後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

多摩川に沿って、その水源を用いた二つの地酒、田村酒造と小澤酒造のご紹介

2014年07月31日 | 写真

多摩川に沿って、その清らかな水源を使った美味しい地酒があります。

福生市の文政5年創業の田村酒造 (http://www.seishu-kasen.com/)の嘉泉と、青梅市の元禄15年創業の小澤酒造 (http://www.sawanoi-sake.com/)の澤の井です。

特に田村酒造の美しい建物群は国が認定する有形文化遺産です。 (http://www.seishu-kasen.com/bunkaisan)をご覧下さい。

昨日、奥多摩への小さな旅をした折にこの2つの酒蔵の写真を撮ってきたのでお送り致します。この2つの酒蔵の詳細はそれぞれのHPをご覧下さい。

なお全く個人的なことで恐縮ですが、家内は上の田村酒造と親戚関係にあります。家内の祖母の雪おばあさんの弟へ田村酒造の娘さんがお嫁に来たのです。

その雪おばあさんの弟の家には私も何度か行きましたし、家内も子供の頃何回も泊まった楽しい思い出があるそうです。

この雪おばあさんは明治女の傑物でした。才覚も度胸もあるのですが女性としての優しさに溢れていました。

私たちが新婚のころ半年ほど同居していましたが、当時、本郷の大学に勤務していた私のために毎朝、釜戸に火を焚いて、ご飯を炊いて温かい弁当を作ってくれたのです。私どもも孫として雪おばあさんをその後、自宅へよんだり、相模湖や小金井公園の櫻見物に案内したことが良い思い出になりました。

昨日、田村酒造の写真を撮りながら、そんなことを思い出していました。

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ブランドと人の心(4)ワインのブランドは日本独特の文化

2014年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本ではワインといえばボルドーが最高級と信じ込んでいる人が多いようです。

そしてボルドーというブランド名が独り歩きをして人々はその言葉をやたら有難がっています。それはワインに限りません。

産地の名前をブランドと変えてしまって、言霊のように崇め奉る人の心はやはり日本独特の文化ではないでしょうか?

ボルドーのワインはブドウの出来、不出来によるので生産した年の気候によって決まります。ですから不味い年もあるし、美味しい年もあるのです。そんなことを一切気にしない日本人が多いのは困ったものです。

昔、南ドイツに住んでいたころ毎晩のようにワインを飲み、ドイツ人と何処のワインが美味しいか議論したことがありました。

そうしたら彼等は産地ではなく天候しだいだと言います。そしてボルドーのワインは不味いと言います。

南ドイツではモーゼル川の沿岸の南向きの斜面でとれたブドウで作ったワインが美味だと断言するのです。

そして、そのブドウを摘み取る時期によって酸味、辛口の度合い、甘味、味の深さ、フル-ティさなどが違います。ある人が遅い時期に摘んだ濃厚な味が好きだと言えば、他の人は早摘みの軽やかな味が好きだと断言します。

それで気がついたのですが、ヨーロッパ人は自分の国のワインを最高と信じ、外国のワインをあまり飲みません。ボルドーは日本でだけ有名なのです。

この連載では産地の名とブランドとは違い、外国ではブランド名を産地という意味で使っているのに日本では崇め奉る言霊として使っていることを説明したかったのです。ところがこの説明をどうしても理解してくれない人が多いのです。

例えばシャネルという商品はココ・シャネルとその一派の人々の独創性を尊重して製作者の名前を言っているのです。シャンルの商品が全て良いと保証している訳ではないのです。自分の好みにあった商品だけを買えばよいのです。

たまたま昨日、昔仲人をした夫妻から例年のように盛岡市の五枚橋ワイナリーのカベルネ・ソーヴィニヨン2012というワインを一本送ってきました。

さて栓を抜こうと箱を開けたら、そのまえに読んでくださいというように小さな紙が出てきました。その紙にこのワインの説明があるのです。

ビン詰め本数は316本、750cc,アルコール度13.5%です。そして以下の文章があります。

===============================

前年の凍害にもめげず、生き残った葡萄の枝は力強く、良い房をつけてくれました。発酵後のワインは、しっかりした手応え。今までのカルベネのように、やや酸味を伴った爽やかな果実味というよりは、厚みがあってやや縁が柔らかい、風格のようなものを感じます。奥行きがしっかりとあり、魚貝類に良く合う(葡萄酒を作る)土地の個性はそのまま。ちょっと成長し、大人になったカベルネの印象です。

================================

上の説明文の良い点は以下のようです。まず葡萄酒の味は作る年によって変わりますと明言していることです。2012年ものは従来のフル-ティなさわやかな味ではなく、濃厚で重い味に仕上がってと言っているのが明快です。遅摘みのワインに近い味です。そして魚貝類の料理に合うと言うのですから地中海に近い南フランスのワインに似た味なのです。最後の文章の・・・ちょっと成長し、大人になったカベルネの印象です。・・・で決まりました。濃厚で奥行きのあるワインが好きな人には良いと言っているのです。

