後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

マイフレのオヤジさんの抱腹絶倒の面白い作品をお送りします

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

『福島原発の仮想真実』

あのとき、
伝令 『所長、本社から海水注入を停めろといって来てますよ。』
所長 『なぜ?』
伝令 『再臨界になる可能性がゼロではないそうです。』
所長 『そりゃそうだろう。だから水を入れている。真水がなくなったから
    海水をいれてるんだ。誰が言ったって?』
伝令 『斑目さんです』
所長 『何者?』
伝令 『原子力安全委員会の委員長だそうです』
所長 『ああ、今はそういう名前の人がやっていたのか、安全委員会は。
    それでその人は、注入を停めれば再臨界の可能性がゼロになると言ったか?』


伝令 『私はそこまで知らされておりません』
所長 『それでは、、停めるわけにはいかないよ』
伝令 『えーっ!そんなこといえませんよ。』
所長 『そうれもそうだな。君は伝令だもんな。じゃあ、確かに伝えましたと伝えればよい。』

地震の日の自民党
 『こりゃー大きな地震だな。せっかく菅さんをいいところまで追い詰めてたのに、
 しばらくはダメだなでも、菅さんのことだから、この地震じゃお手あげだろう。すぐにボロを出すさ 。
 それを待とう。あの”政治”を知らぬ市民運動家ごときの手に負えるわけがない。
 すぐにお手上げになって、辞任すると言い出すさ。』

地震の日の首相官邸
菅 『あすこには原発があったな。すぐ東電と東北電の話を聞いてくれ』
官房長官 『東北電は無事らしいですが、東電は想定をはるかに超える事態だから、手を引くと言ってます。』
 筆者註 (想定外ならば、現行法では免責になる)
       
菅 『なんだと!信じられん。すぐ呼びだせ。いや、彼らを待てばいつ来るか分からん。私が行く』

東電で、
菅 『手を引くだと?! そんなバカなことを言っているとすぐにでも潰れるぞ。』
  (筆者註・潰すぞと言ったかも。イラ菅の面目躍如)

官邸に戻ってから
菅 『あんな頼りない本社に任せておくわけにはいかない。私がが行って現場を見てくる』

現地から戻って
菅 『あそこの所長なら本社より頼りになる。さて、津波だが、何万人もが
  流されたそうだな。
  私は津波をやらなきゃならんから、枝野くん、東電は頼んだよ。本社より、
  現場の方が頼りになるからな』

自民党
  『そーらみろ、さっそくボロを出した。こんな大事なときに官邸を空けて、東電に

   行って、はしたなく怒鳴り散らしたかと思えば、またもやヘリで福島くんだりまで
   飛んだそうじゃないか。こういうときは、官邸にどっしりと腰を据えて、理路整然と対処
   するのが将たるもののあるべき姿だ。菅さんはその器ではない。』
  筆者註 あなたがその器なの? 違う? じゃ、誰なの? ・・・・
      どっしりと腰を据えていて東電本社が動いたと思う?あなた想像力不足だねー。
      将の器かどうか知らんけど

菅さんが谷垣さんに電話した日の自民党
  『予想通り、助けてくれと言ってきたぞ。根回しも何にもないところろが菅さんらしいな。
  あなたがが辞めるなら助けても良いと答えておこう』

翌日の谷垣さんとマスコミの大合唱
  『いきなり電話で言って来るなど笑止千万。政治のせの字もわかっていない。
  しょせんは、市民運動家にすぎない。首相の器ではない。』
  (筆者註・何で政治家は市民運動家より偉いんだろう?)

1ヵ月後
自民党  『随分叩いたけどなかなかやめないなー。けっこうしぶといぞ彼は』

菅 『評判が悪いのを気にしてすぐ辞めてしまったおたくのプリンスさんと違って
  そう簡単に辞めるつもりはまったくないよ。この一大事のときに投げ出すなんて
  無責任なことを、まともな男ならするわけがないでしょうが。』
  『プリンスさんだけじゃないよ。その後ぞろぞろ出てきては、毎年消えていったお坊ちゃん2代目、
  三代目の人達とは、私は違うんだ。なめないでもらいたいね。』
 筆者註(鳩山と名指しはしなかったけど、明らかに”人達”の中に含めてるな。やるじゃん、菅さん。)

2ヵ月後
自民党 『あの日、菅さんが海水注水を停めろと命じて、何時間か後にあわてて
     再開させたって、聞いたぞ。そのおかげで随分いろんなことが遅れたと
     聞いたぞ。さっそく国会で追及しよう。今度こそ菅さんはおしまいだ。』

斑目委員長
  『私は再臨界の可能性があると言ったのではない。可能性がゼロではない
   と言ったのだ』

岡田幹事長
  『どこがどう違うかよくわからないが、言った本人がそう言うのなら、
  仕方がないそう言い換えよう』

谷垣
  『こんなに言う事がころころ変わる政権に国を任せるわけにはいかない。
  即刻首相を辞任せよ』 
  筆者註・とは言ったが、『あとは私に任せろ』とは一言も言わなかった。
       辞めさせた後、どうするつもりなんだろう?
       それに、再臨界の可能性があると可能性がゼロではない
       の違いが谷垣さんには分かったのだろうか。
       ころころ変えると非難するからには、わかったんだろうなー

吉田所長
  『注水を誰が止めたかで国会がモメてるんだって?? 今頃なんでまた?
  そんなもんが菅降ろしの材料につかえるの? 変な国だねえ。
  しょうがない、墓場まで持っていくつもりだったけど、こんなバカなことで
  首相のクビをとばすわけにはいくまい。白状しよう。』

谷垣
 『えーっ、停めてないのー?』誰があんな情報を持ち込んだんだ!仕方がない、
 方針を変えよう。現場とそんなに意思の疎通がない組織にこの国を任せる
 わけにはいかない。今後はこれでいこう。』

筆者註
 たしか前原さんだっけ、国会でニセメールで政府を追求して、それがバレた。
 『うーん、あんなもんに引っかかった自分がバカだった』と野党党首を辞任したのは。

 谷垣さん、どうします?

