後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

外国体験のいろいろ(17)河野秋邨画伯の思い出

2007年11月30日 | 旅行記

      ◎     画家とパトロン

1961年、オハイオ州コロンバス市のデパートで南画の河野秋邨氏の個展が開催された。すべて畳二畳ぐらいの大作で、色彩豊かな南画が数十枚も展示されているのは圧倒的だった。高齢で体も小さかった河野氏。作品を太平洋の彼方から持参したエネルギーは驚きの一語に尽きる。一週間の滞在中、日本食がなくて困っていた河野画伯へ、家内が朝夕、味噌汁、ご飯、和風の総菜を供した。

「数十枚もの大作を京都からどのようにして運んだのですか?」「イエーガーさんという方がすべての手配と費用を出してくれました。よいパトロンに会えたと感謝しています。毎日会場へ行って、アメリカ人が南画を理解し感動する様子を見るのは楽しいです」「イエーガーさんは?」「毎日来られ、会場の面倒をそれとなく見てくれています」

そのイエーガー氏に会場で会った。「なぜこの個展を開催なさったのですか?」「京都で河野氏の南画を見て、アメリカ人にもぜひ見てもらいたいと思ったからです。コロンバスだけでなく、ほかの町へも巡回展示します」「その費用はどこかの美術団体が出すのですか?」「いえ、すべて私が個人的にできる範囲でします。好きな画家を経済的に支援するパトロンシップは欧米の輝かしい伝統だと思います」

それからパトロンシップの重要性をいろいろな視点から考えてみた。数は少ないが、日本にもいないわけではない。水戸出身の中村つね画伯を支援した新宿中村屋初代当主はその例。傑作「エロシェンコ像」が生まれたのは中村屋のおかげである。千波湖のほとり、県立美術館の一隅に中村つね画伯のアトリエが移設展示されている。結核で夭折した画家とパトロン中村屋との関係が生き生きと見えるようである。中村屋と中村画伯は同姓ながら親類関係はない。まったくの他人同士。

         @画商の重要性

日本では画家を個人的に支援するパトロンが少ない。その代わり画商が重要な役割を担う。笠間日動画廊美術館の五階にある画家三百三十人のパレット展示がその例である。パレットには安井曽太郎、梅原龍三郎、熊谷守一、中村研一、岡本太郎、藤田嗣治らそうそうたる画伯が網羅されている。しかし、圧巻は無名の画家のパレットが多数展示してあることである。日動画廊初代当主・長谷川仁氏夫妻が若い画家を勇気づけ、支援しようとした情熱が見えるようである。

笠間日動画廊美術館をたずねたとき、宮本三郎個展が開催されていたが、日本・アメリカ館五階のパレット展示と合わせて見ると興味が尽きなかった。

パレットの収集展示は吉井画廊の初代当主・吉井長三氏が建てた清春白樺美術館(山梨県)のレストランの壁にもある。無名画家のパレットが、白樺派の文人・画家の手紙や出版本、絵画とともに展示してある。広大な敷地には若い画家へ格安で貸しているアトリエの集合体建築物もある。南アルプス連山を前に、何人かの美術を志す若者達が制作に励んでいる様子がうかがえ心楽しい。

クオリティー・オブ・ライフ(人生の豊かさの質)を考えるとき、交通の便利さ、住宅の質と環境、周りの景観もさることながら、美術に関係する種々の施設の有無も重要である。

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日本の将来は明るい!

2007年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

若い人々には感心させらることが多い。自分の信念にもとづいて人生を切り開いて行く。それぞれ独創的な夢をもって、それを実現しようとする。高度成長時には大会社へ就職し一生エスカレーターに乗ったような生活をする。そんな日本人が多すぎると憂慮していた。

しかし1990年ころから大組織へ隷属して暮らす人生を疑問視する人が多くなった。

国際的に活躍する芸術家も多くなった。陶房 窯八を昨日このブログで紹介したら下記のようなコメントを貰った。けなげに頑張る若者一家の雰囲気が伝わってくるではないか?

最近、このように感心させられる若者に会うことが多い。

窯八の作品は簡素な造形ながら芸術性が高い。しかも毎日使ってもつかいやすい感じがする。赤松の炎で焼き締めた肌が深い魅力を発散している。

この窯八の作品も外国でも高く評価される時が来るに違いない!

