後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

小金井公園内にある「江戸、東京建物園」にある懐かしき昭和初期の商店、居酒屋、銭湯の移築、展示

2014年11月30日 | 写真
小金井公園内にある「江戸、東京建物園」には懐かしい昭和初期の商店、居酒屋、銭湯などなどが移築し、展示してあります。
その中には豪邸もありますが、昭和初期の下町の商店、銭湯、居酒屋も移築し、展示してあります。下の写真は居酒屋です。

ここで飲んでいた人々は何処に行ってしまったのでしょう?昭和初期の店、居酒屋、銭湯を再現した一角が小金井公園のなかに有ります。そのころの商店や居酒屋、銭湯で活き活きとしていた人々はもう居ません。あれから支那事変が始まり満州事変、太平洋戦争、そして敗戦と目まぐるしく歴史がめぐりました。出征して死んだ人、戦災で死んだ人、苦難の歴史でした。これらの商店、居酒屋や銭湯を支えていた家族達は何処に住んでいるのでしょう?


あなたの子孫達が小金井公園を訪れ、この一角へ足を伸ばすことを祈ります。あなた達の父母や祖父母が築いた建物が立派に再現している様子をご覧になってください。
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文化とは何でしょうか(5)宗教によって変わるいろいろな民族の食文化

2014年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人は宗教的戒律によって独特の食文化を持っている民族を忘れがちです。
例えば、中国の回族は豚肉を食べないので北京市内には羊を主にした回族のためのレストランが数多くあります。中国の回族は漢族と血が混じっていて見かけは普通の中国人と変わりません。回族とは主に中国国内に住んで居るイスラム教徒でウイグル族とは違います。人種的には漢族です。ですから日本人には見分けがつかないのです。
観光で行った日本人はそのレストランには行きません。ですから北京市内にイスラム教徒が多数住んでいることに気がつきません。北京市はイスラム教とラマ教と大乗仏教の混じった独特の文化を持っているのです。その上道教があるので北京の文化は複雑なものなのです。その回族の食文化が独特なのです。
もう一つの例はアメリカに住んでいるインド人には戒律から肉食をしない人が多いのです。
インド人に限らずアメリカ人にもベジタリアンは多いのです。宗教の戒律とは関係なく健康上の理由です。でも注意深く話を聞くとヒンズー教や仏教の影響を受けている人が多いのも事実です。
このように宗教によっていろいろな民族の食文化が変わっているのです。多くの民族は宗教的戒律の範囲で食生活をしているのです。
国際友好と気軽に言う人々のなかには宗教的戒律と食文化の関係を無視する人も多いのは残念です。
最近の日本人の美食趣味は行き過ぎているようで心配です。
そこで北京で実際に見たことから、回族の食生活を漢族がどのように尊重しているかを説明したいと思います。
◎中国の回族と食習慣
北京の大学へ行ったのは1981年から数年間でした。
観光客の行かない学生食堂で学生と一緒によく食事をしました。当時の中国の大学は原則として全員寮生活で、朝昼晩の三食は大きな学生食堂で取っていました。料理の品数は少ないが本格的な北京料理で美味しかったのです。
学生達は食器は自分の寮から持ってくるのです。食器は琺瑯引きの鉄製のドンブリです。食べ終わったらまた寮へ持ち帰り自分で洗うのです。
よく見ると、隣にもう一つ広大な学生食堂がああります。回族の学生専用の食堂です。
回族は豚肉を一切食べないので、ラードでいためた北京料理はいけないません。回教の定めに従った方法で殺した羊を食べるのです。従って異なるメニューの学生食堂が二つ必要になるのです。
北京の街を注意深く見ると、回族食堂という看板を掲げた店が多いことに気がつきます。
そして白い布で髪の毛を隠した女や丸い帽子をかぶった男の回教徒が大勢歩いているのです。あるとき、中心街に近い大通りを埋め尽くして羊の群れが悠々と流れているのを見ました。
独特の帽子をかぶった回族の羊飼いが交通妨害をしながら羊の群れを移動させている光景には吃驚したものです。聞けと、ある季節になると羊の市が立つというのです。ですから羊の群れは北京の風物詩だったのです。しかし高層ビルが林立する現在では見られないと思います。
こんな当時の風景に刺激されて、街の回族食堂に入ってみました。串に刺して焼いた羊肉は香料が効き、肉は柔らかで美味です。肉質がよいのか、北海道の羊の焼肉より数段うまいのです。
宗教的戒律のない漢民族は、北京料理に飽きると回族食堂にはいります。漢族は羊に違和感を持たないのです。北京料理にも羊肉のシャブシャブがあり、真ん中に炎抜きの煙突がついた火鍋を用いで卓上鍋で煮て食べます。
共産党独裁の中国でも回族はその伝統的食習慣を守りながら悠々と生きているのです。政府を攻撃しない限りイスラム教は許されているのです。
多民族の混じっている中国では食習慣が民族のアイデンティティーになっているのです。
@アメリカのベジタリアン文化
アメリカのベジタリアンはインド人が持ち込んだに違いないと思います。そして日本の寿司同様に、ダイエットによいという理由で全米に広がったようです。
ファミリーレストランでもベジタリアン・メニューが必ずあります。
それを頼んでみました。すると最初に出て来る野菜サラダが素晴らしいのです。レタス、赤ピーマン、セロリと種類が多いだけでなく、ドレッシングに各種の香料を惜しみなく使い、普通メニューのサラダより味も一段と冴えています。
メインデイッシュは種々の豆類をシチュー風に煮てカレー風味で仕上げたものでした。
デザートは数種の果物を氷とともに砕いて新鮮なジェラード風にしたものが何種類もメニューに載っています。
料理は作る人の愛情と誠意がこもっていると美味しくないると言いますが、アメリカのベジタリアン・メニューは普通のメニューのものより誠意がこもっているようでした。
あるとき、日本でインド人のお客さんを少し高級なレストランへ招待したことがありました。当然ベジタリアン・メニューがあると信じていたのですが、それが無いのです。
アメリカでのベジタリアンのメニューを説明し、急ぎ作ってもらいました。お客は礼儀上おいしいと言って食べてくれたが、食べてみると誠意がこもっていない味付けである。
日本人は明治維新までは仏教の影響でベジタリアンに近い食文化を持っていた筈です。しかし不味いサラダを味見して、この時ほど日本の文化の浅さにガッカリしたことは忘れられません。
現在の日本のグルメブームには思想や宗教に対する配慮が無さ過ぎます。
文化と言えば音楽とか絵画だけではありません。食文化も同じように重要なのです。そしてその文化は多くの民族の信じている宗教とも密接に関係しているのです。奥の深い文化の一つの分野なのです。
三枚の写真は中国国内に住んでいる回族の写真です。顔をよく見ると漢族と同じです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

