後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

アメリカ、そして日本から差別が無くなった! 区別と差別の違い

2017年07月11日 | 社会・経済
先週、大型客船で伊勢の鳥羽に行きました。そうしたら車椅子の人は上陸出来ませんと言うのです。客船から小さな通船に乗り移るのが危険なので上陸お断りというのです。
足が弱くて杖を使っている私は何となく嫌な気分です。これは差別なのだと一瞬感じたのです。
しかし乗り移る時に、若い乗組員の心からの手助けを受けて、嗚呼、これは差別ではなく区別なのだと納得しました。差別とは他人をさげすむ行為です。少数者を貶める行為です。区別にはさげすみの感情が皆無なのです。
それにしても最近の若い日本人は全ての場面で差別をしない美徳を持っているのです。
ところが、戦前、戦後の学歴差別、男女差別、職業差別、出生差別、身体・心に障害のある人への差別などなどの強かった日本社会で育った高齢者、特に後期高齢者の心の底には差別意識が残滓のように巣くっていると思います。私の心の底にもこの残滓があります。
それにしても日本の社会から全ての差別が無くなったことを嬉しく思います。差別されて悲しい思いをする人がいなくなっただけでも幸せです。人々が平等に楽しく暮らすようにお互いに気を使っている若い日本人に感謝しています。

ところが何故、日本社会からこのようにあらゆる差別が消えて無くなったのでしょうか?
結論を言えば、アメリカ社会で全ての種類が無くなった影響で日本でも差別が消えてしまったのです。
このように書くと反発する方々が多いと存じます。しかしその前に以下の文章を静かにお読みください。
昔のアメリカは黒人差別の激しい国でした。自分が留学した1960年当時は黒人は白人と同じトイレを使ってはいけません。同じレストラン、同じ映画館もいけません。バスの中の前部が白人と黄色人専用の席で後ろが黒人専用の席でした。当時の私はその状態を当然と思っていました。
ところがそれがひっくり返るような法律が出来てしまったのです。1964年に制定された公民黒人を平等に扱うという公民権法です。
その公民権運動を指導したのがマーティン・ルーサー・キング牧師だったのです。
彼が現在の日本の差別の無い社会を作る引き金を引いたのです。
このように書くと日本は黒人差別をしていないからキング牧師とは関係無いと言う人がいます。しかしもう少しお読み下さい。
キング牧師は1929年に生まれた公民権運動の指導者で、ノーベル平和賞受賞者です。マハトマ・ガンジーに倣って非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、1968年志半ばで凶弾にたおれたのです。享年39歳の若い死でした。
このキング牧師の公民権運動はやがて黒人差別撤廃だけでなくアメリカ社会における黄色人差別、原住民差別まで広がるのは当然でした。
その上、あらゆる弱者、マイノリティ、発達障碍者の差別撤廃へを拡大して行きます。
それが顕著になるのはべトナム戦争の頃でしょうか。そしてその後「差別用語」の撤廃運動が燎原の火のように燃え上がりました。
この差別用語の撤廃運動は怒涛のように日本社会を呑み込みました。大新聞やNHKは率先して差別用語を使用しなくなったのです。言葉の差別がなくなれば、気持ちの差別も次第に無くなります。
この頃から日本社会の全ての分野で差別というものが次第に消えて行ったのです。若者は柔軟です。高齢者は頑なです。差別用語を今でも使う高齢者が居るのは悲しいものです。

日本から差別用語が無くなり、差別そのものが消えて行くことは喜ばしい現象です。これはアメリカ社会の変化の影響です。その引き金を引いたキング牧師に感謝せざるを得ません。

今日の挿し絵代わりの写真は鳥羽沖で巨大な客船へ大きな台船を横着けして、小さな通船へ乗客を乗り移させている様子を示す写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料=============================
(1)キング牧師の有名な演説;
「私には夢がある(I Have a Dream)」
1963年8月28日
職と自由を求めるワシントン大行進において、キング牧師がリンカーン記念館で人種平等と差別の終焉を呼びかけた演説。公民権運動に大きな影響を与えた。米国における最高の演説であるとされている。
- 演説の一部 -
絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
私には夢がある、それは、いつの日か、この国の国民が立ち上がり、「われわれは、すべての人間は平等に造られいることを自明の真理とみなす」というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢である。※
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。

(2)マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年~1968年)の紹介;
1929年、ジョージア州アトランタで牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。父親と同じ名前であったが、父子とも「マーティン・ルーサー・キング」と改名。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。
6歳のときに、一緒に遊んでいた近所の白人の子供の母親から「黒人とは二度と遊ばせません」と最初の人種差別を経験。高校時代には、討論大会で優勝した帰りのバスの中で白人から席を譲れと強制される。
1862年のリンカーン大統領の奴隷解放宣言により、米国の奴隷制は廃止された。しかし、それは人種差別の撤廃を意味するものではなく、学校、トイレ、プール、バスなどにおいて、白人と非白人の区別により、異なる施設が用いられることは容認されていた。
1955年、白人に席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、キング牧師はバス・ボイコット運動を指導。これにより、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取る。これ以降、キング牧師は全米各地で公民権運動を展開していく。
キング牧師の運動の特徴は「非暴力主義」。インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫いた。1963年のキング牧師の有名な演説「私には夢がある(I Have a Dream)」は広く共感を呼ぶ。これらの運動により米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に公民権法が制定された。
その後、キング牧師は「ベトナム反戦運動」への積極的な関与を始める。敵も増えていくなか、精力的に活動を続けたが、1968年にテネシー州で「私は山頂に達した(I’ve Been to the Mountaintop)」と演説後、モーテルで白人男性の凶弾にたおれる。








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日本の天皇制を考える(1)何故、天皇は自由に辞められないか?

