後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

さようなら、と再見とそして我再回来との重みの違い

2009年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本で人々が別れるとき、さようならと言います。中国人は再見と言います。もっと情をこめて我再回来と言います。私は又、必ず帰ってきます、という意味です。

でも言葉の違いは、絶対的な、その響きの重みの違いにあるのです。鄧小平の改革開放政策の前の中国は大躍進運動や文化大革命という内戦状態が続き、社会が混乱していたのです。一度別れたらまた会えることが困難でした。そんな状態で友人や家族が別れる時の、「再見!」とそして、「我再回来!」という言葉には万感の別離の哀しみがこもっていたのです。

第二次大戦の終戦以来、日本では平穏な社会が続きましたので、別れたら二度と会えないという恐れはありませんでした。そのような社会に生きている人々の別れの時の、「さようなら!」は軽い気持ちで言えるのです。

ドイツではAufwiedersehen と言います。再び又会います、という意味です。しかし冷戦時代に、このドイツ語を東西に分断されていたベルリンでドイツ人の友人から聞いた時の感慨の深さは忘れることが出来ません。ベリリンの壁が崩れた時、この言葉が歓喜の響きになって心の中に湧き上がりました。

外国語の翻訳が無理だという意味はそういう事なのでしょう。

しかし死んでしまえば中国人も日本人もドイツ人も、また天国で再見出来るのです。年の暮れに日中の国境を越えたテレビドラマを見ました。

さようなら、と再見とそして我再回来との重みの違いを考えさせる時間を静かに過ごす年の暮れでした。来年も良い年でありますようにお祈りいたします。藤山杜人


キリスト教は日本文化へ根付いているか?(2)キリスト教を嫌いな日本人が多いのは何故でしょうか?

2009年12月31日 | うんちく・小ネタ

キリスト教が日本文化に根付いているか?という質問の意味を、この際明確に定義する必要があります。その意味は、「明治維新以前までの佛教、儒教そして神道を背景にした日本の伝統文化と、キリスト教は混然一体となり日本文化の一部として融合しているか?」と言う意味です。感覚的に分かりやすく言えばキリスト教は水と油のように日本文化と溶け合わないのではないか?という意味です。日本人がキリスト教をなんとなく嫌いと思っていませんか?という問題でもあります。

私はカトリックなので、ついキリスト教の話をしてしまいます。すると親しい日本人の多くは、「私はヤソは嫌いだ!アジヤやアフリカを植民地にしたような欧米人は嫌いだ!それに西洋文化は物質的で日本の伝統文化の美しい精神性に融合する筈がない!」 と言います。

私はこの発言へ反論は致しません。ただ重要な誤解のみ明らかにします。それはキリスト教と西洋文化を同じものとして理解していることです。西欧人の悪行を全てキリスト教のせいにしていることです。キリスト教は西洋人の手によって日本へ輸入されたので、この誤解は当然な誤解なのです。

私は今年、3つのプロテスタント教会と日本正教会のニコライ堂を訪問しました。それで明確に理解した事があります。それはキリスト教がある国を経由して日本に入ってくると、その国の文化を背負って入ってくるという事実です。一番明確なのはロシア正教として聖ニコライが持ち込んだ正教会は、共産革命以前のロシア文化そのものを背負って来たのです。アメリカ経由のプロテスタントはアメリカの自由主義と平等の文化を背負っています。カトリックは産業革命に遅れたスペインやイタリーのラテン文化を背負いっています。私の目から鱗が落ちました。このような国々の固有の文化をそぎ落としてそれぞれのキリスト教のみを比較してみたのです。そうすると全ての宗派は全く同じです。イエスの教えを記録した福音書を一番大切にしているのです。ある牧師さんが言いました、「人間が福音書に書いてないことまでイエスの名を使ってするからいけないのです。福音書に書いてないことはしてはいけないのです!」と。