上の写真の回族の子供の写真の出典は、http://www.glulu.com/cate/messages.asp?articleid=588 です。

上の回族の一家の記念写真の出典は、http://nx.cnr.cn/btwh/hxfq/201009/t20100907_507010422.htmlです。

上の回族の女性のファッションの写真の出典は、http://www.cnr.cn/2012zt/58/55/201209/t20120907_510856570.htmlです。
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退屈なので宇宙の写真を見ながら宗教のことを考えています

2014年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
宇宙が誕生してから現在までどれだけの時が経ったのでしょうか。
2003年、NASAの宇宙探査機WMAPによる計算したものによると、約137億歳と言われています。この値は、他の放射年代測定を根拠に計算された110–200億歳や130–150億歳とする大雑把な推定値とも矛盾していないそうです。
2013年3月21日、欧州宇宙機関(ESA)は宇宙の誕生時期がこれまでの通説より1億年古い、約138億年前であると発表したそうです。今後も観測精度の向上による年齢の詳細判明が期待されると考えられています。
そして一方、我々の住む地球は46億年前に出来たのです。
宇宙の半径は460億光年で、天の川銀河系の半径は5万光年で、隣のアンドロメダ銀河までは250万光年も離れています。
そして宇宙には地球から観測可能な範囲(光が届く範囲)に、少なくとも1700億個の銀河が存在すると考えられています。
それでは宇宙の写真を見てみましょう。

(写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99 )
上の写真は130億年前(ビッグバンから4億–8億年後)と推定されている宇宙の画像と説明されています。
現在までに撮影された中で最も深い宇宙の画像です。
誕生後4–5億年の銀河が、1万個以上も映し出されており、通常の渦巻銀河や楕円銀河に混じるようにして奇妙な形の銀河も多数映し出されており、宇宙初期の混沌の中で銀河同士が影響しあっていた状態が映っている、と考えられているのです。
このWikipedea「宇宙」に出ている宇宙の写真を説明文の高解像度画像を選択し、最後に + 印の虫眼鏡ポインタンをクリックすると画像が特大写真になり、ひとつひとつの銀河をはっきりと見ることができるのです。その二つの例を下の写真で示します。



退屈した時はこの宇宙写真の特大図のあちこちを眺めています。いろいろな銀河系が千差万別の色合いで渦をまいたり、平面上を回っているように見えたりして興味がつきません。