サミットから帰国して
枝野 『不信任案提出と党内にまで騒ぐ議員が増えて、不穏な状況ですよ』
菅 『チルドレン達か? 心配ない。放っておこう』
枝野 『でも人数が人数ですから・・・、通ったら総辞職か解散でしょ。』
菅 『総辞職は絶対にしない。この重大事に政局などやってるわけにはいかない。』
枝野 『でも、どっちかにしないと、政治が滞るとの批判が』
菅 『滞るような仕掛けをしたのは向こうだ。そんな批判は理屈に合ない。だから、不信任提出は出来ない。
提出させないように、私が先手をうって、”彼らは、この重大事に政治を滞らせようとしている。滞らせない
唯一の道は、政府が出す法案をすぐに審議して、一刻も早く通すことだ。審議をして反対ならすぐに対案を
出してください。そっちが良い案だと思える良案なら、即座に取り込みます。時間が問題なのです、今は特に”』と。

枝野『なるほど。』
菅 『第一、造反・解散して真っ先に落ちるのはうちのチルドレン達だ。選挙なんかしたしたいはずかない。
だから造反などできはしないよ。わが党の新人だから、ある意味では残念だけど、そんなホネのある者は居ない。』
鳩山さんはどうかわからないが、小沢さんは解かっているよ、自分のチルドレンの程度くらいは。』

素人でアマチュアの私にだって、これくらいの内実らしきものが見えるのです。玄人でプロのあなた方に見えないはずはない。なのになぜ言わないのですか? 最初に言うのは怖い? そんな公式発表はなかったから? それじゃあ、永遠に特種なんか取れませんぜ。
 外国人のジャーナリストなら、誰も書かないうちだからこそ、命を張ってでも書くんじゃないんですか? 記者さん、知っている事をさっさと私ら一般民衆に教えてくださいよ。お願いしますよ。

追伸
 週刊新潮の6月2日号はけっこう読み応えがありますよ。
 国会では誰が言ったかでもめていて、実は停めなかったことが
明らかになる直前という絶妙のタイミングで発行されています。
 大見出しのハデさから、内容の詳細まで、菅降ろし一色です。
 あれを書いた記者はさぞ赤面しているだろう。
 でも、まともな記者があんなお粗末な記事を書くだろうか?
 誰かさんに金を貰ったやつなら、今頃いそいそと、金勘定でもしているかも。
 最近、まともな記者の間で、何を書いても握りつぶされるという愚痴が増えているという噂があるそうです。
 私が生まれる前年、日米開戦のときに、マスコミ(今も全社健在)が何を煽ったか?


 あんなに完璧に菅降ろしで染め上げるには、うしろで何か黒い者が動いているに違いない。
 なんか不気味な感じがしました。

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公園に植えてある花々も美しいものです

2011年05月31日 | 写真

野の小さな草花には、その自然な美ししさに魅了されます。そして公園にある園芸種の花々は、毎年、毎年、改良して、植えてあります。訪れる人々を楽しまそうという努力が偲ばれて良いものです。

下の写真は上の3枚は府中市郷土の森公園で一昨日撮ったもので、下の2枚は小金井公園で昨日撮りました。決して良い出来の写真ではありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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電源完全喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉の提案、その二

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の、その一に続き、その二の完結部分をお送りします。

核燃料が熔融塩に溶解しているので、電源完全電源喪失の状態になると炉心圧力容器の底の弁が自動的に開放し、核燃料熔融塩がその下にある多量のホウ酸水へ落下し、連鎖反応が停止すると同時に冷却され個体になってしまう事が一番重要な特徴です。水素爆発の可能性が無いのです。爆発さえ防止出来れば、配管が健全なので、その後の循環式冷却が可能になるのです。

今回の、その二では核燃料をウランからトリウムに変えるとどのような利点があるかが説明しています。

なお、トリウム熔融塩原発炉に提唱は古川和男博士が昔から提案していたので、私は耳では何度も聞いていました。古川さんは国際的にも有名な学者で、NPOトリウム熔融塩国際フォーラム(略称ITHMSF), の 理事長もなさっています。 
、決していい加減な提案ではありません。その国際的な活動は、下記のURLを開くとご覧になれます。http://msr21.fc2web.com/

==電源完全電源喪失でも爆発しない安全なトリウム熔融塩原発炉の提案、その二==

ウランからトリウムへ

――燃料にウランではなく、トリウムを使う理由は?

古川 トリウムというのは、自然界に存在する元素の中でウランに次いで重く、中性子を吸収すると、ウラン同様核分裂の連鎖反応が起こせるようになります。希土類元素と一緒に産出するので、その利用は産業経済上極めて好都合です。

よく知られているように、ウランの核分裂反応からプルトニウムが生まれます。これは核兵器の材料になるきわめて危険な放射性物質ですが、現状では世界中がその処分に困っています。原発が稼動すればするだけ、プルトニウムの山ができるのですからね。これに対しトリウムは、核分裂連鎖反応を起こしてもプルトニウムをほとんど生まない。それどころか、熔融塩炉でならプルトニウムも炉内で有効に燃やせます。プルトニウムの消滅に一役買えるのです。

 ウランは世界に偏在していて、そのことが寡占国による政治支配を生んでいますが、トリウムは世界中にある上に、埋蔵量も充分です。燃料をウランからプルトニウムに変えることは、核兵器の脅威から人類を救うことにもなるのです。

――では、小型にするというメリットは?

古川 今、開発を提案している熔融塩炉を、私たち研究グループは「FUJI(不二)」と呼んでいますが、これは液体燃料であることのメリットが生かせ、大変発電効率がいい。小型にするのは、これを需要地の近くに設置したいからです。

 今、原発は僻地に大型施設が集中しています。これはみんなの中にある「安全性への危惧」が生んだ、苦肉の立地・大型集中化といえるでしょうが、その結果、需要地への何百キロにもわたる送電ロスを生み、電気料金を高くしています。

 需要地に発電所があれば、ロスは最小にできます。安全で高効率で小型であれば、都市の近郊にも置けるのです。

 

世界中に小型炉を

――でも、これからはあまり電気を使わないような生活にすべきなのではないですか?