日本人がキリスト教を嫌うのは、ロシア文化や、ラテン文化や、アメリカ文化に違和感を感じているからなのです。それが、「私はヤソが嫌いだ!」という発言になるのです。

福音書が嫌いか否か?という問題は次回に書きます。

後に日本人の鶴田健次さんという牧師さんがアメリカのラスベガス市に在住日本人の為の教会を作った事実をご紹介しておきます。そのホームページ http://lvjcc.com/index.htm を是非ご覧下さい。次回に取り扱う、「日本人に福音書は理解できるか?」という問題へあるヒントを与えています。年末の忙しい時に、面倒な内容の文章をお送りして申しわけありません。(続き)

 


今年、このブログをお読み下さった方々へ感謝いたします!

2009年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今年、このブログをお読み下さった方々へ心から感謝いたします。

どうぞ良いお正月をお迎え下さい。そして来年も皆様にとって幸い多い年になりますようにお祈り申し上げます。

先日撮影したパンジーの花の写真を添えて感謝の意をお送りいたします。

有難う御座いました。   藤山杜人

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白柳誠一ローマ法王庁枢機卿を悼む

2009年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

1971年にカトリック立川教会で、塚本金明神父さまから洗礼を受けた時のカトリック東京教区大司教は白柳誠一様でした。その後も何度も立川教会へ来て下さり、ミサを司式して下さいました。説教がお上手で毎回感動したのが忘れられません。私共の堅信式のミサも白柳大司教様でした。1994年には日本人で4人目の枢機卿となり、ローマ法王庁のお仕事が多くなったとお聞きしていました。2005年には傑出したヨハネ・パウロ2世の帰天があり、次の法王を決めるローマ法王庁枢機卿会議(コンクラーベと呼ぶ)へ参加し、現在のベネディクト16世を選出したのです。 1996年には世界宗教者平和会議の日本委員会の理事長になり、諸宗教との交流と協力による平和運動に献身されちました。日本のプロテスタント諸宗派は勿論、仏教界とも親交の広かった宗教人でした。

昨日の午前6時45分に心筋梗塞で帰天されました。81歳でした。

現在はイエス様の側で安らかにしていらっしゃると信じています。

神様の御慈しみが白柳誠一さんの上に豊かにありますようにお祈り致します。

                   シルベスター藤山杜人

下の写真は何か現在の自分の気持ちを表しているようです。今年の1月撮ったものです。

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日本文化にキリスト教が根づいているか?(1)クリスマスと教会での結婚式の風景から

2009年12月30日 | うんちく・小ネタ

明日の大晦日が過ぎると新年になる。平穏な一年が終わろうとしています。この一年を振り返ってみて色々な感慨がわき上がって来ます。今年は特に、宗派の違うキリスト教の教会を訪問し、宗派の違いがどのようなものなのか?を自分なりに明らかにしてみようと思ったのです。数年来の、この私の好奇心が背中を押してくれたのです。この訪問にはもう一つの大きな疑問を明らかにする目的もありました。それは、「キリスト教は真に日本文化に融合して根付いているか?」という疑問です。

3つのプロテスタントの宗派の教会と日本正教会のニコライ堂を夫々2度訪問して聖職者から直接、忌憚のないご意見を聞くことに成功したのです。

今回、書き出した「日本文化にキリスト教が根づいているか?」という連載記事は数回の予定です。

今回は導入文です。クリスマスの過ごし方や教会での結婚式を取り上げました。日本に深く根を下ろしていない風景として時々偉い識者に非難されています。

クリスマスの前夜の24日の夜には教会へ行ってキリストの降誕を感謝して祈ることを日本人の99%はしません。しかし子供の居る家ではサンタクロースが贈り物を持ってくる。そして家族が集まってパーティをする。又会社や色々な職場では親睦をはかるために「クリスマス・パーティ」を開催します。日本全国の商店は売上を上げるために盛んにクリスマスの楽しさを宣伝します。キリストのキの字も無い宣伝なので人々はその日が降誕祭なのだということを一切忘れています。