それはさて置き、この1387億年の歴史を持つ広大な宇宙に対する無宗教者、仏教徒、キリスト教徒の考えを書いてみます。
(1)無宗教者
現在の人類につながる新人が生まれたのは約20万円前です。
神は人間が考えた空想のものですから宇宙の全ては単なる物理現象と化学現象です。
宇宙のすべてのの星や惑星は人間の科学の進歩で理解が詳細になるだけです。
人間の死は宇宙の中の小さな、極く小さな生物現象に過ぎないのです。
(2)仏教信者
お釈迦様はこの世の全てのものは必ず変化する。そして変化こそが物質の本質なのですと教えてくれました。
宇宙の中で星が生まれ、惑星が生まれ、お互いに衝突し、やがて消滅して行くのもお釈迦様の教え通りなのです。
ですからお釈迦様の教えは真理なのです。私はお釈迦様が全ての知恵の本質と信じています。その知恵を少しでも自分のものになるようにと毎日、お経を唱えています。
人間の死も宇宙の中の極く小さな変化の一つだけです。悲しむほどのことではありません。
(3)キリスト教信者
ただ独りの神様が136億年以上前から存在していて全宇宙を作ったのです。
半径460億光年というとてつもなく大きな宇宙の隅から隅まで作ったのです。
20万年前に人間を作りました。そして2000年前にイエス様をこの世に送ってくれたのです。
神は人間をも愛しています。その愛はイエス様を通うして、より一層強く人間へ働き掛けているのです。
人間の死はこの世から神様の足元に呼び集めてくれた結果起きるのです。
そして最後の審判の時、全ての人間は復活して生き返るのです。
===============================
さて皆様は上に書いた3つのうち、どれがお好きでしょうか?どれを信じているのでしょうか?
その答えは他人へ言う必要など一切ありません。時々、自問自答してみれば良いだけの話です。
ところが答えは明確でないのが普通です。上の3つとも好きな人も多いのです。その上、神道や道教のような民族宗教も好きな人も多いのです。
そんな事も含めて宗教のことを狂信的ならない人が人生の達人なのかもしれません。
達人は狂信しません。達人は宗教を軽蔑しません。達人は人を非難しません。
達人は全ての他人を許します。そして悠々と日々を過ごしているのです。
私もそういう達人になりたいものです。
以上は雨に振りこめられて家で退屈している小生の雑談ですので真偽の保証は御座いません。お許し下さい。

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日本文化の変容と鮭の遡上増加・・・自然環境保護の思想が文化を変える

2014年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
この世のもので変わらないものは無いと教えてくれたのはお釈迦様です。
いろいろな民族の背負っている文化も例外ではありません。
日本民族の背負っている文化も明治維新と第二次世界大戦の敗北によって大きく変化しました。このようなドラスチックに大きな変化は珍しい現象です。普通は文化は時代の流れにしたがって静かに変化して行くものです。知らず知らずの間に文化の質が変わるのです。それを私は文化の変容と定義します。
知らず知らずのうちに変わるので20年、30年たってから気がつくと非常に大きな変容だったとしみじみと理解出来るのです。
ここ20年、30年の間に日本の文化もいろいろと変容しました。
その一つが環境保護思想の強化傾向です。
人々は経済成長とそれに伴う贅沢な食文化を犠牲にしても環境の保護の方が重要だという文化に変わったのです。これも一つの文化の変容です。
それを示す一つの具体例が日本全国の川へ鮭を再び呼び戻そうという社会運動です。稚魚を何万、何十万匹と川へ放流して、数年後に帰ってくるのを待つという社会運動です。遡上する鮭を取って食料にするのではありません。見て楽しんで環境の浄化の進み具合を観察しているのです。
ご存知のように鮭は秋になると川を遡上し、産卵をします。日本海側では北海道から北九州の川へ遡上します。太平洋側では北海道から東京の多摩川にかけて川に遡上し、産卵します。
川へ鮭を呼び戻そうという社会運動の結果、関東地方の河川にも鮭の遡上が増え続けています。
そうして利根川の大堰でも2011年には16000匹近くまで遡上しました。
私の故郷の仙台の広瀬川でも毎年5000匹も遡上しています。
多くに人はこの事実に気がつきませんでした。そこで以下に遡上増加の様子を示す図面を掲載いたします。

上の図面の出典:http://blog.livedoor.jp/hitokoto2ch/archives/1630561.html
鮭の遡上は東京の真ん中を流れる多摩川でも見られるようになっています。
下は多摩川の河口で取れた鮭の写真です。
そして下に多摩川に放流したシロザケの数と発見されたシロザケの件数です。

上は1997年10月15日に羽田付近で捕獲されたシロザケです。図面の出典:「多摩川鮭の会」http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/2024/hmng.html

上の図面の出典::「多摩川鮭の会」http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/2024/hmng.html 。
関東地方は利根川だけでなく那珂川、桜川、鬼怒川と多くの川で鮭の遡上が見られます。中でも有名なのが茨城県筑西市の勤行川の鮭の遡上です。以下に関連の写真をしめします。

