後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

自分が乗った車の思い出(3)初めて買った乗用車のことなど、

2008年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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004 1961年春に初めて車を買った。1956年型ダッジ・コルネットであった。

外国で中古車を買うときは現地の人を信用して判断を任せるのが良い。

新婚の妻は色合いを最重要視する。クリーム色と水色のツートンカラーの車を中古車店から借り出して近所の修理専門の職人の裏庭へ持ち込む。噛みタバコをいつも口に入れている老人のピートが自宅で個人経営の修理屋をしている。仰向けになり車の下へもぐり込み、あちこちをハンマーで叩きながら丁寧に見てくれる。「この車は買って良いよ」、結論を一言いう。謝礼を支払おうとしても受け取らない。その後色々小さな故障が起きたがそのつどピートに直して貰った。

最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブした。

ある時、オハイオ キャバーンという大鍾乳洞を見に行く。帰りの田舎道で突然エンジンが止まる。周りには人家が無く、一面のトウモロコシ畑。家内が心細そうにしているが、どうしようも無い。30分程途方にくれて居た時、一台の車が通りがかった。止まってくれた。子供連れの若い家族が乗っている。夫がこちらの車のボンネットを開け、「ディステュリビューターが壊れている。町まで引っ張って行って上げるよ」と言ってくれる。30kmくらい離れた小さな町の修理屋がすぐに直してくれた。牽引してくれた人にもお礼のお金を上げようとしたが受け取らない。無事、帰宅後に妻が先方の子供の喜びそうな玩具とお菓子を送った。ダッジ・コルネットにまつわる思い出が沢山あるが、この話が忘れられない。

車そのものは中古のせいで小さな故障をよくした。しかし大型乗用車なので乗り心地は抜群である。帰国後12台の車に乗ったがダッジ・コルネットほど乗り心地の良い車には乗ったことが無い。

下の小さな車は1962年の帰国後、初めて日本で買ったマツダ・クーペである。アメリカの大型車に比較すると落差が大きすぎて同じ車とは思えない。しかし楽しい車であった。富士五湖や山梨の芦安温泉や夜叉神峠まで走らせても故障しない。ただ空冷エンジンが焼けるので時々道傍に止めて後部エンジンルームの蓋を開けて冷ましたものだった。こんな小さな軽自動車(360cc)でも4人乗りであった。(終わり)

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自分が乗った車の思い出(2)マツダ・ロードスター

2008年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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1960年にオハイオ州でダッジ・コルネットという大型乗用車の中古を買って新婚の妻と乗り回していた。クリーム色と水色のツートンカラーが気に入って妻が選んだ車である。

学生街の道傍にイギリス製の真紅のMGスポーツカーがよく駐車してある。時々、幌が空けたまま駐車してある。シンプルなダッシュボードに木目のハンドルがついている。自分の大型乗用車はパワーステアリングにオートマチック・トランスミッションだがMGは手動のギアチェンジ。軽快な構造で車体のフォルムが流れるように美しい。そばを通るたびにMGのところで、しばし足を止める。

同級生にMGで通学している中年の男が居た。空軍大佐で、引退後の転職の準備に博士の学位をとりに来ていた。あるとき、そのMGで家まで招待してくれた。車体が軽くてスピードを上げると飛び上がるように疾駆する。エンジンのゴロゴロという音が体をしびれさせる。

それ以来、一生の間に一度はMGのようなスポーツカーを持ってみたいと考えるようになった。

それから30年以上たってしまったが、夢はますます強くなる。子供もずいぶん前に独立し、収入もフルタイムなので十分ある。最後のチャンスと思い数年前にMGと同じような軽スポーツカーのマツダ・ロードスターの中古を買う。いすず・ウイザード3500ccの他にもう一台買うので家人の同意を慎重に得る必要がある。そこで家人の好みの色合いの車を探す。エンジンにガタが来ていてもどうせ3年だけと決めているので大丈夫。やっと落ち着いたマリンブルーの中古を見つけた。試乗で自宅に寄り、色を見せる。家人が笑顔で合格と言う。3年間、山の小屋や土浦のヨットへと散々乗った後で予定通り売ってしまった。