最近このような独創的な人生を切り開いている若者が多くなった。「日本の将来は明るい!」。

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コメント

陶房 窯八の大橋です。

窯八をご紹介くださり、ありがとうございます。

主人とともに、大きな夢を頂いてこの土地に
窯を築いてまだ数年ですが、次第にお客様も増え
やりがいを感じるこの頃です。
主人が炎の魅力に取り付かれたのはまだ本当に
若いころのことで、それからずっとその情熱にかられるがままに仕事をすることができるということはとても幸せなことと思います。
幸い、私はお客様が大好きな性分でして(笑)
様々な機会に沢山の方に器を紹介してゆきたいと思っております。

もちろん、生計をたててゆくのはとても大変なこと
です。もっともっともっと!頑張ってゆきたいと、
それだけです。

また今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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山林の焼き物師、窯八

2007年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Yahooの検索へ窯八と入れて検索して下さい。小生の山小屋の下の方に穴窯を2003年から築いて赤松だけで焼き締めた陶器を作っている人です。ブラリとよったら実に素朴で人間性の良い若い陶芸家が気持ちよく窯を案内してくれます。小さな息子が2人いるらしく近くの里山の中に住んでいるようです。奥さんが窯に隣接した大きな建物のギャラリーへ案内してくれます。薄手に焼き締めた作品が多数展示してあります。芸術性が高くてしかも日常使いやすい感じの作品です。ご主人へ聞く、「次回はいつ炉へ火を入れるのですか?」「来年の春頃です。年間2回くらい焼きます。」「燃料はプロパンガスですか?」「全て赤松を自分で割って使います。年2回は赤松の薪を作るペースなのです」。

それで作品を売って生活は成り立つのですか?という問いは声にしないで飲み込んだ。なんと悠々たる人生なのであろう!山林、杜の中に住んでいる人々にはこんな豊かな人生を送っている人も居るのです。(終わり)

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男の小さな隠れ家

2007年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

先週の土曜日と日曜日に厳寒の山小屋に独りで一泊して来ました。一面落ち葉が散り敷いて庭先の清流につけた魚道が心地よい音をかなでています。

近くには男の隠れ家が散在しています。兎に角、奥さん族はめったに来ない。男独りが来て何が面白いのかニャニャしながら何かコソコソしています。小生の家内は一緒に来ることが多いほうだが、やはり独りで来ると楽しさの奥が深い。近くに6畳くらいの大きさのコンクリート製の四角い小屋がある。入り口に車が置いてあるので挨拶に行く。「今日は!始めまして。藤山杜人と申します」「Yと言います。電気技師です。家の中を覗いてください」

中は4畳位の部屋とお風呂、水洗トイレ、簡易流し、玄関などがこれ以上コンパクトには出来ないように小奇麗に仕上がっている。お風呂用の小型ボイラーが小屋の裏についている。

「ご覧下さい。テレビもパソコンも有りますよ。何でも揃っています。」「良くみると居心地の良さそうな隠れ家ですね」。

少し立ち話をする。彼が言う、「私は農業が好きでこの下のほうに2反の畑を借りて野菜を作っています」「それは驚きですね。私は畑仕事は嫌いで庭の草取りさえイヤですよ。偉いものですね。それにしても家の中に水道やお風呂もあって素晴らしいですね」「小さいほうが隠れ家の実感が湧き、楽しいですよ」

大きな別荘や山荘を作る人々も居る。小さな小屋を作る人もいる。どちらにしても奥さん族はサービスの良いホテルへは泊まりたがる。はじめは義理で来ていた山荘や小屋へは来なくなる。それらは否応なく男の隠れ家的存在になる。それが山林へ別荘や小屋を作ったときの定めと知る。でも例外もある。今後、山林で会った人々のことを書いて見たいと思う。(続く)

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中古クルーザーヨットの買い方(4)

2007年11月29日 | うんちく・小ネタ

            @2級船舶操縦士免許のとりかた

一般にはボート免許という。Yahoo検索へ「ボート免許」と入れ検索すると民間のマリーナでの取得コースや通勤帰りに参加できるような都内での講習会式のまで色々な情報が豊富に出ている。この免許は自動車の普通免許のようなもの。海上の航路の航行規則や海図の読み方などの基本を教えている。広い海上にも大型貨物船の交通頻繁な危険な水道、潮の流れの急な場所、危険な暗礁地帯、座礁しやすい浅い海などなどの見分けかたが理解出来る。

暗夜にGPSが故障したら自分の船の位置が分かりますか?灯台が見えれば分かる。出来たら2つの灯台が見えればもっと正確に分かる。謎明かしは「全ての灯台はそれぞれ違う時間間隔で点滅しているから」である。全国の灯台の点滅間隔の一覧表さえ持参していればどの灯台が見えているか分かる。自分の海図上へ見えている2つの灯台の方角を書き込む。暗夜でも現在地が分かる。

         @ボート免許は中古ヨットを買う前に取る!