このような説明書きを読むとブドウ栽培の苦労や発酵工程の苦心が偲ばれます。そして出来たワインは年ごとに違うのです。

気に入るか入らないかは飲む人の勝手です。とにかく誠心誠意作りましから気に入ったら飲んで下さい。そんな姿勢が好ましいのです。

五枚橋ワイナリーは有名なブランドではありません。ブランドなどどうでも良いのです。人それぞれ好みは違いますがきっと気に入ってくれる人がいると信じています。このようなメッセージが清々しいのです。

そこで、このワインの合うような料理を作ってから味わうことにしました。

エビ、イカ、ムール貝などをオリーブ油で炒め、トマトの切ったものを多めに入れ、塩、コショー、で味付けし、ローリエを加え、ゆっくり煮込んだ地中海風の料理を作ってからワインの栓を抜こうと考えています。

下にこのワインの写真をしめします。

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隠れた奥多摩の美しい古刹をたずねる・・・その悲劇的な歴史

2014年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

美しい古刹といえば奈良、京都、鎌倉に沢山あります。

しかし美しくて古いお寺が奥多摩の山中にも一つあります。有名ではなく観光客も来ないのでいつ行ってもヒッソリと静かです。奥多摩の山々に隠れているようです。

青梅の町を過ぎ奥多摩街道が二俣尾に差しかかると右側の山に白壁の塀をめぐらせた古いお寺があります。高台の上に建っていて、そのたたずまいが魅力的です。そのお寺は海禅寺といい、江戸時代より随分と前の1400年ころの開基です。

昨日、久しぶりにお寺にのぼり、境内を散策して来ました。まず写真をご覧下さい。

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奥多摩街道に面して山門があり、中に入ると鉄道の奥多摩湖線の踏切があります。その踏切の向こう側の山に写真のような古刹があります。

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石の階段を登ると上の写真のような見事な楼門があります。

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楼門の奥に上の写真のように本堂が静まり返っています。暑い夏の陽が射し裏山でしきりにアブラゼミが鳴いていました。

このお寺の歴史と滅亡した豪族の三田氏の悲劇を思いかえしながら境内をゆっくり歩いてきました。このお寺は三田氏の菩提寺でその豪族の運命に翻弄されたのです。

現在の青梅市から奥多摩の一帯は南北朝の頃から、この三田氏という豪族が治めていたのです。

しかし戦国時代の中ごろになると北条早雲一族のいわゆる、後北条氏が関東地方を占領してしまったのです。その北条氏の本拠は小田原城でしたが、一族の北条氏照(うじてる)は八王子城に居て、隣の青梅と奥多摩も手に入れようと狙っていたのです。

そしてついに1559年、三田一族は北条 氏照に殺されてしまったのです。

三田氏の悲劇は武田信玄の攻撃にも関係があります。

上の本堂の写真に写っている裏山には三田氏の辛垣城(からかきじょう)があったのです。ですから1563年(永禄6年)に三田氏が滅亡した際、海禅寺の建物も焼失してしまいました。 

三田氏が奥多摩の山々を越えて関東平野に出ようとする武田側につく前に北条氏照は三田氏を倒し、自分の兵力を奥多摩に置き武田信玄に対峙したのです。

しかしそれも17年間という僅かの間でした。

現在の東京都の西半分を広く占領していた北条氏照も天正18年、1590年の秀吉による小田原城の落城の直後、殺されてしまいます。

八王子城はじめ関東一円の小さな城の全てが落城し、秀吉一派の占領するところになったのです。

昨日たずねた海禅寺も再びこの戦乱に巻き込まれてしまったのです。

そして徳川の時代になると幕府から15石と朱印状を与えられ、お寺の名前を現在の海禅寺と変えて再出発したのです。

有為転変は世のならいと言いますが、この奥多摩の古刹にも何度か悲劇が襲ってきたのです。

皆死んで居なくなった後でも、山は変わらずに寺の後を包むように守っています。前には多摩川が何も無かったように昨日も流れていました。

この古刹の歴史を思い出しながら夏の日がまた流れて行きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=========海禅寺の概略==============

  • 海禅寺 についてはhttp://www.mapbinder.com/Map/Japan/Tokyo/Oumeshi/Kaizenji/Kaizenji.html   をご覧ください。   
  • 下に昨日撮った多摩川の写真を掲載いたします。
  • Img_9814_2    

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    夏の奥多摩へ小さな旅

    2014年07月30日 | 旅行記

    今日は夏の奥多摩へ小さな旅に行きました。
    夏の青空が朝から輝いています。思い立って、独りで車を駆って奥多摩の鳩ノ巣まで小さな旅をして来ました。
    多摩川上流域の古刹、海禅寺と梅岩寺を散策し、多摩川の地酒、「嘉泉」の田村酒造と、もう一つの地酒、「沢の井」の小澤酒造の写真を撮りました。

    そして54年前に婚約中だった家内と初めて行った鳩ノ巣渓谷まで行って来ました。茫々54年。アッという間に時が流れ去ったものです。...

