後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

美しい高島城と諏訪大社の関係の歴史

2017年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム
地方の歴史を調べるのが趣味の人が多いようです。特に老境になると自分が住んでいる土地の歴史が知りたくなります。
以前、私がある地方の歴史を知りたくなったら、その土地の本屋さんを訪ねて本を探すことにしていました。地元の本屋さんには必ずのようにその土地の地方史の本を集めたコーナーがあったのです。
しかし最近はインターネット上に全国の地方、地方の歴史が非常に詳しく掲載されるようになりました。
ですから、ある地方の歴史を知るためには数多くの資料の中から精確で信頼出来る資料を選ぶのが非常に重要な仕事になります。
まず信頼できるのは各地の自治体の教育委員会が掲載している地方史の資料です。
しかしその一方で民間の歴史家が深く調べた上で、素人にも分かり易く明快に書いた地方史を探し当てることもあります。
先週、諏訪湖に旅をした折に高島城の写真を撮ってきました。
諏訪地方には、古事記より遥か昔に創建された出雲大社と同じ頃に作られた諏訪大社があります。
従って、私は諏訪大社と高島城の関係史に非常に興味が湧いたのです。
数日、インターネットでこの関係史を調べていたら実に明快で正確な資料を見つけたのです。それは「高島城をめぐる歴史と武将」と題する資料です。URLは、http://www.suwakanko.jp/point/takashimajo/shiru/index.html です。
今日はこの優れた資料にもとづいて「諏訪大社と高島城の関係史」を簡単にご説明したいと思います。
まず先週撮ってきた高島城の写真を5枚示します。家内が小雨の中走り回って撮った写真です。
この城は昔は諏訪湖の岸辺にあり、城の前は広大な諏訪湖だったのです。そんな風景を想像しながら写真をご覧下さい。









さて、この城と諏訪大社の関係の歴史を、「高島城をめぐる歴史と武将」という資料を抜粋しご紹介いたします。
(1)諏訪社と諏訪氏
 『日本書紀』に持統天皇が勅使を派遣したという記事が残る諏訪社(現諏訪大社)は上社と下社があり、日本有数の古さを誇る神社です。その諏訪の神を祀る神官が平安時代に武士化して「諏訪氏」を名乗ったとされています。諏訪社の最高位である「大祝」は諏訪明神の依り代としてあがめられ、祭政一致の支配者として君臨しましたが、上社の大祝を務めたのが諏訪氏でした。鎌倉時代には執権北条氏の得宗被官として重用されたり、室町時代には信濃国の有力な国人領主として勢力を伸ばしました。また一族には京都で室町幕府の重要な役職を務めた人物もいます。
(2)諏訪氏の滅亡と武田氏
 戦国時代、諏訪氏と武田氏は武田晴信(信玄)の妹を諏訪頼重の正室に迎えて関係を強化していましたが、父信虎を追放した晴信(信玄)が天文11年に突如諏訪に侵攻しました。諏訪頼重は抵抗するものの降伏し、甲府に送られて自害し諏訪氏は滅亡、諏訪は武田領となりました。天正10年、信玄の子勝頼が織田信長に敗れて武田氏が滅ぶと、今度は織田氏の領有となりますが、信長も本能寺の変で斃れます。
このとき頼重の叔父の子で、上社大祝だった諏訪頼忠が本能寺の変を聞いて蜂起した諏訪の旧臣に迎えられて諏訪氏を復活、織田氏の勢力を諏訪から追い払って諏訪を取り戻しました。
(3)日根野氏の高島城築城
 諏訪支配を復活させた諏訪頼忠は武田氏滅亡後の信濃支配を狙う徳川、北条両氏に挟まれますが、最終的に徳川家康に帰順し、諏訪領有を安堵されました。しかし家康の関東国替えに伴って武蔵国奈良梨・羽生・蛭川(現埼玉県)へ、のちに上野国惣社(現群馬県)に移されました。
 かわって諏訪の領主となったのが、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉です。高吉は諏訪湖畔の高島を城地と定めて天正20年(文禄元年)頃から築城にとりかかり、慶長3年にはおおよそ完成したものと考えられています。
日根野高吉(ひねの たかよし)(?〜1600)は美濃国の生まれ。はじめ美濃斎藤家に仕えましたが、父弘就の代から織田家に仕えたのち、豊臣秀吉の部将となりました。小田原攻めの戦功により諏訪を与えられ、高島城を築城しました。関ヶ原の合戦の直前に死去し、慈雲寺(下諏訪町)に葬られました。
(4)諏訪氏の旧領復帰
 日根野高吉は高島城を築城し、領内統治の仕組みを作るなど領主としての足固めを進めましたが、慶長5年関ヶ原の合戦直前に死去します。跡を継いだのは子の吉明ですが、翌年に下野国壬生に移されました。そのあと諏訪を与えられたのが諏訪頼忠の子でそのとき惣社の領主となっていた諏訪頼水です。頼水は高吉の築城した高島城に入り、ここに諏訪氏による諏訪統治が約60年ぶりに復活しました。以来10代忠礼のときに明治維新を迎えるまで変わることなく諏訪氏が諏訪の領主として続きました。

(5)明治の廃城と高島城復興
 明治維新を迎え、旧支配体制の象徴である高島城は破却されることになりました。明治3年頃から城内の建物が順次払い下げられ、天守も明治8年に取り壊されました。破却後、本丸跡が「高島公園」として開放されましたが、それ以外は市街地化していきました。昭和45年、市民の熱意によって天守が外観復元され、門や櫓などもあわせて復興されました。

以上を要約すると高島城は諏訪地方を治めていた諏訪大社の神官だった諏訪氏が明治維新まで城主として君臨していたという歴史が分かります。諏訪大社の神を祀る神官が平安時代に武士化して「諏訪氏」を名乗ったのです
今回示したような高島城は豊臣秀吉の家臣・日根野高吉が慶長3年、1598年に建てたものです。
この前に武田信玄が諏訪を攻め自分の領地にしましたが、間もなく信玄一族は滅亡したのです。
なお写真に示した高島城は明治維新で破壊される前の写真にもとづいて昭和45年に復元されたものです。破却前の天守の写真は明治4年 に竹田凍湖によって撮影され今でも残っています。
勇壮な御柱祭りで運び込み諏訪大社の境内に立っている巨大な御柱は縄文時代の宗教の崇拝の対象だったと言われ、大変興味深いものです。
今日は諏訪地方の歴史を簡略にご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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他人が読んでも面白くもない日記と非常に面白い日記の違い

2017年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
インターネトの普及で自分の日記を毎日のように公開している方々が非常に多くなりました。私も毎日ネット上に公開しています。
しかし他人が読んでも面白くも可笑しくもない日記が多いようです。その一方、非常に面白い日記もあります。
私の日記も他人が読んで面白くも可笑しくもない日記が多いことは重々承知しています。
それで時々考え込んでしまいます。面白い日記と面白くない日記の違いを考えています。
多くの人は食べ物や男女間の関係に興味を持っています。人生にとってとても重要な話題です。ですから、それに関する日記はまず面白いものになります。多くの他人が読んでくれます。
しかし私はその話題を取り上げることは避けるようにします。すると面白い日記を書くのが難しくなります。
しかし面白い日記と詰まらない日記の違いは分かっている心算です。
個人の楽しみだけを下手な文章で書いた日記は他人へはつまらないのです。一方、多くの人が興味を持つ社会性がある日記は他人が読んでも面白いのです。特に美しい良い文章なら読んで楽しいものです。
写真を使ってその違いの説明をします。

1番目の写真は雪を戴いた南アルプスの主峰山稜の写真です。左から農鳥岳、間ノ岳、北岳と3つの峰が写っています。
この写真には少し多くの人が興味を持ちます。故郷の雪を戴いた山並みを思い出して懐かしく思う人も多いと思います。そしてこの3つの峰に若い頃登った経験のある人々はその時の興奮を思い出して心が躍るでしょう。

2番目の写真は同じく雪を戴いた八ヶ岳の写真です。1番目の写真と同じようにいろいろなことを思い出す人が多いと思います。そして1番目の写真との違いは八ヶ岳は、東京では有名な観光スポットなので行ったことのない人も憬れています。ですから2番目の写真は1番目の写真よりも広い社会性があると考えられます。

3番目の写真は他人が見ても面白くも可笑しくもない写真の実例です。
小川の水面の波模様と水の透明さを写した写真です。他人が見ても面白くないのですが、私と家内にとっては非常に大切な写真です。
山林の中の小屋の庭の小川ですが、先日行ったら落ち葉で埋まっていました。家内が竹の熊手で落ち葉を取り除いたので、水面の波模様が見えるようになったのです。このような説明をしないと何故面白いのか分かりません。説明の必要な写真は失敗作と思います。
一目写真を見ただけでいろいろな感動を与える写真でなければいけないと思っています。
このように書くと面白い日記と面白くない日記の2種類しか無いように思われます。この2者には画然とした差があるように思えます。
しかし私はそのように主張するつもりは毛頭ありません。
実例を示して説明します。
今日の読売新聞の13面にアフリカのチュニジアでのジャスミン革命の前後の様子を書いた記事がありました。
アフリカのチュニジアなんて国に興味の無い人々にとって面白くも可笑しくもない記事です。ジャスミン革命なんて洒落た名前に反発を感じる人は素通りします。
しかし私は革命の功罪に昔から興味があったので丁寧に読みました。面白い記事でした。独裁政治は言論の自由が無いが、社会には規律があり平和があると言っています。この書き方が中国や北朝鮮にも普遍的に適用されるので面白かったのです。
しかし書いている人は日本の外務省からチュニジア大使として派遣されたエリート外交官なのです。独裁政治で悲惨な生活をしている底辺の人々に対する篤い同情がありません。革命で追われた大統領の悲劇に心を寄せていません。記事の中に筆者の人間性が感じられません。冷ややかな感じがするのです。嗚呼、エリートとはこういう方なのだと分かりました。