古川 もちろん省エネは必要です。エネルギーは大切に使い、これまでのライフスタイルも、しっかり見直すべきでしょう。でも、この春、東京電力が計画節電を実施しただけでも、世の中は大混乱でした。現代社会では、エネルギーなしには暮らせません。

環境の悪化を防ぐという点で、化石燃料はこれ以上燃やせません。太陽光や風力などの自然エネルギーは、技術的に実用化ははるか先です。自然エネルギーが生かせるようになるまで、なんとか原子力でつながなければならない。

それに今後、世界中でエネルギー需要が急増すると予想されています。現に中国やインドでは、エネルギー消費量が幾何級数的に増えている。間違いなく今後、アジアやアフリカなどの発展途上国では、エネルギー不足そして貧困が深刻なものになるでしょう。安全、高効率、小型の原発なら、そうした世界の需要に充分に応じられるのです。

この熔融塩炉の研究においては、アメリカのオークリッジ国立研究所を中心とした基礎研究開発が、驚くほど僅かな資金で整えられました。原理が単純で優れているからです。我々はそれをさらに改良して、FUJI構想をまとめました。

しかし、残念ながら、プルトニウムを生まず軍事的利用に不向きな性質をもつトリウムは、核冷戦時代に歓迎されなかった。軍事利用に適するプルトニウムを増殖する、高速増殖炉の開発を推進したい政治勢力の動きが強く、妨害されました。

しかし、既存の原発が行きづまっている今、「世界を救える原発」として、再び注目を集めつつあります。我々のもとにも、米・仏・露・チェコ・トルコ・ヴェネズエラ・オーストラリア等々、世界のエネルギー関係者から、協力しよう、一緒に実験炉を造ろう、といった呼びかけがきています。

みなさん、日本でも、今こそ原発を一新しましょう。(終り)

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大津波・原発事故・・・涙の向こうに見える輝く光芒、希望の光

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

大地震・大津波・原発事故は大きな悲劇。悲しいことです。大津波で家族を失い、家が流された人の深い悲しみは想像もつきません。言葉も出ません。

そして福島の原発の爆発で故郷の家や家畜を捨てた人々の苦難の生活は続きます。

私は直接なにも被害が有りませんでした。仙台に住んで居る兄弟や親類も皆無事でした。しかし3月11日以来、悲しみで一杯です。チョッとした人情にふれるたびに涙が滲みます。ああ、この国はどうなるだろう。暗澹たる思いが心を深い淵へと誘います。

しかし2ケ月が経って少しずつ希望の光が見えて来ました。それが次第に大きくなって、輝く光芒のように見えて来ました。ああ、この国は今まで以上に良い邦になる。精神的に素晴らしい人々の住む邦になる。そのように思える理由を幾つか書きたいと思います。

(1)家族や人々の絆を大切にする人々が住む邦になります。

大津波で全てが流され、何も無くなった町や村落へ全国から救援物資が送られたのです。多くの若者のボランティアが馳せ参じました。現在もその働きを続けています。

自分の生活を犠牲にして、人間の絆だけで馳せ参じたのです。泥にまみれて働いているのです。ボランティア自身もそれを受け入れた人々も人間の温かさや、素晴らしさを確信したのです。人間同士がその関わりを大切にする事の重要性がボランティアに行かなかった人々にも確信させたのです。大津波・原発事故。

(2)被害者同士の助け合いや美談が一層良い邦を作ります。

被害を受けて苦しい生活をしている人々が助けあっているニュースを見る度に感動します。人間はどんなに逆境に陥っても、他人へ親切に出来るのです。それを見ると勇気が湧きます。希望の光が見えてきます。

ここで特に記録すべき美談があります。大津波で跡形も無く流されてしまった保育所や幼稚園が475ケ所あったのです。それぞれ30人から50人の幼児を預かっていました。大津波が襲ったとき475ケ所の保母さんや職員が幼児を高台へ誘導して一人の犠牲者も出さなかったのです。乳幼児が一人残らず元気で保護者の手へ戻ったのです。奇蹟のような快挙です。預かった他人の子供を命懸けで助ける人々が住んでいるのです。日本はそいう良い邦なのです。

(3)自衛隊を尊敬する良い邦になります。

災害復旧への自衛隊の素早い働き。そして給水、炊き出し、風呂提供、どれをとっても暖かい心のこもった働きでした。

自分の命に変えて国家のために尽くす自衛隊です。その自衛隊を尊敬する邦になります。良い邦になります。

(4)地球は一つと信じ、国際的連帯を大切にする邦になります。

外国からの心暖まる支援やボランティアは2つに分けられます。日本に基地を持っている米軍の「トモダチ作戦」です。艦隊を東日本の沖に展開し、航空機を幾つの空港へ飛ばして救援活動をしました。遺体の収容作業をしてくれました。特に海兵隊は離れ島へ上陸しガレキのかたずけをし、港を復旧させました。駐留米軍の人情に多くの人が感動しました。

もう一つは、中国、韓国、欧米諸国はもとよりアフリカや南太平洋の小さな国々まで支援をしてくれたのです。先日、フランスで開催されたG8首脳会議で菅直人首相は冒頭演説をし、全ての首脳が日本の復興を支援してくれたのです。

地球は一つと教えられました。それを確信しました。日本は国際的連帯を大切にする邦になります。

(5)危険な原子力発電を少なくして安全な邦になります。

 福島原発の4つの炉が大爆発して強い放射能が大量に飛び散ってしまいました。その被害は半径30kmだけでなく西北方向の遠方まで及び、避難民が苦しい移住を強制されました。

その上、風評被害は広がり日本からの輸出が減少し、日本へ来てくれる観光客が激減したのです。

原発が爆発するとは誰一人想像もしていなかったので。日本人の受けたショックは甚大です。そして放射能被害は広範で、長期になります。

電気を際限も無く使って気にもかけていなかった消費文化の悪を教えてくれました。日本人は経済成長の欠陥を知ったのです。過度な欲望を持たない、つつましい人々が増えてきました。この世の執着心を捨てながらお釈迦さまの教えに近いずく人々の住む良い邦になります。

大津波・原発事故・・・涙の向こう側で、私に見える輝く光芒、希望の光とは以上のようなものです。日本は絶対に今まで以上に良い邦になります。私は確信しています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

なお、下の写真は平和な日本の山里の風景です。挿絵のつもりです。

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電源完全喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉の提案、その一

2011年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

以下の古川和男さんのインタビュー記事を注意深くお読み下さい。

現在の原発は原子爆弾の原料になるプルトニュームの生産が副産物として生産するから普及した事情が明快に分かると思います。実は日本もその例外でなかったのです。古川和男博士は私の先輩で真面目な原子力工学の研究者でした。いいかげんな男ではありません。

=======古川和男博士のインタビュー記事=======

著者インタビュー

聞き手◎「本の話」編集部

古川和男

Kazuo Furukawa 元東海大学開発技術研究所教授

         ウクライナ科学アカデミー外国会員

  この原発なら福島やチェルノブイリは起こらなかった!

『原発安全革命』  2011.5.20刊

(文春新書・発売中・『「原発」革命』緊急増補新版)

――古川さんは、これまでの原発とは全く原理の違う安全な原発を、この本で提案されていますね。

古川 ええ。これまでの原発は、固体のウラン燃料を燃やす、一般に発電量一〇〇万キロワット以上の規模の大きなものでしたが、私が提唱する原発は、燃料形態を固体から液体に代え、燃料自体をウランからトリウムに代え、規模も二、三十万キロワットレベルにしたものです。こうすると、福島やチェルノブイリで起きたような過酷な事故は、原理的に起こりえません。また、きわめて発電効率の高いものにできる。安全で高効率ですから、今後世界中で予想される膨大な電力需要に、充分に対応できます。

――まず、安全性の面から説明してくださいませんか。「原理的に事故を起こさない」とは、どういうことでしょう?