忙しい人でも絶対にこの免許は買う前に取得すべきである。1)遊び用の船そのものの危険性が理解できる、2)海上、湖上の交通規則が分かる、3)係留地の選び方に参考になる話が含まれている、4)緊急救助信号や救助を求める方法がわかる、などなど中古ヨットを買う場合に参考になる情報が豊富に得られる。それと怖い裏話だが、先に船を買うと自動車と違って次の日から間単に操縦し船出出来るのでボート免許の必要性が実感できない。それでつい無免許のままクルーザーに乗ってしまう傾向になる。規則違反をしながら趣味を楽しむのはどんな意味でも良くない。

            @免許はヨット係留用のマリーナで受けること!

中古ヨット購入の決心もついた。係留地も大体決めた。お金がないので県庁の土木港湾局管理の格安の公営係留地に決めた。そんな場合でもボート免許の座学と実技試験は係留予定地の最寄のヨット係留用のマリーナで受けるのが鉄則である。マリーナは遠方で通勤の帰りには寄れないのが普通。しかし土曜日、日曜日、祝日のコースへ通ってでもマリーナで取ろう!

理由はいっぱいある。まず売りたい中古ヨットの情報がある。近辺の車の駐車場や交通機関の利便性が分かる。そのマリーナとは関係なく県庁管理地に係留してもマリーナの世話になることが多いからである。中古ヨットは思いもしない故障がでる。自分でマリーナへ回航して行くと修理をしてくれる。クレーンで吊り上げ修理もしてくれる。勿論有料だが。

霞が浦には京成マリーナという大型マリーナがあり陸置き場所も係留場所も開いている。それに係留料金は安い。まわりの県庁管理地に係留している人々も京成マリーナのお世話になっている。次回の話題の船舶検査証取得の立会い代行もしてくれる。とにかく中古クルーザーヨットの趣味を10年、20年と続けるには専門マリーナの助けがあると楽しくなる。

ボート免許をヨット係留近辺のマリーナで取得する本当の理由は上記の10年、20年にわたる付き合いのきっかけになるからである。(続く)

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外国体験のいろいろ(16)

2007年11月29日 | 旅行記

    ◎アメリカの離婚―光と陰

オハイオ州コロンバス市で結婚式の世話をしてくれた友人夫妻と先生夫妻がしばらくして、ともに離婚した。自由・平等の国アメリカには離婚の自由もある。しかし、離婚で生ずる子供の犠牲、悲劇への友人の巻き込み、経済的損害などを考えると、離婚の自由には代償が大き過ぎる。

われわれの結婚式場の予約をし、式では付添い人をし、結婚祝いのシャワーをしてくれたのは友人のジャックと奥さんの金髪美人ナンシー。料理上手で、服も自分で縫い上げる。数学が得意で、その才能を発揮できる会社で働きながら二人の子供を育てていた。センスのよい自宅へ呼ばれたが、カクテルシェーカーでマテーニを作ってくれた時のナンシーの優雅さは脳裏に焼きついている。

4、5年後、東京にナンシーから突然の航空便。夫が浮気をしたので離婚した。いま子供二人を連れて行商のような仕事をしながらアメリカ中をさすらっている。田舎町の行商旅の悲しさ。夫のいない三人だけのわびしいホテルでの夕食の様子などが細かに書いてある。悲劇的な映画の場面を見ているようである。何度もそのような手紙が来た。そのたびに勇気付ける手紙を家内が出していた。

ナンシーから手紙が来なくなった。再婚したに違いない。子供が二人いてもスレンダーな金髪美人である。再婚できないはずがない。一方、あんなに親切だった夫のジャックからは手紙が来ない。夫にも言い分があったはずだが、ジャックは沈黙でよく耐えた。

     @離婚と職場の関係

離婚は個人的な悲劇にとどめよう―それがアメリカ社会の約束である。しかし、恩師夫妻の離婚のように職場を巻き込むこともある。離婚されそうになった奥さんのメアリーが夫と同僚のスミス教授に相談。恩師夫婦の離婚は成立し、その後スミス教授は離婚の相談に来たメアリーと結婚。恩師は若い婦人と再婚した。スミス教授の前の奥さんははじき出された形になり、消息は伝わってこない。

この騒動の後、オハイオを訪問した。友人が一部始終を話してくれた。「あす大学に行くが、恩師に会った時、何って言えばよいの」「何も言うな。一切知らなかったことにするのがよい」「恩師の前の奥さんには大変お世話になったので、家内からのお土産を持って来たが」「今晩、その奥さんの再婚先の家へ連れて行ってあげる。でも離婚のことは話題にするな」