話が脇道にそれましたが、面白い日記と面白くない日記の主題に戻ります。
毎日読む新聞記事にも面白い記事と面白くない記事があります。
しかし毎日家内が熱心に読む記事の種類は私の読む記事とは違います。同じものもありますが家内はスポーツ記事と文芸記事を熱心に読みますが私は国際記事や国内の社会記事を丁寧に読みます。
ですから面白い記事と面白くない記事の違いを示す普遍的な指標は無いと結論出来るようです。
読む人の興味の持ち方、好奇心の有無、そして趣味の違いなどによって、ある人にとって面白くない記事も他の人にとっては面白い記事になるのです。
ですから一見つまらないような日記でもインターネットに公表した方が良いと思います。
またまた、つまらない日記を書いてしまいました。ご免なさい。
皆様はご自分の日記をどのようにお考えでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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トランプ大統領のエルサレム首都認定が与えた国際的衝撃

2017年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の1月に就任したトランプ大統領の支持率は就任からほぼ36%位にあって過去約70年の歴代大統領で最低だという世論調査結果になっています。不支持率は65%位を上下しています。
そのトランプ大統領は就任以来、数々の国際的な衝撃を与える大統領令を発表してきました。
メキシコ国境に壁を作ると発表しました。アメリカが積極的に進めてきたTPPから急に脱退しました。地球温暖化防止のパリ協定から脱退しました。そして今回のエルサレム首都認定です。
これらは全てアメリカの利益だけを考えたトランプ大統領の「アメリカ第一主義」による決定でした。
そして今回は従来の国連の決定を無視してエルサレムをイスラエルの首都と認定し、アメリカの大使館を現在あるテルアビブから移転させるという大統領令を決定したのです。
従来パレスチナ紛争でアメリカは平和解決を仲介してきました。その方針を急に変えてユダヤ教のイスラエル国の味方になり、全てのアラブ諸国を敵に回す決定をしたのです。
これら上記の数々の一方的な大統領令の発表は戦後、国連と共に育ってきた『国際協調』を根底から崩す行為です。
今度のトランプ大統領のエルサレム首都認定は国際社会へ衝撃を与えたのです。

今日は2つだけの報道を下に示します。一つはドイツ、フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国の首脳がすかさず反対すると言う声明を発表しているという報道です。二つ目はアラブ諸国が猛反発しているという報道です。
(1)ヨーロッパ諸国の首脳の反対声明

「米のエルサレム首都認定、世界各国が非難 「2国家共存を破壊」」
【AFP=時事】2017年12月7日
トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことを受け、世界各国が非難の声を上げた。
パレスチナ解放機構(PLO)のアリカット事務局長は、トランプ大統領は「2国家共存の解決案を破壊した」と非難。
アッバス議長も、「嘆かわしく容認不可能なこれらの措置は、あらゆる和平努力を意図的に掘り崩すものだ」と批判し、米国はもはや和平仲介者としての役割を望めないと述べた。
パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスは、トランプ氏の決定は「同地域における米国の国益に対する地獄の門」を開くものだと表明した。
イランは、米国の決定は「新たなインティファーダ(反イスラエル闘争)」を引き起こす恐れがあると警告。
トルコも、トランプ氏の決定は「国際法と、関連の国連決議に違反している」と非難した。
マクロン仏大統領は、トランプ氏の決定は「遺憾」だとし、同氏に「何としても暴力を避ける」努力を尽くすよう呼びかけた。
またメイ英首相も、この決定は和平努力にとって「役に立たない」ものであり、英政府は同意できないと言明。
メルケル独首相も米国の方針を「支持しない」との見解を表明した。
欧州連合(EU)はトランプ氏の決定に「深刻な懸念」を表明。グテレス国連事務総長は、エルサレムの地位はイスラエル・パレスチナ間の直接交渉を通じて解決されなければならないと述べ、トランプ氏の決定を暗に批判した。
一方、イスラエルのネタニヤフ首相は、トランプ氏の決定は「歴史的」で「勇気ある」措置だと称賛している。
(以上は、http://news.livedoor.com/article/detail/13993846/ より)

(2)アラブ諸国が猛反発

「首都エルサレム” 撤回を アラブ連盟が共同声明」
NHKニュース、12月10日
アラブ諸国でつくるアラブ連盟は、アメリカのトランプ大統領が中東のエルサレムをイスラエルの首都と認めたことに反発して外相級の緊急会合を開き、アメリカに対し決定の撤回を求める共同声明を発表しました。
アメリカのトランプ大統領が12月6日、エルサレムをイスラエルの首都と認めると宣言したことについて、22の国と地域でつくるアラブ連盟は9日、反発を強めるパレスチナ側の要請を受けてエジプトの首都カイロで外相級の緊急会合を開きました。
会合ではパレスチナ暫定自治政府のマリキ外相が、国連安全保障理事会の非常任理事国を務めるエジプトに対し、アメリカの決定を拒否する決議案を提出するよう呼びかけました。
またアラブ連盟のアブルゲイト事務局長が「パレスチナとイスラエルの和平を進めてきたアメリカに対するアラブの信頼を損ねた」と述べるなど、アメリカを厳しく非難する意見が相次ぎました。
およそ7時間にわたる会合が終了したあとアラブ連盟は共同声明を発表し「アメリカの決定に法的な拘束力はなく、地域の緊張を高め混乱を招くものだ」としたうえで、アメリカに対し決定を撤回するよう求めました。
今回の問題をめぐっては、パレスチナ暫定自治政府を率いるアッバス議長やイスラム教スンニ派の権威ある宗教機関「アズハル」のタイブ総長が、今月中旬に中東を歴訪する予定のアメリカのペンス副大統領との会談を相次いで拒否するなど反発が広がっています。
(以上は、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171210/k10011253421000.html より)

尚、以上の報道にあるアラブ連盟の加盟国は以下の通りです。
 エジプト
シリア
イラク
ヨルダン
レバノン
サウジアラビア
イエメン(加盟時は 北イエメン)
その他、 リビア、 スーダン、モロッコ、チュニジア、クウェート、アルジェリア、アラブ首長国連邦、 バーレーン、 カタール、 オマーン、モーリタニア、ソマリア、パレスチナなど。
これに関連してエジプトの新聞が、エルサレムの写真とともに「トランプは世界を挑発している」と伝えているそうです。まさに、怒りが渦巻いているようです。(http://news.livedoor.com/article/detail/13997190/ より)
このトランプ米大統領の決定は過去3代の大統領が公約したが実行はしなかった非常に危険な問題だったのです。それを一挙に実行したものなのです。

今日はトランプ大統領のエルサレム首都認定がどのような国際的な衝撃を与えたか簡単に紹介しました。
何故それが国際的衝撃になるかの簡明な説明は別稿で書いてみたいと思います。

今日の挿し絵の写真は最近の米韓共同演習の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




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いささか病的で悪趣味、しかし優れた芸術のエミール・ガレの作品

2017年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
風光の美しい諏訪湖のほとりに北澤美術館があります。エミール・ガレ(1846-1904)やドーム兄弟の独創的なガラス器の作品が700点も収蔵されています。これらの作品はフランスのアール・ヌーヴォー期のガラス工芸品です。他に、この美術館には現代絵画200点もあります。
バルブ製造会社で財をなした北澤利男氏が設立し、1983年に開館したのです。
隣にはやはり北澤利男氏が設立したサンリツ服部美術館があります。北澤利男氏は芸術を愛していたのです。
諏訪湖に行くたびに私の心は迷います。北澤美術館へ行くべきか、行くべきでないか迷うのです。
その理由は数多く展示してあるエミール・ガレの作品が病的に感じるからです。悪趣味に感じるからです。しかし素晴らしい芸術だとも思います。
一般的に優れた工芸品は職人的な技術の確かさ(工・)と芸術性(芸・)が微妙に合体したものです。エミール・ガレやドーム兄弟はカラス工芸の新しい技法を次々と創作していったことが素晴らしいと思うのです。
工芸品を見た時、人は各人各様の感じ方をします。人それぞれ感じ方が違うのが自然です。
私はエミール・ガレやドーム兄弟のガラス器を見ると病的な印象を受けます。悪趣味だとも思います。しかしその悪い印象を綺麗に打ち消すような美しさがあるのです。深い芸術性を感じるのです。
ドーム兄弟の作品はガレの作品より病気的ではありません。そのせいで私はドーム兄弟の作品が好きです。一方、家内は美術としては絶対ガレが優れていると好んでいます。
以下にはエミール・ガレの作品の写真を示します。

1番目の写真は一夜茸というキノコを模した作品です。北澤美術館で非常に大切にしていて、貸し出し厳禁の展示品です。北澤利男氏が一夜茸のガレの作品が飾ってあうるパリのエッフェル塔にあるレストランに5年間通い、店主を口説き、やっと入手したガレの晩年の傑作です。一夜茸とは一晩だけ10cmくらいに成長して翌朝には朽ちて土に帰るキノコです。

