インドネシアの民族の構成は、ジャワ人45パーセント、スンダ人14パーセントなどが中心ですが、350あまりもの民族で構成されています。日本と非常に違うことは国民を文化的に統一しようとしないことです。ですから350あまりの民族がそれぞれの伝統的文化を保持しています。インドネシアの特徴は多くの島や農村地帯に多様な文化が並列しています。この状態は日本と非常に違います。
例えば都会には高層ビルが並んで車が溢れていますが、ちょっと地方に行くとそこには原始的な生活をしている民族が活き活きと暮しています。電気・ガス・水道がなくても幸せに暮しているのです。
1番目の写真はジャワ島にある首都のジャカルタの風景です。インドネシアの都会は高層ビルや車が多いのです。中国の北京や上海の高層ビルの並んだ風景に似ています。
このジャカルタから4時間で行ける山村にバドゥイ族という少数民族が幸せそうに暮らしているのです。
今日はバドゥイ族の村に泊ったlifenesia.さんの体験記をお送りしたいと思います。
以下の文章と写真の出典は、『少数民族の生活に1日密着!』、https://lifenesia.com/?p=2430 です。
ジャカルタから約120キロ、ジャワ島の西端バンテン州『Kenekes村』の山中にバドゥイ族は住んでいる。ジャカルタから列車で2時間のランカスビトゥン駅に行き、さらに車で2時間の場所に彼らが住む村がある。片道約4時間だが、ジャカルタからわずか4時間の距離にそんな秘境があることにも驚かされる。
車が到着したところがバドゥイ族が暮らす村への入口。車で行けるのはここまで。
ロータリーの真ん中にバドゥイ族の銅像が立ち、まわりには食堂や名産の蜂蜜などを売る土産屋があり、いかにも観光地的な雰囲気。周辺には多くのインドネシア人観光客に混じって、バドゥイ族の姿も見かける。見分け方は簡単、頭にバティック布を巻き、腰巻き姿、そして裸足でいるのがバドゥイ族だ。
村まではアップダウンの道が続く。獣道ではなく、一部を除き、ちゃんと石が敷かれている。コンクリートが禁止ですべて人力によって作られたもの。
2番目の写真は村までのアップダウンの道の様子です。獣道ではなく、一部を除き、ちゃんと石が敷かれている。コンクリートが禁止ですべて人力によって石で作られたもの。
3番目の写真はバドゥイの典型的な家です。家の壁は竹で編まれている。地面(土)は神聖なものゆえ、杭を打ち込むことはない。それゆえに置石が家の土台となる。
4番目の写真は靴を一生履かないバドゥイ族の父と息子です。グローバル化が加速する現代に、ITはおろか文明すらも拒み続けるのが、今回の取材先のバドゥイ族だ。彼らの村には電気も水道もない。極め付けは靴を履くことも禁じられた裸足での生活。
5番目の写真は少しばかりの商品を並べた村の店です。
6番目の写真は自然素材のみで作った竹橋です。ワイヤーロープ他、すべて金属類の使用禁止。
7番目の写真は村の入口付近で野菜のかき揚げを作っていた『外バドゥイ』の女性たち。村の入り口脇にいた外バドゥイ族は戒律がゆるいせいか、一般的なインドネシア人と同様に揚げ物も作る。鶏の姿焼きを焼いていて、『意外と豪華な食事!』と思ったら、これははハレの日の特別メニューとのこと。『外バドゥイ』とは外国人が入っていける村に住んでいるバドゥイ族です。これに対して『内バドゥイ』は立入厳禁の奥地の村に住んでいるバドゥイ族です。
8番目の写真は集落から少し外れた竹林に建つコメの保存用の小屋です。住居から離れたところに複数箇所に小屋がある。理由は、住居で火災が起きても主食のコメは死守するという、古くからのバドゥイ族の教えらしい。名産のハチミツやバティック布と違い、コメは外部への販売を禁止するオキテもある。
以上の写真で示したようにバドゥイ族は文明の力を拒み、シンプルな生活を営む少数民族なのです。
村に観光客用の宿泊施設はない。必然的にバドゥイ族の家にホームステイすることになる。頼めば食事も提供してくれ、簡素な板の間で寝ることになる。深夜、早朝は冷え込むので寝袋など持ち込むといいだろう。宿泊料など決められているわけではないので交渉することになるが、数万ルピアほどで問題ないだろう。
村の宿泊で思ったことは、現在、世の中の大半のモノが無くても人は生きていける。早寝早起きが生む健康、家族と過ごす貴重な時間の尊さ。退屈と心の豊かさは紙一重だ。きっと人生や幸せの本質を考える貴重な体験となる。是非一度訪れて欲しい。
男は農作業、女はハタ織り、子どもはお手伝い。傍目には退屈な生活に思われるが、そこにはお金では決して買うことのできない、幸せの本質と豊かな時間があるかも知れない…
