝手に思い込んでいた。50年以上にわたるロマンチックな誤解である。

最近、各国の国立墓地の形態を少し調べていたら、外国には無名戦士の墓があることが分かった。勿論、無い国もある。外国から偉い人が訪問して、無名戦士の墓に花環を供えたというニュースを何度も見た。日本へ来るいろいろな賓客から「靖国神社へ花環を供えましょうか?」と外務省へ申し出があるらしい。全て丁重に断っているそうだ。靖国神社は韓国や中国との政治的紛争になるし国内的にも論争のたねになるからである。それでは日本にも無名戦士の墓を作ってしまえば良い。と、そう簡単な話にはならない。

外国の「無名戦士の墓」は軍人が祖国のために出征し、戦死した人々の墓の象徴である。国民の大多数がそういう戦士へ感謝していて、外国からの賓客が花環を供えることを嬉しく思う。そのような国民的な合意のある国でだけ、その国の政権が「無名戦士の墓」を大切にし、外国からの賓客が花環を供えるような暗示を与えるらしい。

このような場合は「無名戦士の墓」はその国の政権の権力を安定させる道具として機能し、外国の賓客にとっては一つの外交の道具として活用しているに過ぎない。

その時代の政権の政治的判断で無視したり、活用したりしているものらしい。

欧米の恋愛戦争映画の延長に想像できるようなロマンチックな存在ではない。外国における国立墓地の様子を調べている途中の感想です。(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

各国の戦没者国立墓地(2)毎日30位の埋葬式のあるアーリントン国立墓地

2008年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカにあるアーリントン国立墓地では毎日平均30の埋葬式がとり行われています。そこが靖国神社と決定的に違います。

埋葬には遺体をそのまま土葬にする形式と火葬にしたあとの遺骨を埋める形式の2つが有ります。この墓地に埋葬されるための条件は南北戦争以来の戦死者と退役軍人です。陸軍、空軍、海軍、海兵隊の全てを含みます。あるいは大統領や最高裁判所長官、などの政府機関の幹部も埋葬される権利があります。

南北戦争以来、アメリカの戦死者や退役軍人の死者は膨大です。そこでアーリントン墓地を使用しても良い人間の資格を規則で厳密に決めています。Googleで英語でArlington Cemetoryを検索すると墓地使用の権利を有する人の資格が明解に書いてあります。興味深い点は土葬には厳しい条件があり、遺骨を埋める場合は緩やかな条件になっています。

アメリカ人の考え方では国立墓地を使用する権利を有する者は、軍務の義務を人一倍立派に果たした者に限るという条件があります。従って軍務の間に種々の勲章を貰ったものを優先します。長期間軍務に従事し、重要な作戦に参加し、アメリカ軍の勝利へ貢献した人々を優先します。

しかし、国立墓地を使用する権利を行使するか否かは個人の自由です。アーリントンには20万基以上の墓があると言われます。でも南北戦争以来の戦死者や退役軍人の死者は数百万人いると想像されます。したがってアーリントン墓地にはほんの十分の一くらいの人しか眠っていないようです。

靖国神社では戦士した日本人の全てを祀っています。個人的に、祀られることを拒否することが出来ないのです。アーリントンでは、個人の自由意思で権利の行使も放棄も決めるのです。歴代大統領は当然権利を有するのですが、アーリントンに墓があるのはケネディ大統領と他に数人だけの少数です。国家よりも、「個人の自由の尊厳」を大切にしたいという心情が見えるようです。

靖国神社と比較するといろいろ違いがありますが、一つだけ追記して、一旦終りにします。それは、アーリントンではプロテスタント、カトリック、ユダヤ教、イスラム教、無宗教など何でも良いのです。管理している陸軍の管理役所が埋葬式のアレンジを全て無料ですることになっています。すなわち宗教の自由を完全に認めているのです。

下の写真はアーリントン墓地の風景です。左のように墓石の前面に墓誌が彫ってあります。右の写真は墓の裏面だけが見えるように撮った写真です。日本では無名戦士の墓としてこの墓誌の見えない風景写真が良く使われるますが、無名戦士の墓ではありません。(続く)