    多摩川名物の「へそ饅頭」を家内へのお土産に買いました。
    多摩川の上流域は東京より涼しくて新鮮な川風が吹いていました。

    下に鳩ノ巣渓谷の写真2枚と御岳駅のそばの玉川屋という蕎麦屋の写真をお送りします。玉川屋のソバはお薦めです。その上、座敷の大きなガラス戸から多摩川の向側の山の緑が見え、眺望の良い蕎麦屋さんです。駐車場もあります。
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    西洋文化を深く理解するためのカギ・・・宗教的訓練という言葉

    2014年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

    明治維新以来、日本を近代国家にするために西洋文化の導入こそが一大事業でした。

    富国強兵のための科学や技術の導入に成功しました。そして、ヨーロッパの文学や芸術作品の紹介も精力的に行われました。

    現在、多くの日本人はヨーロッパ文化を完全に理解していると信じています。

    私もそのように思っていました。ところが私の西洋理解が浅はかだったと吃驚するような体験をしたのです。

    昔、アメリカ留学も終わりの頃、アメリカで就職するために「履歴書」の書き方を調べたのです。

    そうしたら履歴書の重要な部分に「宗教的訓練」の有無とその内容という項目があったのです。意味が分からずアメリカ人の同級生に聞きました。

    アメリカ人は気楽に、どの宗派のキリスト教の教会への何年間通ったかとか、日曜学校へは何歳の時、何年間通ったかを書けば良いのだと言います

    私はキリスト教の教会には行ったことはありません。すると彼は仏教に関して、僧侶の説教を何年間聞いたか、お墓参りは毎年行っているとか適当に書けば良いと気楽に言います。そして付け加えたのです。

    「宗教的訓練を受けていないと就職が難しくなるから必ず適当に書いておくのだよ」と真顔で忠告してくれたのです。

    その体験以来、私は「宗教的訓練」という言葉が忘れられません。

    それ以後、私は折々に西洋人の書いたキリスト教に関する本を読みました。教会に行って説教も聞きました。

    その結果、西洋人の感情や心の中には2つの共通な認識があると知ったのです。

    一つは「信じなければ理解出来ない」という考え方です。

    そしてもう一つは「信じるためには宗教的訓練を受けることが絶対的に必要だ」という考え方です。

    はじめの考え方は、信じなければ理解できない・・・多くの西洋人の共通な認識 という記事に書きました。(7月27日掲載記事)

    そこで今回は私の受けた宗教的訓練について簡単にご紹介します。

    兵庫県の能勢の妙見様のそばの山里にある正林寺で、祖父が住職をしていたのです。

    子供の頃、毎年夏、そのお寺に一家で帰省していました。

    そして、その祖父や叔父と一緒に意味の分からないお経を唱えていたのです。

    子供用の袈裟を着て、叔父とともに集落の家々を一軒一軒訪ね、お経をあげていたのです。お経は般若心経と大悲心陀羅尼などでした。

    これが私の決定的な宗教的訓練になったのです。この体験のお蔭で私は人間を超える絶対的な存在を感じたのです。存在することを信じたのです。

    そしてずっと後になって中年になってからカトリックの洗礼を受けました。すでに宗教的訓練を受けていたので何も抵抗感もありませんでした。現在もカトリックです。

    そして最近、テレビでイスラム教徒が集団でモスクで膝まづいて神を礼拝している光景をよく見ます。すると、つい彼等を尊敬してしまうのです。

    しかし一方では宗教の無力さも知っています。人間とは悲しいものです。

    クダクダ書いているとキリが無いので、もう止めます。今日の挿絵代わりの写真は多摩川の上流の涼しそうな流れの写真です。2010年の夏に撮った写真です。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

    後藤和弘(藤山杜人)

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    イスラム諸国は日本を尊敬している・・・しかし日本人は中東に関心が無い!

    2014年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

    このブログの2013年10月5日に以下のような題目の記事を掲載しました。

    イスラム諸国は日本の友好国!・・・おまり大きな声では言えない事実

    この記事の中でイスラム諸国の人々が日本人を尊敬している理由を以下のように3つ説明しました。

    (1)ヨーロッパのキリスト教の国々は11世紀、12世紀に十字軍を中近東に送り込み、現在のベイルート、ヨルダン、シリア、イスラエル、などなどの土地に数多くの十字軍国家を作り、残虐な統治をし続けたのです。

    その説明は2013年10月4日の記事、日本人には理解しにくい11世紀、12世紀の十字軍・・・十字軍が築いた中近東の城 で致しました。

    日本ははるか遠方に存在する国だったので勿論、十字軍は送れませんでした。この件に関して、日本は完全無罪です。

    (2)日本は仏教国なので一神教のキリスト教とイスラム教との間の戦争には完全に中立的な存在なのです。

    (3)イギリスの18世紀の産業革命以後に、圧倒的な武力を持つようになったヨーロッパ諸国とロシアが、中近東のイスラム諸国を保護国や植民地にしました。

    その憎いロシアを日本は日露戦争で敗ったのです。ロシアに権益を奪われていたイランをはじめイスラム諸国が拍手喝采をしたのです。

    そして第二次世界大戦では日本は勇敢にもアメリア、イギリスに立ち向かい、大きな損害を与えたのです。

    日本は敗けましたがこの大戦争のお蔭で、インド、パキスタン、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、サウジアラビアなどなどの諸国が独立国家になれたのです。

    当然のことながら、これらの国々は日本へ深く感謝しています。

    以上のように書いた後で、最近、宮田 律著の「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本の存在を知りました。内容に間違いが無いかと思い、失礼ながら宮田律さんのことをいろいろ調べて見ました。そうしたらイスラム社会を学問的に研究している真面目な学者だということが分かりました。静岡大学の准教授もしています。多くの研究発表もし、本も数々出版しています。