2番目は何やらバラの蕾のようなものが貼り付けてあります。さかさまになっているのが異様に感じました。

3番目は花瓶に貼り付けてあるカトレアの立体的な飾りが何故か私にはその美しさが不気味に感じるられるのです。

4番目は電気スタンドの傘の上に蝶々のような模様が貼り付けてあります。
色彩も構図も狂気的ですが、優れた芸術性が感じられます。この電気スタンドを真似したお土産品が沢山売っていますが、残念ながら芸術性皆無なものばかりです。

5番目は今回、訪問したら開催していた特別展のポスターの写真です。
特別展は北澤美術館創設35周年記念・ガレのジャポニスム展でした。http://kitazawamuseum.kitz.co.jp/exhibition/exhibition_30.html に書いてある紹介文を抜粋して示します。
『幕末の開国と共に海を渡った浮世絵や焼きものなど精緻をつくした日本の工芸は、ヨーロッパに強い衝撃を与え、各地で日本ブームがおこりました。そこに見るあでやかな色使い大胆な構図は、印象派や世紀末の工芸改革運動「アール・ヌーヴォー」の誕生に深い影響を与えました。今日「ジャポニスム」と呼ばれるこうした現象は、「アール・ヌーヴォー」の旗手、フランス北東部の都市ナンシーに生まれたガラス工芸家エミール・ガレ(1846-1904)の作品にも表れています。色とりどりの草花が咲き乱れ、バッタやトンボの飛び交う独特の作品世界、自然を手本に、四季折々の風情をたたえた個性あふれる「ガレ様式」が誕生した背景には、日本の美学に注がれたガレの熱いまなざしがありました。
本展では、北澤美術館創設35周年を記念し、世界屈指のガレ・コレクションの中から、ジャポニスム関連の作品を中心に秀作100余点を一堂に展示いたします。』・・・

さて今日はエミール・ガレの天才的な作品にたして私の勝手な感想を書いて失礼しました。
末尾の参考資料にドーム兄弟のことと北澤利男氏の短い紹介がありますのでご覧頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===============
(1)ドーム兄弟、
ドーム兄弟(Daum Frères)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したフランスのガラス工芸家。兄オーギュスト(Auguste Daum, 1853年 - 1909)年と弟アントナン(Antonin Daum, 1864年 - 1930年)の2人。ガラス工芸メーカーのオーナー一族として「ドーム兄弟」の呼称が定着している。
初期の作品にはエナメル彩色による絵付けが多く、1910年前後から色ガラスの粉をまぶしつける技法「ヴィトリフィカシオン」を多用して、色彩が複雑に混ざり合う重厚な色調の作品を製造した。また工芸デザイナーのルイ・マジョレル(1859-1926)にデザインを依頼した金具を装着したガラス作品もある。

6番目の写真はドーム兄弟の1900年頃の作品です。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%85%84%E5%BC%9F )
(2)北澤美術館の沿革と北澤利男の紹介、
1983年5月、信州諏訪湖のほとりに諏訪北澤美術館が開館。つづいて1989年4月、山梨県清里高原に清里北澤美術館が開館。北澤美術館は北澤利男が長年にわたって収集した美術コレクションを一般に公開し、地域文化の向上に寄与する為に設立した財団法人によって運営されております。コレクションはエミール・ガレに代表されるフランス・アール・ヌーヴォー期のガラス工芸700点と、現代日本画200点から成っています。
創設者の北澤利男は、1951年(株)キッツ(旧北沢バルブ)を創業し、経営が軌道に乗った40年ほど前から新作日本画の収集を開始。東山魁夷・杉山寧らの作品を集める一方、近年はアール・ヌーヴォーのガラス工芸収集に力を入れ、現在この分野では世界有数のガラスコレクションを作り上げました。

7番目の写真は諏訪北澤美術館の横にある北澤利男の銅像です。
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キリスト教の簡単な説明(6)洗者ヨハネとは何者なのか?

2017年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日のミサは待降節第二の主日のミサでした。
今日の聖書朗読ではイエスに洗礼を授けた洗者ヨハネのことが紹介してあります。
洗者ヨハネとはいったい何者なのでしょうか?
イエスより少し年上で荒れ野で粗食に耐え修行していたユダヤ教の修道者のような人でした。イエスも荒れ野で悪魔の誘惑と戦ったのですから、洗者ヨハネの教えを聞き、共鳴して彼から洗礼を受けたのでしょう。
ですから洗者ヨハネはキリスト教では重要な存在なのです。
しかし彼の考え方や教えの詳細は分かっていません。
今日の新訳聖書の朗読はマルコの福音書の第1章 の始めの部分で、以下のようなものでした。
1神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
2預言者イザヤの預言書にこう書いてある。
「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
3荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
そのとおりに、4洗者のヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めの洗礼を説いた。 5そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼から洗礼を受けていた。 6ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 7彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。 8私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」
===================
以上の福音書の冒頭で旧約聖書の預言者イザヤの預言書にキリストが来ることが明確に書いてあります。このように旧約聖書と新約聖書は密接に関連しあっているのです。
このように洗者ヨハネはキリスト教では重要な存在なので、数多くの絵画に描かれて来ました。
下に3点ほどの作品の写真を示します。

1番目の写真は洗者ヨハネがキリストへ洗礼を授けているステンドグラス絵画です。出典は、
http://www.aritearu.com/Influence/Francis/Bible/Bible_Holy_Land66.html です。

2番目の写真は ラファエロが1507年に描いた「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」です。洗者ヨハネは右側の幼児で、左がイエスです。
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/raphael_giardinier.html

3番目の写真は正教会における主の洗礼祭のイコンです。キリストに洗礼を施す洗礼者ヨハネ(左)が描かれています。出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC%E8%80%85%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D です。
キリスト教の教理には荒れ野で発見されたクムラン教団の古文書の内容と似ている点が多いと言います。
しかしユダヤ教を「神と人間の間の愛の宗教」に改革し、さらにユダヤ民族を越えた世界宗教にしたのはイエスだったのです。
そのイエスの宣教活動の初期に深い影響を与えたのが洗者ヨハネだったと、私は考えています。
どうぞ皆様のご意見をお送り下さい。有難う御座います。
===ご参考までに=============================
佛教は日本人が約1500年も馴染んで来た宗教です。一方、ザビエルが約470年前に伝えたキリスト教は未だに日本人に馴染んでいません。
明治維新以来、数多くの宣教師がやって来ましたが、信者の数は総人口の3%を超えたことがありません。
その理由の一つはその教えが日本人には理解しにくいからです。
そこで私は無謀にもキリスト教を簡単に分かるように以下のような記事を書いてきました。
キリスト教の簡単な説明(1)何故イエスは処刑されたか?(2017-11-05)
キリスト教の簡単な説明(2)水を葡萄酒に変えたイエス(2017-11-08)
キリスト教の簡単な説明(3)イエスは何故生き返って来たか?(2017-11-12)
キリスト教の簡単な説明(4)何故イエスは異教徒に話しかけたか?(2017ー11ー21)
キリスト教の簡単な説明(5)何故イエスは馬小屋で生まれたか? (2017ー12ー03)
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諏訪湖ホテルは良質なサービスを提供する良いホテル

2017年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢になり足腰が弱くなってきたので良いホテルや宿を予約して気楽に車で行く旅を楽しんでいます。
例えば今年は箱根仙石原、大町温泉、八ヶ岳大泉、木曽馬の里、仙台市、会津東山温泉、鳥羽、湯河原、甲府の旅館、そして今回の諏訪湖などに泊まりました。
泊まった宿に関する感想を記事にしたことはほとんどありませんでした。何処の宿もそれぞれ満足でした。日本のホテルや旅館は清潔で食べ物も美味しく問題ありませんでした。
しかし今回泊まった「かたくら諏訪湖ホテル」は特にサービスが良質な上、部屋からの諏訪湖の眺望が楽しめ、夕食の和食も板前さんの優しい心くばりが感じられて全てがバランス良く、実に良い宿でした。ホテルと旅館の長所を併せています。
そこで今日はこの諏訪湖ホテルのご紹介を撮って来た写真に従ってしたいと思います。

1番目の写真は諏訪湖ホテルの全景です。右端の三角屋根の建物はホテルとは関係の無いカトリック諏訪教会です。
まず感心したのは車を玄関前に着けた時の素早い動きのボーイさんの笑顔でした。荷物をフロントまで運んでくれ、チェックインン後も部屋まで案内してくれました。その挙動が過不足なく実にスマートなのです。若いのにプロの仕草と丁寧な言葉使いです。
これは良いホテルを予約したと嬉しくなりました。あとで名刺を貰ったら宮下和也さんというお名前です。

2番目の写真は案内された5階の部屋から見た諏訪湖の風景です。ホテルの前の道路の向こうは芝生の公園になっていて、その先が諏訪湖なのです。
諏訪湖岸で一番良い場所を占めています。流石に片倉財閥の経営するホテルです。ホテルの全室は諏訪湖の眺望が楽しめるように湖側に面しています。