477pxgraves_at_arlington_on_memoria 00881

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

思い出の夏山の花々

2008年11月27日 | 写真

もう来週は師走。クリスマス、大晦日が近づき今年も暮れようとしています。寒い日々が続いています。それでつい楽しかった夏山の散歩や道傍の花々のことを思い出しています。山梨県北杜市の武川町の山林の中の小屋の付近で7月に撮ったものです。下の写真はネムノキの花です。大木ですが回りの電柱や電線が邪魔して、満開の大きなネムノキの全体が撮りにくく、カメラアングルに苦労しました。

080

下の写真は小屋の付近の雑木林の中に咲いていたウワズミサクラです。花の咲いていないときは地味な葉だけなので雑木林に溶け込んで目立ちません。雑木林にはそのような木も幾つかあります。美しい白い花房を沢山つけるエゴノキもそうです。

Dscn3647_2

下の写真は野生の藤の花です。野生の藤は他の木に絡まり梢まで登って行きます。それでも足りず、隣の木の梢へ渡り、幹にからまり、枯らしてしまいます。翌年は少し横に這って新しい木の幹を登ります。下の写真は2、3年した野生の藤のように見えます。

Dscn3775_2

下の写真は山林の中に住み着いている鬼家雅雄さんから鉢ごと頂いたクリンソウです。頂いたときはまだ小さな苗でしたが東京へ持ち帰り庭の樹蔭に置き、水をやり、育てましたところ7月に下の写真のように咲きました。控え目の静かに咲いている様子が日本サクラソウに似ていて可憐です。

Dscn3853

このような夏の花々の写真をもう一度見ていると季節の移ろいの早さに驚きます。

これらの写真を撮ったときの回りの風景を昨日のように思いますが、あれから5ケ月も時が流れてしまいました。趣味を楽しんだり、国内旅行へいったり平穏な日々でした。

皆様のご健康と平穏な日々をお祈りします。(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ナチスによるジプシーの絶滅政策

2008年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の午前中に「ドイツの中央戦争犠牲者追悼所」を紹介しました。

追悼している対象が敵国だった国の戦争犠牲者だけでなく、多岐に亘っています。人間の悪魔的な性格があばかれたようで自分自身も何か落ち込んでしまいました。以前、ドイツに在住していたことで、自分も少し責任があるような感じがするのです。

陽の光の中で、あちこち車でドライブして気持ちが落ち着きました。あの追悼文の中にロマとシンティの人々とあります。どちらもドイツ語圏のジプシーのことです。

ジプシーは日本では「流浪の民」という歌で、何かロマンチックで楽しそうな民族として受け止められて来ました。その平和で無力な民族がヒットラーによって殺戮されたのです。

以下にWikipedeaの「ロマ」の項目から一部転載し、この残酷な歴史を忘れないようにしたいと思います。

ドイツにおいてはナチスが政権獲得後の1935年に、ロマを「劣等民族」と見なす法律が施行された。

ロマの選挙権は剥奪され、非ロマとの結婚禁止、商売の禁止、学校入学の禁止、ドイツ国内での移動禁止などが主な内容である。

その後ロマは強制移住や強制労働政策の対象となり、収容されたロマには優生学的な観点から、強制的断種手術が行われた。

Roma_boy_in_bear_costume_sm第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ナチスは再び多数のロマを抱えこむことになった。ナチスが「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人と同様にホロコーストの対象とされた。

正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。

ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン(Einsatzgruppen)」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。

ナチスの被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

左の写真は熊の縫い包みを背中から羽織ったジプシーの少年の写真です。タバコを一本口にくわえ吸っています。この写真もWikipedeaのロマの項の挿絵です。(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

各国の戦没者国立墓地(1)ドイツには統一的な国立墓地は無い

2008年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

最近のマスコミは、首相の靖国神社参拝の問題を騒がしく報道していない。こういう時こそ靖国神社の意味を静かに考えて見たい。そして私自身の考えをゆっくり述べてみたいと思う。そのために各国の戦没者の墓地と、それに国家がどのように関係しているかを数回にわたって紹介し、比較検討を深めて行きたいと思う。