大学で共同研究の相談をしている時、メアリーと結婚したスミス教授がそっと私を呼び出して、「先日は家内を訪問してくれてありがとう。東洋人は恩を忘れないと家内が喜んでいたよ」

       @離婚後の付き合い

夫婦が別れた後は顔も見たくないというのが洋の東西にかかわらず本音であろう。しかし離婚の多いアメリカでは「離婚の自由」が「離婚後はお互い友人として付き合い、社会生活では離婚による差別はしない」という規範に支えられている。悲しい偽善のように思えるが…。

離婚した恩師はその後、学科主任になった。学科主任は毎年二回ぐらい教授と学生を自宅へ招くのが普通である。離婚した前の奥さんメアリーも招待しなければいけない。招待を受けたら出席するのが義務だ。パーテイーでは友人同士として明るく話し合う場面を見せなくてはいけない。

前の夫が学科主任になり、その部下になった現在の夫スミス教授のためにも晴れやかに談笑するつらさは察するに余りある。それが証拠に、その場面が済むとパーテイー半ばにもかかわらず引き揚げる。親しい教授に「前の奥さんがかわいそうだ。帰る時そば行って慰めてやりたいが」「やめなさい。帰るのに気が付かない振りをするのが親切というもの。それがアメリカのルールさ」

皆ホッとして、これで米国社会は健全だとも思うのか一段と楽しそうになる。その後は日本の「二次会」のような雰囲気になる。パーテイーをする家の前庭には大きな星条旗が風に揺れ、少しずつ遅れて到着する参加者を歓迎している。旗は何も言わないが、「自由と平等の国アメリカを忘れないでね」というメッセージを語りかけている。(終わり)

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ミシュランの三ツ星はどんな意味か?

2007年11月28日 | 食・レシピ

東京で三ツ星をもらった料理店の数はパリーより多いという。店の料理の値段を度外視して、調査員の舌の好みで点数をつけた独善的な主観的評価の結果である。

したがって京都風の日本料理や江戸風のうなぎや、なんと言っても繊細な豆腐料理や湯葉料理、あるいは蕎麦は三ツ星に値しない。それはそれで結構である。

しかし今回のミシュランの評価方法は日本の文化へある種の衝撃的メッセージを与えている。

「美味しい料理は主観的評価しか出来ない!値段は度外視してみよう!」「文句があるなら君達がたずねた料理店へ勝手に三ツ星、二ツ星、一ツ星を与えたら良いでしょう!」「どうぞ好き勝手にして。その結果がミシュランの判定とどう違うか考えてください!」

まあこんなメッセージを送ってくれています。

ミシュランの偉大さはこの相対的な視点である。決してミシュランの評価結果を金科玉条のごとく信じなさいと強要していない。そんなことは欧米社会では当然のことであり説明したり議論したりする必要のない自明のことである。

それを日本社会では明治維新以来の西欧崇拝のあまり鬼の首を取ったように大騒ぎをする。三ツ星を貰った店をマスコミだけが一方的に騒がしく取り上げる。日本の文化の底の浅さを見るようでなにか心淋しい思いがする。アメリカに4年間ほど住み着いた過去の経験からみても「ミシュラン、ミシュランとそんなに騒がないほうが良いよ」と思う。そんな問題提起をしているミシュランを尊敬はするが大騒ぎはしない。それがまともな態度ではなかろうか?寒風吹きすさぶ霞が浦にヨットを走らせんがら考えた愚見ではあるが。(終わり)

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ミシュランの三ツ星へ異議あり!

2007年11月28日 | 食・レシピ

山梨、長坂の蕎麦の翁は何故三ツ星でないのですか?

蕎麦の味が分からない人が判定したからです。そうです蕎麦は決して満腹し感動すべき食べ物ではありません。日本人でさえも食べた次の食事はやっぱりすき焼きか、うな重と行きたいですね。でも蕎麦は美味しい。

右翼国粋主義者の傾向のある小生は蕎麦をいろいろな外国人に食べてもらいました:

アメリカ人:「イヤーこんな不味いヌードルは初めてだ。それも醤油を水で薄めた汁につけて食べるとは日本人は相当貧しいんだな!」怒らないで下さい。すごく親しいアメリカ人なので本音を言っただけで日本人を軽蔑しているわけではありません。

ドイツ人:「第二次大戦でロシアに負けたあと数年間たしかこんな味の燕麦のスパゲテイを食べたよ。でもヒットラーの悪夢を思い出すからドイツ人には絶対出さないほうが良いよ」。

モスクワから来たエリート科学者(勿論、共産党員):「同盟国のモンゴル共和国の首都のウランバートルでこれと似た中国風の麺類を食べたことを思い出しました。日本の平和主義者はやはり同盟国とおなじような「美味しい!!!」ものを食べるのですね」。言葉とは反対に顔が不味い、不味いと言っている。

中国人:「ぜんぜん料理していない麺を出すとは失礼な招待主と誤解されるから、中国人へは蕎麦だけは絶対に出してはいけません」。言い方が流石中国的ですが本人がかなり腹を立てていました。

ミシュランの調査員も日本人から聞いて何軒もの蕎麦専門店へ行ったに違いない。彼らに蕎麦の美味しさが分かる筈が無い!!!