    そこで「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本の内容を知りたくなりました。

    そうしたら岡井盛夫さんという方がネットでその要約を紹介しているのを見つけました。http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html を是非ご覧下さい。

    そのほんの一部だけを抜粋した以下に示します。

    前の部分を省略して・・・・

    「イスラム世界と日露戦争」
          (1)19世紀以降、イスラム世界はヨーロッパの帝国主義に侵食された。栄華を誇ったオスマン帝国も、イギリス、フランス、ロシア諸国に進出され、帝国は弱体化した。帝国の支配下にあったアラブ地域は、イギリス、フランスの帝国主義勢力に分割支配された。
           ところが、中東でヨーロッパ支配が強化される一方で、アジアでは、小国日本がロシアとの戦争で勝利した。イスラム世界から、一斉に称賛の声が上がった。日本は、ヨーロッパ帝国主義に抵抗する国々にとって希望の光となった。
          (2)トルコのイスタンブールには、「乃木通り」や「東郷通り」がある。トルコは、オスマン帝国の中心であった。そのオスマン帝国の弱体化の一因は、北から進出してきたロシアであった。オスマン帝国は、露土戦争(1877-78)で惨敗した。オスマン帝国は長年ロシア帝国主義の進出に苦しめられたから、トルコ人はロシアに怨念を抱いている。そのロシアに、日本が勝利した(日露戦争)ことで、日本を称賛する感情が沸騰した。トルコ人は、日本人に対し、強い親愛の情を持った。
          (3)日露戦争の影響で、トルコでは、「トーゴー」「ノギ」「ジャポン」という名前を子どもにつける人まで現れた。
          (4)ムスタファー・カーミメル(1874-1908)は、エジプトの民族主義者である。彼は著書『昇る太陽』の中で、「日本の歴史こそ、東洋の諸国に最も有益な教訓を与えてくれるものと信じる」、と書いている。
          (5)エジプトの詩人・ハーフェズ・イブラホヒーム(1872-1932)は、日露戦争の従軍看護婦のことを称賛し、「日本の乙女」(長文の詩)を発表した。
          (6)ロンドン亡命を終えてスエズ運河を通過中の孫文は、「おなたは日本人か」と尋ねられた。「中国人だ」と答えると、「中国は日本に近い。日本がロシアに勝ったことを我が事のように喜んでいると、日本人に伝えてくれ」、と頼まれた。
          (7)タタール人のアブデュルレシト・イブラヒム(1852-1944)は、『ジャポンヤ』(日本旅行記)の中で、「日本人は改宗すれば、完璧なムスリムになれる」、と記述している。

    ・・・・・中略・・・・・・

    「イスラムの人の、日本人へのプラトニックラブ」

    イスラム世界には、遊牧民の伝統がある。ラクダ、ラバを使ったキャラバンの移動の歴史である。例えばイラン人は、人懐っこく、気さくで、外来の者に親切、他人を思いやり面倒見がよい。なぜなら、酷暑の気候に暮らしていくためには、お互いが助け合って、よそから来た者をもてなす。それが砂漠の民の生活習慣であるから。彼らは見知らぬ人に向かって「今晩うちに来て食事をしないか」、と声をかける。
          (1)1945年、イスラムの人は、原爆被災者への同情を示した。その後、日本の経済復興は著しく、高性能の家電製品や自動車が彼らから高く評価されている。イスラムの人にとって、日本人は「頭のよい民族」であり、ビジネスマンの礼儀に敬意を示し、倫理道徳の高さ、マナーの良さを尊敬している。イスラムの善は誠実、禁欲、慈悲である。彼らは「日本人はムスリムでもないのにイスラムの教えを実現している」、と考えている。
          (2)日本人はシスティマチツクに働いている。仕事を中途半端に終わらせない。アブダビのムハンマド皇太子は「日本の教育、しつけは優れている。その手法をアブダビの教育に反映させたい」、と評価し具体化している。
          (3)エジプトも親日的国家。ジャーナリストのモハメッド・ヘイカルさんは、「日本とアラブ世界の間には、プラトニックラブとも言うべき感情がある」、と語った。
          (4)イランの新年は、「ノールーズ」という。都会に出たイラン人は一斉に里帰り、家族の結びつきを大事にする。衣服を買ったり大掃除をしたりする。(何か昔の日本に似ている)
    (5)イランは、かってアケメネス朝、ササン朝などの古代文明が栄えた。文明の中心であつた。古代には、日本、中国、イランに至るまで文化の交流があった。
          (6)イラク戦争の際、自衛隊は「人道復興支援」のためイラク南部の都市サマーワを中心に活動して2006年7月に撤収した。現地誌「サマーワ新聞」は、自衛隊員のことを「高い倫理を保持した人々」と形容した。他国の人々のことを尊重し、他国民家庭や職業に敬意を払う立派な文明を伝統をもっている」、と絶賛した
    (7)1984年のロサンゼルス・オリンピック、柔道無差別級の決勝で、エジプトのモハメド・ラシゥラン選手は山下泰裕選手と対戦した。山下選手は、右足に肉離れを起こしていたが、ラシゥラン選手はその右足を攻めることはなかった。優勝は山下選手であったが、ラシゥラン選手は「國際フェアープレイ」を受賞した。