スポーツカーに3年乗った結論。見ているほどロマンチックな代物ではない。椅子が硬くて、バネが最小限度しか付いていないので腰が痛くなる。椅子が低い位置にあり、ドアーが小さいので乗り降りが非常に不便である。タイヤの音が大きいので4輪すべてを一番静かな新品タイヤへ変えたが、やはりうるさい。屋根が幌なので他の車の騒音が入って来るのだ。

快晴のときには幌を畳んで走る。たしかに爽快である。しかし埃や砂粒は遠慮なく顔を叩く。

陽射しがまともに顔に当たる。

家人が側に座ると若い2人連れと思うのか皆がみてくれる。家人が喜ぶ。いろいろ有ったが、長年の夢がかなって満足した。(終わり)

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自分が乗った車の思い出(1)はじめに

2008年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

1958年大学を卒業し1960年にオハイオ州へ留学したときに初めてアメリカの中古車を買った。クリームと水色のツートンカラーのダッジ・コルネットである。エンジン容量は4・5リッターの大きな車で、たしか1956年製であったと記憶している。

帰国後はマツダ・クーぺ、 トヨタ・パブリカ、 トヨタ・カローラ、 ホンダのシビックカントリー、 またトヨタ・カローラ、 ドイツではオペル・レコルドの中古、 帰国後はトヨタ・スープラ、 そしてアメリカでは中古のトヨタ・セリカ、 帰国後はスズキ・エクスード(4輪駆動)、 いすず・ウイザード(4輪駆動の2輪駆動仕様)、 マツダのスポーツカー・ロードスター、 そして現在のニッサン・セレナ(ワンボックスカー)と大体13台の中古や新車を乗り継いできた。振り返ってみると高級車はトヨタ・スープラのみで、あとは全て価格ひかえめの実用車ばかりで他人へ自慢にできるような車は一台も無い。

しかし、1958年から自動車学校へ行っていたので50年の運転の歴史である。

運転は自慢でないが下手である。下手を自覚しているので慎重に動かすので交通違反や事故は非常に少なかった。ドライブが趣味といえるほど好きなので、用もないのに東京の近郊をあちこち走りまわった。年間の走行距離は約2万キロ。従って50年間で約100万キロになる。ただし1958年、1959年、1960年は数キロしか走っていないので、90万キロ位と思う。

12台の車にまつわる思い出は多いが、その中から面白そうな順序でご紹介して行きたいと思っています。車の性能の解説でもなければ運転技術の自慢話でもない。

車にまつわる市井の哀歓を描いて見たいと思う。(導入部の終わり)

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読者の方々への感謝と、ご参考までに、

2008年05月30日 | うんちく・小ネタ

皆様のお蔭様で、このブログへのアクセス数も少しずつ増え、ここ1ケ月の平均アクセス数は一日当たり155件になりました。最高記録は4月6日の339件でした。昨日も214件もありました。どうも有難う御座います。心から感謝申し上げます。

話は変わりますが小生のコンピューターが古くなり反応が大変遅くなってきました。

新しいのへ買い換えようとPC専門店へ行き相談しました。古いコンピューターに記録されている全ての情報を新しいコンピューターへ入れ替えなければなりません。

その為には古いコンピューターを店へ1週間預けて作業をしなければ出来ないと、言われました。念の為、他の店に行って相談しました。同じく1週間預けてください、と言われました。

メールもブログも1週間も断絶したくありません。そこでトータルサポート株式会社(電話:0120-02-9598)へ連絡しました。即座に山崎 敬 さんを自宅へ派遣してくれました。

山崎さんの仕事は、まずPC本体だけを買いたいという小生の希望をよく聞くことから始まりました。デスクトップもプリンターも最近買ったばかりです。

どのようなPC本体を買うべきか判断して、山崎さんが小生と一緒にPC専門店へ行ってくれました。購入したのは O'ZZIO-SX-Siries (容量1メガバイト)で価格は69980円でした。