2017年07月06日 | 社会・経済
日本の天皇制は大和朝廷から続く世界に類を見ない日本独特の文化です。日本の文化的土壌に育った制度です。
それは中國の頻繁に交代する帝王ともヨーロッパの王様とも違う性質を持っています。
そこでこの日本民族が守っている天皇制というものを連載しながら考えて見たいと思います。
その第一回目は「何故、天皇は自由に辞められないか」という問題を取り上げたいと思います。

しかしそんな理由は知っているという方々や、天皇制に興味が無いという方々のために、はじめに珍しい花々の写真をお送りします。
写真と説明文は、『KITAHOのデジカメ散歩」( http://kitaho321.blog25.fc2.com/)から引用しました。
特にKITAHOさんの説明文を丁寧に読むと『KITAHOと花の世界』がしみじみと見えて来ます。ご一読下さい。

1番目の写真は西洋ニンジンボク(Vitex agnus castus )です。 4年ほど前に、挿し木苗を作り、八ヶ岳山麓の別荘に植え込みました。今は、背丈以上にも生長し、爽やかなスカイブルーを魅せています。 次回、別荘に行く際には、きっと爽やかなスカイブルーの彩りを見ることができることと思います。
クマツヅラ科の西洋ニンジンボク(Vitex agnus castus )は耐寒性低木 落葉樹で、地中海、南ヨーロッパから西アジアに分布しているものです。

2番目の写真はブル-の花、瑠璃色の美しいカタナンケの花です。和名もルリニガナ(瑠璃苦菜)と言います。
キク科なのですが、半透明の総苞片が珍しく、ここも魅力的なものです。
 今でこそ、苗の販売も目に付くようになりましたが、5年ほど前には躍起になって探し回りましたが、見付けることが出来ず、『じゃあ・・・種から育ててやるぅ~』と、イギリスのJonsons Seedsにお願いしたのを覚えています。

3番目の写真は東南アジアの洋ラン原種、Cirrhopetalum longiflorum 'Tokyo'  シルホペタラム ロンギフローラム ‘トーキョー’ というランの花です。

4番目の写真はハンゲショウの白くなった花です。夏至から数えて11日目・・・今日が7月2日。この日を半夏生と言います。
じつは・・・話の種にとドクダミ科 片白草(カタシログサ)を育てています。
このカタシログサは、ハンゲショウとも呼ばれ、6月小下旬頃から上部の葉が白変化するのが美しく、鑑賞価値ゼロのような、穂状の小さな花を付けます。 律儀に7月2日の半夏生の日を目指して白変化するというおもしろさがあります。
このカタシログサは水が好きで、大きな鉢植えで、腰水栽培をしています。

5番目の写真はオオタカネバラ(Rosa acicularis)の花です。別荘の傍の野山で撮った写真です。

さて花の話は終りにして、「何故、天皇は自由に辞められないか」という問題を取り上げたいと思います。
結論を書けば、天皇が辞めていなくなれば、総理大臣や閣僚を任命する人がいなくなり、政府が瓦解するからです。
現在の憲法にそう明記してあるのです。
日本国憲法における天皇に地位と役割は以下のように書いてあります。
日本国憲法第1条は、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定してあります。その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ(前文、第1条)、国会の議決する皇室典範に基づき、世襲によって受け継がれる(第2条)ことと書いてあります。
天皇の職務は、国事行為を行うことに限定され(第7条)、内閣の助言と承認を必要とする(第3条)ことになっています。
しかし国政に関する権能を全く有さない(第4条)のです。ですから天皇は政治的発言をしてはいけないのです。
現行憲法においては、実質的な(=内閣総理大臣が行使する行政上の)権限がない点で明治時代に出来た帝国憲法と非常に異っています。ですからこれを「象徴天皇制」というのです。

天皇の地位については以下のように書いてあります。
日本国と日本国民統合の「象徴」とされ、主権の存する日本国民の総意に基づくものとされる。
天皇が「元首」・また「君主」であるのか否か議論があるが、日本は外国からは、立憲君主制をとる国の1つと見られ、天皇は、諸外国から「君主」として扱われているのが実情です。

さて天皇は日本国憲法の定める国事を行うとされているが、それでは天皇の行う国事行為はどのようなものでしょうか?以下の通り。
それを以下に示します。
国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命。
内閣の指名に基づく最高裁判所長官の任命。
憲法改正、法律、政令及び条約の公布。
国会の召集。
衆議院の解散。
国会議員の総選挙の施行の公示。
国務大臣や、その他の官吏の任免の認証。
外国への全権委任状、派遣する特命全権大使・特命全権公使の信任状の認証。
大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証。
栄典の授与。
批准書、条約など外交文書の認証。
外国の大使、公使の接受。
儀式を行うこと。
この他皇居内での斎事、各種団体大会への出席、地方での公務などなどもあります。
これらの天皇の国事行為は、内閣の助言と承認が必要とされ、内閣がその責任を負う(輔弼と同義)。

ここで驚くべきことは国事の種類と数が多いことです。これでは天皇が忙しくてお疲れになるのが理解出来ます。
そして上記のように、
国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命。
憲法改正、法律、政令及び条約の公布。
国会の召集。
衆議院の解散。
国務大臣や、その他の官吏の任免の認証。

したがって天皇が急に辞めて居なくなったら日本政府の機能が崩壊してしまうのです。
ですから国会は慌てて天皇の生前退位に関する法律を作り日本政府の機能が崩壊するのを防いでいるのです。

さて皆様、天皇は個人の意思で高齢になったら引退出来るようにした方が良いでしょうか?
天皇の職務である国事が多過ぎるとお思いになりませんか?
日本の天皇制ははたして必要でしょうか?
私は天皇制はその伝統文化的な価値が素晴らしいと思っています。ですから国事を含めて過剰に負担をおかけすることはひかえるべきと思っていますが、皆様はどのようにお考えでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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米と日本人にまつわる話(1)東京都内の水田風景を探して