3番目の写真は諏訪湖の夕焼けす。窓際に座って夕食前の日本酒を傾けながら空の色の移り変わりを楽しみました。その後でいささか贅沢な貸し切り風呂に入りました。楽天の会員になって楽天を通して予約するとこの家族風呂が無料になるのです。
その後の夕食は普通の和食のコースでしたが、一品、一品、使っている材料が吟味してあり、料理も美しく盛ってあります。運んでくれる男女の動きは素早くそして静かでした。
お酒は諏訪の地酒の横笛という名の日本酒の熱燗でした。

4番目の写真は朝食会場での女将の写真です。ホテルに着いた時も出迎えてくれましたが、夕・朝食会場にも立っていて、いろいろ気配りをしています。昨日のボ-イさんのサービスと夕食の板前さんの腕に感銘を受けたので少し話をしました。
おっとりした良い雰囲気もありましたので、片倉兼太郎創業者の血筋の方ですかと聞いてみました。優しく笑いながら血縁関係は一切ありませんと言います。
しかしこの女将の存在が重要なようです。朝食を運んでいる従業員がそれとなく女将を見ているのです。目と目で会話しているようです。

5番目の写真はメイン・ロビーの写真です。片倉財閥の経営なので家具調度も立派です。

6番目の写真はメイン・ロビーの前の内庭と二代目の片倉兼太郎氏の諏訪の別邸の写真です。この昭和初期に建てられた別邸は、よく手入れされていて一般の泊り客も泊まることが出来るそうです。

7番目の写真はこの諏訪湖ホテルの隣にある巨大な風呂のある片倉館の写真です。何十年も以前に家内とその千人風呂に入ったことがあります。
この片倉館は二代片倉兼太郎が地元の人たちも温泉を楽しみ、娯楽も出来るように1928年に作りました。今でも多くの人々に利用されています。

さて、このように書くと諏訪湖ホテルは素晴らしいホテルということになります。
しかし旅館やホテルの好みは人それぞれです。ですから諏訪湖ホテルは私共の好みには合致していますが、他の方々の好みに合うとは限りません。
あまり豪華すぎず、大き過ぎないこじんまりしたホテルと、さりげない良質のサービスと、板前さんの腕の良いホテルが好みの方はご満足頂けると思います。部屋からの諏訪湖の眺望も良いのです。
そして最後になりましたが一泊2食付きで1人10000円位でした。楽天の会員として予約すると2000円の貸し切り風呂が無料になります。脚の不自由な私にとって、大浴場は心もとないのでこのサービスは有難いのです。
蛇足ながら世界遺産、富岡製糸場は片倉財閥が維持、保存したおかげで世界遺産になったのです。以下の参考資料をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料====================
(1)世界遺産、富岡製糸場は片倉財閥が維持、保存したおかげで世界遺産になったのです。
富岡製糸場は1893 年に三井家に払い下げられ、その後、1902 年に原合名会社に譲渡、1939 年に片倉工業株式会社に合併されました。
第二次世界大戦後は全面的に自動繰糸機を導入し、生産効率を大きく向上させ、高品質な生糸を大量に生産。1987 年まで操業を続けました。
その後も片倉の「売らない、貸さない、壊さない」の3 原則のもと管理維持され、2005 年富岡市に建物等を寄贈、2014 年(平成26)には田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴とともに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されました。

(2)3代の片倉 兼太郎 が片倉財閥を大きくしました。
片倉 兼太郎 (1850年- 1917年)は、日本の実業家、資本家です。片倉組(現在の片倉工業)を設立、片倉財閥の基礎を築く。
兼太郎の名は3代目まで引き継がれましたが、この3代が片倉家の事業を拡大したのです。
この伝統が今回、泊まった「かたくら諏訪湖ホテル」に流れているのです。
初代の片倉 兼太郎は1850年、信濃国諏訪郡三沢村(現在の長野県岡谷市川岸)に生まれる。
片倉家は豪農であり、兼太郎は、1873年(明治6年)には10人繰りの座繰製糸を開始していたが、満26歳を迎える1876年(明治9年)、父市助(いちすけ)から家督を受け継ぐ。
1878年(明治11年)、天竜川沿いに32人繰り器械製糸所である垣外製糸所を開設、さらに同年、輸出業の深沢社を設立する。
二代目は 片倉 佐一(1862年 - 1934年)で、初代の末弟(四男)です。のちの養嗣子、片倉製糸紡績(現在の片倉工業)の創設、片倉館の開設、日東紡績社長、など務めました。
三代目 - 片倉 脩一(1884年 - 1947年)、佐一の嗣子(長男)です。八十二銀行頭取、全国製糸業組合連合会会長、美篶商会初代社長、貴族院議員などを務めました。
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冬の山林の美しさと落ち葉焚きの煙の香り

2017年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム
すっかり落葉して梢が黒いシルエットを描いている山の雑木林は美しいものです。その山林の背景には雪山になってしまった甲斐駒岳の稜線が連なっています。
遠い森の方から鳥の声が聞こえます。誰もいません。静かです。石空川の瀬音がかすかに響いています。
山林の中の小屋の周りは落ち葉が一面に散り敷いています。
落ち葉の香りを楽しみながら多量の落ち葉を熊手で集めます。そして落ち葉は山林の中へ掃き入れ樹々の肥料にします。
ほんの少しの落ち葉を庭で燃やします。煙りの香りを楽しむためです。
昼が近づいたら小屋に入り、薪ストーブを勢いよく焚きます。夜の寒気で冷え切った小屋が暖かくなります。
ストーブで湯を沸かしコーヒーを淹れます。コーヒーの香りが小屋の中に流れます。持参のおにぎりとコーヒーの質素な昼食にします。
午後は庭の小川のほとりで日向ぼっこをします。
活発な家内が庭先の斜面を登って上の雑木林から見下ろしています。
一昨日は風の無い静かな晴れた日でした。小川の岸には氷がありましたので夜はとても寒いようです。
静かな山林の中に座って足もとの小川の水音を聞いています。自然に、「人間は土から生まれ、土に帰る」という言葉を思い出します。
長い間、座っていると自分の体も山林の一部になったような気分になります。
午後3時近くなると急に寒くなります。
急いで荷物を車に積んで山道を下り、泊まる予定の諏訪湖ホテルへ向かいました。
こんな山林の様子の写真をお送りします。

1番目の写真は山林の中の小屋に入る道路の風景です。奥の山が甲斐駒岳で右側に石空川が流れています。河原に立つ鉄の棒は、ゲージツ家クマさん(篠原 勝之)のオブジェです。近所に彼のアトリエがあります。この道路までは人間の行き来する世界です。

2番目の写真は標高の一番高い水田です。この上は寒すぎて水田が出来ません。水田の向こうの山林は四季折々美しい景観を見せてくれます。来るたびにここで写真を撮ります。

3番目の写真は山林の小屋へ登る細い自動車道路です。冬はすっかり落葉して明るい道になります。夏はうす暗い小道になっています。

4番目の写真は冬の雑木林の美しい風景です。新緑や深緑の風景も良いものですが梢が冬空にシルエットを作る光景も魅力的です。

5番目の写真は山道のはてにある小屋を東側の崖の上から撮った写真です。幼かった孫がその崖をイノチガケと名付けました。丘の上は視界の利かない荒々しい自然林になっています。
1974年に建てた小屋の周囲の樹々はまだ細く弱々しかったものです。それが大木になってしまいました。月日の流れをしみじみ感じます。

6番目の写真は小屋の中の薪ストーブです。いろいろなストーブを使いました結局このシンプルは鉄板を瓢箪形にしたストーブが一番使い易いことが分り、長年、愛用しています。

7番目の写真は小屋の庭を流れる小川です。岩魚が棲んでいた時期もありましたが現在は蛙とトンボの幼虫だけが棲んでいます。一年中水が涸れません。
この小川の源流を調べたことがありました。500m位上流がカラマツ林になっていて水があちこちで湧いている湿地帯になっていました。
さて昔はこの小屋の周囲には自分で作った風呂小屋や焚火用の広い小屋や3畳間のバンガローもありました。その頃には毎週のように行っては泊まったものです。
しかし素人の作った木造の建物は腐りやすく、全てが10年以上前に倒壊してしまいました。全ては朽ち果てて土に帰ったのです。
現在は鉄筋コンクリート製の小屋だけが残っています。
昔は年間を通して何度も泊まり、朝夕の小鳥や蝉の声を聞きました。しかし75歳を過ぎる頃から泊まるのが辛くなり、次第に行く回数が減り始めました。
それでも79歳までは年間に24回は行き、何回も泊まったものです。
80歳になり、来月は82歳になろうとして、泊まるのを止めました。寄る年波には逆らえません。
昼間だけ遊び、泊まるのは八ヶ岳のホテルや諏訪湖のホテルにしています。
それでも今年は7回この小屋に遊びに行きました。
静かな山林の中に座って足もとの小川の水音を聞いてボンヤリして来るだけです。
それで元気になるから不思議です。老境の一つの健康法のようです。
皆様はどのような健康法をなさっていますでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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遥かな雪山を眺め諏訪湖のほとりに泊まってきました