一家の先祖代々のお墓がお寺にあっても、結婚式は白いウエイディングドレスを着て教会で挙げる人々が非常に多いのです。信者になろうとも思っていません。

このようなクリスマスの過ごし方や教会での結婚式を見て、「キリスト教は日本へ根づいているとはとても思えない」と、若いころの私は感じたものでした。随分と昔の事でした。その時は日本文化の軽薄さを見るようで自己嫌悪になったものです。

しかし老境になった現在は、この社会現象を軽薄だと非難がましく見るのは間違っていると信じるようになりました。若い頃の物の見方が間違っていたと気づいたのです。

一般にある宗教がある国に根付くには2つの並行したことが起きるのが極く自然なことと思います。宗教教義を本質的に変えることなく正しく、論理的に導入され、それが人々の血となり肉となって信じられている。そしてもう一つは導入される宗教に纏わりついているお祭りや、風習が教義とはあまり関係なく入って行く。後者は教義とあまり関係が無いので不要と考える人もいます。しかし所詮人間は論理だけでは満足しないのです。賑やかな祭りやプレゼントや楽しい宴会があったほうがその宗教に親しみを覚えるものです。

日本のミッションスクールの卒業生は何百万人もいるようです。彼らの大部分は洗礼を受けないで卒業し、就職とともにキリスト教から離れてしまいます。しかし毎年クリスマスや復活祭になるとキリスト教のことを思い出して、心の中で祈っている人も居るのです。この時だけ教会に行く人々も多いと聞きます。

このような視点から考えると日本のクリスマスや、教会での結婚式はキリスト教が根づくために大変重要な要素と考えられます。あるがままにクリスマスを楽しみましょう。信心が無くても教会での結婚式も大いに良いではありませんか?イエス様は絶対に怒っていません。楽しげに微笑んでいるに違いありません。(続く)


子供は広い所が好きです

2009年12月30日 | 写真

昔は原っぱがあちこちにあり、よく子供たちが遊んでいたものです。最近は家の中でテレビゲームなどをしていて、外を走り回って遊ばなくなったと聞きます。しかしそうでも無い子供もいると思います。広い所へ連れて行くと楽しそうにいつまでも走り回って遊んでいます。そんな風景の写真をお送りいたします。一昨日、諏訪湖の湖岸公園と山小屋の上の牧草地で撮った写真です。(終り)

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普天間基地移転問題への私の結論は?

2009年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログではアメリカ軍の使用している、三沢空軍基地、横須賀海軍基地、厚木海軍支援航空基地、横田空軍基地、嘉手納空軍基地、普天間海兵隊支援航空基地、そしてドイツにあるSpangdahlem空軍基地のホームページを紹介しました。

その結果、これらの基地の役割と守備、すなわち攻撃範囲が明確に判明しました。

これらの基地は米国の軍事力の優位性を全世界に及ぼす為に設置されています。その副次的な効果として基地のある日本やドイツへの他国の侵入を抑止する効果が生まれます。この抑止力は副次的な恩恵ではありますが、その代償として日本はアメリカへ色々な犠牲を支払ってきました。基地の為の土地の提供や、維持のための経済的支援などです。

日本が得た恩恵と、日本が払った代償との客観的な比較検証を論理的に進めることが今後の日米関係をより建設的な内容に改善するための基本的な出発点です。

現在までに自由民主党がアメリカへ払ってきた代償は大き過ぎたでしょうか?