茨城県筑西市の勤行川の鮭の遡上の祭りと鮭の写真の出典:http://blogs.yahoo.co.jp/satyricon1968/folder/1144183.html

最後に私の故郷の仙台の広瀬川での鮭の遡上に関する運動をご紹介いたします。それは仙台市広瀬川サケプロジェクト:http://www.hirosegawa-net.com/mirror/taiken/new/v12/1202.html です。

毎年、5000匹前後ものサケが遡上してくる広瀬川です。これだけのサケが遡上してくる大都市の川というのも、全国には他にありません。牡鹿半島沖に浮かぶ金華山で二分された潮の流れが仙台湾で合流し、真水と海水とがちょうどよく混じり合う条件の良さもあって、広瀬川(名取川)をはじめ阿武隈川や北上川など、宮城県内では遡上するサケが多いそうです。
なお広瀬川に遡上した鮭の動画:http://www.youtube.com/watch?v=9yq4wj0rMNA も是非ご覧下さい。
その他の全国の鮭の遡上に関する情報については、「サーモン・ミュージアム」:http://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/environment/10.htmlをご覧下さい。
さて鮭の遡上を促進する社会運動の影響は次第に大きくなると思います。卑近な例で言えば日本人は近い将来鯨を食べなくなるでしょう。和歌山の太知漁港の伝統的なイルカ漁も消えるかも知れません。
そして環境保護の思想は深い所で原発反対運動にも影響を与えているのです。
この様にして日本民族の文化も時代の流れにしたがって静かに、静かに変容して行くのです。
この世のもので変わらないものは無いと教えてくれたお釈迦様のお言葉通りです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)
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今年の紅葉の色は鮮やかに冴えています

2014年11月28日 | 写真
今年は紅葉や黄葉が冴えた色になりました。紅葉の当たり年ですね。
今年は寒さが急に来たせいか紅葉が鮮やかです。
ここ数年来一番冴えた美しさを見せています。
今日も紅葉に浮かれて公園を歩いてきました。
近所の公園のイチョウも美しい黄葉を見せてくれています。
お送りする写真は昨日、小平市運動公園で撮ったイチョウの黄葉です。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。









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初冬の風物詩、干し柿作り、村上の鮭、信州の寒天干し

2014年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
読めば気持ちが晴れ晴れする。気分が良くなる。そして最後にちょっと考え込む。
そんな記事を毎日書きたいと思いっています。
今日は初冬の風物詩としての干し柿作りの風景、村上の塩鮭作りの風景、そして信州の寒天干しの風景を取り上げました。
毎年、この時期になると農家の軒先に干し柿が釣り下がります。その光景は見ていただけで心が暖かくなります。寛ぎます。そのような故郷の思い出があるのか都会の家でも干し柿を作る人が多いようです。
我が家では孫達が作りました。今年は寒かったのでカビも生えないで美味しい干し柿が出来ました。皮を剥いて紐で結んだら熱湯に入れて消毒して吊るします。寒い風にあて日光で乾し上げます。寒い信州や東北地方では作りやすいのです。干し柿が農家の軒先にある風景写真を下に示しました。

新潟県の村上の三面川(みおもてがわ)での鮭の遡上が始まりと塩引き鮭を作ります。鮭の町、村上ではそれぞれの家庭で塩引き鮭を作るそうです。村上市庄内町は「鮭塩引き街道」として有名です。私は行ったことはありませんが毎年この時期になると大きな塩引き鮭が軒先にぶら下がっている風景写真が新聞にでます。
そうすると北海道の川をさかのぼっている数多くの鮭たちの写真を思い浮かべるのです。ヒグマがその鮭を取っている知床の川の風景を連想するのです。東北海道の標津へ旅した時サーモンセンターという立派な建物があり、種々の生きた鮭が遡上する様が見られて感動しました。
寒い季節の到来です。雪が野山を覆う風景を思います。ですから村上の塩引き鮭の風景は私にとって初冬の風物詩なのです。下に村上の塩引き鮭の写真を示します。

そしてもう一つは信州の雪の田圃に広がる寒天干しの情景です。寒天とは冬の空を意味しています。
テングサをを大きな釜で煮溶かし、四角形のトコロテンを凍らせては干し上げるのです。カビたり腐る前に干しあげるためには寒風が吹き太陽光の射す信州でないとうまく行きません。昔、信州を旅した時に雪の田圃にえんえんと広がる寒天干しの光景を見たことがあります。そんな光景の写真を下に示します。