2017年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム
紅葉の季節が過ぎ去ってしまい高い山々はすっかり新雪に覆われてしまいました。
昨日は甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋のまわりの落ち葉を熊手で集め、清掃しました。
快晴の空の下で小鳥の声を聞きながら積もった落ち葉を根気よく集める作業は実に楽しいものでず。自宅の庭の掃除っはつまりませんが、山林の中の小屋の周りの掃除は楽しいのです。
落ち葉がほのかに香るのです。そばを流れる小川の水音も清らかです。
数時間、落ち葉と遊んでから諏訪湖のほとりの諏訪湖ホテルに泊まってきました。
今日はエミール・ガレとドーム兄弟の美しいガラス器の蒐集で有名な北澤美術館をゆっくり見て帰ってきました。
今日はとりあえず遥かな雪山の写真と諏訪湖の写真をお送りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は中央高速道路の初狩サービスアリアから見上げた昨日の富士山です。

2番目の写真は南アルプス主峰の一つの北岳です。

3番目の写真は山梨県北杜市武川町から見た八ヶ岳です。

4番目の写真は南アルプスの甲斐駒岳です。

5番目の写真は昨日の諏訪湖マリーナの風景です。冬に備えて多くのヨットは既に陸置きされていました。水上には少しのヨットだけが淋しく係留されていました。
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中国主導の巨大経済圏、一帯一路とアジア人の立場の向上

2017年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
戦後72年の歴史を振り返れば、1945年から1990年頃までの冷戦時代はアメリカとソ連が世界の秩序の規範を決めていました。
そしてソ連崩壊後は経済的に急成長した中国が世界の覇権を握る勢いです。
特に世界の経済に分野では、中国はアメリカ、ロシア、そしてEUと競い、世界の経済的主導権を握ろうと努力しています。
今後、中国はアメリカと並んで世界の秩序の規範を決めるようになると考えられています。
清朝末期からアジアは欧米の植民植民地として搾取されて来ましたが、この長期間続いた欧米主導の世界秩序が終焉を迎えたのです。
アジアの一国である中国が世界秩序の主導権の一角を握ったのです。
これはアジアの国々にとって喜ばしいことです。日本もその対応を適正に行えば日本の運命も非常に素晴らしいものにするのです。
日本はアメリカと安保同盟を結び、軍事的にはアメリカの支援が無ければ日本の安全を守れません。ですから日本人は中国の経済力を過小評価する傾向があります。経済力は軍事力の支えなのです。その意味でも中国の経済力とその中国が作ろうとしている巨大経済圏のことを客観的に理解すべきと考えています。以下はそれに関する簡単な説明です。
(1)中国の驚異的なGDPの成長ぶり

1番目の写真は世界の主要国のGDPの19804年から2021年の推移を示す図面です。この図を見ると中国のGDPの増加は驚異的で、2025年には間違いなくアメリカを抜いて世界一になる勢いです。従来、アメリカのGDPを抜いた国は皆無だったのです。これは破天荒なことです。この出典は,各国のGDP、http://www.garbagenews.net/archives/1335765.html です。

2番目の写真は世界全体のGDPに占める各国の2017年の比率です。出典は1番目の写真と同じです、
この図面の中の中国の15.5%と日本の6.4%とインドの3.1%とを加算すると25、0%になります。この数字はアメリカの24、4%よりも多いのです。
この中国、日本、インドの合計の25%に韓国と台湾のGDP加えればアメリカのGDPを遥かに抜いてしまうのです。
さらにインドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、、ミャンマー、バングラデシュなどのDGPを加えればアジアには巨大な経済圏が既に出来ているのです。21世紀はまさにアジアが台頭する時代なのです。
アジアの盟主として中国はこの情勢に乗じて中国主導の」経済圏を作ろうとしています。
(2)一帯一路を中心にした中国主導の巨大経済圏構想
中国政府は中国から西方のアジア諸国、ロシア、中東諸国、ヨーロッパ諸国にまたがる広大な地域を一帯一路でつなぎ巨大な経済圏を作ろうとしています。
一帯とは陸路でつなぐ経済圏で一路とは海路でつなぐ経済圏です。

3番目の写真は中国が進めている巨大経済圏の地図です。青い色の国は一帯だけでつなぐ国で、褐色の色は一路でもつなぐ国です。
この図面の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%B8%AF%E4%B8%80%E8%B7%AF です。

4番目の写真は陸路の一帯と海路の一路の見取り図です。陸路の一帯も海路の一路もまだ決まった自動車高速道路もコンテナ線を航海させる決まった航路はまだあるわけではありません。暫くは複数の自動車道路や鉄道をつないで貨物の輸送をします。航路も同様です。
この一帯一路を中心にした中国主導の巨大経済圏構想に従って中国政府は外交活動を展開しています。
中国政府の李克強国務院総理は、沿線国を訪問し、支持を呼び掛けています。
すでに100を超える国と地域から支持あるいは協力協定を得ており、さらに国際連合安全保障理事会、国際連合総会、ASEAN、EU、アラブ連盟、アフリカ連合、アジア協力対話などの場で盛んに宣伝、勧誘を展開しているのです。
その結果、上海協力機構など多くの国際組織が支持を表明しているのです。
この圧胴を補強するために中国は、諸国の経済不足を補うアジアインフラ投資銀行(AIIB)を作りました。
その上、中国・ユーラシア経済協力基金、シルクロード基金などを矢継ぎ早に作っています。
これらの金融資金はインフラ投資を拡大するだけではなく、中国から発展途上国への経済援助を通じ、人民元の国際準備通貨化による中国を中心とした世界経済圏を確立する壮大な目的があるのです。
何故か日本のマスコミはこの中国の世界経済圏を確立に関すづニュースが非常に少ないのです。いたずらに尖閣諸島の中国巡視艇による領海侵犯だけに大騒ぎしています、木を見て森や山を見ていません。
(3)一帯一路フォーラムの開催
「一帯一路フォーラム」とは、2017年5月14日から15日、中国の習近平国家主席が旗振り役となり開催した国際会議です。
参加者は29か国の首脳と130か国以上の代表団、約70の国際機関、合計約1500人でした。
テーマは、かつてアジアとヨーロッパの貿易に多大な役割を果たしたというシルクロードを現代に復活させ、中国から海と陸のルートでヨーロッパまでをつなぐ一大経済圏を作ろうというものです。

5番目の写真はこの国際会議の参加者の集合写真です。
(4)日本とアメリカの立場は?
日本の立場はどうなのでしょうか?
一帯一路フォーラムへは、日本からは、安倍首相ではなく自民党の二階幹事長が出席しています。
経産副大臣が同行しているが、あえてトップは政府の人間ではないので、肯定も否定もしない微妙な立ち位置というものが表れています。
無下には出来ないが、二階幹事長に行ってもらう事で最低限のパイプはつないでおくという立場という事です。
二階幹事長は、5月16日に習近平氏と会談し、安倍首相からの親書を手渡し、日中関係改善に向け話し合ったようです。
一帯一路を中国主導の巨大経済圏構想と警戒して、アジアインフラ投資銀行、AIIB参加を見送ってきた日米も慎重です。
一方、トランプ政権は一帯一路フォーラムへにポッティンガーNSCアジア上級部長を団長とする代表団を派遣させております。
ポッティンガーは米国企業の参加準備と一帯一路の作業部会設置を表明しつつ透明性と民間資本の活用を主張しました。
トランプ大統領自身も一帯一路への協力について米国はオープンであると述べています。
トランプ大統領の上級顧問で元中央情報局(CIA)長官のジェームズ・ウールジーはアジアインフラ投資銀行、AIIBへの米国の不参加を前任のバラク・オバマ政権の「戦略的失敗」と批判しています。
トランプ政権は中国の一帯一路に「ずっと温かくなる」との見通しです。
米国内ではキャタピラー社などといった米国企業、カリフォルニア州などが独自に一帯一路構想への参加を表明しています。
トランプ政権になってから北京のアメリカ大使館などで米国企業と中国国有企業を集めた一帯一路での米中協力を謳う会合が行われるようになったそうです。トランプ大統領の訪中の際は習総書記と一帯一路への協力で一致し、成立した約28兆円の商談の中にはシルクロード基金とGEの共同投資プラットフォームなど一帯一路関連のものもあった報道されています。
以上のように中国の一帯一路を中心にした中国主導の巨大経済圏構想は実に数多くの国々に支持されているのです。
世界を動かすのは今やアメリカ一国だけでなくなり、中国も世界を動かし始めたのです。今まさにアジアの時代が始まろうとしているのです。日本の舵取りの如何によって日本民族の運命が大きく変わろうとしているのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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私のつたない随筆を読んで下さる方々へ深い、深い感謝