自宅に帰り、古いPCから全ての情報を取り出して、新しいPCへ入れてくれました。

その後、新しいNortonのバイルス防止ソフトもいれ全ての接続を完了してくれました。

自宅に着いてからPCの購入、情報の入れ替え、接続の全てで4時間の作業でした。Nortonの新しいソフトの購入代金を含めて、合計42300円でした。

PC本体の代金と合計すると11万2280円で反応の素早いこのコンピューターへ変えることが出来ました。

これら一連の作業をご自分で出来る方にとっては42300円は必要ありません。

しかし、自分でできないと1週間古いコンピューターを店へ預けなければなりません。一週間の断絶を避けて新しいコンピューターへ変える方々へのご参考になれば幸いです。

最後に五反田から武蔵小金井まで遠路きてくれて、終始誠実に作業を進めてくれた山崎 敬 氏へ感謝の意を表します。

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憂鬱な雨の日、見て元気の出る写真1枚

2008年05月30日 | 写真

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昨日いらいの雨が降っている。老化し、心肺機能が下がったのか低気圧に敏感になる。

雨の日は気分が悪く、元気が無い。そんな時には、晴天の写真(上)を見て風の動きを想像してみる。三笠の船尾からメインマストを見上げた写真。旗が幾つも、左からの風に靡いている。丁度心地よい風速で吹いている。空は高気圧で覆われているに違いない。この軍艦の向側には青く波打つ横須賀湾が広がり、少し遠方には猿島が緑の樹木で盛り上がっている。

この写真には写っていないが、後部甲板から一段下がった舷側に木製のデッキの手摺りが見えた。その内部には艦隊長官や艦長の部屋がある。先日、その部屋の前を通り、このデッキの上に出てゆっくり歩いた。高気圧と乾いた風の心地よさを楽しみながら。この洒落たデッキのことを英語では Stern Walk (船尾歩廊)という。

こんな事を書いていたら、この憂鬱な長雨へも少し感謝したくなる。山梨の雅雄さんから貰ってきたシイタケとナメコの原木6本に雨が満遍なく降り注いでいるのが見える。キノコ菌が原木の穴の底でゆっくり繁殖しているのが見えるようだ。雑菌が入り込まないように蝋で何度も封印してある。雅雄さんの丁寧な性格から安心して良いだろう。そういえば、彼はキノコには長雨が一番良いと言っていた。如雨露や水道ホースでかける水は満遍なく行き届かないと言う。キノコを庭先に栽培していると農作物にとって雨の重要性がしみじみと分かる。作物別に雨の適量と最適の時期があるに違いない。趣味で野菜を作っておられる方々にとっては常識なのだろう。元気が出て来たのでお終いにします。皆様も雨に負けずに楽しい一日を過ごしください。(終わり)

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三笠と帆船日本丸と氷川丸の装備の比較

2008年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

1900年英国、ビッカース造船所製の三笠と、1930年英国、ラメージ&ファーガソン社製の帆船日本丸と同じく1930年三菱造船、横浜ドック製の氷川丸の構造と装備を比較すると欧米の船建造の思想が実に明快に理解できる。

欧米では船、特に大型船を建造する場合にその船の使用目的をまず明確に決定する。その後で使用目的を達成する一番合理的な構造と装備を考えて建造する。

欧米の設計思想の根幹にはこの合目的性が一番重要になる。三笠の目的は敵艦より優れた大砲を多数装備し、高速で海上を自由に動けなければならない。その断面構造図には戦闘目的に関係しない装備は一切無い。士官室は後部、水平室は前甲板の下と画然と分離され規律保持が徹底している。砲弾庫は船底の一番安全なところにあり、大量の食料は長期作戦のために冷凍庫に保存されている。

撃沈した敵の戦艦の乗員を救助し、捕虜にする予定で「捕虜収容室」も装備してある。

動力は蒸気機関で直立3気筒レスプロ蒸気機関で2基で合計15000馬力、2軸スクリューで15140トンの船体を18ノットで推進させる力を備えていた。燃料は石炭で、甲板の左右に多くのマンホール状の穴を作り船底に石炭を人力で落とし込む。出動の前には1500トンの石炭を積んだ。積み込むときは乗組員総員で迅速に積み込む訓練を重ねたという。