蕎麦の味が分かる人は日本人である。法律上の国籍は問わない。蕎麦は好きではないが日本人の前では死んでも蕎麦の悪口は言わないように気を使う。これが日本人の証拠である。蕎麦こそ日本人のアイデンテイテイーを具体的に示す一つの物体である。ミシュランの三ツ星なんてフランス人の好みの味であって日本人が信用する必要は無い。大体小生がいたく感心した地下鉄広尾駅のそばの平松フランス料理店が2つ星とは解せない。(老人の繰言の終わり)

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冬のセイリングをして来ました。

2007年11月28日 | スポーツ

霞ヶ浦は曇り。九十九里浜のほうからの東北の寒風が吹きつのり時折筑波颪の突風がある。

メインセールを上げるのは危険すぎる。前帆のジブセールをフルに展開し走る。身を切るような寒い強風。ヨットは風下側へ傾きながら疾走する。時折突風がくると船体をブルッと震わせで急に加速する。一面の曇天の下を低い雲が流れる。舳先から胴に砕ける波音がザワザワと響く。とにかくこの音を聞くとヨット乗りは皆が浮き立つという。寒い湖上で小生も船を出してよかった。この音が聞ければ寒風なんて春風と同じになる。気持ちに余裕が出て遠方を見渡すと筑波の雄岳、雌岳が綺麗な裾を引きながら重なりあっている。

しかし2時間ほど我慢して走っていたら寒さで胴体が震え出した。寒くて体が震えるなんて何年ぶりがろう?文字通り年寄りの冷水になる前に港へ帰る。

昔見たスウェーデンの厳寒のヨットの係留地を思い出す。ヨットの周りの海水が凍り、雪が積もっている。よく見ると独りの老人が白い息を吐きながら甲板の雪を下ろしている。船体も甲板もマストも全て木造である。あまりの美しさにジッと見とれていた。老人が振り返りニヤーと笑う。「木造艇の美しさが分かる奴だな」という表情である。

海水も凍る彼の地に比べれば冬も凍らない霞ヶ浦などまだまだ手ぬるい感じがする。

キャビンを締め切って炊事用のコンロを2口燃やしたら生き返った心地がした。

寒風に吹かれながら冬のセイリングをするとよくバカなことをすると笑われる。しかし説明は出来ないが兎に角爽快になる。心の汚れも洗われる。疲れも吹き飛んでしまう。

70歳以上の老人になったが毎年、12月や1月に今日のように短時間ながら冬のセイリングを楽しむ。そう言えばこのヨットも進水後25年の老艇である。美艇なせいかまだまだ若そうに見えるが。小生も頑張るつもりになる。ヨットの趣味には年齢制限がないのが良い。

(無駄話の終わり)

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外国体験のいろいろ(15)

2007年11月28日 | 旅行記

    @霞ヶ浦の魚の食文化―佃煮の郷愁

霞ヶ浦の周りにはハス田が広がり、夏には大輪の白い花が風に揺れる。ハスの葉の波に浮かぶ向こうに鰻(ウナギ)屋の看板が見える。天然仕立てのウナギは茨城風の濃い味で香ばしく仕上げてある。季節によっては川エビのてんぷら、芝エビのかま揚げ、透明な生の白魚の刺身、ドジョウの柳川鍋などが供せられる。

クルーザーで沖宿の港へ行き、部落の中を歩くと、湖の魚の佃煮を売っている古い店がある。ワカサギ、小ブナ、ハゼのような小魚、小エビなどの佃煮が種類別に、少しずつ味付けを違えて、昔風のガラスケースに並べてある。分別しない小魚、小エビ類を一緒に佃煮にしたものもある。

以前は、沖宿まで行かないと霞ヶ浦の佃煮が手に入らないものと思い込んでいた。ところが、土浦駅近くの通りに何軒も佃煮専門の店があることが分かった。

思えば、昔、肉や卵が貴重で入手できず、佃煮でご飯を何杯も食べていたものであった。その時代、佃煮の詰め合わせが贈答用としてもてはやされていたことを思い出す。最近、佃煮を買うたびにセピア色の写真を見るような郷愁を覚える。佃煮を買っては食べ残し、また買うのは郷愁を買っているのだ。