2017年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日、短い随筆を書いてネット上に掲載して来ました。2007年11月に始めたのでもう丁度10年間になります。
旅行に出た時は休みましたが、10年間毎日書き続けられたのは皆様がこの拙い随筆を読んで下さったからです。ネットのアクセス解析によると最近は毎日平均3000回くらいのアクセスがあります。これも皆様の温かいご支援があったお陰と感謝しています。深く感謝しています。
私は随筆の話題を出来るだけ広げるようにしています。国内でニュースになっている問題から国際問題など何でも取り上げてきました。
絵画や音楽のような芸術の話題、世界のいろいろな民俗文化や宗教の話題なども広い視野で出来るだけ客観的に簡明に書いてきたつもりです。
特に気を使っていることは読んで下さる方々が不快に思ったり、不愉快になるような書き方はしないように細心の注意を払ってきたつもりです。お読み頂いて、明るい気分になり、その日を幸せな気分で過ごせるように随筆の内容を考え、書き方も注意してきました。
例えば、問題が多く、書き方の難しい話題は宗教に関することです。
現在の日本人は一般的に宗教に関心が無く、宗教に関係する私の記事など読みたくない人も多いと思います。
かなりの日本人は宗教を憎んでいるかもしれません。お寺の法外な戒名料で怒っているかも知れません。ですから私の宗教を擁護するようなニュアンスの随筆を読んで不愉快になる人もいるかもしれません。
そこで私が宗教を擁護する随筆を掲載する時には、その中に次のような意味のことを書きます。
・・・人はそれぞれです。宗教を信じなくても信じても、どちらでも良いのです。第一、宗教を信じていない人の方が人格者だったということをしばしば経験します。宗教は人間の人格を良くするということでは全く無力です。しかし私は宗教が好きです、私の趣味のようなものです。・・・
このように宗教を趣味と書けば、読んで下さる方も「趣味なら仕方がない」と黙認してくれます。それで良いのです。宗教は絶対に他人に強要すべきではないのです。そして趣味なら四国の遍路の観光にでも行ってみようと思う方もいるかもしれません。奈良のお寺めぐりでもしてみようと思うかも知れません。それで私は満足なのです。
さて私は日本の文化に誇りを持っています。そこで日本の文化を深く理解するために仏教とキリスト教の比較を書きます。そうすると仏教を基盤にした日本民族文化が簡明に描き出されます。少なくとも日本民族文化の一分野が明快になるのです。
このように私の随筆は自分の勝手な思い込みに満ちたものです。それにもかかわらず、お読み下さっている方々へ感謝しています。本当に深く感謝しています。
そこで毎回、随筆の末尾に次のような祈りの文章を書きます。
『それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)』
このような表現は10年ほど前に読んだある中年の女性の方のブログの真似なのです。
その方は「四つ葉のクローバー」が好きで、それを育てながら、世界中の「四つ葉のクローバー」を調べ、その事をブログに書いていました。その話題だけのブログでした。
そして記事の末尾に、『貴方も「四つ葉のクローバー」を探して今日も幸せになって下さい』と書いてあったのです。
そのブログの名前はクローバーの学名のTrifolium repensから『トリフォリューム』といってました。
私は読んでくださる方々への感謝の気持ちを表現するためにこの『トリフォリューム』の末尾の文章を真似することにしたのです。
この私が真似をしたトリフォリュームというブログはその後間もなく無くなりました。現在ある幾つかの「トリフォリューム」という名前のブログは別のものです。
このようにして私は拙い随筆をお読み下さる方々へ感謝しているのです。10年間、毎日感謝しているのです。

そして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿し絵代わりの写真は前から順に2枚は東京都清瀬市立金山緑地公園と後の3枚は都立小金井公園の今年の紅葉風景です。









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貴乃花親方の不可思議な行動は宗教を信じる人には自然に思える

2017年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム
貴乃花親方はよく、「誠心誠意相撲道に精進して自分を磨きたい」というようなことを言ってます。相撲道に精進していれば八百長や星の譲り合いはもってのほかで、現在の相撲道から断固排除しなければなりません。
貴乃花親方にとっては相撲道とは神仏に対する篤い信仰を示す一つの方法なのです。日本古来の神仏混淆の神仏に対する信仰と相撲が一体化しているのです。
分かり易く説明します。
昔は神社の境内で相撲がありました。そこで相撲をとっている力士には2通りの考え方があります。給金を貰うために相撲をするという考えの力士がいる一方で、相撲を神に捧げるために相撲をすると考える力士がいます。
貴乃花親方は相撲を神に捧げるために精進しているのです。
そして彼の信じる宗教は神仏混交の自然宗教、言い換えれば日本古来の原始宗教の一つなのではないでしょうか。
貴乃花親方の不可思議な行動は全てこの信仰にもとづいているのです。
記者がどんな質問をしても沈黙を守ります。相撲協会の理事たちの説得にも耳を貸そうとしません。宗教的信念を持っている親方は微動だにしません。信じれば強いのです。
親方の背後には仏教の僧侶と神道関係者がついているようです。
さて、白鵬をはじめとする力士達や他の理事の親方達は相撲を神に捧げるために精進しているでしょうか? 甚だ疑問です。
ところが貴乃花親方は相撲を神に捧げるために精進しているのです。
これでは喧嘩になるのは当然です。
このように書けば貴乃花が正しくで、白鵬をはじめとする力士達や他の理事達は間違っているという感じになります。
しかし私はそのように主張する気持ちは毛頭ありません。
第一、貴乃花もいけません。信心は個人のものです。貴ノ岩や他人に強要することは絶対に避けるべきです。
ましてやモンゴルの力士や相撲興行が盛んになるように努力している他の理事たちに強要すべきではないのです。
どんな宗教でも狂信すると周囲に不幸な人々を作ってしまうのです。宗教とは人をより幸せにするものなのです。不幸な人々を作ってはいけません。
現在の相撲協会には、あるいは悪い体質があるかも知れません。
それを貴乃花親方の一途な宗教心で改めようとすることは間違っています。
しかし一方、最近の白鵬も思い上った行動が目立つようになりました。以下は過去の優勝回数です。
1位 白鵬 40回、2位 大鵬 32回、3位 千代の富士 31回、4位 朝青龍 25回、5位 北の湖 24回、6位 貴乃花22回、以下省略。
白鵬は大鵬を尊敬し、大鵬の32優勝の記録に達するまでは実に謙虚で立派でした。こんな人格者は珍しいと称賛されていました。機会あるたびに大鵬を尊敬していると称賛していました。
いきなり個人的な話で恐縮ですが、北海道の弟子屈のそばの温泉に泊まったとき大鵬の記念館がありました。相撲通の家内が目を輝かせて大鵬の素晴らしさを説明しながら館内を案内してくれました。成程、白鵬が尊敬する筈だと納得した記憶があります。
ところが最近の白鵬は大鵬の話をしなくなりました。そして立ち合いではいきなり張り手をして相手がひるんだ隙に差し手をします。肘でカチあげ、猫だましもダメ押しもします。禁じ手ではありませんが実に品がありません。横綱としての品格が無いと、家内は15日間嘆いていました。
そして地方巡業に貴乃花親方が行くならボイコットすると公言したのです。
白鵬は相撲界の権力者になったのです。権力を握ると人間が変わるのです。白鵬の勝手な行いは今後も続くでしょう。
それは人間として普通なことで驚くには値しません。
しかし貴乃花親が相撲道を神仏に対する篤い信仰活動と信じていることは最近の相撲界には無い非常に珍しい現象です。
ですから今後も注目して行きたいと思っています。

今日の挿し絵代わりの写真は非常に不思議な神仏混淆をしている妙厳寺とその背後にある豊川稲荷の写真です。とても妙な混淆ぶりなので、ご興味のある方は是非、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7 をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




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江戸時代の風景を見ながら日本の激変を想う

2017年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
武蔵国分寺のあった周辺は江戸時代は鷹狩りの場所だった村でした。崖の下には豊かな湧水が今でも湧いています。その湧水沿いには「お鷹の道」があり、農村風景は現在でも江戸時代のままです。昨日久しぶりに散策して来ました。古い蔵や長屋門があり、清らかな小川の傍には野菜や果実を並べている店が数軒あります。その奥は広い畑があるのです。撮って来た写真を5枚お送りいたします。









写真のように江戸時代と変わらぬ風景を見ながら、その後の日本の運命を考えていました。
明治維新から終戦までの戦乱に翻弄された日本、そして終戦後72年間、平和が続いた日本の運命を考えながら散歩しました。
そして平和を愛するオバマ大統領から差別主義者でアメリカ第一主義のトランプ大統領になってからの日本の大きな変化に驚いています。
憲法改正と軍備強化へと大きく舵を切った安倍総理の考え方に多くの人々が賛成しているのです。
自衛隊の参加したアメリカの航空母艦打撃群の北朝鮮沖の威圧行動にもかかわらず、北朝鮮はアメリカ本土を射程に入れたミサイルの発射実験をしたのです。
終戦後72年間、平和が続いた日本が急に戦争の危機に直面したのです。
しかしこの日本の急変ぶりをもう少し歴史的に考える方が良いと気がつきました。
戦前生まれ、戦後育ちの私にはどうしても戦後の大きな社会の変化が忘れられないのです。苦しい時代の数々のことが脈絡も無く思い出すのです。
あまりにも脈絡がありません。そこで帰宅してから年代順に調べてみました。
下は戦後の日本で起きたおもな出来事です。どうぞゆっくりご覧になって下さい。
例えば1964年(昭和39年)に東京オリンピック開催された頃のことは憶えていらっしゃるでしょうか?
1989年(平成元年)の頃、貴方はどのような生活をしていたでしょうか?
そんなことを想いながら以下の年表をご覧ください。

1945年(昭和20年)
8月14日 ポツダム宣言受諾。
8月15日 正午(日本時間。グリニッジ標準時午前3時) 玉音放送でポツダム宣言受諾が国民に公表される。
9月2日 戦艦ミズーリ艦上において降伏文書に調印(日本の降伏)。
1946年(昭和21年)
昭和天皇の人間宣言。 日本国憲法公布。
1947年(昭和22年) 日本国憲法施行。
1949年(昭和24年) ドッジ・ライン(安定恐慌)。
1950年(昭和25年) 朝鮮戦争(朝鮮特需)。
1951年(昭和26年)日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)調印。