信州の寒天作りに関して面白い話があるので下の参考資料につけてあります。
さて最後に縄文時代からの日本の食べ物について考えてみましょう。
干し柿と塩引き鮭は縄文時代から作っていたと思います。柿は野生の渋柿を採集して来て竪穴式の家の周りで干したに違いありません。石器のナイフで皮は剥いたのでしょうか?
鮭が現在より多量に日本の川をさかのぼっていた筈です。しかし塩は貴重品でしたから塩引きではなく単に干し上げただけだったに違いありません。
この3点の食品は皆天然のものです。自然食品です。自然に対する憧れと感謝を感じさせるのです。ですから気持ちが晴れ晴れしま。気分が良くなるのです。そして最後にちょっと考え込みます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
干し柿の写真の出典: https://ssl.yamagatakanko.jp/gallery/…/img/food/food012.html
村上の鮭の写真の出典:
http://www.senamiview.com/blog/log/eid196.html
寒天干しの写真の出典:http://homepage1.nifty.com/hottayukio/syasin/KANTEN.htm
====寒天の歴史====================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%92%E5%A4%A9 より抜粋:
江戸時代初期の1685年(貞享2年)、現在の京都府伏見において旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が、戸外に捨てたトコロテンが凍結し、日中は融け、日を経た乾物を発見した。これでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができた。
これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒空」や「冬の空」を意味する漢語の寒天に寒晒心太(かんざらしところてん)の意味を込めて、寒天と命名したという。
その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広める。さらに、天保年間(1830年から1843年)に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着した。
1881年(明治14年)、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えた。このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であったが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止した。
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国木田独歩も見たと思う武蔵野の黄葉

2014年11月27日 | 写真
私は仙台生まれ仙台育ちなので青春のころはまだ見たことの無い武蔵野の風景に憧れていました。国木田独歩の「武蔵野」という随筆集を読んで憧れていたのです。
その後結婚して武蔵野に50年くらい住み続けていますが、今でも「武蔵野」の風景を求めて彷徨っています。
今日の玉川上水沿いの散策でも無意識のうちに武蔵野の黄葉を探し求めていました。
そしてその玉川上水の下流の武蔵境の雑木林の中に国木田独歩の「武蔵野」の記念碑が立っているのを思い出していました。
国木田独歩の「武蔵野」を読んだ方々には武蔵野に憧れる私の気持ちがお分かりと思います。
そんなことを思い起こさせる玉川上水近辺の武蔵野の黄葉の写真を一枚お送りいたします。今日の午後に撮った写真です。
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玉川上水沿いの黄葉の写真をお楽しみ下さい

2014年11月27日 | 写真
昨日までの冷たい、暗い雨が嘘のように晴れ上がりました。
午後から小平運動公園から玉川上水沿いに上流に向かって新小川橋まで散策しながら、見事に黄葉したケヤキ、クヌギ、コナラなどの雑木の写真を撮ってきました。例によって家内はランニングをしていました。
江戸幕府の遺してくれた貴重な自然遺産です。往復5.2Kmを歩きました。
玉川上水沿いの黄葉の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。














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今度の衆議院選挙で誰に投票しますか?

2014年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム
Face Booに私は春洋 塩本さんという尊敬している友人がいます。大学で政治学を専攻した方ですが選挙では経済のことが分からないので誰に投票したら良いか迷ってしまうという内容のコメントを頂きました。
特に安倍総理は「アベノミックスの評価を問う解散だ」と力説としているのです。彼の首相としての華々しい外交の成果は問題にしないで国内経済政策だけを国民に問うているのです。
日本人は国際政治に関心がなく日々の暮らし向きだけに関心があると判断して選挙に臨んでいるのです。国民のレベルをいささか低く見過ぎているようで尊敬できません。
何故このような選挙戦になるのかを考えてみました。
簡単に言ってしまえば日本の民主主義の成熟度が世界で22位という低いレベルにあるからです。以下にそのランキングを示します。
2010年に、イギリスのある調査機関が、民主主義成熟度で世界の167ケ国のランキングを作りました。
167カ国の全てを掲載するのは長くなりますので、以下のように途中を適当に省略して示します。
このランキングの評価には民主主義の成熟度を示す5つの項目にそれぞれ10点満点の点数で示し、その平均点で決めました。
5つの指標は、選挙過程の民主的か?、政府の機能が民主的か?政治参加が民主的になっているか?、政治風土が民主的か?市民的自由度が民主的に保証されているか?の5項目です。
以下は「民主主義成熟度のランキング」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%8C%87%E6%95%B0 からの抜粋です。
1 ノルウェー : 完全な民主主義 君主制
2 アイスランド:民主主義 共和制
3 デンマーク: 完全な民主主義 君主制
4 スウェーデン:民主主義 君主制
5 ニュージーランド: 完全な民主主義 君主制、英連邦構成国
・・・・・・・・・・・・
14 ドイツ: 完全な民主主義 共和制
・・・・・・・・・・・・
17 アメリカ合衆国: 完全な民主主義 共和制
18 イギリス: 完全な民主主義 君主制
・・・・・・
20 大韓民国: 完全な民主主義 共和制
・・・・・・・・・・・・・・
22 日本:完全な民主主義 君主制
・・・・・・・・・・・
36 中華民国: 欠陥のある民主主義 共和制
・・・・・・・・・・・
136 中華人民共和国:独裁政治体制 共和制
===========================
日本の政治の世界は旧態依然なのです。
最近、小渕優子大臣が有権者に自分の写真のラベルを張り付けたワインを有権者に贈ったので大臣を辞任しました。秘書が勝手に配ったそうです。
日本の政治の世界の舞台回しは議員秘書達がします。
しかし秘書達は選挙の洗礼を受けないのです。義理人情にしたがって暗躍しているのです。その選挙運動の実態は誰にも分からないのです。
その上、日本の行政を担当する官僚達の世界も旧態依然としたものなのです。
多くの方はご存知ないと思いますが全国の県庁へは中央省庁の官僚が係長や課長や部長として派遣されているのです。県庁の商工局の課長や部長は経済産業省から2、3年間派遣される中央官僚が担当します。勿論、交代で県庁育ちの地方官僚もなります。
これは戦前の内務省が知事や県庁の部局長を派遣していた伝統を墨守しているのです。
そしてこの官僚組織と政治家の組織が組んで日本という国を動かしているのです。
民主党の菅直人さんは市民運動家だったので官僚の重要性を無視しすぎました。
Face Bookで尊敬している春洋 塩本さんが選挙では誰に投票したら良いか迷ってしまうというのは正直です。正直にものを言う人は立派な方です。
日本の政治的風土を知れば知るほど日本の民主主義成熟度ランキングが韓国の下の22位であることが実感的に納得できます。今日の挿絵の写真は皇居の写真、国会議事堂の写真、衆議院の議場の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)