    ・・・・以下省略します。是非、http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html をご覧下さい。

    それはさておき、

    下に16件のイランの世界文化遺産のなかから3件を選んで、その文化遺産の写真をお送りします。

    日本人がもっとイスラム教の国々と交流を深めるように祈っています。それが世界の平和共存に大きな貢献をすると信じています。

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    上はペルセポリスの遺跡です。ダレイオス1世が建設に着手したのは紀元前520年と言われています。

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    上はイランのエスファハーンにあるイマーム広場です。

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    上はタブリーズの歴史的バザール施設 です。

    上の3枚の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3です。

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    「緑陰」というテーマで写真を撮りに行きました

    2014年07月29日 | 写真

    場所は多摩市の都立桜ヶ丘公園で、ウグイスとホトトギスがしきりに鳴いていました。

    乾いた風が木々の下を吹き抜けていました。

    ご覧頂いて少し涼しい気分になって下されば嬉しく思います。

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    イスラム過激派による戦争の原因(1)中東で現在何が起きているか?

    2014年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

    中東のイスラエル、シリア、イラク、アフガニスタンで戦争という悪魔が活躍している。ウクライナも同じだ。人間の人格が破壊され、惨劇が日常の光景になっている。悪魔が独り笑っている。その戦争は19世紀や20世紀に起きた近代国家同士の戦争とは全く違う性格の戦争なのだ。その原因は日本人の理解を越えている。

    このような書き出しで、連載記事、「イスラム過激派による戦争の原因」を始めたいと思います。

    中東のイスラム過激派による内戦にはいろいろ複雑な原因が重なっていると考えられます。

    しかし3つの大きな原因を私は取り上げてみました。

    一つは冷戦終結後、アメリカが中東地域を侵略したことです。

    二つ目は中東地域の貧困と格差を抱えた後進性にあります。

    そして三つ目に政治的統治はイスラム教に従って行うべきという教義が原因になっていることです。宗教と政治の完全合体が重要な教義になっているのです。

    このように考えて連載記事は以下のように続く予定です。

    (1)中東で現在何が起きているか?

    (2)内戦の原因としての冷戦後のアメリカの中東への軍事介入

    (3)内戦の原因としてのイスラム諸国の貧困と格差社会

    (4)内戦の原因としてのイスラム教の教義と他宗教との矛盾

    (5)内戦終結に日本が出来ること、出来ないこと

    さて中東では現在何が起きているのでしょうか?

    まず、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教のパレスチナ自治区のガザ地域への熾烈な攻撃です。最新鋭の戦闘機を投入し、戦車部隊が歩兵を従えてガザ地域を蹂躙しているのです。西側の地中海からは艦砲射撃もしています。無人機での攻撃のしています。死者は一般市民も含めて1034人以上になったと報道されています。

    この戦争の不思議なことはイスラエルは同じパレスチナ自治区のもう一つの地域のヨルダン川西岸地域は攻撃していないのです。ガザ地域だけ攻撃している理由はその地域をハマスというイスラム過激派が支配しているからです。すなわちイスラム過激派とイスラエルという国家の戦争なのです。

    アサド独裁政権の続くシリアでは派閥の違うイスラム過激派がアサド政権の軍隊と終わりの無い凄惨な戦争を続けているのです。アメリカはどの過激派集団を支援すべか迷っています。

    イラクでも同様でスンニ派の現在の政権を支援しています。しかし同じスンニ派のイランがその政権へ戦闘機や武器を送り支援しています。イランと敵対しているアメリカは戸惑ってしまって強力な支援策が取れません。

    そしてイラク内陸部では武装過激派が広大な土地と油田を占領し、「イスラム国」の独立を宣言しました。そこでは完全にイスラム教に従った統治が行われています。

    曾てのイランのホメイニ革命と同じような統治を目指しています。

    そしてもっと混迷を深めているのがクルド人によるクルド自治区の独立です。

    このような混迷を極める内戦という戦争が中東を覆っているのです。日本人の理解を越えるカオスです。

    このようなもつれた混戦を整理整頓して明確に理解するために私は3つの原因を取りあげてみました。もちろん私はイスラム社会を専門に研究していない素人なので間違いも多いと存じますが、皆様の考えを深めるキッカケになれば幸いです。

    下に参考資料として、イスラム原理主義とイスラム過激派武装集団の説明を添付しておきました。そして写真はイスラエルのガザ地域への攻撃で破棄されたガザの街々の写真です・写真の出典は各種新聞社のネット版からお借りしました。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

     後藤和弘(藤山杜人)

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    ====参考資料:イスラム原理主義とイスラム過激派武装集団の説明======

    イスラム原理主義:

    イスラム原理主義とは、シャリーア(イスラーム法)に基づいて統治されるイスラーム国家・イスラーム社会の建設と運営を目ざす政治活動や諸運動のうち、アメリカ合衆国の国民・報道・議会・政府などが、アメリカ合衆国に敵対する存在であると見なした国・政府・政党・団体に対して、敵対や侮蔑の感情をこめて使用する言葉であるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