1952年(昭和27年) 日本国との平和条約発効、日本の主権回復。
1954年(昭和29年)
ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)、第五福竜丸の乗組員が被曝する。
自衛隊(陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊)設立。防衛庁(現在の防衛省)設置。
この年から、神武景気が始まる。
1955年(昭和30年)
社会党の右派と左派が再統一され、日本社会党が成立。
保守合同により自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が成立(「55年体制」の始まり)。
1956年(昭和31年)
日ソ共同宣言調印。
国際連合加盟。
『経済白書』で「もはや戦後ではない」という言葉が使われる。
1957年(昭和32年) なべ底不況。
1958年(昭和33年) 岩戸景気。
1960年(昭和35年)日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)調印。
1962年(昭和37年)から、オリンピック景気が始まる。

1964年(昭和39年)
東海道新幹線開通。
10月10日 - 10月24日 東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)日韓基本条約を締結。
この年から、いざなぎ景気が始まる。
1966年(昭和41年) 日本の総人口が1億人を突破。
1970年(昭和45年)3月14日 - 9月13日 日本万国博覧会開催。
1971年(昭和46年) ニクソン・ショック。

1972年(昭和47年)
2月3日 - 2月13日 札幌オリンピック開催。
5月15日 沖縄返還。
9月29日 日中共同声明調印。
1973年(昭和48年) 第一次オイルショック。
1976年(昭和51年) ロッキード事件。
1978年(昭和53年)日中友好条約調印。
1979年(昭和54年) 第二次オイルショック。
1982年(昭和57年)中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を掲げ第72代内閣総理大臣に就任。
1985年(昭和60年)
日本電信電話公社・日本専売公社が民営化、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)の発足。
1986年(昭和61年)から、バブル景気(平成景気)が始まる。

1987年(昭和62年)
国鉄分割民営化。JRグループの発足。
1988年(昭和63年) リクルート事件。
1989年(昭和64年)1月7日 昭和天皇、崩御。
平成
1989年(平成元年)皇太子明仁親王、天皇に即位。元号が平成に改められる。
1991年(平成3年)
初の自衛隊海外派遣(海上自衛隊のペルシャ湾派遣)。
ソ連崩壊。
この年から、バブル崩壊(失われた20年)が始まる。

1993年(平成5年) 細川内閣成立により55年体制崩壊。
1995年(平成7年) 戦後50年
阪神・淡路大震災発生。
地下鉄サリン事件発生。
村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。

1998年(平成10年)2月7日 - 2月22日 長野オリンピック開催。
2000年(平成12年) ITバブル崩壊。
2002年(平成14年)5月31日 - 6月30日 サッカーワールドカップを大韓民国と日本が共催。
2005年(平成17年) 戦後60年。日本の総人口の減少が始まる。

2006年(平成18年)
「戦後レジームからの脱却」を公約に掲げた安倍晋三が、自由民主党総裁及び第90代内閣総理大臣に就任(初の戦後生まれの総理大臣となる)。

2007年(平成19年)
防衛庁が防衛省に移行。
日本国憲法の改正手続に関する法律成立(5月18日公布)。
2008年(平成20年) 世界金融危機(リーマン・ショック)。
2009年(平成21年)鳩山由紀夫内閣が発足(民主党による本格的政権交代が実現)。
2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)・福島第一原発事故発生。
それにしてもいろいろな事があったのですね。
そしてこの東日本大震災から6年9ケ月、やっと日本も落ち着いて来ました。
その時、昨年暮れにアメリカ大統領選挙でアメリカのマスコミから非難されているトランプさんが当選したのです。
そのトランプ大統領は安倍総理とも親密で日本の将来へ甚大な影響を及ぼしそうなのです。
ここで日本の運命は大きく変わろうとしているのです。

散歩している武蔵国分寺周辺の紅葉は江戸時代と変わらず美しい風景です。
しかし江戸時代から近代国家になった日本は本当に激変しました。
これからも変わるでしょう。
そして変わらぬ人の心とは何でしょうか?そんなことを考えながら「お鷹の道」を散歩して来ました。
皆様は紅葉の風景をご覧になって何を想うでしょうか?
昨日、撮ってきた紅葉の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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キリスト教の簡単な説明(5)何故イエスは馬小屋で生まれたか?

2017年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教は日本人が約1500年も馴染んで来た宗教です。一方、ザビエルが約470年前に伝えたキリスト教は未だに日本人に馴染んでいません。
明治維新以来、数多くの宣教師がやって来ましたが、信者の数は総人口の3%を超えたことがありません。
その理由の一つはその教えが日本人には理解しにくいからです。
そこで私は無謀にもキリスト教を簡単に分かるように以下のような記事を書いてきました。
キリスト教の簡単な説明(1)何故イエスは処刑されたか?(2017-11-05)
キリスト教の簡単な説明(2)水を葡萄酒に変えたイエス(2017-11-08)
キリスト教の簡単な説明(3)イエスは何故生き返って来たか?(2017-11-12)
キリスト教の簡単な説明(4)何故イエスは異教徒に話しかけたか?(2017ー11ー21)

私はキリスト教を理解するには聖書の中に書いてある幾つかの場面を抜き出して、それらが起きたいきさつを説明すればキリスト教が理解出来ると考えています。
今日はイエスの降誕を待つ、「待降節」の初日の日曜日です。
そこでイエスが何故馬屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされたか、その経緯を簡単に説明します。
結論を先に書けば、ヨゼフとマリアがベツレヘムに行って戸籍登録をする途中だったからです。宿屋が満員で馬小屋に泊まっていた間にマリアが赤子を生んだのです。寝かせる場所は飼い葉桶しかなかったのです。ユダヤ人全員の戸籍登録は全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出たのでこのようになったのです。
その経緯はルカによる福音書の第2章に以下のように書いてあります。
2:1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 2:2これは、クレニオがシリヤ(ユダヤが含まれていた)の総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 2:3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 2:4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間は満員だったので彼らのいる余地がなかったからである。

1番目の写真はヘリット・ファン・ホントホルスト が描いた《キリストの降誕》です。
1620 年頃、油彩/カンヴァス、95.5×131cm、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館
写真の出典は、http://classicalchronicle.blog.fc2.com/blog-date-201003.html です。

2番目の写真は飼い葉桶に寝ているイエスの絵画です。出典は、http://webchapel.jp/2016/12/
です。

3番目の写真はクリスマスの飾りつけです。
出典は、http://www.bourgognissimo.com/Bourgogne/1ARTL/BR_032_4.htm です。
イエス・キリストが誕生した場面を再現したものです。「キリスト生誕群像」とも言います。
クリスマスの時期欧米では、教会の中や街角に設置しされ、自宅で飾るためのセットも売られているそうです。

さてイエスが馬屋で生まれたことは事実として広く信じられていますが、その日時については全く不明です。
そして何時の頃からは分かりませんが、北方ヨーロッパの冬至祭を便宜的にクリスマスにするようになりました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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アメリカのマフィア博物館、そして永遠の名作映画、「ゴッドファーザー」