この代償の大小を考える場合、「血による代償」も考慮に入れるべきと言うのが私の結論の出発点です。

今日の読売新聞の4面に防衛大学教授の山口 昇さんへのインタビュー記事が掲載されています。大変客観的な記事内容です。その中で、「日米同盟は、有事の際に数千人の米国青年が命をかけて日本も守るものだ。有事はめったに起こらないので、こうした実態は日本国民に意識されにくい。その一方で、在日米軍の不祥事や演習場から流れ弾が飛び出すような事故は、目につきやすい。不満のたまりやすい構図だ。」という一文がある。

この文章の意味は、日本へ敵が上陸しそうになったらまずアメリカ軍が出撃し血を流すという契約になっているということです。勿論、日本の自衛隊を出撃しますが法的な出撃許可を得るのに時間がかかりアメリカ軍の方が早く敵と遭遇するというニアンスが含まれています。契約は紙に書いたものですからそのまま実行されるという保証はありません。

更にアメリカ軍がイラクやアフガニスタンで攻撃されても日本は出撃しなくても良いというのが現在の日米安保条約です。韓国やドイツは即刻出撃するという相互防衛条約があるので多数の兵隊を送ります。それでは感情的にマズイので自民党政権は少数の出兵とインド洋での給油活動をして来たのです。

私の結論を簡単に書きます。「今後10年間位は、現在のアメリカとの安保契約を維持して自衛隊の海外出兵を出来るだけ避けるように政策的に結論を出す。その為にはアメリカ国民が納得のいくような代償をだす。代償は抑止力効果へ対する感謝の表明と経済的支援の両方を日本国民が賛成する範囲で実行することが肝要と思います。従来の自民党政権は、核持ち込みの秘密契約のように国民へ充分な説明なしで、アメリカの言いなりになってきた印象が強いことは否定出来ません。これから民主党政権のすべきことはアメリカへの感謝の表明と支払う代償について国民と開かれた客観的な討論をすることと信じています。いたずらに普天間基地移転先に関して異議を言い出すことではないのです。

以上が、このブログで色々考えて来た私なりの結論です。皆様からコメントを頂ければ嬉しく思います。(終り)


文章作品の転載や連載をさせて下さった方々へ感謝しつつ、年の暮れ

2009年12月30日 | インポート

今年の一年間にこのブログへ文章作品を転載させて頂きました、Mikaさん、

狼皮のスイーツマンさん、水木りょうさん、サッチーさん、大宮司弘昌さんへ感謝します。

下の題目をクリックするとこれらの作品が出て来ます。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日は12月の30日、明日は大晦日です。

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今年もみなみな様に大変御世話になり、誠に有難う御座いました。

どうぞ良い年をお迎え下さい。  藤山杜人

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(1)Mika さん、宮沢賢治の作品を朗読で楽しもう!

日本語はこんなに美しいのですーmikaさんのブログのご紹介

悲しくて美しい文章をご紹介します

(2)狼皮のスイーツマンさん、アールヌーボー・華麗な飛行船の世界

(3)水木りょうさん、水木りょう著、「高橋竹山」と「三波春夫」その1  尚(2)と(3)は10月25日と26日に連載。

(4)サッチーさん、ネット上の友人の小説につい涙してしまう

(5)大宮司弘昌さん、大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その一

大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その二

大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その二

大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その八(完結編)


諏訪湖畔の宿に一泊の小さな旅に行きました

2009年12月29日 | 旅行記

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昨日から息子夫婦と男の子の孫3人と家内と7人で諏訪湖の傍に一泊して来ました。家を午後1時過ぎに出ましたので、諏訪湖に着いたのは午後4時頃でした。湖畔の公園で孫3人が寒風の中を1時間も走りまわって遊びました。冬の諏訪湖は全面が凍結し、神が渡るように氷が一直線に盛り上がり、割れ目が出来ます。しかし諏訪湖が凍らない年が数年も続いています。子供が小さい頃は冬の諏訪湖でスケートをして遊んだことがあります。

今年も凍る気配もなく、強風で波が立ち騒いでいました。

今朝は9時に宿を出発して、山梨の北杜市の山林の中の小屋でバーベキューをし、一日遊んで来ました。焚火をしたり、薪ストーブを焚いたり、庭の小川の岸辺をきれいにしたりしました。