まず日本と軍事同盟を結んで戦争をしたドイツの場合を取り上げてみる。

結論を先に言えば、ドイツには国家が統一的に戦死者を祀る墓地が無い。

ドイツと組んで戦争をして敗れた日本には靖国神社や千鳥ケ淵戦没者追悼記念碑が存在している。

日本とドイツの差異を説明する前に、まず日本語の「追悼」の意味の定義をしておく。その重要性を、愛知教育大学の南守夫教授が指摘している。私なりに定義してみると

以下のようになる。

追悼には2つの意味があり、1)死んだ人を尊敬し、感謝し、平穏な眠りを祈る、2)死んだ人の悲しい運命へ同情し、一緒に悲しんであげる。1)の意味は顕彰に近い意味であり、2)の意味は哀悼の意味に近い。靖国神社で戦死者を追悼する場合は1)の意味に近く、千鳥ケ淵での戦没者の追悼には2)の意味が強い。

ドイツには統一的な国立墓地は無いが、国立戦没者追悼所は存在する。東西ドイツが統一された後に東ドイツ地区のノイエ・ヴァッへという所に作った。下の写真がその建物である。この建物の正式な名前は、「戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ国立中央追悼所」である。墓地ではないので、統一的な国立墓地は無いのである。

そして建物入り口の右側にかけてある銅板の碑文には以下のように彫ってあるという。

長くなるが、これを読むとこの国立追悼所の設置目的が明解に分かる。この目的ならドイツ国民は自分たちの納めた税金を使うことに同意したと理解できる。

碑文:「戦争と暴力支配の犠牲者に」
DEN OPFERN VON KRIEG UND GEWALTHERRSCHAFT


追悼文(全文):

ノイエ・ヴァッヘは
戦争と暴力支配の
犠牲者を追悼し
記念する場所である。

我々は追悼する、
戦争によって苦しんだ諸国民を。
迫害され、命を失った
その市民たちを。
世界戦争の戦没兵士たちを。
戦争と戦争の結果によって
故郷において、また捕虜となって、
そして追放の際に命を落とした
罪なき人々を。

我々は追悼する、
幾百万の殺害されたユダヤ人たちを。
殺害されたシンティとロマの人々を。
血統や同性愛の故に
あるいは病気や身体の弱さの故に
殺されたすべての人々を。
我々は追悼する、
生きる権利を否定されて
殺害されたすべての人々を。

我々は追悼する、
宗教的或いは政治的な信念のために
死ななければならなかった人間達を。
暴力支配の犠牲となり
罪なく死を
迎えなければならなかった人々を。

我々は追悼する、
暴力支配に対して抵抗し
その命を犠牲にした
女たちや男たちを。
我々は称える、
良心を曲げるよりはむしろ
死を受け入れたすべての人々を。

我々は追悼する、
一九四五年の後に
全体主義的独裁に反抗し
迫害され、そして殺害された
女たちや男たちを。

上の文章へ解説や批評は不要です。出典は南守夫教授のHPからです。

愛知教育大学の南守夫教授はドイツのナチ被害者や戦争記念碑や記念館を克明に調べ上げ詳細をネット上で発表しています。(終わり)

Fig11

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

追憶の中の仙台(6)補足:大空襲を受けた他の都市

2008年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

現在の若い方々のために補足的な事実をご紹介いたします。

アメリカ空軍のB29の編隊による焼夷弾攻撃で焼きつくされた都市は仙台だけではありませんでした。戦後すぐに吉田首相はその中から115市町村を選び復興事業の予算を交付します。1946年10月に次の内閣告示第30号を発布しました。日本全国のほとんど全ての都市がB29の焼夷弾で焼きつくされたのです。現在の若い方々にご想像して頂き、日本の過去の苦難の歴史を民族の共通の記憶として子々孫々まで伝承して頂きたいと思います。

内閣告示第30
特別都市計画方第1条第3項の規定によって次のように市町村を指定する。
昭和21109日 内閣総理大臣 吉田茂 

根室市,釧路市,函館市,本別町、青森市 、釜石市,宮古市,盛岡市,花巻市、仙台市,塩竈市 、郡山市,平市 、東京都の区の存ずる区域,八王子市 、横浜市,川崎市,平塚市,小田原市、千葉市,銚子市 、熊谷市 、水戸市,日立市,高萩町,多賀町,豊浦町 、宇都宮市,鹿沼町、前橋市,高崎市,伊勢崎市、長岡市、甲府市。