2017年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は面白い話をお送りします。
始めにロンドンに何十年も住んでいる石山 望さんが趣味人倶楽部のご自分の日記欄に掲載したニューヨーク訪問記です。そしてその中に出て来る「マフィア博物館」に関連して映画の「ゴッドファーザー」をご紹介します。映画をご覧になった方はその場面、場面と音楽を今でも憶えていると思います。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。
=====石山 望著、「どこがお金を出すの?」==================
このニューヨークには、8年前に一度来たことがある。
だから、今回のNY旅行は2回目ということになる。今朝、ロンドンに帰ってきた。いずれも、10日ばかりの滞在。
ただ、1回目のときは、正直に言って、この町が、あまり好きになれなかった。まあ、8年前は、私、英国人の友人と一緒だったし、また初めての訪問とあって、物珍しさが先に立ち、観光が主目的であったから、物の見方がどちらかと言うと表面的。
とあって、今回は、観光というのを極力避けた。できるだけ、多くのニューヨーカーがしておられそうなことをしようとした。
英国では、もうクリスマスモードである。しかし、私は家で一人、どうということもない。この国では、クリスマスの日、残念なことに公共交通機関が完全に止まるので、ただ不便なだけである。
今度のNY旅行は、一人住まいの私の友人(85歳、日本人男性)のお手伝いを主な眼目に置いた。
彼と一緒に日本のお寺にも行ったし、日本人会の行事にも参加した。そういうところで、米国在住の日本人の方々にもお会いした。ロンドンに住んでいるので、英国の日本人会のことも少しは知っているけれど、やはり、住む国のお国柄を反映してか、アメリカ在住の日本人の方が、なんでも素直に仰言って、気さく。話しやすい。日本人の多くにとっては、アメリカの方が住むのに楽かもしれない。
NYに定住しておられる日本人の数も多いし、そこに進出している日本企業も、英国に比して多いであろうから、やはり、米国日本人会には、お金もあるであろう。
まあ、歴史的に、また地理的に、アメリカ合衆国は、日本と最も繋がりの強い国であるから、それも、宜なるかなというところか。
今回のNY滞在中、友人のお手伝いをしていたことは確かであるが、それでも、一人で博物館などには行った。
しかし、それらは、観光客のあまり行かない様なところである。とにかく、今回は、観光抜きと決めていたので。
一つは、Greenwich Villageにある”Museum of American Gangsters(マフィア博物館)”。これはロンドンのご近所の方の「ご推薦」、ちょっと面白そうなので行ってみた。
私知らなかったのであるが、マフィアというのは、第一次世界大戦後、アメリカ政府が取った「禁酒令」、それに関連して誕生したものなのだそうな。その、今博物館になっているところで、密造酒を作っていたのだという。その場所が今も残っていて、しかも博物館になっているのであるから、いかにも面白い(ただ、この博物館は小さくてみすぼらしい。マフィアから、一銭もお金が出ていない模様)。
もう一つは、「Museum of Jewish Heritage (ユダヤ人歴史博物館)」。2001年9月11日に惨劇を受けた、かつてのWorld Trade Centerのすぐ近所にある。ベルリンに同様の博物館があり、いつぞやそこを訪問して、非常に感銘を深くしたことがあるので、今度は、NYのユダヤ人のことを知りたく思い、行ったという経緯がある。ただ、時間があまりに少なく、全ては観られなかった。今度また行ってみようと思う。
ところで、この二つのユダヤ人歴史博物館、背景がだいぶ違い、ベルリンのは、第二次世界大戦後、ドイツ政府が、自発的に(?)建てたものである(その意図は非常に立派である)のに対し、このNYのは、ユダヤ人が建てたのではないであろうか。
私、こういう意味合いの博物館が、日本で存在すれば、何を差し置いても絶対に行く(「フランス印象派大美術展」とかいうのは、別に観たいとも思わないけれど、)。
「日本のヤクザ、歴史博物館」とか、あるいは「日本在住韓国人、歴史博物館」とか、。
まあ、日本ではこういうこと考えられませんね。そういう国ではないんです。
第一、どこがお金を出すの?
====終り================
上の洒脱な、しかし鋭い日米英の社会評論の一文に,マフィアの事が出てきます。
そのマフィア一家族の運命を叙情豊かに描いた「ゴッドファーザー」という映画があります。
この映画は1972年公開のアメリカ映画で、今でも映画史上に残る傑作と言われています。マフィア映画として有名ですが、実際には家族の愛と悲劇を美しく描いた名画です。ご覧になった方も多いと存じます。私も見て非常に感動しました。
まず題目の「ゴッドファーザー」はカトリックの幼児洗礼のとき親代わりとして立ち会う「代父」のことです。神父と直訳したら間違いです。
この代父は洗礼を受けた幼児の生涯の後見人です。幼児の生涯の優しい相談相手であり、或る時は叱る役をします。日本で言えば心優しい伯父さんのような存在です。
ですから欧米ではこの題目を見て映画の内容を家族愛とその運命がからんだ叙情豊なストーリーなのだと分かるのです。
この映画はマフィアの父、長男、次男、三男、養子の子供の悲劇的な物語です。
その3つの場面を、「ゴッドファーザー」の魅力【永遠の名作】https://matome.naver.jp/odai/2140773232541496201 から転載します。

1番目の写真は主演のマーロン・ブランドが演じたコルネオーネ役です。
以下の解説も「ゴッドファーザー」の魅力【永遠の名作】から転載しました。
映画史上最大の俳優といわれる天才ですが、才能がありすぎて仕事に熱心になれず、一時期の名声は失われつつありました。追い詰められた彼がようやく本気で取り組んだのが、この映画の「ビトー・コルネオーネ」役です。
彼に比べればほとんどの俳優は、無理をして体を動かし、無理をしてセリフを語っています。ブランドは全てを自然に表現します。それでいてマフィアのドンにふさわしい威圧感があるのですから、本当の天才と思わずにはいれません。
しかし彼もこれ以降、「地獄の黙示録」で怪演をした以外はこれといった作品を残せていません。いわば天才の一世一代の名演技を鑑賞することができます。

2番目の写真は三男マイケルの役を演じたアル・パチーノの写真です。
この映画で一躍スターに上り詰めた彼ですが、実は演技はあまり上手くありません。同世代のデニーロにくらべれば大きく落ちます。しかしこの映画では、脇を固める俳優が素晴らしいため、パチーノも素晴らしく見えます。特にブランドの影響力が感じられます。同じゴットファーザーでも、パートⅡ以降の演技は大きく落ちます。(パートⅡ以降はブランドは出演していません)

3番目の写真のサングラスの男は次男フレッド役のジョン・カザールです。
次男フレッドの役は夭折した名優、ジョン・カザールが演じていました。
気弱で、軽薄で、頼りない次男を見事に演じています。
カザールはこの後数本の映画に出演しますが、6年後若くして病死してしまいます。この作品と「ディア・ハンター」が彼の代表作品になりました。惜しいですね。でもこの映画では絶妙の演技を見せてくれます。

このような写真を見ると粗筋が知りたくなります。粗筋が知りたい方は下のURLをご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 
この映画はマリオ・プーゾの原作を脚本家したものです。
もう少し、「ゴッドファーザー」の魅力【永遠の名作】https://matome.naver.jp/odai/2140773232541496201 から転載させて下さい。
この映画の原作の原案はドストエフスキーの長編小説「カラマーゾフの兄弟」にあります。
カラマーゾフも父、長男、次男、三男、養子の、一人の父と四人の子供の物語です。父は殺され、長男は殺人の罪を着せられて流刑になり、次男は発狂、結局三男が後を継ぎます。このロシアの地主の物語を、アメリカのマフィアの物語に翻案したのが、ゴッドファーザーです。「カラマーゾフの兄弟」は世界文学史上最高傑作の一つですから、この映画の内容が重厚で、手ごたえのあるものになったのもうなづけます。
・・・・・・
最後にこの映画のテーマ音楽をお送りいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=TGMmL0f0XVI

それにしても日本のヤクザ映画は内容が軽々しいですね。もっと重厚なヤクザ映画がないのでしょうか。
「ゴッドファーザー」のように内容が重厚で、見ごたえのあるものな無いのが淋しいですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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日馬富士問題で明るみになった相撲界の古い体質

2017年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
相撲は日本の伝統文化です。その文化を誠実に伝承しようとすれば古い体質も伝承しなけらばなりません。
私は「古い体質」が悪いと主張しているのではありません。新しい考え方と古い体質を比較すれば今回の日馬富士問題も明快に理解できるので便宜上、「古い体質」という表現を用いたのです。
新しい考え方の主は貴乃花親方とその弟子の貴ノ岩関です。
古い体質の主は日馬富士です。そして古い考え方の主は貴乃花親方以外の理事のメンバーです。
白鳳は古い体質と自分勝手な新しい考えを持っています。
今回、日馬富士が貴ノ岩関の頭を固いリモコンで殴り裂傷を負せた背景には次のようなことがあったようです。
(1)相撲界では伝統的に星の譲り合いがありました。負け越す相手に負けて上げるのです。弱い相手に情けをかけてやるです。これが古い体質なのです。美しい日本の義理人情です。
一方、ガチンコ勝負と言って情け無用の相撲に徹する力士もいます。これはスポーツ精神に徹した新しい考えかたです。
(2)貴乃花親方は現役の頃からこの古い体質を改めようとしました。親方になってからは相撲界の他のいろいろな古い体質を一掃しようとします。
(3)貴乃花親方は弟子の貴ノ岩関が星の譲り合いをしないように他の部屋の力士との交際を一切厳禁して来たのです。
(4)モンゴル力士同士は日本の伝統の星の譲り合いを忠実に伝承し、お互いに星の譲り合いを黙認し厳禁はしませんでした。
(5)そのモンゴル力士会に反発していたのが貴ノ岩関です。酒席に呼び出して白鳳が説教しました。その後の二次会で反抗的な態度をとった貴ノ岩関にカッとなった日馬富士が暴力を振るったのです。
(6)和解しもみ消そうとした日馬富士の親方や理事会を信用していなかった貴乃花親方は、事件の起きた土地の鳥取県警に被害届を出しました。
(7)その貴乃花親方のやり方を厳しく批判する他の理事やマスコミの一部は古い体質の伝統文化としての相撲が好きなのです。その気持ちも私はよく分かります。
さて一般的に何か事件が起きたら仲間内だけの秘密にしてもみ消そうというのが「古い体質」なのです。
一方、すぐに警察に届けるのが近代社会の市民として正しい行為です。
正直に言えば私は両方が好きです。そうです。人間なので矛盾しているのです。
矛盾していると言えば白鳳横綱も矛盾しています。
モンゴル力士同士の星の譲り合いでは、古い考えかたを支持しています。
しかし力士自身が行司の判断に異議を示したり、万歳三唱を指導したりするのは新しい考え方です。
他の近代的なスポーツでは審判の判定に対して選手自身が意見を言うのは別に批判されません。それは選手の基本的人権の一部です。しかし立ち合いに対する白鳳の抗議はしつっこ過ぎました。
最後に万歳三唱を指導した気持ちは分かります。モンゴル力士会に反発していた貴ノ岩関を日馬富士が殴って、自分が引退に追い込まれたのです。白鳳は悔しくてやるせなかったのです。しかし万歳三唱は勝手な行いでした。白鳳は横綱です。自分の感情はグッと呑み込んで我慢すべきだったのです。
私はどちらが正しく、どちらが悪いとは絶対に言えません。人それぞれ、どちらが好きか、嫌いかという問題です。
しかし今回の日馬富士の問題で私が相撲界の実態が少し理解出来ました。
伝統文化も時代の流れに従って変わっていく宿命にあるのかと考え込んでいます。何か淋しいです。

写真は順に貴乃花親方、日馬富士、白鳳の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




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