往復380Kmの旅でしたが、自分で車を運転しました。高齢なので慎重に車を走らせ、早めの帰宅でした。冬の諏訪湖の風景写真を御楽しみ頂ければ嬉しいです。


ネットで知り合った人と親しく付き合う方法です

2009年12月28日 | うんちく・小ネタ

この記事の下の記事は写真を何度もお借りした方々の一覧表です。今年の1月から12月までの1年間の写真を転載した記事の題目をクリックすると目の覚めるような美しい写真が楽しめるように工夫してあります。

私が現役の間は出世することばかり考えていて友人を作ろうという努力をしなかったのです。引退してみるとそのような人生を大変淋しいものと思い返すようになりました。そこでネットを通して親しい友人を作ろうと思いました。2年前のことです。

ネットで知り合った人は皆が友人です。私の出世の邪魔をしない上に何事か素晴らしいものを惜しげも無く私に贈ってくれます。そこでその中で特に大きな感動を与えてくれた方々と親しい友人になろうと考えました。

親しい友人を作る方法を考え、3つの原則を作りあげました。

(1)感性豊かな写真。人間とは何か?と考えさせる写真。生きる喜びが描かれている写真。四季折々の季節のうつろいが描かれている写真。そのような写真を自分のブログへ掲載している人がいたら、お願いして自分のブログへ転載させて貰うのです。先方の方は少しだけ喜んでくれます。

(2)そのように写真の転載をお願いする人を数人だけに決めて、何度も転載をお願いします。転載のお願いの度に何故感動したか?という自分の考えをかきます。そうすると先方の方もどういう気持ちでその写真を撮ったか?を書いて送ってくれます。それを何度か繰り返していると、自然に家族関係や住んでいる場所のことなどを知るようになります。実名もメールアドレスもお互いに分かります。しかしそれを知ってもネットの上でもっと親しくなるには実名をお互いに使わない方が良いのです。

(3)そうして次第に親しくなった方々と実際にお会いするのです。しかしお会いするのは男性に限ります。小生には幸い糟糠の妻が居ます。他の女性にお会いするのは必ずしも適切な生き方ではありません。

以上の3原則です。実名を使わない。実際に会うことを重視しない。この2つはお付き合いに「この世の義理人情」を持ちこまないためです。それを避けると純粋な友情が育つものなのです。こうして親しいお付き合いをしている人々は私にとってかけがえのない友人です。8人居ます。その名は、ちひろさん、鬼家さん、玲さん、あとみんさん、Prismidoriさん、Shionさん、ひかるのさん、GAKUさんです。

みんなの境遇や家族関係などをかなり詳しく知っています。私的なことなので省略しますが、住んでいる所だけをご紹介したいと思います。上の8人のお名前の順序に従って書きます。琵琶湖の東岸。甲斐のくにの甲斐駒の山麓。水戸です。北海道の富良野。南フランスのボルドーのそば。カルフォルニアのある町。タイのバンコックとネパールのカトマンズ。タイのチェンマイです。下の記事の題目をクリックして感動的な写真の数々を是非お楽しみ下さい。なぜ私がこの8人を誇りに思っているか?をお分かり頂けると信じています。

今年も年の暮れ。年末にあたってこの8人の方々の暖かい友情に感謝しています。どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。