    =====================================

    イスラム過激派:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

    イスラーム過激派は、伝統的にはイスラームの理想とする国家・社会のあり方を政治的・社会的に実現しようとする運動であるイスラーム主義の中から生まれ、現代社会の中でイスラーム的な理想の実現にとって障害となっているものを暴力によって排除しようとする人々ことである。エジプトのムスリム同胞団の理論家であったサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)の「イスラム教国の世俗化・西洋化・共産化を志向する指導者が統治し腐敗と圧制が蔓延する現世は、イスラム教成立以前のジャーヒリーヤ(無明時代)と同じであり、武力(暴力)を用いてでもジハードにより真のイスラム国家の建設を目指さなければならない」とするクトゥブ主義(Qutbism)がイスラーム過激派の行動の原点となっている。

    西側の多くの国家からテロ組織に指定されている主要なもの

    アルカーイダ: 多国的

    ユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線: 多国的

    トルコ・ヒズボラ(クルド・ヒズボラ):(Turkish Hezbollah) トルコ

    大東方イスラム砲撃戦線:(Great Eastern Islamic Raiders' Front)  トルコ

    アンサール・アル・イスラム:(Ansar al-Islam) イラク

    アンサール・アル・スンナ: イラク

    イラク・イスラム軍: イラク

    イラクの聖戦アルカーイダ組織: イラク

    マフディー軍: イラク

    アル・アクサ殉教者旅団:(Al-Aqsa Martyrs' Brigades) パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)

    ハマース: パレスチナ(ガザ地区)

    イスラーム聖戦: パレスチナ・シリア

    ファタハ・イスラム: レバノン

    ヒズボラ: レバノン

    アラビア半島のアルカーイダ: イエメン

    エジプト・イスラム・ジハード団: エジプト

    イスラム集団: エジプト

    イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ機構: アルジェリア

    武装イスラム集団: アルジェリア

    モロッコ・イスラミック・コンバタント・グループ:(Moroccan Islamic Combatant Group)  モロッコ

    アル・シャバブ:(Al-Shabaab)  ソマリア

    ボコ・ハラム: ナイジェリア

    ジャイシュ=エ=ムハンマド: パキスタン(カシミール)

    ラシュカレトイバ: パキスタン(カシミール)

    ハラカト=ウル=ムジャヒディーン:(Harkat-ul-Mujahideen) パキスタン

    パキスタン・ターリバーン運動: パキスタン

    インディアン・ムジャヒディーン: インド

    インド学生イスラム運動:(Students Islamic Movement of India) インド

    ジャマアト=ウル=ムジャヒディーン:(Jamaat-ul-Mujahideen) バングラデシュ

    ヘズブ・エ・イスラミ・グルブッディーン: アフガニスタン

    ターリバーン: アフガニスタン

    ウズベキスタン・イスラム運動: ウズベキスタン 

    東トルキスタンイスラム運動: 中国(新疆ウイグル自治区)

    ジェマ・イスラミア: インドネシア

    ラスカー・ジハード: インドネシア

    アブ・サヤフ: フィリピン

    モロ・イスラム解放戦線: フィリピン

    パタニ連合解放組織: タイ

    カフカース首長国: ロシア

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    花々に埋もれるある別荘の風景

    2014年07月28日 | 写真

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    花々に埋もれるある別荘の風です。
    この別荘の前には甲斐駒岳が聳え、右手に遠方には八ヶ岳が静かに横たわっています。
    都会から移住してきたような高齢のご夫妻が住んでいます。
    奥様が花々の栽培がお好きで何時も別荘が花で埋もれています。
    別荘の庭と道路の向こう側の畑の両方に、色とりどりの花々が美しく配置して植えてあります。花々で描いた絵のようです。
    パステルカラーの水彩画の庭です。決してドギツイ油絵ではありません。
    7月26日に撮ってきた写真をお送りいたします。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。
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    ブランドと人の心(3)牛肉のブランドは日本独特の食文化

    2014年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

    本当のことを書くと怒る人がいます。我が意を得たり喜ぶ人がいます。

    そこで本音を書いてしまいます。「ブランドをやたら尊敬する日本の文化は軽すぎる。はっきり言えば軽薄なのです」と書きたいのです。

    これがこの連載の結論になりそうです。しかしこのように判断するのは日本文化の一面しか見ていない軽薄な結論になります。

    ブランド指向には善意も混じっています。良い効果も沢山あります。ですからブランド趣味を否定出来ないのです。

    それにしても日本にあるブランドものの食品には困ったものです。産地が違えば味が違うのは食べてみれば分かることです。産地のブランド名をつけて高価に売るのは商業の正道ではありません。

    分かりやすい実例が松坂牛や神戸牛の高価さです。

    おそるおそる少しだけ買って味わえば、確かにいかにも牛肉の良い香りがフンプンとして美味です。しかし同じ値段で仙台牛を買えば同じように上等です。なにもブランドにこだわる必然性がありません。

    昔、アメリカに住んでいたころアメリカ人と一緒にビーフステーキを何度かたべました。彼等は骨付きの胸肉、ロース、もも肉と牛肉の部所を私に説明しますがブランドには一切関心がありません。自分が食べて味をいろいろ批評しますが、その牛がテキサスのものか南米のものかは一切話題にしません。自分が美味しいと思えばそのレストランに通うだけです。彼等はスーパーで生肉を買う時、肉を見ただけで美味か不味いか判断するのです。