古川 福島の事故を振り返ってみてください。まだ危機的状況が続いている上に、データが明らかにされていないので、正確な原因分析はできませんが、地震直後は、核分裂の連鎖反応を一応は止めることができた。ところが、続く大津波で核物質を冷却するための電源がすべて失われ、核物質が発する高い崩壊熱のために燃料棒が破損・熔融し、さらに水素爆発などが原因で炉が破損して、反応で生成した各種の放射性物質が大量に外部に漏れ出た。おそらくこうした事態が起こったと考えられるわけですね。

「想定外」の津波が直接の原因であり、また、東京電力や国の危機管理意識・能力のあまりのなさが事故を決定的に悪化させたのは間違いありませんが、そもそもこうした事故は、燃料が固体であることに遠因があると言っていいのです。原発の燃料形態に固体を選んだという点で、日本だけでなく、そもそも世界が間違っていたのです。

 被覆管に密封された核燃料のまわりを水が循環し、その水が反応熱を得て熱水となり、その熱水から生じる水蒸気でタービンを回して発電する、というのが今の原発の発電の仕方ですが、この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質・破損・熔融しやすくなります。また、反応で発生するガスが被覆管内部に密封され、高圧となって、管が破損したときに外部に噴き出す危険も生じます。さらに、水が放射線で分解され、爆発の危険性のある水素を発生させます。高温・高圧となる水による材料の腐蝕も難問です。こうしたもろもろの不都合を抑え込むために、炉の構造は各種の安全装置やモニター機器類を装着して複雑になり、それだけ保守・点検が大変になります。

 本来、核分裂というのは化学変化でもあり、液体で取り扱うべきものなのです。核燃料が液体だったら、今言った技術的難点はほとんど解決できます。反応のコントロールが容易で、決定的に安全性が向上します。炉の構造も単純になり、保守・点検が簡単になるだけでなく、ロボットなどを利用した遠隔管理も実現でき、作業員の被曝も最小限にできます。

結局、固体燃料を採用している今の原発の設計思想は、核化学反応の本性を無視しているとしか言いようがない。それで、「合理的な技術の原理で対応」するのではなく、「多重防護という無理筋対応」をするしかなくなっているのです。

燃料はガラス状に固まる

――古川さんの提案する炉では、「全電源喪失」が起こったらどう対処するのですか?

古川 そのお話をするには、液体燃料とは何か、を先に説明しておかねばならないので、ちょっとその話をします。液体にもいろいろあって、我々が提案している液体は熔融塩というものです。塩というと、皆さんはまず食塩を思い浮かべるでしょうが、その親戚みたいなものです。地球のマグマをイメージしていただいてもいい。放射線を浴びても変質したり壊れたりしない、とても安定した液体で、これに核燃料を溶かし込んで使うわけです。この熔融塩燃料は、冷めるとガラスのように固まります。空気や水と反応しません。

 で、「全電源喪失」ですが、今の原発でこういう事態になると、核燃料が冷却できなくなって「崩壊熱の暴走」が起こるわけですね。しかし、そもそも熔融塩燃料なら核反応のコントロールはきわめて容易で、弁を開き、真下に設置されたホウ酸水の冷却プール内のタンクに燃料塩を落してやれば、炉内に燃料が無くなる訳ですからすぐに連鎖反応が止められるだけでなく(燃料が炉内にあるからこそ連鎖反応が起こる仕組みになっている)、摂氏約五百度以下になると、今述べたように燃料塩はガラス状に固まります。こうして非常時の処置として、タンクに落とし自然冷却すればよいのです。この落下弁は、炉の運転時は冷却して凍らせているのですが、冷却をやめると融けて開くので、電気不要です。だから「崩壊熱の暴走」を心配する必要はない。

原発事故で一番怖いのが放射性物質の外部への流出で、今回もガスとして、あるいは水に溶けて漏れ出たわけですが、ガラス固化した燃料塩なら、気化もせず、水にも溶けないので、流出はありえません。また、炉の運転時、核反応に伴い発生するガスは、常に炉から除去する仕組みになっているので、事故時に炉に残存しているガスはほんのわずかです。

仮にテロなどで炉が破壊されても、炉の外に漏れ出た燃料塩は、すぐに冷めてガラスのクズ状になるだけで、炉は停まります。つまり「反応を止める」「冷ます」「漏れを防ぐ」というすべての面で、熔融塩燃料は理想的なのです。(その二へ続く)

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ついでに近所のプラタナス(鈴懸けの木)の実の写真もお送りします

2011年05月30日 | 写真

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ポピー(ヒナゲシ)の花の写真をお楽しみ下さい・・・小金井公園で先程撮りました

2011年05月30日 | 写真

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今日の散歩・・・巨大なユリノ木(袢纏木)の花の写真を撮る

2011年05月30日 | 写真

4、5日、雨に降りこめられて、散歩へ行けませんでした。今日は久しぶりに雲の間から青空が見え、乾いた風が心地よく吹いています。

単なる散歩ではなく、私のお気に入りの大きなユリノ木の青葉繁る写真を撮る目的で小金井公園へ行きました。

大きなユリノ木が6本ほど公園の東端に近いところに聳えています。この大木の傍に行き、しばしたたずむと何故か心が豊かになります。一年を通して何回も行きます。

四季折々、何時見ても感動します。春は燃えるような新緑。そして梅雨入りの頃は花が咲き、秋には紅葉が美しいのです。冬になるとすっかり落葉して、 梢が木枯らしのなかに水墨画を描いています。

今日は、丁度タイミングが良く、その大木に花が咲いているではありませんか!

空には暗い雲がかかっていて今一つ写真の出来が良くありません。しかしお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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遂に放射能の怖い地域と怖くない地域が明快になりました!