三笠の建造後30年たって1930年に日本丸と氷川丸が出来た。

日本丸は三笠と同じ英国製の排水量2279トンで池貝鉄工所製ジーゼルエンジン600馬力2基を装備している。この船の使用目的は帆走訓練生の大洋航海術の教育である。したがって大洋航行用の4本マストで、おもに横型帆と少しの縦型帆の合計、29枚の全てを人力で操作するように出来ている。甲板から上の全ての装置は、舵も含めて電気モーターや油圧動力は一切使わない。小さなジーゼル発電機は艇内の灯火と航海灯と無線電信機のみへ供給された。航海の90%は帆走し、ジーゼル燃料を節約した。

この船には武器は一切積んでいない。食料と清水だけを乗員数と航海日数に従って積載していた。この船の断面構造図を見ると平和的な構造になっている。それに比較して戦艦「三笠」が戦争目的の殺伐とした構造になっていることが歴然とする。平和な現在の日本人として見ると、非常に残酷な構造になっているように感じる。捕虜収容室など本気で作ってあるのは敵艦を沈めて、生存者を拾い上げようとしている。

さらに1930年製で排水量11622トンの氷川丸は客船であり、客室とダイニングルーム、社交室などが主な部分を占めている。5500馬力の大型ジーゼルエンジンを2基装備して太平洋を時速18.2ノットで駆け抜けた。ただ当時の社会風習に従って一等客室と三等客室の差が大きい。1等は個室で三等は上下2段ベットの狭い8人部屋で船底近くにある。食堂も貧弱である。三等船客は一等客室部分へは立ち入り禁止である。三等船客にとって、航海中は暗い毎日であったに違いない。最近の豪華客船のニッポン丸や飛鳥の船内とは雲泥の違いである。

三笠と帆船日本丸と氷川丸の構造・装備の違いを簡単に比較して欧米の船の建造の思想を考えてみた。そしてそれを敷衍すれば飛行機や自動車の設計思想にも同じようなことが見られる。皆様のご叱正をお待ちしています。(終わり)

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趣味には無理は禁物

2008年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Dscn4166_2 挿絵の写真です。

以前、甲斐駒ケ岳へ登り、7合目の山小屋に泊まった。小屋番の老人が一人いて、夕食を食べるか?と聞く。「夕食と言ってもインスタントラーメンしか出来ないが」と言う。具の無いラーメンを一緒に食べながら老人が言う。「昔、冬以外は、毎週、週末ごとに夜行列車に乗って、そのまま登ってきた技師が居たよ。川崎にある製鋼工場の技師をしていた男だった」「だった。とは?もう来ないの?」「10年くらい毎週登って来たが急病で死んでしまった」「死んだと知らせがあったの?」「無いね。来なくなって、次の年の初夏に数人の男が登って来て、死んだと教えてくれた」彼に世話になった同僚たちが追悼登山に登ってきたという。

それだけの話である。寝ながらあれこれ考える。山がそんなに好きなのは何故だろうか?そんなに無理して毎週来る必要があるのだろうか?苦行の山登りは趣味なのであろうか?結婚していたら週末に家をあけることは不幸ではないか?同僚が追悼登山をするくらいだから職場では人望があったのだろう。若死にしたのは登山の無理が祟ったのだろうか?

何十年たっても小生には答えが無い。答えが出ないから忘れられない。皆様はどうお思いでしょうか?

ヨットの趣味の話。葉山マリーナの年間の陸置き料金は船の長さによるが、150万円位は普通だ。内装の見事なフランス製のヨットを、12人で共同所有しているあるグループあった。そのなかの1人、Tさんに呼ばれて何回か葉山沖をセイリングした。

Tさんは元予科練に居た。穏やかな性格でのんびりしている。こんな人が特攻機に乗るのかと、戦争の恐ろしさを思ってしまう。そのTさんが、「12人でフランス艇を共有すると、いろいろ意見が違って苦労する」という。

レースで勝ちたいのでレース用のセールを何枚も買いたいと言う人。仕事の都合で毎月は来れないので負担金を安くしてくれと言う人。キャビンに泊まりたいから陸置きでなく浮桟橋に係留してくれという人。昼間だけのセイリングだけでなく、せめて大島へ行きたいのでレーダーや海上無線機、そして性能の良いGPSを取り付けてくれという人。フランス艇は金具類が悪いから全部取り替えようと主張する人。このような12人の調整をするのがTさんである。

油壺、佐島、葉山、逗子などのマリーナ係留料が大きい。他にクルーザー購入代金もある。それで、6、7人から15人くらいで共同所有し、ヨットを預ける場合が多い。

仲間同士の話し合いに、無理があったら趣味として良い趣味と言えるであろうか?