2014年09月17日 | 社会・経済
老人は若者に昔話をするものです。そこで私は今の若い日本人へ、「あなたたちは銀シャリという言葉を知っていますか?」とか「その言葉の流行った時代を知っていますか?」と自慢げに質問したいのです。
高齢者はご存じです。戦前、戦後の食糧難の時代です。白米を炊いたご飯は、銀の粒のように光りかがやいていたからです。それは胸を締め付けられるような輝きでした。あれから茫々数十年。しかし真っ白いご飯を見るたびに、時々、この銀シャリという言葉を思い出します。

シャリとは舎利に由来するといいます。お釈迦様の遺骨が白いと思い、白い粒をそう呼んだに違いありません。
ですから銀シャリという言葉を聞くとお釈迦様の慈悲の心を連想します。そして同時にアイヌ神謡集の詩を思い出します。アイヌの神の梟が飛びながら唄うのです。

銀の滴 ふるふる まわりに、

金の滴 ふるふる まわりに

という歌を 静かにうたいながら

この家の 左の座へ 右の座へ

美しい音をたてて 飛びました

私が羽ばたきをすると、 私のまわりに

美しい宝物、 神の宝物が 美しい音をたてて

落ち散りました

このようにお米は私にとって銀の粒々のように貴重な存在に思えるのです。そこで昨日から日本人とお米との関係をいろいろ考え込んでいます。
なにせ2000年前の弥生時代からお米は日本人の主食であり、現在でも家庭で炊いたご飯の他、寿司、天丼、うな丼、牛丼、カレーライスそしてコンビニのお握りという具合に日本人にとっては大切な食べ物です。

日本国内の生産量は減少していますが、その分、輸入するので日本人の米の消費量は変化していないのです。
それにしても、最近、東京の郊外では水田が無くなりました。50年ほど前に、ここ小金井市に引っ越して来たころは崖下の野川沿いには水田が広がっていたものです。府中から多摩川の上流日野あたりの両岸には豊かな水田風景が広がっていました。
それが高度成長の時代から宅地になってしまって水田風景が消えてしまったのです。かつては小金井、府中、小平、立川、日野の何処にでも稲の実る風景が見られたものです。

しかし私は水田のある秘密の場所を知っているのです。半信半疑の家内にカメラマンをお願いして車で1時間ほどのその場所に行きました。安心しました。そこには昔と変わらない水田が広がっていたのです。
一番目と二番目の写真です。
三番目の写真は水田のそばにあったサトイモ畑の様子です。


この場所は東京都町田市の都立小山田緑地公園へ入る道の両側です。
水田は地方に行けば珍しくありません。近年は北海道に稲作が拡大して、現在は北海道の米の生産量が新潟県に次いで国内で第二位になっているのです。

北海道といえば知床や、富良野の花畑が有名です。そして屈斜路湖や阿寒湖や洞爺湖が有名です。ですから多くの人は北海道が第二位の米の生産地と聞くと驚きます。
それはさておき、水田は1世紀ころの登呂遺跡でも発見されています。8ヘクタールの水田が広がっていたことが発掘調査で分かっています。
四番目の写真に復元された弥生時代の水田の写真を示します。

日本人は2000年も前から米を大切に育て稲作を伝承して来たのです。これからも1000年、2000年と長い年月、この稲作は続くと私は信じています。米こそ日本文化のいしずえなのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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A級戦犯の靖国神社合祀後、昭和天皇は靖国神社の親拝を止めたお気持ち

2014年09月14日 | 社会・経済
「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白鳥までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ」


上の文章は昭和天皇が1975年以降、靖国神社へ行っていない理由だと言われています。この言葉は当時の侍従長官の富田氏のメモとして2006年に公開されました。

こんどの昭和天皇実録公開ではこのお言葉は書いてありません。しかし「話があった」とだけ書いてあるそうです。
上のお言葉にある松岡は日独伊三国同盟を作った松岡洋介外務大臣であり、白鳥は三国同盟締結に狂奔した白鳥敏夫外務省顧問でした。
「松平の子の今の宮司」とは元海軍将校で靖国神社宮司の松平永芳氏のことです。彼がA級戦犯合祀を実行した宮司だったのです。
そして、筑波とは貴族院議員で松永宮司の前の宮司の筑波藤麿氏のことです。

昭和天皇は始めから日独伊三国同盟には強く反対していて、松岡洋介や白鳥敏夫を蛇蝎のごとく嫌っていたという話も戦後、世間に流れていました。

昭和天皇は日英同盟のような時代に戻したいと思っていたのです。ドイツやイタリアの独裁者と組むことに強く反対していたのです。

拙速な政策で300万人もの日本人の犠牲者を出したA級戦犯たちを憎んでいたのです。A級戦犯は欧米に対して犯罪を犯したのではなく愚かな政策の実行で300万人の日本人の犠牲者を作ったのです。この罪の償いはしなければなりません。
責任重大なのです。
昭和天皇は一般国民を大切に思っていたのです。国民を愛していたのです。

昭和天皇は昭和21年から29年にわたって、全国の津々浦々へ行幸なさったのです。
仙台市へいらした時は私は小学6年生の秋でした。小旗を振ってお迎えしました。
天皇は行く先々の各地の人々の群れに囲まれ、天皇の顔は明るく輝き、楽しそうでした。

この時ほど昭和天皇を身近に感じたことがありませんでした。
沖縄県以外は全国の都道府県をすべて巡幸されたのです。
沖縄県には一般市民を犠牲にした痛恨の思いがあったのですが、当時の政治情勢からついに行幸がかないませんでした。