このように電気・ガス・水道がなくても幸せに暮す少数民族は日本には居ないのです。インドネシアのように多様な地方文化が存続している国の方が羨ましいと思う私の考えは間違ってきるのでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
例えば都会には高層ビルが並んで車が溢れていますが、ちょっと地方に行くとそこには原始的な生活をしている民族が活き活きと暮しています。電気・ガス・水道がなくても幸せに暮しているのです。
1番目の写真はジャワ島にある首都のジャカルタの風景です。インドネシアの都会は高層ビルや車が多いのです。中国の北京や上海の高層ビルの並んだ風景に似ています。
このジャカルタから4時間で行ける山村にバドゥイ族という少数民族が幸せそうに暮らしているのです。
今日はバドゥイ族の村に泊ったlifenesia.さんの体験記をお送りしたいと思います。
以下の文章と写真の出典は、『少数民族の生活に1日密着!』、https://lifenesia.com/?p=2430 です。
ジャカルタから約120キロ、ジャワ島の西端バンテン州『Kenekes村』の山中にバドゥイ族は住んでいる。ジャカルタから列車で2時間のランカスビトゥン駅に行き、さらに車で2時間の場所に彼らが住む村がある。片道約4時間だが、ジャカルタからわずか4時間の距離にそんな秘境があることにも驚かされる。
車が到着したところがバドゥイ族が暮らす村への入口。車で行けるのはここまで。
ロータリーの真ん中にバドゥイ族の銅像が立ち、まわりには食堂や名産の蜂蜜などを売る土産屋があり、いかにも観光地的な雰囲気。周辺には多くのインドネシア人観光客に混じって、バドゥイ族の姿も見かける。見分け方は簡単、頭にバティック布を巻き、腰巻き姿、そして裸足でいるのがバドゥイ族だ。
村まではアップダウンの道が続く。獣道ではなく、一部を除き、ちゃんと石が敷かれている。コンクリートが禁止ですべて人力によって作られたもの。
2番目の写真は村までのアップダウンの道の様子です。獣道ではなく、一部を除き、ちゃんと石が敷かれている。コンクリートが禁止ですべて人力によって石で作られたもの。
3番目の写真はバドゥイの典型的な家です。家の壁は竹で編まれている。地面(土)は神聖なものゆえ、杭を打ち込むことはない。それゆえに置石が家の土台となる。
4番目の写真は靴を一生履かないバドゥイ族の父と息子です。グローバル化が加速する現代に、ITはおろか文明すらも拒み続けるのが、今回の取材先のバドゥイ族だ。彼らの村には電気も水道もない。極め付けは靴を履くことも禁じられた裸足での生活。
5番目の写真は少しばかりの商品を並べた村の店です。
6番目の写真は自然素材のみで作った竹橋です。ワイヤーロープ他、すべて金属類の使用禁止。
7番目の写真は村の入口付近で野菜のかき揚げを作っていた『外バドゥイ』の女性たち。村の入り口脇にいた外バドゥイ族は戒律がゆるいせいか、一般的なインドネシア人と同様に揚げ物も作る。鶏の姿焼きを焼いていて、『意外と豪華な食事!』と思ったら、これははハレの日の特別メニューとのこと。『外バドゥイ』とは外国人が入っていける村に住んでいるバドゥイ族です。これに対して『内バドゥイ』は立入厳禁の奥地の村に住んでいるバドゥイ族です。
8番目の写真は集落から少し外れた竹林に建つコメの保存用の小屋です。住居から離れたところに複数箇所に小屋がある。理由は、住居で火災が起きても主食のコメは死守するという、古くからのバドゥイ族の教えらしい。名産のハチミツやバティック布と違い、コメは外部への販売を禁止するオキテもある。
以上の写真で示したようにバドゥイ族は文明の力を拒み、シンプルな生活を営む少数民族なのです。
村に観光客用の宿泊施設はない。必然的にバドゥイ族の家にホームステイすることになる。頼めば食事も提供してくれ、簡素な板の間で寝ることになる。深夜、早朝は冷え込むので寝袋など持ち込むといいだろう。宿泊料など決められているわけではないので交渉することになるが、数万ルピアほどで問題ないだろう。
村の宿泊で思ったことは、現在、世の中の大半のモノが無くても人は生きていける。早寝早起きが生む健康、家族と過ごす貴重な時間の尊さ。退屈と心の豊かさは紙一重だ。きっと人生や幸せの本質を考える貴重な体験となる。是非一度訪れて欲しい。
男は農作業、女はハタ織り、子どもはお手伝い。傍目には退屈な生活に思われるが、そこにはお金では決して買うことのできない、幸せの本質と豊かな時間があるかも知れない…
このように電気・ガス・水道がなくても幸せに暮す少数民族は日本には居ないのです。インドネシアのように多様な地方文化が存続している国の方が羨ましいと思う私の考えは間違ってきるのでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)