2011年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

結論を書きます。放射線の強さが0.09マイクロ・シーベルト(毎時)以下の平常値近くへ下がってしまった地域はもう放射能は怖くない地域です。青森市、秋田市、盛岡市、仙台市、山形市、新潟市、水戸市、宇都宮市、前橋市、さいたま市、東京都、長野市、静岡市などはもう心配が要りません。特にいままで放射線強度の高かった仙台市、水戸市、宇都宮市がグッと下がり、平常値に近い値になりました。

これとは対照的に放射能が強い、危険な地域も明快に特定されます。危ない地域は飯舘村の長沼、浪江町の赤宇木、浪江町の津島、浪江町の下津島の近辺です。それと勿論原発から半径20km以内の地域です。

どうして原発から30kmも離れたここだけが危険なのかは、最近の気象と放射性微粒子の降下との解析から分かって来たのです。原発2号機の爆発の時、吹き上げた炉心からの微粒子が、この地域だけに降り注いだのです。(福島原発の炉心からの放射性物質は何処へ流れ、何処に堆積しているか?・・・現在までの推測の結論 をご参照ください)。

この解析は気象と降下量の関係のシミュレーションのSPEEDIで随分早い時期から解っていたようです。それを発表しなかった経済産業省原子力・保安院を非難すべきと思います。

それはそれとして、福島県内には危険か、そうでないか微妙な地域も沢山残っています。

それは福島市と郡山市です。福島市は1.42、そして郡山市は1.30マクロ・シーベルト・毎時と依然として高い値を示しています。健康に害を与えないという値だそうですが、小学校や保育院の庭の表土に降下し堆積した放射性微粒子が増加する一方なので心配です。

その他の南相馬市の0.47といわき市の0.23は注意すべき数値です。

このように福島県内で放射能がなかなか下がらないのは原発1号炉から4号炉までの炉心から相変わらず放射能を持った微粒子を含む水蒸気が空中へ放出されているからです。

しかしこの水蒸気によって運ばれる微粒子は遠方まで飛んで行かないようです。水蒸気が水滴になって、近場の福島県内に降下するためではないでしょうか?

結論は明快です。絶対に危険な所は、飯舘村の長沼、浪江町の赤宇木、浪江町の津島、浪江町の下津島の近辺です。勿論、半径20km以内は絶対に危険です。

絶対に安心して良い地域は、青森市、秋田市、盛岡市、仙台市、山形市、新潟市、水戸市、宇都宮市、前橋市、さいたま市、東京都、長野市、静岡市などです。

今後の放射性微粒子の堆積状況を見ながら、要注意の地域は福島市と郡山市です。

以下に、文部科学省の測定値を示します。測定は地上数mから20m位高い所のモニタリング・ポストで行われています。

時間の経過とともに、どのように低下して行ったかにご注目下さい。日本各地の正常値は0.02から0.06マイクロシーベルト・毎時と言われています。

「東北・関東甲信越の放射線量の4月中の変化と5月29日の測定値の比較」

放射線量の測定値を4月1日と4日と5日について示します。放射線の強さの単位はマイクロ・シーベルト/hour です。そして太字は4月22日の値と昨日の5月29日の値です。

正常値は0.02から0.06と考えられています。都市名の太字は正常値以上の都市です。

青森市0.026:026:0.026  0.026:0.027 

盛岡市0.028:0.025:0.025  0.023:0.022

仙台市0.093:0.077:0.081  0・073:0.076

福島市2.80:2.32:2.34: 1.71:1.42 

いわき市0.62:0.0.55:0.50  0.28:0.23

山形市0.063:0.060:0.060  0・051:0.049

宇都宮市0.092:0.082:0.080  0.065:0.060 

水戸市0.195:0.169:0.163  0.122:0.097 

さいたま市0.080:0.071:0.070  0.058:0.055

東京・新宿0.101:0.089:0・089  0.073:0.062 

千葉・市原市0.075:0.063:0.061  0.049:0.046 

長野市0.049:0.043:0.043  0.043:0.043

静岡市0.042:0.038:0.036  0.037:0.038 

 などとなっています。

以上のように放射線量は確実に低下しています。この傾向は原発に新たな爆発事故が起きない限る続きます。

ですからこそ福島原発の炉心へ窒素ガスと水の注入を確実に続行する事が一番重要なのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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雨の日は晴天の時の写真を見て元気を出しています

2011年05月29日 | 写真

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福島原発の炉心からの放射性物質は何処へ流れ、何処に堆積しているか?・・・現在までの推測の結論

2011年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発の4つの建屋の爆発で多量の放射性物質が炉心から空中へと、そして地中へと流れで出ました。その実害の大きな順に纏めると、次の3つになります。

(1)3月12日から15日にかけて起きた、建屋の水素爆発で空中に集中的に、多量に、飛散されたヨウソ131ヤセシウム137などを含む、炉心から漏れ出た微粒子の全量。

(2)水素爆発の巨大な衝撃で、炉心圧力容器や原子炉格納容器を貫通している多数の配管の貫通部分に、破損や割れが生じたのです。従って炉心へ注入した全ての水が炉心の放射性微粒子を懸濁しながら原子炉格納容器から流れ出たのです。それは現在でも連続的に流れ出ています。この水と共に流れ出た放射線微粉末の全量。この流出量は3月12日から現在まで、あまり減少する事なく続いています。

(3)炉心圧力容器から漏れ出る水蒸気によって建屋の外へ運び出される放射性微粒子の全量。これは少しずつ減少はしていますが、3月12日から現在まで続いています。

繰り返えますが、(1)は3月12日から15日まで集中的に放出されたもので、現在は止まっています。

(2)と(3)は少しずつ減少はしていますが、炉心への注水が続くかぎり止まりません。

さてそれでは上記のように炉心から流れ出た強烈な放射能を持った微粒子や微粉末は何処へ飛んで行って、何処に堆積しているのでしょうか?

(1)3月12日から15日の福島県、宮城県、茨城県の気象変化の最近の解析から2号機の爆発で多量に空中へ放散された放射性微粒子は、風向きが北西だったので30km以上離れた飯館村と浪江町の一部に集中的に降り注いだのです。空中高く舞い上がり、30km以内では上昇気流だったらしくて放射性微粒子は30km以内にはあまり降下しなかったのです。昨日、この事実がテレビで詳細に説明されていました。

2号炉以外の爆発の日時の風の解析も発表されていましたが、その日時には海へ向かって風が吹いていたので大部分は海へ飛んで行ったのです。そして少しの時間帯だけ茨城県へ向かって風が吹いていたので茨城県の農作物から放射能が検出されました。

結論は、飯館村と浪江町の一部に炉心からの多量の放射能が運悪く堆積しているのです。全く運が悪いとしか言いようがありません。飯館村と浪江町一部の人々へ強い同情を禁じ得ません。そしてこれからの避難生活でも、勇気をもって今後の生活を切り開くようにとお祈りいたします。