そんなことを思い出させる最近の昭和天皇実録の公開でした。


以下に立川市にある昭和天皇記念館の写真をお送りいたします。
写真は2008年7月31日に訪問した時に撮ったものとHPから転載したものです。

なお展示室の右手上には6枚の大型液晶画面があり、87年のご生涯の映像が出ていました。

晩年にテレビ記者と会見したときのお元気な御声をかなり長時間聞くことができます。これは係の人に申し出ると見ることが出来ます。

展示室の中央には昭和10年から52年までご愛用になられた箱形ベンツ乗用車が磨きあげて飾ってありあす。たびたび新聞写真でみた懐かしい乗用車です。

詳しくは記念館のホームページ、http://www.f-showa.or.jp をご覧下さい。

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日本民族の精神の強さと美しさ・・・良質な愛国心の薦め

2014年09月14日 | 社会・経済
最近、社会は急に右傾化し、軍備強化や集団自衛権の行使などの方向に走り出しました。
その結果、戦争が起きると恐れている人々もいます。

しかし、そう簡単に第二次世界大戦のような大戦争は起きないと思います。その理由は今や世界中は相互に大きな経済投資をし、外国に工場や支店を多数有しているからです。
この経済交流の深さが保険のようになっていて先進国同士の大戦争は起きにくい情勢にあるのです。

しかし最近、間違った愛国心が横行し、韓国や中国を悪しざまに非難している人々がいます。そういう行為は日本人の尊厳を傷つけ、日本人に対する国際的な評価をひどく下げているのです。

それでは良質の愛国心とはどういうものでしょうか?
善い愛国心は沢山ありますが、今日はその一つの例をしめします。

下に京都にある三十三間堂の写真を3枚示します。
一番目の写真の出典: http://buddy0104.blog38.fc2.com/blog-entry-624.html
二番目の写真の出典:  http://item.rakuten.co.jp/naka/61324/
三番目の写真の出典:  http://www.geocities.jp/noharakamemushi/Koshaji/Sonota/33gendou.html

この三十三間堂にある千体の仏像は日本人の精神文化の象徴の一つです。
玄奘三蔵法師がインドへ旅して持って来た経典の教えが日本へ伝わり、日本人は連綿と仏教を信仰しています。

千年以上の長きにわたりお釈迦様の教えを信じることは日本民族の精神の強さと美しさを示しています。証明しています。
どんな迫害があっても佛教の教えをまもるというその精神は美しいものです。

迫害されても善いものを信じると言えば、江戸時代の250年間にわたる隠れキリシタンの揺るがぬ信仰心ももう一つの例です。

明治維新でフランス人神父が長崎に教会を建てたとき、隠れキリシタンが現れ、神父さんが日本へ帰って来るのを250年間待っていましたと言ったのです。このニュースは世界中に広まり、日本民族の精神の強さが称賛されたのです。

余談ながらこの隠れキリシタンの信仰告白は早すぎました。明治政府は江戸時代の禁教政策を墨守していたのです。長崎の隠れキリシタンは大勢逮捕され、本州の各地に流され、拷問に会いました。そして一部のキリシタンは各地で処刑されたのです。

それはさておき、日本人の仏教やキリスト教へたいする揺るがぬ信仰心は精神の純粋性とその強さを示しているのです。

このような日本民族の善い特徴を自慢することが一つの善い愛国心の実例です。そして精神力の強さを戦争の方向へ悪用しないようにすることも併せて重要なことです。
偏狭な愛国心は戦争への道です。他国を非難するのは戦争への道です。

もっと人間にとって普遍的なことで日本民族を自慢し、それを誇りに思っているかぎり戦争にはならないものです。
そんなことを考えさせるのは、最近の日本の右傾化現象のためなのでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


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いきなり変わった話題ですが

2008年03月04日 | 社会・経済

ブログといえば美しい花や鳥の写真、グルメ情報、趣味の話、子育て日記、などなどと身の回りの個人的なことが主に話題になります。

しかし、たまには外国の子供達の貧困へ目を向けてもよいのではないでしょうか?

以下の情報は、たまたま知ったセーブ・ザ・チルドレンという国際的な団体のホームページから抜粋したものです。なおこの団体は1917年、第一次大戦中にイギリスの婦人が始めたものです。

現役を引退して随分長い年月が過ぎました。そこで従来年会費を払っていた幾つかの学会や協会、あるいは種々の学校の同窓会を退会しました。そのお金の一部を下記の団体へ少しばかり寄付しました。そんな気軽な老後もあっても良いのではないしょうか?

まあ、面白くも可笑しくもない独り言を掲載して済みません。(終わり)

「知っておいても良いこと!」(抜粋です)
(1) 3秒に一人、貧困を原因とする病気や飢えで子どもが死んでいます。
貧困により、毎日3万人の子どもの命が奪われています。貧困により、数百万人以上の子どもが、ヘルスケアや教育、そしてよりよい未来へと羽ばたくチャンスを失っています。
(2)開発途上国では、7人に一人の子どもが5歳の誕生日を迎えることができません。
毎年1,000万人の5歳以下の子どもが簡単に予防できる病気で命を落とし、数百万人の子どもが衛生的でない水の摂取や不十分な衛生設備のために病気にかかっています。
(3)毎年400万人の赤ちゃんが、生まれてから一ヶ月足らずで死亡しています。
6億人以上の子どもたちが、一日1ドル以下で暮らさなければならない家族の中で生きています。
(4) 世界で7,700万人の子どもが学校に通っていません。読み書きや簡単な計算が出来るようになる前にドロップアウトしてしまう子どもたちもたくさんいます。
詳しくは、http://www.savechildren.or.jp/ をご覧下さい。

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「地域活性化と地方文学会」

2008年03月01日 | 社会・経済

何年か前に経済産業省からT氏が茨城県の商工労働部長として出向していた。地域経済活性化のために強い情熱を持ち、いろいろな政策を実行していた。筆者もつくば市地域の活性化のためにイベントを提案したりベンチャー企業同士の連絡網を作ったりした。