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今日は久しぶりに車で東京駅まで行ってきました

2014年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
運転は私の趣味で大好きですが、都心はなるべくは敬遠しています。しかし今日は東京駅の地下のビアホールで大学時代の同級生との昼食会があります。八重洲口の地下駐車場が広いので毎回車で行きます。
思い返すと我々30名は1958年の3月に東北大学の金属工学科を一緒に卒業しました。
30名のうち3名は亡くなりましたが残りの27名は健在で全国に住んでいます。関東地区に住んで居る同級生が3ケ月毎の昼食会に集まります。もう10年近く続いています。始めた頃は16名以上集まりましたが次第に減って、今日は6名だけでした。
それにしても卒業以来、茫々56年です。時代の変化に驚いています。昔の同級生と一緒に座っていると我々が大学生だった頃のことをいろいろ思い出します。走馬灯が回るように思い出されるのです。楽しい昼食会でした。
同級会の写真を出したいのですが、止めました。後期高齢者・晩期高齢者の写真は遠慮したほうが良いと思います。そのかわり先日、都立薬草植物園の裏の雑木林で撮った黄葉の写真をお送りいたします。





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gooブログの読者の方々へ深く感謝いたします

2014年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後2時頃にOCNブログからこちらのgooブログへ引っ越して参りました後藤和弘と申す者です。
そういたしましたところ昨日のランキングが210万のブログの中で966位になりました。閲覧数は1073で訪問者数は474人でした。大変上位のランキングになり嬉しく思います。
OCNブログからこちらに自動的に誘導するシステムにしましたので以前のOCNブログの読者もこちらのgooブログをご覧下さったものと思います。
そこでこのgooブログの読者の方々へ深く感謝いたします。本当に有難う御座います。
どうぞ今後もよろしくお願い申しあげます。
私は2007年11月から丸7年間、毎日記事を掲載してきました。その理由はただ一つです。ブログの世界には個人の自由と平等があるからです。お互いに自由の尊厳を守り、どんな人々も完全に平等な社会こそ最も幸せな社会だと信じています。その理想に近いのがブログ社会ではないかと思っているのです。
自由と平等は個人の問題だけにとどまりません。この地球上の全ての民族は平等であるべきです。武力に頼るのではなく、それぞれの民族の知恵で自由に生きて行くべきです。
文化人類学者、ルース・ベネディクトが言ったように、すべての民族文化には優劣が無いのです。
そこで私は中国や韓国の優れた文化をいろいろ紹介して来ました。最近、日本でみられる中国や韓国を蔑んだ意見の間違いを指摘してまいりました。
それにもかかわらずこのブログを多くの方々がお読みになって下さったのです。私の記事の内容を非難するコメントは非常に少なかったのです。丁寧な言葉使いで反対したコメントは時々ありました。私はそれを尊重してブログ本文欄に再掲載してご紹介してまいりました。
私は感謝しています。そして日本人の良識と品格の高さを誇りに思っています。
今後もすべての民族文化には優劣が無いという原則は変えないで記事を書いて行きたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
感謝の気持ちを込めて今年見た一番の紅葉の写真を3枚お送りいたします。10月27日に甲府の昇仙峡で撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)