どんな趣味でも日常の生活を犠牲にしてまでするべきでは無い。それが小生の信条である。中古ヨットを係留料の格安な霞ヶ浦に置くのも自分の信条にしたがったからである。侘しい山林の中の小屋にこだわるのも同じ理由だ。

趣味と日常の生活のバランスを皆様はどのようにお考えでしょうか?(終わり)

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三崎マグロを買う羽目に、

2008年05月29日 | 食・レシピ

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三崎マグロを買う羽目になったという話。横須賀で戦艦「三笠」を出たのが11時30分。周りには気の利いた店が無い。浦賀に行けば寿司屋くらいあるだろう。車を海沿いに走らせる。絶景の海岸線が続く。

浦賀の町に入るととたんに殺伐とした造船所の高い塀が延々とある。建造艦の軍事秘密でも隠すような感じで不愉快千万である。灰色の古い高塀が、そのうち尽きるだろうと走っら町を出てしまった。住民は不愉快に思わないのだろうか?大会社の文化的無神経さに驚く。

また、浜沿いのドライブウエイを走っていたら久里浜の町に入る。そのままフェリー発着場の前を通っていると、活魚料理「海」(かい)生簀屋の看板。つい車を止める。特上にぎり(2625円)を頼む。目の前には出航しつつある大型フェリーがゆっくり動いている(写真下列左端の写真)。寿司は10個ほどで見たところありきたりの握りの様子。しかし始めに生タコを食べる。驚いた。深い味わいで歯ごたえが硬からず柔らかず。それにシャリが小さめでフンワリ握っている。でも箸でつまんでも崩れない。しっかり握ってある。甘すぎない酢が程よい。

それでもう一度寿司一個一個をよく見ると、すべての種がピンピンして活きているような輝きである。生エビもマグロの赤身も中トロも鯵も全て飛び切りの味である。ゆっくり味わいながら、「コリャいかん!小生だけこんな美味しい寿司を昼食にしたら家人が何日もうらむだろう」、「なにか文句の出ない方法はないかな?」、「お持ち帰りは保健所の指導で禁止されていますと大きな張り紙もあるし」、「そうだ家人の好きなものはマグロのサクだ!」、「マグロといえばこの先に三崎にある!」という訳で三崎お魚センターへ行く羽目になる。

買ったものは生の「中トロの三崎沖産メバチマグロ」(2200円)と冷凍の「すきみ」(400円)と「腹身の塊」(400円)。冷凍のケースにはそ他に「尾身の塊」や「頬肉数枚のパック」や「内臓らしきもの?」などがどれでも400円。3パック買うと1000円。別のケースには冷凍のカマの大切りや赤身の塊を売っている。

さすが三崎のお魚センターはマグロの種類も豊富で、インドまぐろ、キハダまぐろ、本まぐろ、ビンチョーまぐろと何でも揃っている。他の魚や干物もある。(上の数枚の写真の通り)。

帰宅後、三崎沖産メバチの刺身を食べる。本まぐろとは歯ごたえ風味は少し違うが味わいが深く滋味豊かである。三崎沖で取れ、冷凍にしないで捌いた感じが良い。

次の日、すきみに葱を刻み込んでワサビ醤油をかけ、炊き立てのご飯に乗せて食べる。脂が乗っていてすばらしい風味である。近所のスーパーのすきみと決定的に違う。

自宅から三崎迄は約100km。川崎街道、第三京浜、横浜新道、横横高速を通って2時間30分。次回はあちこちへ寄らないでマグロだけを買いに行きたい。頬肉と尾身とカマも試しに食して見たい。