地方経済活性化というと株式会社の新規登記がいくつあるか?利潤を上げている企業はいくつ有るか?などという経済活動のことが中心になる。

しかし、つくば市のいろいろな人々に話を聞くと、地域活性化は経済的なこともあるが

むしろ住んでいる人々の社会活動や文化活動の豊かさへ関心が深いことが分かった。

つくば市の美術館の企画展、音楽会の計画、そして「里山を守る会」などがよく話題に上がった。

以前、伊東市の地域文学会の「岩漿」16号誌の読後感の記事を掲載した。その折に感じたことは「岩漿」は地域活性化へ貢献しているのではないかということである。そこでこの文学会の成立のいきさつを会の代表の木内光夫氏に問い合わせた。

11年前の平成9年に違う職業の5人が意気投合して結成したそうである。詩人で会社経営のK氏、元地方紙の記者で会社員のM氏、書家でペンション経営のA氏、主婦で地域婦人運動家のF氏、そしてホテル勤務の木内氏の5人である。このように5人が相談出来たのは偶然ではないだろう。そのころは全国の地方自治体や商工会議所などが異業種交流を盛んに進めていた時期であった。伊東市もその例外ではなかったのだろう。

この文学会は、その後財政的な問題を解決しながら30人から多いときは50人の会員で11年間も存続し、同人誌「岩漿」を16冊も発行している。国会図書館から静岡県の市町村の公共図書館へ寄贈し広く地域の人々を読者とし、地方の文化活動を豊かにしている。他にこの文学会は単行本の発行や地方の多くの文学会とも交流している。

地域活性化を推進するとき経済的なことと同時に地域の文化活動の活性化も同時にすすめたほうが良い。最後にもう一つの身近な例を記してみたい。筆者は東京都の小金井市に44年住んでいるがここには小金井新聞という旬刊の小さな新聞が38年前から存続している。読売新聞購読者へ10日おきに配達されている。記事内容があくまでも小金井市政や小金井警察署、消防署の活動や地域のイベント、市内書店のベストセラー、休日診療の病院リスト、などなど住民への情報サービスを行っている。38年間編集方針が変わらないのが安心できる。また「小金井風土記」などのような地域歴史書の発行もしている。このような小さな文学会やミニ新聞社は全国に数多くあるだろうが、上記ではたまたま身近にあった2つの例を示した。

インターネットを用いたホームページやブログも地域活性化にとって非常に重要であるが、小さな新聞や地域に基盤をおいた同人誌も大切にしたい。   (終わり)

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ブログとベンチャー企業の隆盛(5)あるベンチャー起業の成功の例

2008年02月01日 | 社会・経済

@大手企業からスピンアウトしてベンチャー起業する

日本の社会・経済構造をアメリカのようにしよう。そんな風潮は米国生まれのインターネットの普及で拍車がかかる。経済産業省も数年前から大学や大手企業からのスピンアウトを奨励している。しかし、よらば大樹の陰、そんな冒険を冒す人は少ない。数こそ少ないが、ここで成功例の一つを紹介したい。

小田急線の相模大野駅の北側に株式会社グリーンアヴェニューという会社がある。ホームページは,  http://www.g-avenue.com である。

庭、門扉、塀、駐車場などの家の外側を独創的なデザインで見事に作り上げている会社である。ホームページの作品例を開けてみるといろいろな家の色調・形に調和した門扉、塀、庭の楽しい写真が並んでいる。

社長は近藤州平氏、1965年オハイオ州生まれである。大手住宅関連企業からスピンアウトして独立したのが2004年。現在は社員7人、契約社員を含めて総勢40人で関東一円にエクステリアの受注実績を誇る。

@ベンチャー起業の成功の鍵は人との信頼関係

近藤氏がベンチャ-起業に成功した要因は個人的素質と起業を応援する社会的風潮とがある。強い独立志向。それはよくあることで驚くことではない。近藤氏は大手住宅関連企業で働いていた時に会った数多くの人々に信頼されていた。

独立後、この信頼関係こそが追い風になった。またそれに加えて、庭づくりの注文を受けるたびに新しい信頼関係を築いて行く。独りよがりの独創性を発揮するのでなく、注文主の好みにあった創造的な庭を作る。さらに注文契約内容以上のサービスをサプライズ・サービスとして加える。

ベンチャー起業をする人は資金集めに苦労する。日本では担保なして融資してくれる銀行は無い。そんな愚痴話が多すぎる。しかし起業の成否は資金の大小でなく人々との信頼関係である。それを信じて実行したのが近藤氏である。

日本にはベンチャー起業へ投資してくれる金融組織が少なすぎる。アメリカのように増大すべきだ。経済構造が違いすぎる日本ではベンチャーは育たない。こんな悲観的な記事が新聞によく出ている。

しかし近藤氏は資金集めより人々との信頼関係を重視した。その後で具体的なビジネスプランを作った、この順序が逆ではいけないと思う。

一方、ベンチャー起業の成功にはそれを支援するような社会的風潮も欠かせない。インターネットを直接利用した各種の情報サービス企業の多くは若いベンチャー起業家によってなされている。このような直接的な貢献の他に重要なものは「人々の独立志向を助長する」効果である。ホームページやブログを作ることはまさしく個人が企画し執筆した作品を自由に公に発表できる体験を重ねることである。

役所の許認可とは無関係に公的な仕事広げる、しれが社会にとって良いことである。その様な文化を作りだす。認可が非常に容易なNGOやNPOの増加がこの新しい文化の隆盛を示している。勿論、何事にも功罪があるが。

近藤氏のベンチャー起業の成功にはこの新しい社会文化の隆盛も重要な役割をしたと強調したい。

蛇足ながら近藤氏はインタービュー記事でも公表しているように片目が緑内障でほとんど見えないという。身体的ハンデキャップを克服してベンチャー起業に成功したことは人々へ勇気を与えている。(この項の終わり)