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冬ですね。お花の写真をお送りします

2014年11月25日 | 写真

五年前の今日はブログでこんな記事を書いていました。
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「冬ですね。お花の写真をお送りします」
2009年11月25日 | 写真

色々な花々の季節も終り、落ち葉が風に舞う季節になりました。なんとなく淋しくなって来ましたので、お花屋さんの店先の花の写真をお送りします。昨日、家内とシクラメンの花を買いに行った店です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。





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武蔵野ダルクの渡辺肇さんからの重要なコメントをご紹介いたします。

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
こんにちは。私は武蔵野ダルクの渡辺と申します。
この活動を始めて約2年が過ぎて、活動をとうして、初めてカトリック東京教区の例えば、教会などと関わりが出来てきて、そして、初めて様々な事を感じてもいるので、ここに辿りつき、投稿してみようと思いました。
私自身は両親共にカトリック信徒でした。府中のカトリック墓地に入り、そうした事も含めて、イエスのカリタス修道女会本部のホームページの中の家庭の絆の中の下に、バツクナンバーがあり、薬物依存を乗り越えて。があるので多くの人にご覧になっていただきたいと思います。ダルクは今や有名になりました。素晴らしい福音宣教です。私は昔、両親に反発しプロテスタントの洗礼を受けた事がありましたが、改宗して、やがて神の国に入る時に、長年、共に住み、生活を共にしたロイ神父や両親と同じところにいき、神の元へいく為にすつきりしたのです。そして武蔵野ダルクの活動をスタートしましたが、活動を初めて、カトリック東京教区で、ダルクの真実。が一切しられていない事に驚きました。
今は内閣府の会議にも参加し、警視庁や、司法、法務省と共連携して活動するダルクが知られていないのに驚きました。

私は、19歳でダルクに繋がり、カトリックのメリノール宣教会へ行くと、そこには、一組の中国人家族がいました。赤ちゃんもいました。ロイさんに聞くと、これからアメリカに亡命する人達と言われました。30年前の事です。
その後、ロイさんのダルク事務所の仕事を手伝い、アメリカ大使館の人達も来ました。ロイさんは、東京にあるカトリック教会はフランシスカンチャペルセンターにだけ一諸にいき、その後一諸にアメリカにいき、NYの国連にいたメリノール会の神父にも協力してもらい、NY、またレンタカーでフイラデルフイアの教会を80.90年代と周り、日本のダルクの活動を支援してもらいました。
アメリカの人達は、日本社会がいかにタイト。であるか、12ステツプによる回復支援が必要か、話してました。それは日本社会の構図の問題でした。
そのあと、28年近く、ダルクはアメリカの教会の人達に支えられました。
今、武蔵野ダルクの活動を初めて、カトリック東京教区で支援をお願いする時、あるアメリカ人が私に言いました。この問題は、日本。東京の問題なのに、いつまでアメリカに頼つているのか。東京の教会も自立しなさい。と。しかし、教会を周り、実際にダルクの活動を、この問題を、知らない人がほとんどなばかりか、社会よりも、教会の方が、偏見や差別が普通にあるのに驚きました。そして悲しいな。と感じています。
宣教も、福祉問題も、社会の人達は、日本の最先端をいくダルクに、武蔵野ダルクの人達に。といい、なんでも聞いてきます。病気の事や、福祉問題なども、警察も法務省の人達も、どうすればいいか。と聞いてくれます。また、ロイさんといてカトリックでしょう?カトリックつてどうなんですか?なども良く聞かれます。答えは、カトリックは開かれています。東京も今武蔵野ダルクはスタートした。他宗教も、国も皆でこの問題は取り組むべきです。病気である。という事です。ただ宗教では虫歯は治らない。信仰は大事で、良い宗教は良いがまず病気の事と、何がどう問題か、学ぶことです。と説明します

キリスト教の土壌のない国というのは、歴史をみてもそのとうりだが、私は、教会を批判するつもりもまつたくないし、どちらかと言うと、私自身、教会では、静かに祈るのが好きな方です。
しかしあらゆる差別は無知からきます。社会の中で様々な人達と今、この武蔵野ダルクの活動をどうしていこうかと話すとき、教会の人達が知らない。では、寂しい話しです。
神の霊は貧しい人たちの上にいる。とはロイ神父の言葉です。
今、公立の学校が私達を呼び、様々な問題を話しています。PTAや教育委員会も私達を呼び共に考えて取り組んでいきましょう。と話しています。
どんな人も同じ人間です。法務省の人が私に言いました。東京のカトリックがこの問題に関心持つとロイさんも天国で喜びますね。。と。
カトリックも組織でこの社会も同じでしょう。しかし、本当に平和を祈るならば私達の活動に目を止め、まず知つてほしい。と願います。
この活動に関わると教会には新しい人達が目を向けて、そしてきます。
ほんとうです。
沢山新しい人達が教会に来ることを願つています。