ところが新しい魚の食文化が浸透している。土浦新鮮市場の出現である。那珂湊漁港直送の珍しい魚、魚…。アンコウ、ドンコ、オコゼ、ホウボウ、カナガシラ、馬面ハギ、小さな石ダイ、メバルなどの地魚が一面に並んでいる。生きた上海ガニまで格安で売っている。

  @ライン河のウナギと大西洋のニシン

ドイツに住んでいた1969から1970年、魚をよく食べた。ニシンやマスは小麦粉をまぶしてムニエルにする。うろこがほとんどないドイツのコイは溶いた小麦粉をつけて煮え立つ油でカラリと揚げる。タラの切り身はムニエルやポアレ。ノルウエー産サケの切り身は高級な塩引きになる。ニシンは香草とともに酢づけにしてガラス瓶に密閉して売っている。

ウナギは燻製にするか、生のままぶつ切にしてアールズッペというスープにする。ある時、ライン河の生きたウナギが市場でうごめいていた。購入し、下手ながらも三枚におろして蒸し上げ、醤油、砂糖、日本酒で作ったタレをかけオーブンで焼き上げる。香ばしい匂いが家中に漂う。

大きな期待で食べたら不味い!ライン河のウナギは小骨が硬く、蛇を想像させるような野生の嫌な匂いがして食べられたものでない。用意した高級なモーゼルワインも台無し。土浦の天然仕立てウナギを食べるたびに、ラインウナギのまずさを思い出して苦笑を禁じえない。

ドイツの魚文化で特筆すべき一品がある。生のニシンを琵琶湖のフナずしのように発酵させたものである。マテイエステー・ヘリングという。イカの塩辛とくさやの干物をミキサーにかけたような味である。はじめは臭くて食べられない。しかし、たいていのレストランのメニューにあり、腐ったような感じのグチャグチャに身が崩れた一匹が大きな皿に出てくる。結構高価である。はじめは辟易(へきえき)したが、二、三回食べて病みつきになってしまった。

しかし、マテエステー・ヘリングにも上出来や失敗作もある。上出来なものは臭いが高貴な味がする。出来損ないは腐ったような味がするだけである。日本では一度も見たことがない。どこの国にも、どこの地方にも独特な魚の食文化があり、われわれの人生を味わい深いものにしている。これもクオリティー・オブ・ライフを決定する重要な文化である

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馬場駿著「小説大田道灌」の読後感

2007年11月27日 | 本と雑誌

江戸城の大田道灌が主君と仰ぐ関東管領、扇谷上杉定正に殺されるまでの話である。大田道灌に手を下したしたのは道灌子飼いの武将曽我兵庫である。川越城の主、定正のもとに幽閉されている兵庫が何故尊敬している道灌を切らねばならなかったか?道灌も兵庫も人間味溢れる武将である。お互いに敬意をもっていながら道灌を切るという悲劇が何故起きたのか?これがこの長編小説の主題である。

応仁の乱の後の関東の戦国時代を颯爽と生き、そして部下に殺された大田道灌を描いた本格的な歴史小説である。

数多くの小さな城とその主達の離合集散の中で最後の悲劇的クライマックスへいたる必然性を、周りの家臣や女性達の心の揺れを活写しながら読者に納得いくように描きだしている。この小説は構成に隙が無くストーリーがダイナミックに展開して行く。骨太の本格的な歴史小説である。とくに関東地方の戦国時代の群雄割拠の歴史はあまり知られていない。文献をくまなく猟渉、考証し、足で現地に立ち、戦国時代の人々の激しい心の動きを想像しながら描いた小説である。

誰もあまり取り上げなかった関東の戦国時代を取り上げたことがこの小説の新機軸でもあろう。そして流れるような文章が独特のリズムをかなで、この長編を読みやすくしている。

最初の書き出しはこうである。「蛟竜とは角の無い竜のことで「「みずち」」ともいう。江戸城築城で有名な大田道灌は蛟竜であった。角さえあれば一気に天に登れたのである。では、道半ばにして斃れた道灌に、欠けていた角とは一体何だったのだろうか。」

馬場駿は何が欠けていたかとは断定しない。読者が各人それぞれの解答を考え出せるように色々な部分に明快なヒントを与えている。この最初の文章を読み返しながら各章を読んで行くと人間の偉大さ、弱さが身につまされて「やっぱり道灌は殺される悲劇を避けられない」という思いにとらわれる。