    日本人がイワシやサンマを買うとき魚の色合い、つや、弾力性などを見て買うのと同じです。

    和牛にブランドなどあるのは日本だけではないでしょうか。

    そこで今日はついでに気楽に和牛の話を書いてみます。

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    (写真の出典は「和牛写真集」です。)

    和牛が美味なことは本当です。現在は世界中に広がって飼育され、多くの外国人も和牛の味に感心しているという報道を見ました。

    オーストラリア、カナダ、アメリカやヨーロッパでも飼育されているようです。

    始めは日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリアの牧場へ奨励したのがキッカケで、その後、現地の人々が好んで食べるようになったようです。そして下の図面の左のように世界各国へ輸出されています。右はその和牛の肉です。(写真の出典は、http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/05/0530.html です。)

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    そして現在はフランスでも好んで食べられています。http://www.youtube.com/watch?v=-eV-NYKbak0 をご覧ください。

    しかし外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はついていません。そこが日本と外国の違いです。

    しかし和牛と言っても、純粋の和牛など市場に出回っていなのです。

    三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重していますが、それらは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。

    本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。

    萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。

    見島では7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続けています。食肉用として市場へ出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。下に写真を示します。

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    そして下は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子です。

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    (写真の出典は、http://www.mishimaushi.com/mishimaushi.htmlです)

    さてこの「見島牛(みしまうし)とは」というHPを見ると、「和牛の変遷」というスライドショーが右肩についています。良く出来た説明です。

    それによると和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったと説明されています。

    すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。

    しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?

    しかしもっと本格的に考えると日本には旧石器時代からオーロックスという野生の牛が跋扈していたのです。それこそが本当に純粋な和牛ではないでしょうか?

    ですからこそ私は和牛、和牛と騒ぐ最近の食文化をいささか冷笑しているのです。

    そして松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重している食文化を困ったものだと思っています。輸入牛でも美味しい部分を探して上手に料理をすれば良いだけのことです。

    それはそれとして、

    今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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    100%源泉かけ流し「しんとろの湯」

    2014年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

    日本には温泉が各地にあって、多くの人々が源泉かけ流しの湯を求めて旅をしています。湧き出す湯量がありあまるくらい豊富で、泉質の良い温泉に人気が集まります。

    この7月14日に訪ねた「しんとろの湯」はまさしく93度の温泉が溢れるように湧き出ています。そして浴槽だけを設置した建物の中に入浴客が絶えません。

    場所は東北地方の古川市と新庄市を結ぶ国道47号線に面して中山平温泉の郊外にあります。

    この47号線には東から川渡温泉、鳴子温泉、中山平温泉、赤倉温泉、瀬見温泉と数多くの温泉が連なる温泉街道なのです。

    この「しんとろの湯」では、人々が広大な駐車場に車を停め、温泉に浸かり、体も洗わずに又車に乗って次の温泉へ行くのです。文字通り老若男女、みんなが温泉マニアらしく、車を降りるとき、すでに半分洋服を脱ぎ、手拭と湯上りタオルを持って出て来ます。

    それは不思議な光景です。こんなに多数の温泉マニアを見たのは久しぶりでした。

    温泉文化が相変わらず伝承されているのです。そのような温泉マニアのために写真をお送りいたします。マニアなら必ず満足すると信じています。

    詳しくは、http://spa.shintoro.com/ をご覧下さい。

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    建物の裏に巨大な井戸があり、ゴボゴボと凄い音をたてて多量のお湯が沸き出しています。

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    湧き出す湯の温度が93度なので上の写真のように蓋の無い長い樋に流しながら冷まします。樋の長さは夏冬には調整します。

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    上の写真はおおきな浴槽だけがある建物です。休む部屋も小さく、食事も出ません。湯に入るだけです。東北地方の温泉では昔から石鹸を使って体を洗いません。

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    「しんとろの湯」の国道の向かい側にも源泉があり、個人の住宅に温泉を配っているようです。

    それにしても東北地方には野趣あふれる温泉が数多くあります。夏の温泉を巡る旅もお薦めです。

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    さかんに茂る夏草の美しさ

    2014年07月27日 | 写真

    さかんに茂る夏草の美しさに見とれています。

    このような植物の命の輝きは夏にしか見ることが出来ません。
    元気あふれる植物たちですね。感心して写真を撮りました。
    武蔵野公園の夏です。

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    信じなければ理解できない・・・多くの西洋人の共通な認識