名古屋市,豊橋市,岡崎市,一宮市 、静岡市,浜松市,清水市,沼津市、岐阜市,大垣市、津市,四日市市,桑名市,宇治山田市 、富山市、大阪市,堺市,布施市 、神戸市,西宮市,姫路市,明石市,尼崎市,魚崎町,鳴尾村,本山村,住吉村,本庄村、和歌山市,海南市,田辺市,新宮市,勝浦町、福井市,敦賀市 、広島市,呉市,福山市 、岡山市、下関市,宇根氏,徳山市,岩国市、堺町、高松市  

徳島市 、松山市,宇和島市,宇治市 、高知市、福岡市,門司市,八幡市,大牟田市,久留米市、長崎市,佐世保市 、熊本市,荒尾市,水俣町,宇土町 、大分市 、宮崎市,延岡市,都城市,高鍋町,油津町 、鹿児島市,川内市,串木野町,阿久根町,加治木町,枕崎町,山川町,垂水町,東市来町,西ノ表町 (沖縄は当時、アメリカ領)

(終わり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

追憶の中の仙台(6)大空襲とオートンさんの思い出

2008年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

1945年7月10日の午前0時から仙台は123機のB29によって焼きつくされました。

9歳であった僕は、向山の高台から市街地が一面の火の海になっているのを立ち尽くして見ていました。翌日は少年の単純な好奇心で、鹿落坂をくだって焼け跡を見に行きました。下の写真のような光景が広がり、まだ彼方此方から煙が立ち昇ってたのを鮮明に思い出します。

Sendai_after_the_1945_air_raid 写真の出典はWikipedeaより。

それから15年後にオハイオ州立大学へ留学したとき、クラスメイトに14歳年上のオートンさんという空軍大佐が居ました。

B291hikoucyuu1_2 

戦争中はこの写真のようなB29に乗り組んでいたそうです。

どういう訳かオートンさんとは親友になり彼が死ぬまで交友が続きました。

オートンさんはB29爆撃機を操縦して日本へ何度も飛んできて焼夷弾を落とした男です。大きな体、坊主頭、赤ら顔のカウボーイのような男でした。面倒見のよい人で、英語のできない私にノートを見せてくれ、何度も家に招待してくれました。当時、彼は空軍大佐でしたが、引退後は大学の先生になろうと博士課程を取っていました。 

なぜ日本人の私の面倒をそんなに本気でみるのか、かなり親しくなってから聞いたことがあります。「俺は東京へB29で何十回も空襲に行ったよ。それでなんとなく日本人に親近感ができてしまったのかも…」。彼はその話を二度としませんでした。 

奥さんのケイが死んだのは二十年も前です。しばらくしてから南部にオートンさんを訪ね、二人でケイの墓参りをしました。いつも大声で陽気に話していた彼は消え入るように沈んでいます。墓地には白い墓石が一面に広がり、秋風が吹き渡っていました。

00881 また何年か過ぎ、アニタという女性と再婚してから元気になったようです。

1988年、私はオランダの出版社から初めて英語で専門書を出版することになりました。その時、原稿を逐一訂正してくれたのがオハイオ州立大の同級生だったオートンさんです。

 オートン氏のことを思い出すと、1945年7月、少年であった私の目の前で一面火の海になった仙台の町々、空襲の大火に映しだされるB29の白い機体のゆっくりした動きを思い出します。憎しみも悲しみもない走馬灯のように。 オートン氏は2006年の末に亡くなりました。花輪を送り、遠くから冥福を祈るだけです。

どういう訳か仙台の大空襲を思い出すと、オートンさんの終生変わらなかった友情を一緒に思い出します。大空襲では家族も自宅も被害を受けませんでしたが、叔父の家が焼けました。その叔父も死に、全ては恩讐のかなたになってしまいました。(続)

B29写真の出典:http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html

墓地の写真の出典:http://www.remus.dti.ne.jp/~aga/wdc/106.html

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ユーカリの大木の写真

2008年11月25日 | 写真

ユーカリの木はニュージーランドまたはオーストラリア原産。    日本へは1875年頃に渡来したそうです。  オーストラリアではコアラのエサになることで有名です。あちこちの公園に植えてありますが、小金井公園のものは大樹なのでご紹介いたします。撮影月日は11月17日でした。上の写真2枚は同じ木の梢と根本で、最下部の写真は別のユーカリの木の全景です。小金井公園には2、3本あるようです。(終わり)

039 038 006
 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加