(2)現在でも、炉心に注水を続行しているので4つの原発の地下には9万トン以上の汚染水が溜まっているという発表が度々ありました。

しかし私はその9万トンの大部分は地震や水素爆発で割れた地下室の壁から地中へ漏れ出していると推測しています。理由は簡単です。炉心へ毎日、毎日、500トン前後の水を注水していながら地下室の水位が一向に上がったという発表が無いからです。あれだけ酷い地震と水素爆発が起きて建屋が吹き飛んだのに、地下室だけ割れ目も出来ず完全なまま残ったと考えるのは大間違いです。

さてここで幸運な現象が起きているのです。

強い放射能を持った多量の汚染水が地中へ沁み込んでいるのです。すると土壌が放射性微粉末を吸着して浄化してしまうのです。ですから地下水になった時にはかなり綺麗な水になっています。そして、その地下水が海へと流れ出ていると考えられます。海は意外にもあまり汚染されないのです。

従って推測の結論を言えば、炉心からの大部分の放射性微粉末は原発の敷地の下の土壌の中に蓄積されているのです。今後もこの現象が続き、蓄積量は増加しますが、海の汚染は意外に少ないと思います。

(3)炉心への注水によって出来た水蒸気は、現在でも建屋の外へ白い煙のように放出されています。この蒸気には放射能を持った微粒子が含まれています。しかし炉心の温度が少しずつ下がっているので放射能を持った微粒子の放出量は減少の傾向にあります。

この微粒子の行き先は、毎日、毎日、風向きが変わりますので、原発の周囲に満遍なく降り注ぎます。そして自然現象の法則通り原発に近ければ、近いほど降り注ぐ量が多くなります。

ですから半径20km以内は強制避難地域に指定されています。

以上のように考えて見ると将来起きるであろう放射能の問題もかなり明確に予測出来ます。

(1)飯館村と浪江町の一部の農地の表面にかなり強い放射性物質が堆積しているので、それを除去する大規模な作業が必要になっています。

(2)原発の汚染水を汲み上げて、浄化・冷却し、また炉心へ戻すという循環型冷却システムを一日でも早く完成して、これ以上汚染水が地中へ沁み出さないようにする必要があります。

(3)原子炉建屋を丈夫な合成樹脂の幕で覆い、放射性微粒子を持った水蒸気は大気中へ放散されないようにしなければなりません。

上記の(1)、(2)、(3)の工事は強い放射線のある原発敷地での作業であり、決して容易な作業ではないのです。

東京電力と関連会社の一層の努力を祈ります。そして作業に従事する人々の健康を心からお祈りいたします。

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日本人を深く愛したあるロシア人の話・・・今日は日曜日なのでキリスト教の話です

2011年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なのでキリスト教の話をします。私はカトリックの信者ですが、広い心でいろいろな宗派や宗教に興味があり、少しずつ調べています。そんな態度で見てみると感動的な発見をします。ロシア正教のニコライ・カサートキンという人もその一例です。

昨日はアメリカで一番信者の多いバプテスト教会のことを紹介しました。それと対称的な宗派が正教という宗派です。マルチン・ルターの宗教改革の洗礼を受けなかった、古いタイプの宗派です。古いから間違っていると理解したら大きな間違いです。そんな事を考えながら以下の文章をお読み頂ければ嬉しく思います。

====神田のニコライ堂を建てたあるロシア人の物語=====

ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へ宣教のために行く決心をします。翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。もっとも短期間、2度、祖国へ帰ったことはありましたが。

 着いた1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。

函館着任後に血の滲むような努力をし日本語を習得します。書道も研鑽し、日本の歴史や佛教も勉強しました。古事記や日本書紀も読破する勉強家でした。

ニコライの日本を愛する心は強く、数々の感動的なエピソードが残っています。

今日はその中から一つをご紹介します。

1904年、1905年は日露戦争でした。戦争勃発と共に在日ロシア人は一斉に帰国して行きます。ロシア公使のローゼン男爵もニコライに帰国するように薦めます。ニコライは静かに断ったそうです。そして言うのです、「私はロシアに仕える者ではない。主ハリスト(主キリスト)に仕える者である。」と。

残留した理由は、日露戦争の間、日本人信者が迫害されるのを予想し、彼らを勇気づける為に残ったと考えらています。案の定、ロシア正教の日本人信徒は「露探」(ロシアのスパイ)と罵倒され、聖堂や集会所が暴徒の襲撃を受けたのです。

ニコライは教書を発表し信徒を慰めます、

「我々には地上の祖国の他に、天に国がある。天の国には民族の別無く皆が平等に生きている。なぜなら全ての人々は皆同じ父(神)の子であり、お互いは皆兄弟であるからです。我々の属する国は主である神が作った教会なのです。信者は平等な会員なのです。天の神、すなわち我らの父の一つの家族としてとどまり、その家族としての義務をそれぞれに果たすようにしようではないか!」

ニコライは日本人信徒の一人一人を強く愛していたのです。ロシアへ逃げ帰るなど考える筈がありません。

1912年、持病の心臓病が悪化し、聖路加病院で天に帰りました。駿河台のニコライ堂から谷中の墓地まで、葬列を見送る人垣が沿道の両側を埋め尽くしました。明治天皇からの「恩賜の花輪」を抱きかかえた人が葬列の中に見えます。(葬列の写真10枚ほどを見ながら書いています)。 今日はこの辺で止めます。(続く)

WikipedeaNikolaikasatkin1 でニコライ・カサートキンを検索すると以下の紹介があります。ここに転載しご紹介いたします。

=======ニコライの生い立ち=========

スモレンスクベリスクベリョーザ村の輔祭、ドミトリイ・カサートキンの息子として生まれる。母は五歳のときに死亡。ベリスク神学校初等科を卒業後、スモレンスク神学校を経て、サンクトペテルブルク神学大学に1857年入学。在学中、ヴァーシリー・ゴローニンの著した『日本幽囚記』を読んで以来日本への渡航と伝道に駆り立てられたニコライは、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、志願してその任につくことになった。在学中の1860年7月7日(ロシア暦)修士誓願し修道士ニコライとなる。同年7月12日(ロシア暦)聖使徒ペトル・パウェル祭の日、修道輔祭叙聖(按手)され、翌日神学校付属礼拝堂聖十二使徒教会記念の日に修道司祭に叙聖された。

1861年函館ロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。この頃、新島襄らから日本語を教わる。以後精力的に正教の布教に努めた。函館にて日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)で後に初の日本人司祭となる沢辺琢磨らを獲得したのち、懐徳堂中井木菟麻呂らの協力を得て奉神礼用の祈祷書および聖書(新約全巻・旧約の一部)の翻訳・伝道を行った。1869年、1879年に二度帰国。それ以降は日露戦争中を含め、日本を離れることなく、神田駿河台の正教会本会で没した。谷中墓地に葬られる。