神に感謝
武蔵野ダルク
渡辺肇
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「後藤和弘/藤山杜人のブログ」は「後藤和弘のブログ-gooブログ」へ引っ越しました

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2007年11月に始めました、「後藤和弘/藤山杜人のブログ - OCN」(yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/)は2014年11月25日の今日、ただ今、「後藤和弘のブログーgooブログ」へ引っ越しを完了いたしました。

2007年以来、ご支援頂き、数々の貴重なコメントを頂きましたことに心から感謝いたしています。
ブログを始めた2007年から掲載した全ての記事と写真はすでにこちらのgooブログの方へ引っ越しが完了しています。 このブログは、「後藤和弘のブログ」と称して、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama で御座います。

gooブログの皆様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
挿絵として添付した写真は千葉県保田港で2008年に撮ったハンス・クリスチャン43の姿です。艇長の毛利さんと一夕一緒にこの美艇で飲んだ思い出の深い写真です。

どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。敬具、後藤和弘
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季節の風物詩、冬の渡り鳥、白鳥への想い

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
自然は美しい。自然は不思議さに満ちている。そして何故か詩情を感じさせる。
冬の渡り鳥の姿を見ているとシベリアから渡って来たその飛来の旅のつらさが偲ばれます。そしてその大地に広がる湿地帯や白樺の樹林の風景が目の前に浮かんできます。
特にコハクチョウは数も多く、全国の川や湖に飛来して人々の目を楽しませてくれます。
白鳥の渡来地として全国的に有名なのは新潟県」阿賀野市の瓢湖(ひょうこ)です。故吉川重三郎氏が日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したことで、注目を浴びま有名になりました。
その後、国の天然記念物に指定され、平成20年にはラムサール条約登録湿地となりました。毎年11月下旬頃のピーク時には5,000羽を超える白鳥が飛来するそうです。下にその瓢湖(ひょうこ)の白鳥の写真を示します。

(写真の出典は、http://www.niigata-kankou.or.jp/sys/data?page-id=10803です)
瓢湖の吉川重三郎さんは昭和29年(1954年)2月4日に、日本で初めてハクチョウの給餌に成功したのです。
当時、私は高校生でしたが、戦後の暗い社会でこのニュースは復興の希望の灯のように感じました。多くの人々もそのように感じたらしくて新聞は瓢湖の記事を大々的に報道しました。家内の祖母はこの記事を読んで、毎日茶殻を乾して貯めては郵便で送っていたそうです。
多くの高齢者にとって瓢湖の白鳥は忘れ得ない明るい希望の風物詩だったのです。現在、瓢湖の白鳥は吉川重三郎さんの息子の吉川繁男さんが餌を与えて大切に保護しています。重三郎さんは2006年に85歳で他界しました。
現在の日本では白鳥は数多く各地に渡ってきますので、それほど珍しくいはありません。
しかし私は特別な思い入れがあるので現在でも時々車を駆って見に行きます。
下は霞ヶ浦で2007年に私が撮った冬鳥の写真です。

白鳥、鴨類、ゆりかもめ、鳩などが混じって日向を楽しんでいます。ほかにオシドリ、カイツブリ、川鵜、小白鷺がよく遊んでいました。

下は美しいユリカモメです。

そして下はコハクチョウが大空を飛んで渡っている姿です。

(写真の出典は、http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2012:10:09:4948です)
最後に個人的は話で恐縮ですが、昔ドイツに住んでいたころは川や湖で白鳥を沢山見ました。2人の子供連れで住んでいたので子供たちが喜ぶのです。白鳥のほうから近づいて来て子供達と遊ぶのです。白鳥を見ると、まだ若かった家内がパンをちぎって投げていたドイツの生活を思い出すのです。
冬の白鳥は風物詩です。日本の戦後の復興の灯でした。私の家族の楽しい思い出です。この冬も白鳥を見に行こうと考えています。下に日本の渡り鳥の参考資料をつけます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料:日本の渡り鳥===================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E3%82%8A%E9%B3%A5からの抜粋:
地域をどの範囲まで広げる(狭める)かによって、同一の鳥でも異なる分け方になる場合があるが、日本を基準とした場合、以下のような分け方となる。
夏鳥:主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。冬鳥:主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥:日本より北の国で繁殖し、日本より南の国で越冬するため、渡りの移動の途中に日本を通過して行く鳥。主として移動時期である春と秋に見られる。シギ、チドリの仲間に多い。
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