東京の人々は忘れてしまったようですが、昔の東京には世田谷城、八王子城,、渋谷城と片倉城などお城がいろいろあったのです。
鎌倉時代の後は室町時代です。しかし室町幕府の力が弱く、その権力は遠い関東には届きませんでした。関東地方は鎌倉時代の直後からいきなり戦乱の続く戦国時代に突入したのです。その時代に関東地方では数多くの城や砦が作られたのです。現在の東京都にあった城や館は次の通りです。江戸城、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどです。東京都だけでこれだけあるのですから関東地方一円にはもっともっと数多くの城が存在していたのです。
今日は世田谷城と八王子城と渋谷城と片倉城をご紹介したいと思います。
世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城で世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えたのです。
貞治5年(1366年)に吉良治家が世田谷郷を領有します。応永年間(1394年 - 1426年)頃には館として整備されたと考えられています。
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原征伐により豊臣氏勢に接収され戦役後廃城になったのです。
世田谷城阯公園内から北に向けて延びて空堀及び土塁が現存しています。世田谷城阯公園内の遺構は手が加えられていますが豪徳寺住宅脇の遺構は良く旧態を留めています。2020年に撮って来た写真を示します。
1番目の写真は世田谷城阯公園の説明板です。世田谷城は吉良氏によって築かれた平山城で世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた城だったと書かれていました。
現在は世田谷城阯公園の正面入り口の石段だけが当時のものです。
さて八王子城は世田谷城よりずっと後の時代に作られたのです。
小田原城に北条早雲が拠点を置いてから4代目当主北条氏政は関東中央部までを支配するようになっていました。その氏政の弟の氏照が作ったのです。
しかし天正18年、1590年6月23日に落城します。秀吉に忠誠を約束した前田、上杉、真田の軍勢によって滅びされたのです。以前に行って自分で写した八王子城跡の写真です。
2番目の写真は本丸の主殿へ登る石段です。
3番目の写真は本丸の主殿を守る石垣です。
現在は本丸の主殿が存在していた場所は広場になっています。なお戦をする時の本丸は裏山の高い頂上にあり、現在そこには土塁だけが残っています。
1590年に八王子城を攻めたのは信濃から進撃してきた前田利家、上杉景勝、真田正幸の連合軍です。上州の支城を北から席巻し、6月23日には15000人の勢力で4000人が守る八王子城を速攻し夕方には落城させたのです。
八王子城が落ちた6月23日は城主の北条氏照は小田原城に居て留守であったことも敗北を早めた一因でした。
天正18年は関東、東北地方に散在していた多くの戦国大名が秀吉一派に敗北した年です。八王子城のような悲劇は関東全域の各地で起きたのです。
その後徳川家康が豊臣家を滅ぼし全国を統一し江戸幕府を開いたのです。
関東は鎌倉幕府の倒れた1333年から江戸幕府が始まった1600年までの267年間は戦乱が続き実に数多くの城や砦が作られたのです。一般の農民にとっては苦難の時代だったのです。
さて渋谷城と片倉城をご紹介いたします。
現在の東京の繁華街に渋谷城があったのです。その理由で渋谷区という名前が出来たのです。
渋谷城には平安時代末期から渋谷氏が住んでいました。城には渋谷川を水源に水堀をめぐらされていたのです。
しかし室町時代になり大永4年(1524年)に北条氏綱が関東南部を占領し、渋谷城は後北条氏の一隊によって焼かれ渋谷氏は滅んだのです。
現在、渋谷城のあった場所には金王八幡宮があります。遺構は残っていませんが、境内には城の石が1点だけ保存され展示されています。
4番目の写真は金王八幡宮の境内に展示されている昔の渋谷城の石です。
渋谷城のあった場所に現在は金王八幡宮があります。金王八幡社は渋谷駅から歩いて行けるところにあります。しかし渋谷氏一族の動向については分かっていません。1524年に江戸城が後北条氏に奪われた時に渋谷氏一族は城を捨て滅んだのは確かな事です。
現在の社殿は、徳川家光が三代将軍に決定した時に1612年に造られ、その後何回か修理したものです。
現在の渋谷区のこのあたり一帯の高台は渋谷氏一族の居館跡でした。東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い谷地の黒鍬谷があって、昔は数ヶ所に涌泉があったのです。
この渋谷金王丸常光が渋谷城主になっていた時期があったため渋谷城は、金王丸城とも呼ばれ、現在の金王八幡社になったのです。
それにしても皆様は渋谷駅のそばに平安時代から渋谷城が存在していたことをご存知でしたでしょうか?
さて話は変わり謎の片倉城をご紹介いたします。
このお城は八王子の郊外にあり小高い山の上にありました。土塁や堀の遺構ははっきり残っていますが誰が作ったかさっぱり判っていない城跡なのです。
5番目の写真は片倉城の見取り図です。
頂上にある本丸跡は広場になっています。私は片倉城には以前に何度か登りました。
6番目の写真は城跡にある住吉神社でです。この写真も私が撮ったものです。
このお城は鎌倉時代よりも前の山城と推定されています。東京都指定文化財で、片倉城の城跡と周辺の優れた自然環境の保全を目的とした公園になっています。二の丸広場周辺の空堀などの遺構を見ることができます。
片倉城の詳細は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%80%89%E5%9F%8E にあります。
学校で習う日本の歴史は天皇や幕府のような中央政権に関する歴史が主なものです。今日ご紹介したような地方の歴史は教えません。自分で少し地方の歴史を調べてみると判らないことが非常に多く興味が尽きません。
歴史の闇に消えてしまった地方の武将や領主の野望が地方の歴史を作っていたのです。それは儚い夢でした。嗚呼。
今日は世田谷城と八王子城と渋谷城と誰が城主だったか分からない謎の片倉城をご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)