食の欲望だけですぐに動くと神様の罰が当たるから、すこし間をおいて神様に見つからないようにコッソリ行くことにする。(終わり)

活魚料理「海」(かい)生簀屋のURLは、http://www.hanae-group.co.jp です。

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豊かな緑に包まれるヨット泊地

2008年05月28日 | 写真

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撮影日時: 5月27日午後2時頃、

撮影場所:三浦半島、三浦市三崎町、小網代湾の油壺ヨットハーバー及び油壺京急マリーナにて。

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心地よい潮騒の観音崎

2008年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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風薫る5月とはよく言ったものと感心する。観音崎の浜ぞいの遊歩道を歩く。岸辺を洗う潮騒が穏やかに響き、海のかなたに房総の山々が青く霞んでいる。

遠くの小山の遥か上のほうに観音崎燈台が青空に聳えている。純白の塔が輝いている。急いで一気に登らないで、磯の草の上に寝転ぶ。

「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五のこころ」を思い出す。

十五歳ではなく七十歳の心が潮騒にさそわれながら海の上の空に吸われてしまう。40歳のころ南部藩の城跡に寝転んだとき家人がこの啄木の歌を教えてくれた。

観音崎燈台は駐車場から磯道をかなり歩いて、更に小山の急坂を登るので以前は一回しか行ったことが無い。しかし引退後の今は時間がゆったりとある。

磯に沿って歩くのが楽しい。急坂も最近は緩やかな階段に作りかえてある。ゆっくり登っても5分で燈台に着く。中の暗い螺旋階段をのぼり太平洋をしばし眺める。

明治2年に日本で始めての西洋式燈台としてフランス人技師によって作られた。

暗夜に燈台の光を見る船上の操舵手は何処の燈台か瞬時に分かる。全国の燈台の光り方が違うからである。観音崎燈台は15秒間に2回光ると決まっている。

船舶操縦2級免許試験に海図の読み方と燈台の光り方が出題されたことを思い出す。今年は外洋航海も出来る1級免許に挑戦してみようと思いつつ燈台を降りる。(終わり)

撮影日時:5月27日午前12時頃、 撮影場所:神奈川県、三浦半島、観音崎にて

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英国製戦艦、三笠の数多くの砲の優秀さ

2008年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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東郷元帥の戦略も独創的で敵の意表をつく見事なものであった。でも、英国のビッカース造船所へこの戦艦を発注した海軍省の官僚も偉かった。砲身の直径30cmの主砲を前後に2門ずつ、両舷側に15cm副砲を7門ずつ、そして8cm砲を両舷側に10門ずつ、合計38門の大砲を持つ三笠の戦闘能力を忘れてはいけない。

大砲の戦闘能力は一分間に何発の砲弾を発射出来るか?砲身の方向を変える速度は大きいか?射程距離と命中精度が敵艦より優れているか?などによって決まる。

ビッカース造船所の戦艦製造技術と艦載大砲の優秀性がロシアのバルチック艦隊より優れていたら勝つのが自然という研究があっても良い。

当時の帝国海軍は東郷元帥の戦略的能力と決断力を高く評価しつつも、戦艦の戦闘能力を冷静に国際的に比較検討したに違いない。

ロシア艦隊に完全勝利しすぎた結果、大艦巨砲主義がその後の帝国海軍の主流となった。しかしその過ちが明白になったのは、巨大戦艦、武蔵や大和を建造し、アメリカの航空攻撃に沈められた後である。そんな歴史を思い返しながら三笠の甲板を歩いてきた。風の爽やかな晴天で、猿島の緑が美しい。

撮影日時:5月27日午前11時頃、 撮影場所:横須賀市三笠記念公園

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フォトアルバム「中古ヨットの見分けかた写真集」へ写真3枚追加しました

2008年05月26日 | 写真

小生が10年前に100万円で購入した26Feetのクルザーは1982年進水で、今年はもう26年も古くなりました。しかし帆走の様子は新艇と同じではないでしょうか?そんな様子の写真を3枚追加しました。中古艇でも雨漏り以外はあまり大きなトラブルは有りませんでした。ジーゼルエンジンの排気弁の修理はしましたが。