1970年谷中墓地改修の折、棺を開けると不朽体が現れた。同年ロシア正教会はニコライを「日本の亜使徒・大主教・ニコライ」、日本の守護聖人として列聖した。日本教会が聖自治教会となったのはこのときである。ニコライの不朽体は谷中墓地のほか、ニコライ堂(大腿部)、函館ハリストス正教会などにあり、信者の崇敬の対象となっている。

関東大震災で焼失したといわれていたニコライの日記は中村健之介によって発見され、ロシア語原文版が2004年に刊行された(Dnevniki Sviatogo Nikolaia Iaponskogo, 5 vols. St. Petersburg: Giperion, 2004)サ。注解を加えた日本語全訳は2007年に刊行(『宣教師ニコライの全日記』教文館、全9巻)。

列聖以降、日本の亜使徒聖ニコライ聖ニコライ大主教と呼ばれる。記憶日(祭日)は2月16日(ニコライ祭)。

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アメリカ社会は世界唯一の特殊社会・・・バプテスト教会がその特殊性を支えている

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカには4年間も住んで居たこともあり、一生付き合っている友人もいます。しかしその社会が理解出来ません。彼等の考え方が全て分かるわけではありません。手さぐりでお付き合いをしています。アメリカ人に比べればヨーロッパ人の方がよく分かります。肌にシックリ来る経験を何度もしました。

アメリカ社会やアメリカ人は謎です。不可解なことが沢山あります。

4月に山梨県の甲斐駒山麓にある陽賜里工房という庭園喫茶店へ遊びに行きました。その喫茶店の紹介記事が、花の園の中の喫茶店・・・陽賜里工房というコーヒー店 です。

この喫茶店の女主人が上品な初老の婦人で、原田英子さんといいます。コーヒーを淹れてくれるのが聖也さんという息子さんです。

美しい花々の咲いている庭を眺めながら女主人とキリスト教の話をしました。何となくつぶやき合うような調子でした。彼女の亡くなった御主人様がバプテスト教会の牧師さんだったのです。そしてご自分も教会付属の幼稚園を経営しながらキリスト教の布教活動を生涯して来たのです。

そろそろ帰ろうと思っていた頃、「バプテストの信仰」という冊子のコピーを下さいました。東京に帰って以来、少しずつ読んでいます。

そうしたら今までよく分からなかったアメリカ社会がはっきりと見えて来ました。一番多くのアメリカ人が信仰している教派がバプテスト教会だったのです。ですから、この宗派の教義が分かるとアメリカ社会がより深く理解出来るのです。

時々、郊外の川で全身を沈めて洗礼をしている光景をご覧になった方がいらっしゃると思います。私も時々見て、何か狂信的で、変な教派と思い込んでいたのです。ところがその全身浸礼式洗礼の他は一番近代的で、民主的な教派だったのです。アメリカの民主主義を支えている信仰なのです。逆にアメリカの平等主義、自由主義が作りだした教派とも言えます。

その教派の教義は日本の佛教制度やカトリックの組織と比較しながら考えるとよく理解できます。

まず第一に、教会の牧師と信徒の間には身分的上下関係が全くありません。平等です。教会名簿にも牧師は信徒と同じ欄に書いてあります。したがってキリスト教の布教活動は牧師も信徒も同じように致します。

これに比べると日本の佛教制度ではお寺の住職さんが偉くて、檀家の人々より身分が高い事になっています。仏教の布教はお坊さんや修業を終えた伝道師という専門家が行い、信徒はあまりしないのが普通です。この様子はカトリック教会と非常によく似て居ます。

第二に各教会はそれぞれ独立した存在で、上下関係や強固な連合組織を作りません。

一方、仏教では曹洞宗や日蓮宗という強固な宗派連合組織を作り、お寺の間にも本山や末寺という上下関係があります。カトリック教会はこの寺の組織に似ていて、ローマ法王が世界の全ての教会の頂点に立っています。

第三にバプテスト教会では政教分離が徹底しています。その考えは17世紀に出来たのですが、政教分離が徹底している国はアメリカだけと言っても過言ではありません。ヨーロッパではキリスト教関連の政党があったり、税金から教会へ財政援助があったりで、アメリカ程厳密になっていません。

日本では皆様ご存知のように公明党は仏教の政党ですね。そして選挙のたびにいろいろな佛教宗派が選挙運動をします。

第四にバプテスト教会ではカトリックのような幼児洗礼を認めません。成人して自発的に洗礼を決心した人にだけが全身浸礼式洗礼をうけます。

従ってバプテスト教会は自発意思による信仰契約集団の性格を持っています。契約社会の一つなのです。

第五にバプテスト教会では徹底した福音書主義です。福音書に書いてある事だけを大切にし、信じます。ですからカトリック教会でよく唱える、「父と子と聖霊の御名によってアーメン」という三位一体の祈りはしません。聖霊を認めないのです。

アメリカのキリスト教はこのように平等主義と自由主義が強い特徴です。その一方南部バプテスト教会のようにアフリカ出身の黒人の宗教観の影響を受けているものもあります。そのような事も考えながら、もっと勉強を続けて行きたいと思っています。私の理解に間違いがあれば、どうぞご指導のほどをお願い申し上げます。

(終り)

下の写真は、夕闇せまる福島第一バプテスト教会の風景です。出典は下の参考資料と同じです。

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参考資料:(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

バプテスト(英: Baptist、漢:浸礼教会、しんれいきょうかい)は、バプテスマ浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来してキリスト教プロテスタントの一教派であり、個人の良心の自由を大事にしている。

バプテストは17世紀頃にイギリスで始まり、現在ではアメリカ合衆国に最も多く分布している。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いが、その中で最も多いのがバプテストである。

バプテスト派は、アルミニウスの流れを汲む普遍救済主義を支持するジェネラル・バプテストと、ジャン カルヴァン(カルヴィン)の流れを汲む予定説を支持するパティキュラー・バプテストとに分かれる。アメリカ合衆国のパティキュラー・バプテストは 奴隷制度に関する意見の対立以降、米国バプテスト同盟(旧称:北部バプテスト同盟アメリカン・バプテスト)と南部バプテスト連盟とに分裂している。

教義:

聖書主義(福音主義)

マルチン・ルターが始めた福音主義よりも更に急進的な立場で根本的宗教改革(宗教改革急進派)(Radical Reformation)とも言われ、聖書を唯一の信仰のよりどころとする聖書主義に立っている。

信仰者のバプテスマ(全浸礼)