下の写真は昨年の梅の写真で水戸市の臨済宗常勝寺のものです。字を読んで疲れた眼を休めるための挿絵で、上記の文章の内容とは全く関係有りません。

撮影したのは筆者の友人で、水戸に住んでいます。

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ブログとベンチャー企業の隆盛(4)ブログの有効的役割

2008年01月31日 | 社会・経済

今回はブログを上手に使うとベンチャー企業が成功しますという一例をご紹介します。神戸に住み技術士事務所を開業している鈴木裕氏です。

日産自動車から数年前にスピンアウトして事務所を開設したベンチャー起業家です。ものづくり産業とサービス産業の経営者へマーケティング戦略と技術問題解決の助言をする事務所です。

筆者がある役所に依頼されベンチャー起業促進の手伝いをしていたころ彼と一夕お酒を共にしました。数年前の名古屋の夜の街でした。

「何故ニッサンを辞めて独立するのですか?」「自分らしい人生を送りたいためです」「自分らしい人生とは?」「国際自動車競技ライセンスを持った日本で唯一の技術士です。その趣味を広げ多くの人へラリーの面白さを広げたいのです」

実に明朗闊達で、情熱にあふれる黒い目が印象的でした。

筆者とは親子ほど歳が違うがすぐに友人になりました。それ以来折りにふれて付き合いを重ねてきました。最近ブログを始めたので、彼に「ブログとベンチャー企業の隆盛」について記事執筆を依頼したところ、すぐに原稿がきました。鈴木氏へ感謝しつつ、下記に、原稿をそのまま掲載します。なお彼のブログのURLは;http://blog.suzukiyutaka.com です。

下記の内容のお問い合わせは;http://blog.suzukiyutaka.com/archives/cat29/index.html へ直接お送り

下さい。

「営業を成功させるためのブログの使い方」 技術士、鈴木 裕

ブログは、今や中小企業のビジネスにとっては必須のツール。

これは、よく言われていることだと思います。

残念なことに、うまく生かしきっていない企業が多いと思います。

やってみたけれど、あまり効果がなかった、と言うような声もあります。

実は、ブログはちょっとしたコツで、企業から顧客への情報発信だけではなく、集客ツールとしても使えます。

その事について、私と、私のクライアントの事例を交えながらお話したいと思います。

ブログをビジネスに使う場合、顧客との間のコミュニケーションツールとしての役割が主になります。

これは、インターネット以前の紙の媒体で言えば、ニュースレターに相当するものです。

ニュースレターは、既存顧客との関係を保ちながら、そこに顧客のコミュニティーを築く、言うなれば、既存顧客を固定客化する、と言う効果があります。

また、ブログは、検索エンジンとの親和性が良く、いわゆるSEO対策が自動的に出来てしまう、と言うツールでもあります。

つまり、新規顧客を集めるためのチラシや広告の効果も併せ持っている、と言うことです。

後者の、検索エンジン最適化(SEO)の例については、例えば、私のブログは、Yahooの「神戸 技術士」で一位表示されます。

具体的にどのようなしくみになっているかはよく知りませんが、タイトルや記事の内容を少し工夫すれば欲しいキーワードで一位表示されることは難しいことではありません。

ただし、検索結果の一位に表示されるだけでは、購買には結びつきません。

私が、検索エンジンで一位表示されることよりも重要と考えているのは、コミュニケーションツールとしての役割です。

私のクライアントで、ゴルフクラブの製造販売をしている人がいるのですが、彼はこの点でとてもうまくブログを使っています。

彼のブログは、お客さんたちのコミュニティとなっていて、既存のお客さん同志、あるいは、お客さんとお店のコミュニケーションがとれるようになっています。

これもよく言われていることですが、中小企業にとっては、お客さんのコミュニティがある、と言うことは重要なブランドとなります。

コミュニティがあることによって、お客との関係が保たれます。

そうすると、またお店に訪問しやすくなり、リピート購買に結びつきます。

また、たまたま検索エンジンなどからブログを訪れた人が、その楽しそうな雰囲気についお店を訪れる、と言う効果もあります。

もちろん、何でもいいからブログがあれば売上が伸びる、と言うものではありません。

これは紙の媒体でもインターネットでも同じですが、集客のしくみづくりと文章力は必要です。

重要なことは、ブログは顧客との間のコミュニケーションツールである、と言うことです。

インターネットで検索する人のほとんどが何らかの情報を求めていると言われています。

ブログであれ、ホームページであれ、それが売り込みである、とわかったとたんに3秒で他のページに行ってしまいます。

ただ商品を列挙したようなブログもよく見かけますが、売上はあがらないと思います。

そこに、例えば、商品についてのお店のスタッフの意見や、実際に自分も使っています、と言うようなパーソナルな情報が、さらにはそのコメントとしてお客様の声が入ってくると売上は全く違ってくると思います。

ブログは、使い方次第で、とても強力な集客ツールになる、と言うお話をいたしました。(鈴木氏の原稿の終わり)

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蛇足かもしれませんが鈴木さんから来た手紙の一部と彼が撮った写真を入れます。

藤山杜人

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先週、寒波が来たので有馬に出かけました。
有馬温泉から六甲山頂に抜ける登山道沿いの滝が、冬場凍るのです。
冬に訪れるのは10年ぶりくらいですが、以前に比べて氷が明らかに少ないように感じます。
温暖化の影響かも知れません。
後になるほど氷は増えるので、また2月に行ってみようと思っています。