撮影日時:5月24日、撮影者:Mrs.藤山

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外国体験のいろいろ(44)アメリカの中小企業とベンチャー

2008年05月26日 | インポート

○独自の特許・技術

オハイオ州コロンバス市郊外にジーゲルコーンを世界中へ出荷している小さな会社があった。この商品は陶器やセラミックなどを高温で焼き固める時に炉内の温度を推定する角錐形の材料。その成分の配合によって先端が軟化し曲がるので炉内温度が計れる。コロンバス郊外のトウモロコシ畑の中に赤レンガの美しい平屋建て工場がゆったりと広がっている。社長のアメリカ人を何度か訪問し、共同研究の相談をした。

雑談の中で小生が聞く、「日本の中小企業は大会社傘下が多いが、この会社はどこの系列なのですか?」彼が答える、「アメリカの中小企業は大会社が持っていない独自技術や特許に基づいて、世界中で売れる商品を製造している。大会社とは一切関係ありません」「中小企業へは銀行が融資してくれないのが普通だと思うが、経営が難しくありませんか?」「アメリカでは独自の特許や技術を持って出荷している場合、特に担保物件が無くても投融資してくれます。独自性があれば企業は安泰なのです」

       ○発明者を敬う社会

アメリカの大学で働いていると、同僚のアメリカ人はよく特許の話をする。特許を取った研究者のうわさ話もよくする。日本の大学で特許の話をすると、金もうけ主義の誘惑に負けた学者として軽蔑されるのが普通であった。本物の学者は特許に関心を持ってはいけない。産学連携の重要性が叫ばれる昨今ではそうでもないが、十数年前までは大学内での特許の話は禁句であった。

以下、1990年ごろ、オハイオ州立大学でのアメリカ人教授とのやりとり。

「日本の大会社の技術者はやたらとアメリカ特許の申請書を出すが、中身が非常に薄い」「薄いとはどんな意味ですか?」「新製品を作るための新しい原理の発見ではなく、既にある技術の組み合わせで新製品を作るという、改良技術特許の性質のものが多い。これでは尊敬されない。従って特許が成立しないことが多い」「毎年、日本人の特許申請総数は世界でトップクラスだが、それでも尊敬されないのですか?」「内容が貧弱な特許は人騒がせに過ぎない。それが証拠に、日本が外国特許へ支払う額は外国から受け取る特許使用料の十倍ぐらいあるではないか」

       ○教育の改革が必要

アメリカのベンチャー企業の活躍は第二次大戦以前から普通であり、資本主義の根幹を成している。一方、日本のベンチャー企業は1990年ごろのバブル経済の崩壊を機に盛んになった。特にIT分野では、新しいビジネスモデルで情報サービスのベンチャーが急成長を続けている。日本にも担保なしで投資するベンチャーキャピタルが多くあり、起業資金を支援している。

最近は起業し、新しい技術シーズを実用化し、それを他の企業へ売るという達成目標の明快なベンチャーも増加している。このように、日本でも大会社と関係のない新しい形の中小企業が隆盛を極めつつあり、日本の資本主義もアメリカ型へと変化しつつある。しかし、製造業分野のベンチャーは相変わらず特許の国際競争力が貧弱な場合が多く、苦戦を強いられている。

独創的な基本特許を数多く取得するには、やはり小学校から大学までの教育内容を改革しなければならないと主張する人々も居る。しかし、それは東洋文化へ深く根を下ろしている側面もあり、一朝一夕に変革できるものではない。ベンチャー企業の隆盛を見て、日米の技術格差も小さくなったと思うのは早計も甚だしいのではないか。

(続く)

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合法的に真似る日本、法律無視の中国

2008年05月26日 | 旅行記

皆さんが日常使う電化製品やコンピューターのような工業製品は、普通多くの特許によってその製造方法が出来上がっている。製法を発明した人々の利益を特許法によって守る。これが欧米資本主義の重要な条件の一つ。