馬場駿は本名、木内光夫であり、伊東で岩漿文学会を主宰している。そのホームページには

ホーム「木内光夫」の扉 として公開されている。

http://www.gan-sho.book-store.jp/sub4.html

馬場駿のほかの数多くの短編小説も公開してある。短編小説も面白いが、まず「小説大田道灌」を読むことが良い。

この小説は平成18年1月25日初版発行で岩漿文学会から1部1200円で配本されている。入手するにはE-Mail:asei@vesta.ocn.ne.jp へ申し込む。尚、岩漿文学会のTel/Faxは

0557-38-7526 である。 (終わり)

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外国体験のいろいろ(14)

2007年11月27日 | 旅行記

    ◎アメリカ流情報の分析のしかた

今回は米国の驚異的な情報の集め方と分析のしかたついて触れたい。私は米政府が莫大な研究費を出している役所の仕事を三年契約でしたことがある。あるプロジェクトに関する日本の研究の現状を取材してメールで報告書を提出する仕事だ。

大学や民間機関の卓越した研究者から話を聞き、その報告書をその研究者に送って間違いを訂正してもらう。了解を取った後に、米国の研究プロジェクト・マネージャーに報告書を送る(日本のことを自慢したいので研究者を高く評価した報告書を送っていた)。マネージャーのウオルフ博士は直ぐ返事をくれ、報告書の内容を褒める。あまり褒めるので、私も本気で仕事へ打ち込んだ。

以下、ウオルフ博士が来日した際のやり取り。「こちらから送る報告書をなぜ褒めるのですか?」「米国では外部の人に働いてもらう時に褒めるのが普通で特に変わったことではない」「私も訪問先を無責任にいろいろ褒めているが、そんな報告書でも役に立ちますか?」「すごく役に立っている。君の褒め方にはいくつかのパターンがあって、研究のレベルや内容が自ずと見えてくる。君は最後に感想を一、二行書いて来るが、それが報告書全体の半分以上の価値になっている」

      @取材のときの質問の順序が重要!

最近日本の企業でも情報収集に外部の人を使うようになった。私も日本の会社の仕事を何度もしたことがあるが、日本の会社は外部の人間の使い方を知らない。硬い表紙を付けた報告書の体裁を気にし過ぎて、調査中の感想や細切れの評価・意見の活用方法が分かっていない。米国ではその分析と活用方法が確立していて、外部の人間の能力を120%引き出すノウハウが存在する。

日本では専門外の人が高度な研究者を取材しても、内容が理解できないので無駄と考えられている。自分が一度も研究したことがない分野の、しかも先端的な研究をしている人を訪問しても、報告書が書けるだろうか、と。

ウオルフ博士は「質問の順序が重要」と言う。

     素人に研究内容を説明してください。自分の研究のどこが独創的ですか。

     競争相手を国内と外国に分けてそれぞれ三人挙げてください。

     その六人の研究者はどうして競争者と見なしていますか。

     現在している研究はいつ止めますか。

     現在している研究の実用的な価値をどう考えていますか。

「先ず五つの質問をして、全体の答えを六十分でお願いしますと言いなさい」「①が説明できなかったら、それ以上取材する必要はない」「これまで付き合ってきた日本人の優秀な研究者でも、不思議と④と⑤に答えられない人が多い。なぜそうなのか、君の意見を送ってくれ」

④と⑤は難問であり、三年間の契約期間、自分も訪問先の研究者も苦しんだ。日米の研究に対する価値観の相違を浮き彫りにしている質問内容ではないだろうか。

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中古スポーツカーか中古クルーザーヨットか??

2007年11月26日 | うんちく・小ネタ

50歳になると大抵子供は独立する。ローンながら小さな家もある。定年までの給料も見えるようになる。親の介護はまだ10年くらい心配無い。人生でホット息のつける人も多い時期ではないであろうか?あくせく働いいて趣味を楽しむ余裕も無かった。

そこで中古のクルーザーヨットを買った。その趣味の大変さは別項の「中古クルーザーヨットの買い方」シリーズで掲載中である。読者のご推察を期待する。

男なら一度はスポーツカーの幌を開けて初夏の薫風かおる草原、紅葉に染まる山道を走ってみたい。マツダの中古専門店へ行くと一世を風靡したロードスター2000CCが50万円から90万円で売っている。中古ヨットは「中古クルーザーヨットの買い方」シリーズで書いたように60万円から150万円、あるいは200万円である。スポーツカーのほうが半分くらいで買える。しかし修理や保守費用は故障の少ないヨットが安い。スポーツカーは車検や税金、強制賠償保険、ガソリン代など考えると年間100万円近くなる。しかし3年間楽しむとするとどちらも200万円くらいですむ。人生一度は両方の体験をして見たいと思う。