 鈴木裕

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あるテレビマンの死

2008年01月29日 | 社会・経済

村木良彦が死んだ。筆者の中学の同級生である。TBS社から独立し同志3人とともにテレビマンユニオンを1969年につくった。村木良彦という名で検索すると、「遠くへ行きたい」、「世界不思議発見」、「海は甦える」など歴史的な作品のプロデューサーの仕事をしたという輝かしい業績が並んでいる。そんなことは一切知らなかった。同窓会で何度も会って話したが、彼は自分の仕事のことは話さない。ニコニコ笑ってこちらの話を聞くだけであった。今日、都内のあるお寺で葬儀があった。弔辞を読んだのは昔の同志の今野氏であった。村木氏の業績のことは殆ど触れない。やさしく、穏やかで、決して怒らず。いつもまわりの人々に愛されていたと話す。ただ仕事のことになると、視聴率がもの言うテレビ番組作りへ鋭い批判を繰り返し、何時も良質の番組をつくる情熱に溢れていたそうだ。その思いでテレビ番組制作者連盟という組織を創り、自ら理事長を務めていた。日本のテレビ番組の質的向上へ意欲を燃やし続けてきたそうである。

どんな業界にも良識派という人々が居る。しかし彼らはとかく同業者を批判はするが自分は手を汚さない。今野氏の弔辞によると村木氏は番組を作る仕事で手を汚しながら低俗な番組に果敢に立ち向かったらしい。よほど情熱を燃やし続けないとうまく行かない。そんな内容の弔辞であった。

死んだ人の輝かしい業績だけを羅列する弔辞も多い。しかし、死者の優れた人間性を賞賛する弔辞ほど生き残った人々へ勇気を与えるものは無い。

昔、仙台にいたころ村木君の家へよく遊びに行ったことを思い出しながら葬儀会場を後にした。知人、恩人の葬儀のことをブログに書くのは憚られるが、マスコミの業績のみを羅列した短い記事へささやかな補足をしたいと思う。

            合掌。                     藤山杜人

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ブログ人へ感謝し、敬意を感じています!

2008年01月09日 | 社会・経済

@ブログ人へ感謝し、敬意を感じています!

昨年11月の初旬にブログを始め丁度2ケ月になります。今朝で総アクセス数が4008件になりました。このつたないブログを訪問してくださった方々へ深い感謝の気持ちをお送りいたします。有難う御座いました。

この2ケ月の間に14の写真集をフォトアルバムとして掲載しました。そのそれぞれの総アクセス数も分かりまいた。アクセス数の多い写真集は、2つでした。(括弧の中の番号は総アクセス数の多い順序をしめす);

(1)「中古ヨットの見分けかた」、458件

(2)「山林の中の小屋」、421件

一方、アクセス数の少ない写真集は3つでした;

(12)「人影のない八ヶ岳アウトレット風景」、68件

(13)「昭和天皇陵、大正天皇陵の写真」、63件

(14)「冬の蒼穹と清春白樺美術館風景」、53件

それぞれの写真集の掲載を始めた時期が違いますので断定的なことは言えません。

しかし自分の長年の体験から滲み出すような気持ちで撮影した上記の(1)と(2)が多かったことに驚き、そして嬉しく思いました。

14の写真集の大部分の題目は多くの人々の興味をひくように無理して綺麗なテーマにしました。そういうのは題目だけ見て、内容は平凡、見る価値無し、と判断されたらしく見て下さいませんでした。それで想像出来ることが幾つかあります。ブログを見る人々は独自の価値観を持っている。平凡な内容のものには関心が無い。たとえ写真が下手でも撮る人の気持ちが込っているフォトアルバムは開けてみる。その判断が題目だけを見て瞬時に出来る。

このような価値観と能力を持っているブログ人へ深い敬意を感じます。

自分への反省もしています。写真を撮るときは魂を込め、心の目で撮る努力をする。

人々の興味を引くような題目を無理して作らない。深い内容の写真集を企画すべきである。

「北杜市・自然の中で」というブログをしている鬼家雅雄さんのお勧めで、2ケ月前にブログを始めました。お陰でブログ人とはどの様な人々なのか、少し分かりかけました。

このブログを見て下さる方々へ深い感謝と敬意をお送り致します。

敬具、 藤山杜人

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zebra1192さん、コメント有難う御座います。

2008年01月08日 | 社会・経済

zebra1192さん、コメント有難う御座います。

確かにインターネット文化は古来の伝統的な日本の文化を破壊する傾向があると思います。

このzebra1192さんからのコメントは深い、そして重要な意味を持っていると思います。

短兵急に反論する気持ちは毛頭ありません。それよりもこのブログをみている方々のご意見を頂ければ幸いと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。敬具、藤山杜人

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代々木高等学院なるユニークな教育機関についての紹介拝読致しました。今までの教育のあり方、或いはいまの教育のあり方に対する一色氏なりの考えに基づき、インターネットを活用することにより、新しい形の教育を試みておられることには、充分評価に値するものでもあり、大したものだと思うものです。ただ基本理念の中で、生徒はお客様的考えがある点には、だから古いのだと言われるかも知れないが、今の若者達の精神構造に迎合するものの様に思われてならない。その良い例示を出されているが、修学旅行での記念写真の際に教師が中央に座るのはおかしいとの指摘、確かに自分から中央に納まるのはどうかと思うが、生徒達が、先生に敬意を表して座らせる様な雰囲気が生徒達に身についている様、育成・教育するのが、真の教育ではないのか。そうでないからこそ、教師を教師とも思わない(まるで友達)とか、親を親とも思わぬ若者が増え、今の荒廃を招いているのでは。必要なのは、こうした現在の状況への対症療法ではなく、その根本原因を取り除かねばと思うのですが。その為にはやはり小さい時からの教育と言うことになるのでは。新年早々老人丸出し論で悪しからず。

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ブログとベンチャー企業の隆盛(4) 

2008年01月08日 | 社会・経済

@インターネットによる地方経済の活性化

以前、茨城県庁の商工労働部へ経済産業省からT氏という行政官が部長として出向していた。地域経済活性化とベンチャー企業の育成に情熱を持ち数々の施策を実行していた。良い情熱を持った人と感動し、筆者もその一部のお手伝をした。