特許は国際的に売買、輸出・輸入できる。日本の会社は高価な特許をアメリカ、ドイツ、英国、フランスなどから現在でも買って製品を作っている。

勿論、日本の特許も外国へ売って、輸出している。

しかし、日本が外国から買っている特許の総額(輸入総額)は日本が外国へ売っている特許の総額(輸出総額)の約10倍であることを決して忘れてはいけない。言い換えれば、日本は外国から高価な特許を買って工業製品を作っている。この状態は現在でも変わらない。テレビの自動車も多くの外国特許を購入して作っている。

このような事実は政府もマスコミもなるべく秘密にして置きたい。しかし工業界で働いている技術者の間では皆が知っている常識である。

特許の金額は製品や特許の独自性によって決定されるので一概には言えないが、大体、製品の売り上げ高の1%から3%である。日本の大小の会社が毎年莫大な金額を特許料として外国の個人や会社へ契約に従って支払っている。いくら日本製の乗用車が優れていて、もこの事実を忘れてはいけない。

ただ、絵画や芸術作品の著作権が芸術家の死後50年で消滅するように特許権もある年限(15年や20年の場合もある)で消滅して、その後は誰でも自由に使用できる。例えば、ガソリンエンジンやジーゼルエンジンの特許権は自然消滅しているのでトヨタが使おうがニッサンが使おうが自由である。しかしエンジンを始めて作った人々を尊敬する精神を失ってはいけない。

日本の工業界はあくまでも国際的な特許法を遵守して製品を作っている。

しかし、中国の幾つかの会社が時々、国際的な特許法を無視して製品を使ってしまう。これは倫理の問題でもあるが、その国の伝統文化に深く関係している部分もある。別に中国を弁護するのではないが、日本でも特許法を無視しようとした時代があった。特に第二次大戦の最中は戦争なので特許料を敵国へ払う必要は無い。それが当然と多くの日本人が思っていた。これと東洋の「模倣を善とする伝統文化」が融合して未だに特許へ対する考え方が欧米と日本とはなにか本質的に違う。

皆さんはどのようにお考えでしょうか? (終わり)

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ヨット泊地そばのビオトープにて

2008年05月25日 | 写真

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あやめの季節になると何度も訪れた潮来あやめ祭りの華やかさを思い出す。一面のあやめ畠に色とりどりの花が川風にゆれ、息を呑むような美しさである。

潮来へ行く風流な方法は、土浦から季節限定の船が2種類ある。常陽観光の「ジェットホイルつくば号」とラクスマリーナの「ホワイトアイリス号」である。

今年のあやめ祭りは5月24日から6月29日までである。上記の船の運航日時や料金については、「常陽観光」と「ラクスマリーナ」を検索するとある。土浦から霞ヶ浦を縦断する1時間の船旅。岸辺の緑豊かな景観を楽しめる。

潮来は霞ヶ浦東端から元利根川へ入り少し下ると着く。潮来で遊覧舟に乗り換えて船上からあやめを楽しむのも良い。ただし元利根川の川向こうの水郷へ行く遊覧船もあるので間違わないように注意すること。以前間違って乗ってしまい往生した。あやめが殆ど無い。舟から立ち上がって見ると、水田が果てしなく広がっているだけ。それも土手が高くて見えない。水郷が好きで、想像力の旺盛な方向きのコースである。遊覧船に乗る前にコースの内容をしっかり聞いたほうが良い。

あやめ見物は舟も良いがあやめ畠の周りの遊歩道から真近かに見るのが欠かせない。

まわり一面あやめに囲まれると、夢のような気持ちになる。

昼食は元利根川縁の川魚料理店でウナギの蒲焼も良い。あやめ畠から少し離れるが歩いて探すのも楽しい。

帰りの船便まで待てない人はJR潮来駅は近くにあるのでJR電車で帰って来られる。

あやめの切り花の束をお土産に売っている。途中しおれても水揚げの良い花なので帰宅後、水切りをすれば蕾も数日つぎつぎ開き楽しめる。根のついたのも売っている。観光地なのに値段が高くないのに感心する。(終わり)撮影日時:5月24日午後3時、撮影者:Mrs.藤山

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