この2つの趣味の決定的な違いは費用の差異ではない。スポーツカーは年寄りにはサスペンションが硬すぎて腰が痛くなる。タイヤを軟らかいのに交換したり、椅子にクッションを敷いても少し長距離をはしると体中がガタガタになる。やはり40歳前の柔軟な体でないと無理だ。4年間楽しんだがあまりにも体にこたえるので売ってしまった。

クルーザーヨットは年齢によって色々な楽しみ方が出来る。若ければギンギンに走るレース専門の楽しみ。少し年をとればゆっくり巡航する楽しみ。さらに老年になればヨットのキャビンでパーテイーをしたり泊まったりして男の隠れ家的にして楽しむ。要するに飽きない。

少し大きなクルーザーへ買い換える時は古いヨットは売らない。大切にしてくれる人に寄付したい。

小生はいつもお世話になるあるマリーナのヨット好きのスタッフへ寄付した。いまでも時々以前の愛艇に水上で会えるのが嬉しい。若い時でないと楽しめない趣味と老人でも楽しめる趣味の違いを60歳にして実感できた。(終わり)

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「世界に羽ばたけ!若人よ」

2007年11月26日 | 本と雑誌

成山堂書店のこの本の著者は増渕興一さんである。増渕さんは東京帝国大学(旧制)では海軍委託学生として横須賀工廠で働き、コロンバスのバテルメモリアル研究所を経てMITの教授、名誉教授になられました。その間、NASAの宇宙ロケットや宇宙船のアルミ材料の溶接の研究をされ米国社会では著名な研究者です。その間増渕さんがアメリカ社会で独自の道を切り開いていったときの体験が生き生きと描写されています。

増渕さんの専門分野でのご活躍のことを知らずにご夫妻にお世話になった我々にとってはこんなに偉い人だとは知りませんでした。1960年のオハイオ州立大学に留学したとき、コロンバス市で他の日本人とともに何度もご自宅へおしかけ奥様にも大変お世話になりました。当時はコロンバスのバテルメモリアル研究所で研究をされていました。日本人の面倒もよく見てくださる柔和な紳士でありました。当時お世話になった日本人が1960年コロンバスの会をつくり、毎年増渕さんがご帰国になるたびにご夫妻を主賓として昼食会を開く。増渕さんは当時は不可能とされていたアルミ合金の溶接を独創的な発想で研究されていた。「新しい研究をしていればアメリカでは必ず大切にされる」というお話を聞き発奮したことが忘れられません。

奥様も優秀で数学の教師をしていらっしゃり、小生が婚約者をよんでコロンバスで結婚し子供が生まれたときには大変お世話になりました。草月流の師範でもありボストンで指導をしたり、日本人会のお世話などされています。この本の内容は実に手に汗を握るような活躍記であり、是非若い日本人に読んで貰いたい内容である。Yahoo検索へ「世界に羽ばたけ!若人よ」と入れて検索すると2100円のこの本を自宅近所のコンビニへ取り寄せて簡単に購入する方法がある。

今年の11月初旬に増渕さんご夫妻を主賓にしてコロンバス関係者の昼食会が新大丸のたん熊でありました。この本が以外に広く読まれていて反響が大きいことなどのお話がありました。増渕さんご夫妻への感謝をこめてこの本に関してご参考になればと思いブログへ投稿いたします。是非皆様もお読みください。(終わり)

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八ヶ岳、乗り鞍、南アルプス近辺の紅葉の写真、写真

2007年11月26日 | 写真

昨日、鬼家雅雄さんの山荘を訪ねご了解を頂いたので鬼家さんの「自然のなかで」http://kuhmso.web.infoseek.co.jp/ に掲載されている今年の紅葉の写真をご紹介します。

このURLをクリックして「鬼家旅行フアイル」を開けると10月下旬から現在にいたるまでの八ヶ岳、乗鞍岳、南アルプスの回りの山々の紅葉の数多くの写真が掲載されています。

鬼家さんの写真の良いところは本人が実際に歩き回って紅葉の綺麗な木々や林を探し出して写真をとるので、紅葉が鮮明でない今年でも十二分に楽しめることでしょう。また道順や駐車場の状況を親切に報告してあるので気軽に車で行けるような気がします。

鬼家さんの写真はレベルが高いせいかアクセス数が常に多く、Yahoo検索でもトップから20番目以内に入っている写真も多く、そのリストのページもありますのでお楽しみ下さい。

一面に落ち葉の散りしいた雑木林をしずかに歩きながら鬼家さんの山荘を訪ねるのも30年になります。彼の静かな物言いは昔から変わらず、訪ねるたび「心の豊かな人だな!」と感心します。そんなお人柄が写真に反映していると思いますが、、、、

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