そしてこの記事を読んで下さった方々のご健康と平和を御祈り申し上げます。藤山杜人


ちひろさん、鬼家さん、玲さん、あとみんさん、Prismidoriさん、Shionさん、ひかるのさん、

2009年12月27日 | インポート

素晴らしい北海道の雪景色をお楽しみ下さい あとみんさん

山林の中に独り住み、モリアオガエルを育てている友人 鬼家さん

今日は冬至、ちひろさんの柚子の写真をお送り致します ちひろさん

何故か心静まる ちひろさんの写真です。 ちひろさん

琵琶湖付近の風景写真とロシア教会の写真の対比 ちひろさん

幸せな、そして健康な夫婦生活とはこういうものです あとみんさん

自然の営みの神秘(1)モリアオガルを飼育している友人 鬼家さん

推薦したいブログの玲さんの美しい木や草の実の写真をご紹介します 玲さん

初冬の琵琶湖の風景をお楽しみ下さい ちひろさん

私はこうして大失敗した、素人のキノコ栽培の記 鬼家さん

女性らしい美しい写真をお送りします Shion さん

ケーキ作りのパティシエは芸術家である Parismidori さん

秋雨前線で憂鬱なのでプロバンスの明るい写真をお送りします Parismidori さん

毎日雨で憂鬱なのでタイ、チェンマイの明るい写真をお送りします GAKUさん

南国、タイ、チェンマイ市の鮮明な風景写真をお楽しみ下さい GAKUさん


お世話になった神父さん、牧師さんへ感謝しつつ、年の暮れ

2009年12月27日 | インポート

Photo1 年の暮れになると色々な分野でお世話になった方々を思い出し、感謝しています。

今日はキリスト教関係で大変お世話になった方々のことを書きます。

1971年の冬、カトリック立川教会で洗礼を受けました。その時の神父様は故 塚本金明神父さまでした。3年しか直接のご指導を受けませんでしたがとても深い印象が残っています。1975年にカトリック小金井教会が出来て移籍しました。その時から10年以上親しくご指導して下さったのがアメリカ出身の故 ヨゼフ・ムニー神父様でした。

その後、山本量太郎神父様が主任司祭としてご着任になりました。山本神父様は1971年に立川教会で私が洗礼を受ける時、代父をして下さった山本大二郎先生のご子息です。山本量太郎神父様が、カトリック小金井教会で10年ほど司祭をしている間に、教会の信者の数が自然に3倍位に増加しました。洗礼を受けなさいとことは一切言いません。しかし、その静かな信仰のありかたに接して人々がおのずと洗礼を受けたのです。

その山本神父さんがヨハネ・パウロ2世の緒宗派再統一運動の考え方に従って他の宗派との交流を薦めています。そこで私も今年の2月にプロテスタントの世田谷教会を訪問しネット上の友人のオカブさんとお会いし、牧師さんのTさんもご紹介頂きました。下記の1)の記事をクリックすると、その詳細が掲載されています。

その後、3月には貫井南町キリスト教会の橋本洽祚牧師様を訪問しました。アーミッシュやメノナイト系の独立した教会です。下記の2)と3)の掲載記事をクリックすると詳しい紹介が出て来ます。

0022 そして11月には神田、お茶の水にある日本正教会のニコライ堂の金田一豊伝教師を訪問し、正教会のお話を聞いてまいりました。その詳細は、下記の5)、6)、9)にございます。

12月には日本キリスト教団小金井教会の丸山和則牧師様を訪問しました。詳しくは下記の10)に書いてあります。

カトリック小金井教会の山本量太郎神父様の関連記事は4)、7)、8)です。

このように今年は3つのプロテスタント宗派の教会と1つの正教会を訪問し聖職者のお話を直接お聞きくることが出来ました。お会いして下さった 世田谷のT牧師様、橋本洽祚牧師様、丸山和則牧師様と正教会の金田一豊伝教師様へ深く感謝しています。

キリスト教の色々な宗派を知った上でゆるぎない結論を得ました。「緒宗派はイエス様の残した福音書を深く、強く信じている」と。どの宗派もそれぞれ非常な努力をして信仰を強く守っているのです。そして全ての宗派は日本の土に根ずいて、日本人の血に溶け込んでいるのです。確信が持てました。

そのような経験を勧めてくれた山本神父さまへ本当に感謝しています。

有難う御座いました。(終り)

======上の文章に関連するブログの掲載記事です========

1)2009年2月22日、オカブさんと世田谷教会のT牧師さんのこと:

今日はネットで知り合った特別な友人へ会って来ました

アーミッシュ村と貫井南町キリスト教会の関係は??