バプテスマとは一般に洗礼と呼ばれる儀式の事であるが、バプテストでは特にこの時に全身を水に沈める(全浸礼)事、又、信仰告白を行う事が重要であるとする。バプテストの各個教会では、洗礼の語を避けて浸礼 又はバプテスマと呼ぶ事が多い。

従い、自覚的な信仰告白のできない新生児や乳幼児がバプテスマを受ける事(幼児洗礼)を否定するのが特徴的である。故に、全浸礼によらない洗礼(滴礼等)をバプテスマと認めず、他教派(聖公会ルター派改革・長老派メソジスト派会衆派等の諸教派)で受洗しているキリスト者がバプテストの教会に転入を希望する場合にバプテスマを改めて求めるバプテスト教会もある。

万人祭司

バプテストの群れでは、職務として牧師が説教と牧会を担うが、牧師も含めすべての信徒は身分においては平等であるとする万人祭司主義をとる。

<一つの例として> 教会員名簿(信者名簿)にも牧師や退任教師の名前が一信者として載っているが、教団新生会の様にバプテストの概念とはそぐわない「教団」(日本基督教団等)に属する教会はこれを認められていない。だが 教会員名簿を日本基督教団に提出しなくてもいい為、牧師や退任教師も載っている場合が多い。

会衆政治(民主的な教会運営)

バプテスト教会は、牧師と信徒の間の身分的上下関係や区別はないとする。牧師と教会員(バプテスマを受けて教会のメンバーになった者)の働きの違いはあるが、教会運営は、教会員一人ひとりが平等な立場で参加した総会を中心として、責任ある話し合いによって教会の意思が決定される。

各個教会の自主独立

バプテスト教会は、各個教会が自主独立の主体で、教会間のいかなる支配関係も認めない立場に立っている。しかし各個教会は、相互に支配・従属の関係に立たず自主独立しているが、多くの教会が他の教会との協力を喜ぶ目的で、宣教の協力体を結成している。これら協力体は、各個教会に対して上位の機関ではないとしている。

教会と国家の分離(政教分離の原則)

バプテスト教会は、17世紀始めにいち早く政教分離の原則を主張したといわれている。キリストの支配する神の国(教会)と国家を区別し、国家は教会(宗教)のことに介入してはならないと表明した。これらの特徴は、現代にも受け継がれ、人間の平等、信教の自由、良心の自由という理念を求めてきたバプテストは、時代の統治者に対して正義と公平を提供することを求めてきたとされる。

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若者よ、博物館や美術館の学芸員という職業の重要さや素晴らしさを知れ!

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

素晴らし職業や人気の高い職業は時代によって変わります。また人それぞれ自分に合った職業もいろいろです。戦前の日本では軍人になったり官僚になる事に人気があり、多くの優秀な若者がその職業についたものです。しかし、それは敗戦とともにすっかり変わりました。

そして経済の高度成長の間は民間の大会社のサラリーマンになる事が素晴らしい事と思う人が多かったのです。それも1990年前後のいわゆるバブル経済の崩壊で様変わりをしました。

あらゆる職業の差別が無くなり、転職も普通の事になりました。

その頃から博物館や美術館の学芸員が魅力的な職業として脚光を浴びるようになって来ました。私はその頃から学芸員という職業へ強い興味を持っています。

美術館や博物館へ行く度に学芸員のお話を聞くようにします。すると自分の理解して居なかった分野の事が簡単に理解できるのです。

学芸員の職務は様々ですが、一言で言えば、「学者の発見した事を素人に理解易く展示したり、説明する事」です。例えば、つくば市にある地質標本館の展示は地球45億年の地層の変化が明快に展示してあります。数多くの優秀な学芸員が展示方法を真剣に研究している様子が目に見えるのです。

美術館へ行けばそこの学芸員の芸術性の高さが分かります。有名な画家の失敗作だけを展示して、画家の有名さだけに頼っている美術館もあります。有名な画家でも失敗作は安価なのです。ところが一方では、無名の画家でも藝術的深みのある絵画を展示している場合もあります。その上、その画家の一連の絵を、画風の変化の順序に展示してあります。学芸員の独創性と芸術性が偲ばれます。

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最近、町田市立自由民資料館に行ったとき2度ほどお話を聞いた学芸員には感動しました。その方は杉山 弘さんという方です。歴史家です。歴史的研究の仕方は民衆の立場にたった歴史研究で有名な色川大吉先生の研究室へ3年間通って勉強したそうです。

杉山さんの歴史的視点が独創的なのです。

一般に日本の学校教育で習う歴史は時代、時代の権力者のした事の羅列です。その時代に生きた普通の人々がどんな思いや考えで生きていたかという歴史的事実を教えません。人々は何を考えて生きていたか?

その問題へ私は以前から非常に興味がありました。それが分かれば現在の我々の生き方に大きく参考になります。生きる勇気も湧いてきます。

自由民権運動は幕末が終り、明治政府が出来、第一回の総選挙があり帝国議会が開催される明治23年頃まで全国で展開された民衆による民主主義運動です。その運動に参加した人々は何を行い、何を考えていたかを研究して、その研究成果を展示してあるのがこの自由民権資料館です。全国を見渡してもこのような展示館は珍しい存在です。

自由民権運動は日本各地に起きたので地方、地方の歴史的事情でその内容が異なっています。それを研究することは郷土の歴史研究でもあるのです。

町田市立自由民権資料館の学芸員の杉山 弘さんは明治時代の神奈川県と現在の東京都の多摩地方の歴史を研究し、その成果を展示へ反映させています。そして歴史学者の専門的な論文を素人へ分かり易く説明してくれるのです。

学芸員は学者と素人の間をつなぐ通訳なのです。芸術家と素人の間をつなぐ翻訳家なのです。とても重要な仕事です。そして美術館や博物館の優劣は学芸員の働きによって決まるのです。日本の文化レベルは美術館や博物館の優劣によって決まります。

決してGDPや経済力でのみ決まるものではありません。

ですから学芸員は素晴らしい職業なのです。是非、若い皆様が学芸員という職業を選択するようにとお祈りしています。

杉山 弘さんがお時間をさいてお話し下さった事へ感謝いたします。

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盆栽の手入れはどうしますか?

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

府中市、郷土の森公園には見事な盆栽が並んでいます。市民の故、村越氏が約百鉢寄付したそうです。しかし手入れをする専門職の人が居ないので根張りが浮き上がり、葉が茂り過ぎています。近所の盆栽好きな人がボランティアでしてくれるのが良いと思いますが、何方か良い手入れの方法をお教え下さい。そうすると公園の管理事務所も助かると思いますが。どんなものでしょうか?

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