    2014年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

    我々日本人は物理でも化学でも勉強すれば理解出来ると思っています。

    そうです知識は勉強すれば理解出来るものです。

    しかしお釈迦様の偉さは、お釈迦様を信じなければ実感的に深く理解出来ません。

    例えば「色即是空」という言葉を知っている人は多いと思います。その意味をは、ご存じのように、「この世にある全ての物は空です」という意味です。

    しかしこの意味を実感的に深く理解するためには、お釈迦様を信じなければいけません。

    愛する家族が急に亡くなれば、だれでも虚しさを感じます。

    このように感じることが理解するための第一歩なのです。しかし、お釈迦様への信仰が無ければ、虚しさを感じるこの第一歩だけで終わります。

    しかし仏教を信じ、お釈迦様を信仰していると、この自分個人の「虚しさや空虚感」で「色即是空」という教えが普遍的な真理であることが理解出来るのです。

    ですから、この世の真理を表わす文章を理解するためには「信ずること」が必要なのです。

    多くの西洋人はイエス・キリストの人間へ対する愛を信じています。

    信じているからキリストの偉大さが理解出来るのです。キリストへ対する信仰があれば、イエス様が行った数々の奇跡の意味が理解出来るのです。奇跡も信じられるのです。

    はっきり言ってしまえば、キリストを信じなければ新約聖書の全ての文章の深い意味が理解出来ないのです。

    キリストを信じない多くの日本人が新約聖書を読みます。聖書を教養として勉強します。

    もちろん文章の表面的な意味は理解出来ます。しかしその文章が信仰のある個人にどのような働きかけをしているかは理解出来ないのです。

    多くの西洋人は「信じなければ理解出来ない」ということを体験的に知っています。このように書く根拠があるのです。現在のローマ法王、フランシスコ教皇が最近出版した本、「信仰の光」の第二章、信じなければ、あなたがたは理解しない、に書いてあるからです。

    さてそれでは信仰を持つためにはどうすれば良いのでしょうか?

    それは宗教的訓練を行うことです。

    お釈迦様への信仰を持つためには、お寺に参ります。お経をみんなで一緒に唱えます。仏式のお葬式に出席します。先祖の墓参りをして線香や花を供えます。亡くなった方へ功徳を供え冥福を祈ります。禅寺で座禅を組みます。そして出来たら永平寺などで修行の体験を重ねます。こういうことの全てが宗教的訓練なのです。

    ただしこの宗教的訓練は一人で勝手にしては訓練になりません。必ずコーチ役の指導者が必要なのです。この宗教的訓練のことはもっと書きたいことがありますので、続編、「宗教的訓練の重要性」という記事で書いてみたいと思います。

    下に挿絵代わりに花の写真を添えておきます。撮影は6月23日、京王フローラル・ガーデンでした。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

    後藤和弘(藤山杜人)

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    山林の中の小屋への日帰りのささやかな旅

    2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

     

    今日は日帰りで山林の中の小屋へ行ってきました。

    小屋の下の方の別荘地には、何時も素晴らしい花々を咲かせている一軒の別荘があります。何時ものように老婦人に声をかけて写真を撮らせて頂きました。

    それから、月見草の咲いている最後の水田を通り過ぎて山林の道に入ります。

    そしてほの暗い林の中の小屋に着きます。
    庭の小川は十年一日のように相変わらず清らかな水音をたてて流れていました。
    涼しい小屋の中で家内とオニギリを食べて、少し昼寝をしてから帰路につきました。
    帰りがけに、山林の中に独りで何十年も暮らしている木内さんの山荘に寄りました。今日は15Kmを自転車を漕いでスーパーまで食料品を買いに行ったそうです。顔色も良く元気そうでした。

    帰りの中央高速は空いていてトントンと車が走りました。
    下に順々に、花の素晴らしいある別荘の花園、悪路の入り口の最後の水田、山林の中の小路、小屋の庭を流れる小川の写真を合計4枚お送りきたします。

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    霞ケ浦の夏の風物詩・・・風をつかむ白帆の風景

    2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

    霞ケ浦の夏の風物詩は風をはらんだ白い帆が揺れ動く風景です。

    遠方には筑波山が碧く横たわっています。霞ヶ浦の水面が白く波立っています。

    白い帆は洋式のヨットの帆と、江戸時代からの和船の帆の2種類があります。

    小型ヨットはディンギーと呼ばれています。これほど繊細につくられた舟は有りません。もっぱらレース用に使われています。

    風に対して登るか、追風を受けて下るか、2つの走法しかありませんが、その中間のいろいろな角度でも、最高の速度が出るように設計されています。そして横流れを防ぐためにセンターボードを船底から水中へ出します。追い風のときはこのボードを引揚げてスピードを出します。

    風上に登るときは2枚の帆でジグザグに走ります。

    風下におりるときは風船のように見える丸い帆を舟の前に上げて3枚の帆を用いて全速で走ります。

    下の2枚の写真はどこかの大学のヨット部の2艇で、三角コースのレースの練習をしている風景です。

    自分もこんな経験を江ノ島や葉山で少ししたことを思い出しながら写真を撮りました。

    もう一つの和船は漁船です。

    幅の広い大きな網を船の横に入れ、船の長さいっぱいの巨大な白帆で網をゆっくり引いて行きます。数キロメートルも引いて行きます。

    7、8月はワカサギを取っていますが、10月になると透明な白魚をとります。

    霞ヶ浦に江戸時代からあった伝統的な漁法だそうです。東風の吹く日は毎日毎日、大きな白帆が沖に見えます。

    ワカサギは佃煮にします。沖宿でも売っていますが、土浦駅ビル地下食品売り場の小魚佃煮専門店でも売っています。

    白魚の生の刺身は蓮田の中の「うなぎの山中」(電話0298-28-0804)で食べることが出来ます。川海老の天麩羅や釜揚げもあります。うなぎは焼きの濃い昔風の蒲焼です。

    一番目と二番目のヨットの撮影日時は2008年8月23日午後3時頃でした。三番目と四番目の和船の撮影日時は、同じく2008年8月22日午後2時頃でした。

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