3)4月2日 独立運営の貫井南町キリスト教会を訪ねて

4)10月20日、山本神父さんの話:年間第29主日、「世界宣教の日」につい、そしてヨゼフ・ピタウさんのこと

5)11月29日、日本正教会、金田一豊さんを訪ねて、今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました

Kurosaki_church_0111_3 6)11月25日、日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改宗)したのか」

7)11月18日、山本量太郎著「最後の引っ越し」連載、その二(完結編)

8)11月16日、山本量太郎著「最後の引っ越し」連載、その一

9)11月4日ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました

10)12月19日、日本キリスト教団小金井教会、丸山和則牧師さんを訪ねて、勢いの良いビジネスマンが牧師になってしまったーこの不思議さ!


怖くて、嫌なものの写真をお見せします

2009年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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私もそうですが、日本人は嫌なものや怖い物は見ないようにして生きています。美しい花々の写真や懐かしい農村風景の写真を大切にしています。しかし現実は花々や美しい自然だけで出来て居ません。そんな生活習慣をしているので、日本人は酷く非現実で突拍子もない考えを持っています。鳩山さんの普天間基地問題への対応がそれを明らかに示しているではありませんか。

上の写真の戦闘爆撃機は不吉な、そして嫌な色合いです。そして恐ろしい攻撃用の爆弾やミサイルを満載して出撃している風景です。攻撃を受けた地上では恐ろしい悲劇が起きます。Misawa Air Base として検索するとアメリカ空軍の戦闘機や長距離爆撃機が多数常駐して様子が分かります。攻撃範囲は太平洋全域からアフリカ東海岸まです。

そして三沢には大西洋上のアイスランドの米軍基地の閉鎖に伴って、そこに常駐していた戦闘機や爆撃機が移動して来たのです。

このように日本にある米軍基地はアメリカの世界中に配置した軍事基地と密接に連携してアメリカの仮想敵国を包囲しています。

日本にあるアメリカの基地は日本を防衛するために存在するのではなく、アメリカが全世界を軍事的に支配するために設置しているのです。

もうひとつ蛇足を付け加えます。フランスは原子力空母、シャルル・ドゴール号を持っています。イギリスもイタリーも空母を持って大西洋、北海、地中海の防衛を担当しています。ですからアメリカは航空母艦をヨーロッパに常駐させる必要がないのです。しかし日本はそれを保有していないので横須賀に置いておくのです。

さて此処まで書けば将来の日本の選択肢は2つだけになるのは明らかです。

従来のようにアメリカの希望通り基地を提供し、基地の費用を日本が出します。その代わり自衛隊の海外出兵は勘弁して貰います。日本人が血を流す代わりにお金で勘弁して貰う方策が一つの選択肢です。

もう一つはイギリス、フランス、ドイツのように攻撃的軍備を増強、整備し、航空母艦も持ちます。自衛隊の海外出撃もする覚悟で、アメリカと相互防衛軍事同盟を締結するのです。そうすればアメリカは安心して在日米軍基地を撤退する筈です。

現実の国際外交を考えるときは、この2つの選択肢を常に考慮に入れることが必須条件なのです。アメリカを怒らせるというような感情的な問題ではありません。これは日本人の生き方、人生観の問題なのです。自分の問題であってアメリカの問題ではないのです。

勿論、この2つの道の妥協策もあります。どのような折衷政策を取るか?それを日本人が自分で決める必要があるのです。その後で外交交渉を巧みに行い自分の考えに合意を得ることが自主外交なのです。アメリカに基地もお金もとられ日本人の海外攻撃も強要されるのが最悪の結果です。鳩山さんの非現実的なお坊ちゃんぶりによって我々の考えがより現実的になったと思います。それがせめてもの唯一の良い結果です。

さて貴方のご意見はどのようなものでしょうか?嫌な現実を直視する勇気をお持ちでえしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


製造後28年経って新品同様の工業製品って他にありますか?