その折に幾つものベンチャー企業を訪問した。新しい計測器を開発、販売している会社、店舗用のソフトの開発会社、DNAを用いて家畜の販売ルートを明確にするサービスを試みている会社、高速コンピューターの新システムを試みている会社、などなどへ行ってみるとどれもが元気一杯であった。

経営者に会っていろいろ聞いてみて分かったが、これらの会社はインターネットを用いて新商品や新サービスを全国へ販売している。東京へ出て行かないで地方に居て営業活動をしている。良いものを創造すればインターネットを通じて全国へ売れる。

@インターネットによる松前町の活性化に実例

先日、松前町の六郎さんからこのブログへコメントを頂いた。そこで六郎さんのブログを見る:http://kohjin.web.fc2.com

彼は松前に住み着いて音楽家として作詞、作曲、演奏活動を活発にしている。

とくに最近ヨットの曲、Sailingという曲を発表し全国でよく歌われるようになっているそうである。

また松前町観光協会の理事として地域の活性化のために尽力している。

このような方々が地方に増えている。

その原因が幾つもあろうが、一つには大都市圏に出なくてもインターネットで広報、営業活動が出来るからである。

広報・営業のような経済活動だけでなく、その派生的効果も大きい。六郎さんのような方は単に地域経済を活性化をするだけでなく、地方の生活の質を上げ、若者を地域に定着させる効果がある。彼のように全国で有名になりつつある音楽家や芸術家が地方に分散し、その地域の生活を芸術的な面でも魅力的にしている。そうすれば自然に若者も定着する。

ブログをされている人々は個人として独自の境地を開いている。組織や都会になんとなく頼るという精神風土から離れることが容易である。

インターネットは経済活動の強力な武器の一つではあるが、筆者が強調したいことはその精神風土への大きな影響である。組織優先的精神風土からの脱却の促進こそが衝撃的な影響ではなかろうか?功罪両面はあるがあまりネガティブな影響や効果のみを強調するのは建設的な結果にならないと思う。(続く)


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「ブログとベンチャー企業の隆盛」(3)

2008年01月07日 | 社会・経済

@インターネットとベンチャー起業の密接な関係の実例

ベンチャー企業の隆盛のために必要な社会構造や文化的背景はインターネット、とくにブログの普及によって醸成される。その因果関係を論述する前に筆者の個人的な体験をご報告したい。

13、4年前に代々木高等学院というところで4年間ほど働いた。理事長は一色真司氏で、現在もJRの代々木駅の北側に看板が見える。彼が考え出した大変ユニークな高等学校である。

http://www.yoyogi.net/

国民学校、新制市立中学校、県立高校、国立大学の教育しか受けなかった筆者にとっては驚くべき体験の連続であった。一色氏の信念は「学校は生徒のために有るもの。決して先生や経営者のためにあるのではない」というものであった。

学校は立身出世のため、そして国家繁栄のためにあると考えていた筆者は一色氏とよく議論した。ある日、彼は自分の家からコンピューターを持ってきて「これで、インターネットで広く情報をとる方法を覚えて下さい」と言う。

彼はインターネットを駆使し不登校に関する情報を集め、どの様な学校が必要とされているかという問題に一つの結論を出した。

中学校までは個人的な理由であまり勉強出来ず高校へ進学出来ない生徒。しかし高校は卒業したいし大学へも進みたい。そんな若者も多い。そこで通信教育制の高校と提携し、交通の便の良い代々木で実質的には普通の高校と同じ学校を続けることにした。

不登校の原因は複雑で簡単には解明出来ない。しかし学校で成績を重視しすぎているのが不登校を増加させている一因であろう。

「生徒のための学校」を実現する具体的な方法は多岐にわたる。まずそれを実行しようとする先生を集めなければならない。採用試験は一色氏の考えに共鳴し、かつその変革への実行力が有るか否かできめる。

日常の教室での先生と生徒の関係の築き方、職員室での机の並べ方、生徒の自由な出入りとある種の規制、などなど多い問題を一つ一つ解決しなければならない。ある時、修学旅行で行った観光地での集合写真を持ってきて一色氏が言う、

「この写真では先生が真ん中に座って居るでしょう。これでは従来の学校の考え方です。先生は端の方に映っていて丁度良いと思いますよ」またこうも言う「学校はある意味ではレストランと同じでお客が生徒です。お客の好みの料理を出さないで、シェフの好みで料理をだすレストランは良くない」

先生が偉いから集合写真では真ん中に座る。生徒は何を勉強すべきか分からないから先生の考えで教える内容を決める。こんな考えが従来は強すぎたのではないでしょうか?このような事業が成功し、もう15年も続き卒業生も1500人になるという。これは一色氏の個人的な企画・実行になる一種のベンチャー企業であり、その企画と生徒への広報活動においてはインラーネットが非常に重要な役割を果たしたことが明白である。(続く)

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zebra1192さんへの感謝

2008年01月06日 | 社会・経済

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最新ブログ拝見、貴殿の好奇心の旺盛さ、以前にも記しましたが、今回のスポーツ・カーも然りです。海(ヨット)と言わず、山(別荘・登山・トレッキング)、今回の陸ですか、結構資力・体力が必要と思いますが、決して皮肉でなく、これだけ人生を思う存分楽しめれば、言う事ありませんね、羨ましき限りです。おそらく小生の周りを見渡しても貴殿以外は見当たりません。生きる楽しみと言えるのかも。
 ブログ論についてですが、今や猫も杓子もと言う感じですが、やはり時代の生み出した、新しい文化と言うことになりますかね。我々世代のようにIT化以前の文化も経験している人間は、これによって行過ぎたり、過ちを起こす事は少ない(勿論中にはいる様だが)と思うが、IT文化しか知らないで(教育でしっかり教えれば別だが、どうも心もとない)、これが全てだと思って、育って行く様では、先が思いやられる。いみじくも作家柳田邦男氏が著書「壊れる日本人」でも述べられているが、その通りだと思う。下らぬコメント悪しからず。

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