2009年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

私は昔、工業の基礎研究をしていました。ですから工場技術者とも親しくお付き合いをして来ました。技術者は常に工業製品の機能とその寿命について苦心していました。一つの工業製品に色々な機能を持たせる。そしてその寿命を最大にする。これが技術者の生きがいでした。しかし寿命は多くの場合数年でした。一番長い洗濯機でも新しい機能が付くと買い替える人々が多く、寿命はせいぜい数年です。

乗用車でも10年以上というのは稀です。大体、エンジンがバタバタ言い出します。吸気弁や排気弁が磨耗してくるのです。車体もアチコチのネジが緩んでガタガタ、カタカタ変な騒音を立てます。

ところが、ヨットは28年たっても新品同様です。下の写真をご覧下さい。白い船体が新品のように輝いています。私が28年古いヤンマー5馬力のジーゼル・エンジンのスタート・ボタンを押しています。

船体は白いFRP( Fiber Reinforced Plastic・繊維強化プラスチック)です。船体を洗って積もった土埃りを取ればいつも新品同様の輝きを見せてくれます。

もっと大きな驚きはヤンマーの5馬力ジーゼルエンジンです。11年前に製造後17年の中古ヨットの購入以来、このエンジンは11年間故障した事がないのです。

このエンジンの構造が素晴らしいのです。これ以上単純に出来ないほど簡単な構造のエンジンなのです。構造が単純なほど故障の確率が少ないのです。海上での故障は致命的なことになります。水冷用の水は船底から取り込みます。

 ヤンマーの船舶用エンジンが世界を席けんしているのが当然と納得します。

それにヨットは28年たっても船底から水漏れが皆無なのです。こんな完璧な工業製品は他に見たことがありません。と、一人で感激していると家内が後ろから変なコメントを送ってきます、「洗濯機は毎日使いますが、ヨットは一週間に一回でしょ。洗濯機が10年もつなら、ヨットは70年も寿命がありますよ。感激するほうがオカシイわ」

そうじゃないのです。工業製品の寿命は使う頻度だけで決まらないから技術者は苦労するのです。でもこの事を言うと家庭円満が崩れる恐れがあるので、私はグッと言葉を呑み込みます。それが夫婦円満のコツです。あまり下らない話になりましたので止めます。(終り) 

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今日はヨットの大掃除、その後白鳥夫妻に会って来ました

2009年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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今年の年末は、家の大掃除が順調に済み、年賀状も出し、クリスマスのミサへも行って来たし、全てが流れるように進んでいます。今日は朝から穏やかな日和なので家内と一緒にヨットの大掃除へ行きました。キャビンの中は家内が雑巾がけをし、私は甲板をデッキブラシで水洗いしました。濡れ雑巾で丁寧に船の外側をふき取りました。家内もデッキ洗いを手伝ってくれました。

その後、焼きそばを丁寧に調理し、昼食。食後は湖沿いに2Kmほど歩いて白鳥4羽が棲みついていた芝生のところまで行きました。

子供2羽は秋から巣立って姿が見えません。白鳥の夫婦は離婚なしで一生そいとげるそうです。成程、2羽の大きな白鳥の夫婦が仲よく緑の芝生をしきりに食べていました。人間に慣れていて、傍に行っても平気です。しばし白鳥の夫婦と遊んで船に帰りました。コーヒーを淹れ読書をしました。今日は皆が家で大掃除をしているのか東京外環道路も常磐高速道路も車が少なく1時間40分で帰って来られました。子供の日記のようですが、勘弁して下さい。平穏な1日を楽しみました(終り)

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